2013.11.28

ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

松尾匡:連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

経済 #リスク・責任・決定、そして自由!#コルナイ#ソ連型システム

さて、30年前ぐらいから世界中で迫られた「転換X」の正体は何か──国家主導体制が崩れて、「小さな政府」に転換することだと思われていたけど、そうでなかったのなら何だったのか──ということをこれからお話ししていくわけですが、これを、当時この転換を提唱していた経済学者の言っていたことを振り返ってみる中から、確認したいと思います。

このときキーワードになるのは……

リスクと決定と責任

ということです。

さらにもう一つ、

予想は大事

ということも覚えておいて下さい。

それで、まず、一番典型的だったソ連型の経済システムがなぜ崩壊したのかを検討することから始めたいと思います。

ソ連も崩壊して20数年になりますので、若い人たちには「ソ連」と言ってもピンとこない人も多いかもしれません。いまのロシアを中心とする15カ国を支配していた国ですけど、私の少年時代には圧倒的に「悪くて怖い国」のイメージでしたね。もっと前の時期には、左翼側にはソ連礼賛していた人たちも多かったのでしょうけど、さすがに私の若い頃ともなれば、日本共産党もソ連共産党と大げんかしていて(のみならず中国とも北朝鮮とも大げんかしていて)、他方の、日本共産党と対立している急進左翼の人たち(世間で「過激派」って呼ばれている人たち)もだいたいはみんな反ソ連でしたから、右も左も反ソで当り前みたいになっている頃でした。

私たちはこんな中で育ってきた世代ですので、だいたいはソ連体制が潰れて大喜びしたクチだろうと思います。なぜソ連型システムが崩壊したかの理解のしかたで言えば、やっぱり私たちの場合、「個人の自由を力で抑えつける独裁体制は必ず打倒されるものだ」というようなストーリーでとらえた人が多かったんじゃないですかね。周りはみんなそうだったように思います。「どんなに厳しい現実がそびえていても、いつか理想は実現するものだ」みたいなまとめ方をしてたわけです。

ところがその後、いつのまにか世間の理解の仕方が、「競争がないとみんな怠けて国が潰れるよね」みたいなまとめ方に変わっていったような気がします。「きれいな理想を掲げても、現実はうまくいかないんだよ」みたいな、逆のニュアンスのストーリーになった感じ。

だいたいソ連型システムは、あまりにも多くの愚かなことや、人として許せないことをやったために、そのうちどれが本質的問題なのか一見わからなくなってしまうところがあります。だから、ソ連型システムに多少でも未練のある人にとっては、そのうちどれか一つでもなかったらうまくいったのではないかという言い逃れができてしまいます。「一党独裁さえなければ」「全面国有でさえなければ」「スターリンさえいなければ」等々。

そうではなくて、体制の根幹にかかわるところに、どうしてもうまくいかなくなるところがあったのですが、それが何かを、ここではっきり見ておきたいと思います。

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

第一回:「『小さな政府』という誤解

第二回:「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

第三回:「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か

第四回:「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと『予想』

第五回:「ゲーム理論による制度分析と「予想」

第六回:「なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

第七回:「ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2

第八回:「新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

ソ連型システムの基礎知識

ソ連を知っている世代の人にとっては冗長になるかもしれませんが、ソ連型システムがどんなものだったかについて、簡単におさらいしておきましょう。

ここで「ソ連型システム」と呼ぶものは、ある程度以上の規模の企業は原則みんな国有にして、国の中央からの指令にしたがって生産する経済の仕組みを指しています。ソ連でだいたい1928年頃確立して、第二次世界大戦後、ソ連が軍事占領した東ヨーロッパの国々や北朝鮮に押し付けられ、その後共産党が武力制覇した中国でも採用されたものです。

これらの国々では、政治的には、「マルクス=レーニン主義」を看板に掲げる政党が一党独裁して、マスコミも出版も政府の言いなりに統制し、秘密警察などを使って反政府の動きを厳しく弾圧する体制を敷いていました。当時、これらの国々は「東側」と呼ばれ、アメリカや西ヨーロッパや日本などの「西側」と呼ばれる先進資本主義諸国と、「冷戦」と呼ばれる対抗関係を形作っていたことはご存知ですよね。

もともとロシアでは、昔は皇帝の専制政治体制がとられていたのですが、第一次世界大戦で負け続けて人々の暮らしもどんどん苦しくなっていったので、とうとう1917年3月に「パンと平和」を要求する民衆が革命に立ち上がって、長く続いた帝政が打倒されたのです。ところが、その後の臨時政府のもとでも政情不安が収まらず、そんな中で11月にレーニン率いるボルシェビキ(後の共産党)が武装蜂起して政権を奪取します。そして、それに反対する勢力との間で、血みどろの内戦になり、レーニンたちは、秘密警察や強制収容所を作り、逆らう者を情け容赦なく弾圧して内戦を乗り切るのですが、内戦が終わった後もこれらの弾圧システムはまったく緩むことなく残りました。そして、帝国崩壊後に独立したものの、内戦の過程で共産党側が再占領した地域を合わせて、1922年にソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)が成立します。このころには、レーニンは病床でほとんど執務不能になっていて、24年に死去します。

このかんに、都市の大工場は国有化されたのですが、革命前からある工場設備がそのまま使われ続けてきました。それがこの頃から、ガタがきて使えなくなってきて、どうやって新しい機械や工場を建設するかが大きな問題になっていました。ここにレーニン死後の権力闘争が絡み、最終的に権力を握ったスターリンが、ソ連型システムを確立させることで決着をつけたわけです。

それが、農業集団化と第一次五カ年計画の開始でした。革命で地主から農民たちが獲得した土地を再び取り上げてしまい、彼らを集団農場に閉じ込め、食うや食わずの穀物だけ残してあとはタダ同然で取り上げて、それを元手にして重工業中心に国営工場を上から続々建設していったのです。これを遂行するために、中央で野心的な生産目標を掲げ、各工場にノルマを指令として下ろしていって生産するシステムが作り上げられました(「ノルマ」という日常語はここからきた言葉で、もとはロシア語です)。

当然農民は激しく抵抗します。スターリンは、逆らう農民は容赦なく殺し、殺さなくても酷寒のシベリアなどの強制収容所に送って、鉄道や鉱山などの開発のために過酷な労働を強いました。労働者も、「10分遅刻したらシベリア送り」と言われるような厳しい労働強化に見舞われました。そして、古参の革命家たちはごっそりと肉体的に抹殺され、共産党の幹部層は生産管理の専門家たちに入れ替えられました。

このかん、スターリンによって、「反革命」とされて死刑にされた人は、ソ連政府公認で78万人余です(*1)。強制収容所に送られた人の数は、数百万人とも数千万人とも見積もられています(*2)。穀物を取り上げられて餓死した農民も多く、穀倉地帯のウクライナでは何百万人もが餓死したとされています(*3)。

この体制のもとで猛烈なスピードで工業化が成し遂げられ、スターリンが1953年に死んだあとをついだフルシチョフの支配した時代には、国民総生産がアメリカについで世界第二位にまでなり、水爆実験にも成功し、アメリカより先に人工衛星を飛ばすまでになりました。

これに合わせ、スターリン時代のような見境のない大弾圧は姿を消し、多くの人々が強制収容所から故郷に帰ってきました。思想や言論の統制は相変わらず続きましたが、本当の反体制派だけに的を絞った抑圧に変わったわけです。農民からの搾取も和らぎ、一定の給料が保証されるようになり、やがて逆に農業に補助金がつぎ込まれるようになっていきます。

そうするうちに、経済停滞が長引いていきました。企業に利潤原理を導入するような改革が試みられたりもしましたが、フルシチョフ失脚後のブレジネフ統治下の時代には、やがてそんな改革も行き詰まってしまいます。東ヨーロッパでは、ハンガリーのように市場メカニズムを導入する改革がかなり進んだところもありましたが、それでもうまくいきません。

人々は、暮らしに必要なものがなかなか手に入らず、我慢を強いられましたが、西側の先進資本主義国との格差はどんどんと開いていき、これらの国々の豊かな暮らしが知れ渡っていきます。その一方で、エリート幹部の人たちは、欲しいものが簡単に手に入り、幹部とその家族用の特別上等の住居や保養所や別荘、病院や学校、劇場・列車の客席等を利用する特権を享受できました(*4)ので、庶民の不満が高まっていきました。

1985年にソ連共産党書記長に就任したゴルバチョフが、閉塞した体制を打開するために、言論の自由化を進めていくと、これまで抑え込まれていた不満が爆発し、1989年には東ヨーロッパで一党独裁政権が次々と崩壊しました。そして1991年にはソ連で、共産党保守派のクーデタを、市民が立ち上がって三日で粉砕。ついにその年末にはソ連が崩壊するに至ります。

そして、ロシアはじめ崩壊後の旧ソ連諸国の多くでも、東ヨーロッパ諸国でも、私有の企業が営利目的で市場取引する普通の資本主義経済への怒濤の移行が起こったのでした。

(*1)A・ゲッティ、O・V・ナウーモフ編『ソ連極秘資料集 大粛清への道』(川上洸、萩原直訳、大月書店、2001年)623ページ。同書はソ連崩壊後公開された多くの資料が紹介されている本で、622ページには、ロシア連邦国立文書館が公開した内務人民委員部の資料に基づく毎年の犠牲者数が掲載されている。これらは、日本語版Wikipedia「大粛清」(2013年11月23日閲覧)で読むことができる。ニコラ・ヴェルト「流刑、強制収容所、飢饉…ソ連あるいはテロルの支配」福田玲三訳『労働運動研究No.376』(2001年2月号)も参照のこと。「宮地健一のホームページ(http://www2s.biglobe.ne.jp/~mike/giseisha.htm)」に転載(2013年11月23日閲覧)。

(*2)日本語版Wikipedia「強制収容所」(2013年11月23日閲覧)。ヴェルト前掲論文も。ゲッティ、ナウーモフ前掲書621ページでは、大粛清時代の囚人数は、最大350万人前後と推定されている。624ページでは、収容所等で死んだ人も加えた、1930年代の弾圧死者数は150万人に近いとされている。

(*3)日本語版Wikipedia「ホロドモール」(2013年11月23日閲覧)。ヴェルト前掲論文も。

(*4)こうした特権階級は、ノーメンクラトゥーラと呼ばれる。ミハイル・S・ヴォスレンスキー『ノーメンクラツーラ』(佐久間穆訳、中央公論社、1981)参照。「太陽と月のソムリエ」サイト内の下記ページに、内容抜粋がある。http://www.oct.zaq.ne.jp/poppo456/in/b_nomenklatura2.htm (2013年11月24日閲覧)。

競争がなかったから怠けた?

さきほども触れましたが、よく「競争がないとみんな怠けるから駄目になる」というのがソ連型システム崩壊の原因のように言われることがあります。しかしこれは違います。競争は十分ありました。子どもたちの受験競争は激しかったし、大人の出世競争も激しかったです。

スターリン時代は、負けたら収容所行きみたいなところがありましたから、ポスト争いも命がけでしたけど、そんな恐怖がなくなった時代になっても幹部の特権はしっかり残っていました。庶民のままでは、日常生活に必要な物も、長時間行列に並んでやっと手に入れなければならない。地位が上がればそれに応じた特権が手に入るとなれば、出世競争をがんばるインセンティブ(誘引)としては十分です。

しかも、地位による給料の格差は、普通の資本主義国と比べて決して小さくはなかったです。ソ連型システムが「平等」を目指した社会のように思っている人も多いと思いますが、ソ連型システムは、建前のスローガンとしても「平等」を掲げたことはなかった(*5)し、実態としても、競争のある大変な格差社会だった(*6)と言えます。

過剰設備投資と資材の過剰ため込みが不足経済を生む

では、ソ連型システムが崩壊した一番の原因は何だったのでしょうか。

ここではそのことを、主にコルナイという経済学者が言っていることをもとに見ていくことにします。

コルナイ・ヤーノシュさん(1928-)はハンガリーの経済学者です。ハンガリーは、第二次世界大戦後、ソ連軍に占領されてソ連型システムを押し付けられた国で、スターリン存命中は、ミニ・スターリンのような独裁者ラーコシが秘密警察を使った恐怖政治で君臨していました。スターリン死後の1956年に、ソ連本国ではフルシチョフがスターリン批判を行い、これを受けてラーコシもとうとう辞任したのですが、後任の党書記長には、またもスターリン主義者がつきました。そこでハンガリーの民衆が、独裁体制を打倒する革命に立ち上がるに至ります。

しかしソ連は軍事介入しておびただしい市民を虐殺してこれを鎮圧しました。そして首相はじめ、多くの革命リーダーがこのあと逮捕、処刑されていきます。

革命鎮圧後、ソ連のバックアップで権力の座につけられたカダルは、民衆の不満や恨みにさらされている身を自覚し、民衆の生活水準向上のために、ソ連の許す範囲ギリギリの大幅な改革を進めていくことになります。国営企業が利潤を追求して取引する自由を拡大していき、企業が利益を上げれば経営者の収入も増える仕組みにしました。経済計画は緩めていって、最後の頃はほとんど西ヨーロッパ同然の市場経済になりました。

コルナイさんは、このような中で、当初アカデミックにこの改革を応援する立場から仕事に取り組んでいました。しかし、改革を進めても進めても、どうしてもうまくいかない問題がでてくることに直面します。そして、とうとうこの体制は改革不可能だということを認識するに至るのです(*7)。

どうしてそんなことが言えるのか。そのことを、彼の主著『不足』をわかりやすく概説した『「不足」の政治経済学』(盛田常夫訳、岩波書店、1984年)に基づいて見てみましょう。

ここで、コルナイさんは、ソ連型経済システムの特徴を、慢性的な不足経済として描いています。労働力も生産物資も消費財も、いつもどれも足りない経済ということです。発展途上国と違って、決して生産力が足りないわけではないのに、不足が不足を呼んで再生産される「均衡」に陥っているのです。

コルナイさんは、こんなことが起こる原因として、まず「投資渇望と拡張ドライブ」をあげます(*8)。要するに、企業が機械や工場を設備投資して、生産規模を拡大していくことに、歯止めがないということです。彼は、1973年のオイル・ショック後の景気後退期に、西側資本主義国の企業は設備投資を減らしたのに、東ヨーロッパでは、ハンガリーでもポーランドでも企業の設備投資意欲は衰えなかったという例をあげています。

次に、「量志向とため込み」をあげています。企業は、原料や燃料や部品などの投入資材を、倉庫一杯にため込もうとするわけです。ソ連では、ハンガリーやポーランドほど企業の自主権が強くなかったので、設備投資志向については、コルナイさんの指摘するほどひどくはなかったかもしれませんが(*9)、この投入財の「ため込み」志向については、非常に著しい状況にあったことが知られています。中央政府から突発的な生産ノルマが降りてきても、支障なく超過達成して、ご褒美のボーナスをもらえるよう、日頃からあらゆる手を尽くして生産に必要な資材を集めておくというわけです(*10)。

さらに、「輸出ドライブ」をあげています。ともかくたくさんの量を輸出しようという志向です。

これらのことが、生産手段の不足をもたらします。資材が慢性的に不足するならば、企業は、もしものために買えるうちに資材を買ってストックしておこうとしますので、「ため込み」志向はますますひどくなります(*11)。そしてますます生産手段が不足します。当局は、受注残高や受注拒否率が著しく高かったり、製品在庫が著しく少なかったりというような「不足指標」を見て、あるいは、企業からの抗議・要望の電話やロビー活動などを受けて、不足の少ないところから、不足の著しいところに生産資源を回して生産を調整します。コルナイさんはこれを「不足の配分」と呼んでいます(*12)。

この結果、消費財生産に比べて、生産手段の生産に比較的多くの工場や労働や生産物資が配分されることになります。それに対して消費財は社会のニーズに比べて生産が少ないままに放っておかれます。生産手段にもなり、また消費財にもなるタイプの生産物が不足したならば、一介の消費者は予算にもコネにも限りのあるのに対して、企業は、あとで書くように予算の縛りが緩いし、エラい人とか経営者どうしとかのコネもありますので、その財を生産手段として買うのを諦める必要はありません。だから消費者は買い負けてしまいます(*13)。

かくして、消費財も不足します。スターリン時代のような恐怖の脅しが使えない時代になったら、労働者の不満をなだめて働かせるために、賃金は上がっていきましたが、賃金が上がっても買える物がありません。西側ではそうなると価格が上がって、消費者は買うのをあきらめるのですが、価格は統制されて決まっていたり、場合によっては無料だったりしますので、いつも長い行列がなくならない慢性的な需要超過が起こります。

もともとソ連では、スターリン時代、重工業にばかりに偏った経済計画を遂行していました。人手も物資も重工業にまわすために、消費財の生産はわざと抑えられていました。それで急速な工業化をしたのですが、いざ工業化を成し遂げても、そのまま、生産手段部門に過剰に工場や人手や資材が張り付いて、消費財生産の割合を膨らませることができない構造になっていたわけです(*14)。

これでは、大衆の生活を豊かにするなんて、最初からかなわなかったことになります。おまけに、いつも品不足で、買い手が頭を下げて売り手がふんぞり返っている状態では、コストを下げて安くしようとか、品質を上げようとかという誘引は働きません。だから生産性が上がらず(*15)、不足はますます解消されないままだし、消費財の種類でも品質でも、西側資本主義国との差が開く一方になってしまったわけです。

(*5)「スターリンが『小ブルジョアの平等主義』を公然と非難して、より大きな所得格差を求めて、1931年に個人的に介入したことはよく知られている。…補助作業者…と上級カテゴリーの者の間のギャップは、1対12かそれ以上に上昇した。」アレック・ノーヴ『ソ連の経済システム』(大野、家本、吉井訳、晃洋書房、1986年)。「賃金格差は『同一労働に同一賃金』の社会主義的分配原則およびレーニンの『平等屋』に対する警告によって正当化された。」P・グレゴリー、R・スチュアート『ソ連経済』(吉田靖彦訳、第3版、教育社、1987年)、243ページ。同書356ページも参照のこと。

(*6)グレゴリー、スチュアート前掲書第8章「経営役員と報酬」「ソ連における賃金格差」。また同書356-357ページでは、スターリン時代の労働者階層間賃金格差はアメリカより大きかったが、その後縮小したことを示し、スウェーデンや英国ほど平等ではないが、アメリカ等よりは平等になったとする。ただし、エリート層との格差は勘案していない。

(*7)コルナイ『コルナイ・ヤーノシュ自伝』(盛田常夫訳、日本評論社、2006年)第15章。

(*8)以下あげる原因論は、31-34ページ。

(*9)とはいえ、アレック・ノーヴは、ソ連においても慢性的な過剰設備投資を指摘している。175-177ページ。

(*10)グレゴリー、スチュアート前掲書187ページ。

(*11)コルナイ前掲書12-13ページ。

(*12)コルナイ同上書60-61ページ。

(*13)同上書33-34ページ。コルナイ『反均衡と不足の経済学』(盛田常夫、門脇延行訳、日本評論社、1983年)172ページ。

(*14)工業化時代の「ソ連における私的消費のすう勢の顕著な特徴は絶対的な低下に加えて相対的低下の規模と速さであった。1928年には私的消費はソ連のGNPの80パーセントに相当した。1940年ごろにはその数字は50パーセントに低下した。…他の国々ではその低下は80パーセントから60と70パーセントの間であった。そしてその低下には完了するまで30年から80年を必要としたが、これに対してソ連の場合は12年であった。」グレゴリー、スチュアート前掲書155-156ページ。また、1970-80年代を指して、「粗国民生産物に占める消費の取り分は過去20年間に着実に低下した。」同上書188ページ。

(*15)コルナイ『「不足」の政治経済学』23ページ。

投資決定者が責任をとらない「ソフトな予算制約」

さて、ではなぜ歯止めなく設備投資したり、生産資材を貯め込んだり、どんどん輸出したりするのでしょうか。コルナイさんがあげている根本的な原因は、「ソフトな予算制約」ということです(*16)。

西側の資本主義企業で、採算の合わない設備投資にまで際限なく手を出したり、実際に生産に使われる可能性が乏しいところまでたくさん生産資材を貯め込んだり、もうけ度外視で量だけ輸出したりしたら、企業は赤字を出してしまいます。誰も助けてくれません。しまいには倒産してしまうでしょう。コルナイさんは、こういうのを「ハードな予算制約」と呼んでいます。

しかしソ連や東ヨーロッパの国有企業は違います。企業が赤字になっても潰れることはありません。赤字になっても、製品価格の引き上げが認められたり、国のおカネが突っ込まれたり、免税されたり、銀行から融資されたりします。予算制約が緩すぎて融通がききまくるということで、「ソフト」だと言うのです。

コルナイさんは、西側の企業では、企業のオーナー自身が設備投資決定すれば、「彼自身のお金にかかわる」と言います。つまり、失敗したら自分の損ということです。株式会社の雇われ経営者の場合も、「間違った決定は職業上の威信や経歴を傷つける」と言います(*17)。私から補足すれば、株式会社でも、日本の中小企業の場合、経営者は借金するとき個人保証を求められますので、損したら自腹で責任をとります。大企業でも、会社の業績が悪いと、安くなった株を買い占められて、経営者は追い出されるかもしれません。間違った経営判断のために会社が大損したら、株主代表訴訟を起こされる可能性もあります。

しかし、東側の国有企業経営者は違います。コルナイさんによれば、投資判断がうまく当たれば、昇給やボーナスが得られ、名誉も得られるけど、投資判断に失敗しても、「前よりもさほど低くない地位の別の機関や職場へ左遷させられるだけ」ということです(*18)。

つまり、国有企業経営者は、企業長単独責任制のもとで、資材購入や労働雇用の決定権を持っていました。ハンガリーやポーランドでは、設備投資の決定権まで持っていました。ところが彼らは、決定の結果おこることについては、責任をとる必要がなかったわけです。本当に社会のニーズに合うかどうかわからないリスクのある決定をする人は、本来そのリスクに応じて責任をとらなければならないと思います。しかし、その責任をとる必要がなく、うまくいった場合のメリットばかりがあるならば、資材のため込みにも設備投資にも歯止めがかからないのは当然です。

この問題を解決するためにはどうすればいいか。設備投資や資材購入や新規雇用の決定をする人が、その決定の結果について責任をとるようにしなければならないということです。つまり、失敗したら自腹で補償する。あるいは、倒産して地位を失う憂き目にあう。しかし、責任を取らされるばかりなら誰も決定する地位に着こうという人はでてきませんから、決定の結果うまくいったときの成果は、「利潤」としてある程度決定者に帰属するようにする……これは、要するに「私有」ということにほかなりません。

だからコルナイさんは、ソ連型システムは改革不可能で、西側同様の私有資本主義になるほかないという結論に至ったわけです。

(*16)以下の議論は、コルナイ同上書40-58ページ。

(*17)コルナイ同上書120ページ。

(*18)コルナイ同上書122ページ。

日本でも見られた典型例──原発事故

以上のコルナイさんの議論から言えることを私なりにまとめると、リスクと決定と責任は重ならなければならないということです。これがズレるとおかしなことになっちゃうというわけです。これらがズレてバラバラになっていたシステムを、ちょっとでもこれらが重なるシステムに変えようということが、ソ連型システム崩壊にともなう転換に課せられていた課題だとわかります。

こう考えると、この教訓が当てはまるのは、別にソ連型システムだけではないということがわかりますよね。コルナイさんも、西側の資本主義企業だって、みんながみんなガチガチの「ハードな予算制約」になっているわけではないと言います。赤字企業を国有化して救ったり、非効率なプロジェクトに税金を投入し続けたり、大事な企業はつぶれないように、国肝いりの特別の融資をしたりといったケースをあげています(*19)。

だからやっぱり私たちの住んでいる普通の資本主義国でも、自分ではリスクを負わないで決定し、何かあったときの責任をとらない仕組みが発生し、そのせいでリスクの高い事業がどんどんと拡大していくといった弊害は、しょっちゅう見られます。

このように言うと、誰もが一番典型的なケースとして思い浮かべるのが、原発事故の問題でしょう。

もともと日本の電力会社は、資本主義企業のはずなのに「ソフトな予算制約」になっているものの典型です。コストが上がっても、お上が認めれば、その分価格を上乗せして済ませることが公然と認められている事業です。だからただでさえ、電源開発等の設備投資に過剰に手を広げてしまって当然の仕組みになっていると言えます。

しかも原発です。

いざ事故が起こったときの被害は計り知れないのですが、そのリスクはもっぱら立地している地方の住民にかかってきます。電力会社の原発建設を決めた人たちは、そこから遠く離れたところにいて、自分では事故リスクをかぶりません。そして万一事故があったときに自腹で責任を負いません。そもそも被害が大きすぎて責任を負おうにも負えるものではありません。

そのうえ、住民対策にも、廃棄物の処理にも、いざ事故が起こったときの対処にも、結局のところ莫大な税金がつぎ込まれます。その分は、決定者の事業リスクは軽減されていると言えます。

そうであるならば、万一のとき危険な原発であっても、どんどん建てていく決定をするのは当然です。福島の原発事故は、こんな仕組みのもとでは、いつかどこかで起こるはずだったものが起こっただけだと言えるでしょう。

日本型経営者の無責任──「そごう問題」の例

電力会社などは、資本主義企業でも特別かもしれません。公的に地域独占が決まっていて、国家権力のバックアップがある。コルナイさんの見た、ソ連型時代のハンガリーの国有企業とたいして変わりません。自由市場派の元祖アダム・スミスがやっきになって批判した東インド会社に似ています。

でも、考えてみたら、資本主義企業で一番ポピュラーな「株式会社」というもの自体、株主は会社の借金返済の責任を全部は負いません。失敗して損すると言っても、最悪、出資が返ってこないというだけです。さらにその経営者は、そんな株さえたいして持ってなくて、ただの雇われサラリーマン同然の形をとっている場合が多いです。経営判断の失敗のリスクをどれだけ負うのか、自腹で責任をとれるのかと言われると、とても心もとない存在です。だから、自由市場派の祖スミスは、株式会社という制度に反対しているくらいです。

そのうえ、戦後の日本の大会社の場合、長らく、いわゆる株の「相互持ち合い」をしていました。日本の会社支配の仕組みを研究してきた奥村宏さんが『無責任資本主義』(1998年、東洋経済新報社)の中で、わかりやすいようにこんな極論例を作って説明しています。A社が銀行から借金してB社が新規発行する多数株を買い、そのおカネで、B社がA社の新規発行する多数株を買って、戻ってきたおカネをA社が銀行に返せば、A社の経営者とB社の経営者は、一銭も使わずに、何の根拠もなく会社を支配し続けることができます。A社の大株主はB社、B社の大株主はA社ですので、両社の経営者は自分個人ではほとんど出資などしていなくても、互いに会社を代表して信認しあうだけでいい。どんなに経営に失敗しても、自分では一銭も払う必要がないし、辞めさせられる恐れもないことになります(*20)。

実際には、二社どうしだけで持ち合いをしているわけではなく、いくつもの会社の間で持ち合いをしていますので、このような極端な話にはなりませんが、本質はここに凝縮されていると言えます。奥村さんは、ここから、戦後日本企業の無責任性を解き明かしているわけです。

奥村さんのこの本は1998年の本ですのでまだ載っていませんでしたが、私はこうしたことの典型例として、「そごう問題」を思い出します。2000年4月に、大手百貨店の「そごう」が6800億円余りの負債を抱えて破綻しました。このとき、銀行の債権放棄や国のおカネの投入が巨額にのぼって世間を騒がせました。破綻の原因は、会長として君臨していた水島廣雄さんが、強引な店舗拡張を押し進めたことでしたが、この水島さんは、本人がオーナー大株主というわけではありません。日本興業銀行の出身だったので、そことのつながりをバックにしてワンマン独裁者になり、グループ各社の間の株の相互持ち合いで、少数の持ち株でも全体を支配できる仕組みを作っていたのです。

だから、株価が下がっても、持ち株を手放すことに追い込まれても、それほど損というわけではありません。破綻までの10年間だけでも会社から支払われた報酬が44億円にのぼるので、私財で会社に責任を取らせようという意見もあったのですが方法はなく、ある店舗を出店したとき興銀から借りたおカネにつけた個人保証について、やっと支払い命令が出ています。水島さんは、これを見越していたのか、破綻後すぐ資産隠しをしていたのですが、これについては有罪判決が出ています。

この水島さん、2000年の破綻直後、経営者の座を退いても、8月4日の写真週刊誌『フライデー』に、大宴会を開いて居並ぶ子分に最敬礼をさせている様子がスクープされて話題になっていましたが、近年になっても、2012年の4月には百歳の誕生日の「百寿を祝う会」が開かれ、海部俊樹元首相(*21)はじめ政財界から250人が出席しています。

こんな話は似たようなケースをよく耳にしますよね。株式会社はまだ、株主総会もあるし株主代表訴訟もあるし、経営者は少数でも一応自社株を持たなければならないし、なんとか最後の歯止めがあるかもしれません。しかし、非営利とされる法人には、営利企業をしのぐおカネもうけに走っていながら、この点の歯止めの制度が何もないために、同様の暴走が止められないケースがまま見られます。

際限ない拡張路線を続ける私立大学の話とか、ときどき聞くでしょう。創業一族ですらなくて、一銭も自分では出資していない経営者が、どんどん事業拡張していきますが、失敗して法人が損しても自分たちは何も損しない。自腹で賠償しなくていいし、株主総会で追求されることもない。

もともと学校法人制度では経営者が責任を取らなくていい仕組みになっている以上、その経営者に決定がゆだねられたら、いい加減なリスク見通しの事業拡張に走ってしまうのは、コルナイさんの分析を応用すれば当然わかる話です。

(*19)コルナイ前掲書46-47ページ。

(*20)奥村同上書116-119ページ。なお、上記スミスによる株式会社批判は、この本の92-93ページに記述がある。

(*21)「水島廣雄先生の百寿をお祝いする会」「海部俊樹公式ブログ」2012年04月16日エントリー(http://blog.goo.ne.jp/kaifu-toshiki/e/759a03ccbf4ef66015236c5006301533)。(2013年11月24日閲覧)

金融取引規制こそソ連崩壊から汲み取れる教訓

こんなふうに言うと、新自由主義政策に賛成してきた人たちは、「そうだそうだ」とおっしゃるかもしれません。

「だから、電力会社の地域独占はやめて自由化して競争させなければならない。株式持ち合いはなくして、ちゃんと株主の株主による株主のための会社になるようにしなければならない。大学でもなんでも株式会社でできるようにしなければならない。」

……はたしてそうでしょうか?

ソ連型システムの崩壊を見て、「それみろやっぱり、おカネもうけのためにいろんな企業を自由に作れるようにして、市場取引も自由にできるようにしなければいけないのだ」と言って、新自由主義政策が推進されてきました。「ソ連みたいに経済がつぶれてもいいのか」というわけですね。

その中の目玉みたいな政策の一つが、金融取引の自由化でした。イギリスでサッチャー政権が行った通称「ビッグ・バン」が皮切りだったと思いますが、アメリカでも、金融業を規制してきた法律が緩和されていって、やがてとうとう廃止されました。日本でもイギリスにならって「金融ビッグ・バン」と称した一連の金融自由化が進められました。まあ、いずれも要するに、銀行や証券会社の仕事はいままでお役所からいろいろ規制されてきたけど、これからは国や業界の垣根なく、自由に商売できるようにしますということです。

そうしたら、2008年にサブプライムローン問題をきっかけにして世界金融危機が起こりました。そこで、「金融自由化のせいで、ご立派な大手の金融機関まで、サブプライムローン証券とか何とか、新しくひねり出された怪しげな商品を取引して、自由にバクチをうって、もうけに浮かれていたからこんなことになったのだ」と、世界中で批判が起こりました。

このときアメリカでは、サブプライム取引の損失で経営危機に陥った大手保険会社のAIGに、巨額の公的資金が投入され、物議をかもしています。さらに、同社がその後、公金をもらっておきながら、400人の幹部社員に約160億円相当のボーナスを払ったことで、いっそう騒ぎが大きくなりました。

しかし、コルナイさんが指摘した、ソ連型システムがなぜうまくいかなかったのかという本当の理由をちゃんと理解していれば、こんなことにはならなかったのです。

金融自由化で、自由にいろいろな金融商品を取引できるようになった金融機関のディーラーの人たちは、他人から預かった「ヒトのカネ」を使ってバクチをうちます。たしかに、それでうまくいけば、金融機関ももうかるし、ディーラー本人もご褒美がもらえます。しかし失敗した場合は、しょせん「ヒトのカネ」であって、損するのは顧客。ディーラーの自腹が痛むわけではありません。

AIGがディーラーたちに高額のボーナスを払ったのも、そうしないとディーラーたちは沈みかかった船を見捨てて、別の会社に移ってしまうからです。どっちにせよ、失敗しても自分個人は大丈夫ということです。

金融機関にしても、あんまり大きいと、つぶれてしまったら国民経済に悪影響を与えてしまいます。つぶれたせいで景気がますます悪化してしまう。罪のない多くの会社がつぶれ、失業者もたくさん出てしまう。そんなことになるわけにはいきませんから、結局はつぶれないように、政府は公的資金を投入して救うほかありません。以前の日本の金融危機のときもそうでしたよね。

しかし政府がそんなふうにいざというとき救ってくれることは、誰でも最初から読めることです。コルナイさんの言う、「ソフトな予算制約」そのものです。

つまり、リスクと決定と責任が一致していないのです。リスクのある金融取引を決定しながら、その決定者は自分ではリスクをかぶらず、そのリスクがかかってくる顧客などに対して責任をとらない仕組みになっているわけです。こうなれば、どんどんと過剰にリスクの高いことに手を出していくことは、コルナイさんの理屈から言って当然のことです。

だから、ソ連型システムが崩壊し西側同様の資本主義に転換したことの底流にある「転換X」の課題にのっとるならば、金融取引は何でもかんでも自由化してはならず、規制が必要であるという結論が出るわけです。現実の金融自由化論は、この「転換」の意味を誤解していたと言えます。

沿岸漁業はなぜ漁業者が自己経営するのか(*22)

また、新自由主義のサイドからは、ソ連型システム崩壊を見て、何でも資本が主権を持つ営利企業(資本主義企業)にした方がいいとする誤解も起きました。ここからいま、農業も漁業も医療も、みんな資本主義企業が担うようにしようという動きが出ています。

しかし例えば沿岸漁業を考えてみましょう。沿岸漁業はいまは、漁業協同組合が漁業権を持って、漁師さんたちが自営して働いています。これが出資者に決定権のある資本主義企業だったらどうなるでしょうか。

沿岸漁業の場合、リスクにはどんなものがあるでしょうか。普通のビジネスには、売れる見込みがはずれて出資が戻ってこないリスクがあります。もちろん漁業にもそれはあると思うのですが、漁船や漁具のための出資というのは、それほど大きなものではありません。万一それが戻らなくても、普通のビジネスの場合と比べるとたいした損失ではないでしょう。

それに対して漁業には、漁師さんが現場でシケに遭ったりして死んでしまったり、障害を負ったりするリスクがあります。「舟板一枚の下は地獄」というやつです。これは、とても重大なリスクですが、現場の漁師さんは、長年の経験があったりして、現場特有の情報からこのリスクをある程度抑えることができます。

もし、資本を出資した資本家が決定権を持っていて、たかが漁船や漁具に出資したぐらいで、現場を離れたところから出漁などを指図したらどうなるでしょうか。その結果の事故リスクは現場の漁師さんにかかってくるのですが、決定者がその責任を負わなくていいならば、どんどんと過剰にリスクの高い操業を命令してしまうことになります。

これはいけないということで、被害者が納得する額の人身事故の補償を、きっちり資本家側にさせるようにしたらどうなるでしょうか。そうするとその補償額はとても大きいはずですので、事故リスクにかかわる情報がよくわからない資本家としては、今度は逆に慎重すぎる操業決定をしてしまうでしょう。

そうすると、操業決定を現場の漁師さんに任せてしまうという解決もあるかもしれません。ところが、一定のお給料がもらえるとなったら、漁師さんとしては、資本家がリスクにかかわる情報がわからないことにつけこんで、危険だと言ってなるべく出漁しなくなるでしょう。

それを防ごうとしたら、漁師さんの収入を漁獲高に比例させるほかないのですが、操業決定も漁師さんがして、その収入も漁獲高に比例するというのは、会社が自営業者としての漁師さんに下請け委託していることと同じです。そうしたら、漁業権管理のためには、一つの漁場は一つの会社で独占しないわけにはいきませんので、この会社は買い手独占の状態になります。漁師さんが隣の港まで働きにいくなんてことは現実的じゃありませんしね。そうなると、漁師さんは穫ってきた魚を会社に買いたたかれてしまいます。

結局、漁師さんが自分で操業決定して、自分で責任を負い、自分たちで販売するというのが一番効率的だということになります。つまり、リスクが一番あって、そのリスクにかかわる情報を一番持っている人が決定し、その責任を引き受けるのが一番いいわけです。だから、いまの漁協方式というのは、それなりに合理的なものなのです。

これが遠洋漁業になると、大手の水産会社が担っていますが、これは、漁船や漁具が巨額になり、いまの世の中のもとでは、それが返ってこない市場リスクの重大さが現場の事故リスクの重大さを上回って評価されるからだと思います。

ちなみに、航空・運輸や、鉱業では、へたするとたくさんの従業員が一挙に死んでしまいますから、現場の人身事故のリスクも重大ですが、出資額も巨額なので市場リスクも同様に大きいです。だからこれらの事業では、世界中でたいてい、資本側と労働組合側が勢力拮抗するのが自然なのだと思います。そこを無理に、労働組合側の力を抑え込んでしまうと、そうでない場合と比べて事故が起こりやすくなるのではないかと思います。

出資者主権の根拠と限界

世の中の普通の事業体は、出資者である資本家に決定権がある資本主義企業になっています。これは、いろいろなリスクの中でも、出資が返ってこない市場リスクが一番大きいので、そのリスクが一番かかってくる出資者が決定するのが一番適切だからです。出資者が的外れな決定をして、失敗して出資が返ってこなくても、それは自己責任として引き受けるということです。

その代わり、出資者側の決定のせいで業績が上がろうが下がろうが、従業員にはそのリスクをかぶせずに、働いたら働いた分きっちり給料を払わなければなりません。資材を仕入れた業者にも、業績にかかわらず、きっちり代金を払わなければなりません。出資者側の決定の結果、顧客・利用者や地域住民に、健康被害などの不利益を与えたならば、きっちり補償しなければなりません。こうしたことがきっちりできたならば、たしかに決定者がリスクをすべて引き受ける責任をちゃんと果たしたと言えます。

実際には、資本家側の決定の結果、失敗して会社がつぶれたりしたら、従業員も明日から路頭に迷います。そこまでいかなくても、業績が悪ければやはりクビになったり給料が減らされたりするかもしれません。間違った経営判断の結果、顧客や住民に健康被害を与えたならば、どんなに多額でもおカネだけで補償できるものではないかもしれません。やっぱり現実問題としては、出資側だけですべてのリスクをカバーすることはできないので、その他の関係者にとっては、自分が決めたわけでもないことのためにリスクを押し付けられてしまう部分が残ります。

だとすると、出資側が決定権をすべて握るのであれば、労働運動や消費者運動や住民運動などが、自分たちに降りかかったリスクについて、出資側にきっちり担わせ、補償する責任を果たさせるため闘うことが、社会全体のコストを反映した適切な生産を実現するために大事なことだということになります。そして、それでも補償しきれないリスクが残るのであれば、労働運動や消費者運動や住民運動が、自分たちにふりかかるリスクの分、事前に意思決定に影響を与えるために圧力をかけるとか、あるいは、もっと直接的な経営参加の仕組みを作るとかということが合理的になるわけです。

(*22)この節の議論を数理モデル分析で示したのが、拙稿「漁業における企業形態の効率比較モデル──資本主義企業vs協同組合(http://matsuo-tadasu.ptu.jp/GyogyouKigyouKeitai.pdf)」(2011年、未公刊)

生協や労働者管理企業や医療法人の存在根拠

こんなふうに見てわかるように、コルナイさんの指摘にそった転換を目指すことは、何でも資本家万能の資本主義企業にすればいいということでは決してありません。企業には、出資者だけでなくて、従業者とか利用者・消費者とか地域住民とか、いろいろな関係当事者(ステークホルダー)がいますが、以上の話からは、このうち誰が企業の決定権を握るべきかということは、誰が一番リスクをかぶるかで決まるのだということがわかります。

このことは、兵庫県立大学教授の三上和彦さんが年来主張されていることの一つです。三上さんはこのことから、資本主義企業以外のいろいろなタイプの事業形態が世の中に存在する根拠を説明しています(*23)。

例えば三上さんは、生協のような、消費者主権の事業体が発生する根拠を、健康に悪いものを食べたりするリスクから説明しています。食べ物などの安全にかかわる情報は、生産事業の内部にはありますが、外部からはわかりません。だから、そのリスクが一番降りかかってくる消費者が、事業の主権を握って、内部情報を知って決定するようにすれば、危険なものを作らない適切な生産がなされるというわけです。

また三上さんは、従業者が事業決定する労働者管理企業が、介護事業など、労働集約的な事業に多いということを指摘しています。つまり人手に頼る割合が高くて、あまり大規模な機械などが要らないということです。だから出資が少なくてすむので、出資が戻らない市場リスクは、他の産業と比べてたいしたことがありません。

確かに考えてみたら、こうした部門では、現場に事故などいろいろなリスクがたくさんあって、それにかかわる情報は現場の、利用者と従業者の顔のある人間関係の中にだけ偏って存在しています。それを知らない出資者側からの一方的決定で決められたのでは、現場の事情を損なうことが多いでしょう。現場の従業者や利用者が抱えるリスクが、出資者の市場リスクを凌駕していると言えます。よってこれらの事業体が労働者管理企業になったり、あるいは利用者主権の生協によって担われたりすることが多いのは、理にかなったことだと思います。

ところで私は、立命館大学の同僚の橋本貴彦准教授といっしょに、医療機関がなぜ、資本主義企業ではなくて医師に主権のある医療法人になっているのかという根拠を分析した論文を発表したこともあります(*24)。これも同様の理屈です。医療リスク(*25)を軽減するための設備投資が必要か必要でないかを判断する情報が、医師だけに偏って存在するからです。

その情報を持たない出資者が投資決定したら、リスクに比べて過少な設備投資しかしなくなります。医師が設備投資資金に責任をもたないまま、その投資決定だけ医師の判断にゆだねたならば、今度は、出資者が設備投資の必要性をわからないことにつけこんで、どんどんと過剰投資をしてしまいます。投資決定も医師がする、その代わり、その責任も医師が負って、資金はきっちり利子をつけて出資者に返すとなってこそ、社会的に最適な設備投資がなされるわけです。

医療機関もまた、現在、資本主義企業に担わせるべきだとする議論が高まっていますが、リスクと決定と責任が合致すべきだという観点から見たら、医師に主権がある現行制度には合理性があるのだというのが私たちの主張です。

さて、今回はソ連型システム崩壊の理由を、コルナイさんの議論にそって見たわけですが、80年代までに「行き詰まった」とされて転換を迫られたのは、ソ連型システムだけではありません。西側のケインズ政策や福祉国家などの国家介入システムもまた、同様に行き詰まりが指摘され、「小さな政府」にして民間企業の自由放任に任せる路線への転換が進められたのでした。

しかし、それまでのケインズ政策体制などの問題点を解決する道は、本当に民間の市場に任せて政府はなるべく何もしないことだったのでしょうか。次回は、ケインズ政策などの国家介入体制をするどく批判した、自由主義の巨匠ハイエクや、反ケインズ経済学の旗手フリードマンの言っていたことを検討し、彼らが本当に指摘していた問題点は何だったのかを探ります。

(*23)以下の議論は、Mikami, K., Enterprise Forms and Economic Efficiency: Capitalist, cooperative and government firms, 2011, Routledge, Abingdon. 三上の議論は、もっと一般的に、市場の不完全性のために不利を被る側が企業の主権を握るのが効率的とするものである。したがって、例えば労働市場に買い手独占が発生する場合は、労働者管理企業にする方が資本主義企業よりも効率的だという結論を導いている。

(*24)松尾匡、橋本貴彦「なぜ医療機関は医師が経営するのか(http://ritsumeikeizai.koj.jp/koj_pdfs/61616.pdf)」『立命館経済学』第61巻6号、2013年。

(*25)医療事故リスクだけでなく、診療効果が乏しかったり、副作用があったり、感染症の蔓延を防げなかったりすること等も含んでイメージしている。

(本連載はPHP研究所より書籍化される予定です)

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

第一回:「『小さな政府』という誤解

第二回:「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

第三回:「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か

第四回:「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと『予想』

第五回:「ゲーム理論による制度分析と「予想」

第六回:「なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

第七回:「ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2

第八回:「新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

サムネイル「Boris Yeltsin 19 August 1991-1.jpg」ITAR-TASS

http://en.wikipedia.org/wiki/File:Boris_Yeltsin_19_August_1991-1.jpg

プロフィール

松尾匡経済学

1964年、石川県生まれ。1992年、神戸大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。1992年から久留米大学に奉職。2008年から立命館大学経済学部教授。

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