ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

競争がなかったから怠けた?

 

さきほども触れましたが、よく「競争がないとみんな怠けるから駄目になる」というのがソ連型システム崩壊の原因のように言われることがあります。しかしこれは違います。競争は十分ありました。子どもたちの受験競争は激しかったし、大人の出世競争も激しかったです。

 

スターリン時代は、負けたら収容所行きみたいなところがありましたから、ポスト争いも命がけでしたけど、そんな恐怖がなくなった時代になっても幹部の特権はしっかり残っていました。庶民のままでは、日常生活に必要な物も、長時間行列に並んでやっと手に入れなければならない。地位が上がればそれに応じた特権が手に入るとなれば、出世競争をがんばるインセンティブ(誘引)としては十分です。

 

しかも、地位による給料の格差は、普通の資本主義国と比べて決して小さくはなかったです。ソ連型システムが「平等」を目指した社会のように思っている人も多いと思いますが、ソ連型システムは、建前のスローガンとしても「平等」を掲げたことはなかった(*5)し、実態としても、競争のある大変な格差社会だった(*6)と言えます。

 

 

過剰設備投資と資材の過剰ため込みが不足経済を生む

 

では、ソ連型システムが崩壊した一番の原因は何だったのでしょうか。

 

ここではそのことを、主にコルナイという経済学者が言っていることをもとに見ていくことにします。

 

コルナイ・ヤーノシュさん(1928-)はハンガリーの経済学者です。ハンガリーは、第二次世界大戦後、ソ連軍に占領されてソ連型システムを押し付けられた国で、スターリン存命中は、ミニ・スターリンのような独裁者ラーコシが秘密警察を使った恐怖政治で君臨していました。スターリン死後の1956年に、ソ連本国ではフルシチョフがスターリン批判を行い、これを受けてラーコシもとうとう辞任したのですが、後任の党書記長には、またもスターリン主義者がつきました。そこでハンガリーの民衆が、独裁体制を打倒する革命に立ち上がるに至ります。

 

しかしソ連は軍事介入しておびただしい市民を虐殺してこれを鎮圧しました。そして首相はじめ、多くの革命リーダーがこのあと逮捕、処刑されていきます。

 

革命鎮圧後、ソ連のバックアップで権力の座につけられたカダルは、民衆の不満や恨みにさらされている身を自覚し、民衆の生活水準向上のために、ソ連の許す範囲ギリギリの大幅な改革を進めていくことになります。国営企業が利潤を追求して取引する自由を拡大していき、企業が利益を上げれば経営者の収入も増える仕組みにしました。経済計画は緩めていって、最後の頃はほとんど西ヨーロッパ同然の市場経済になりました。

 

コルナイさんは、このような中で、当初アカデミックにこの改革を応援する立場から仕事に取り組んでいました。しかし、改革を進めても進めても、どうしてもうまくいかない問題がでてくることに直面します。そして、とうとうこの体制は改革不可能だということを認識するに至るのです(*7)。

 

どうしてそんなことが言えるのか。そのことを、彼の主著『不足』をわかりやすく概説した『「不足」の政治経済学』(盛田常夫訳、岩波書店、1984年)に基づいて見てみましょう。

 

ここで、コルナイさんは、ソ連型経済システムの特徴を、慢性的な不足経済として描いています。労働力も生産物資も消費財も、いつもどれも足りない経済ということです。発展途上国と違って、決して生産力が足りないわけではないのに、不足が不足を呼んで再生産される「均衡」に陥っているのです。

 

コルナイさんは、こんなことが起こる原因として、まず「投資渇望と拡張ドライブ」をあげます(*8)。要するに、企業が機械や工場を設備投資して、生産規模を拡大していくことに、歯止めがないということです。彼は、1973年のオイル・ショック後の景気後退期に、西側資本主義国の企業は設備投資を減らしたのに、東ヨーロッパでは、ハンガリーでもポーランドでも企業の設備投資意欲は衰えなかったという例をあげています。

 

次に、「量志向とため込み」をあげています。企業は、原料や燃料や部品などの投入資材を、倉庫一杯にため込もうとするわけです。ソ連では、ハンガリーやポーランドほど企業の自主権が強くなかったので、設備投資志向については、コルナイさんの指摘するほどひどくはなかったかもしれませんが(*9)、この投入財の「ため込み」志向については、非常に著しい状況にあったことが知られています。中央政府から突発的な生産ノルマが降りてきても、支障なく超過達成して、ご褒美のボーナスをもらえるよう、日頃からあらゆる手を尽くして生産に必要な資材を集めておくというわけです(*10)。

 

さらに、「輸出ドライブ」をあげています。ともかくたくさんの量を輸出しようという志向です。

 

これらのことが、生産手段の不足をもたらします。資材が慢性的に不足するならば、企業は、もしものために買えるうちに資材を買ってストックしておこうとしますので、「ため込み」志向はますますひどくなります(*11)。そしてますます生産手段が不足します。当局は、受注残高や受注拒否率が著しく高かったり、製品在庫が著しく少なかったりというような「不足指標」を見て、あるいは、企業からの抗議・要望の電話やロビー活動などを受けて、不足の少ないところから、不足の著しいところに生産資源を回して生産を調整します。コルナイさんはこれを「不足の配分」と呼んでいます(*12)。

 

この結果、消費財生産に比べて、生産手段の生産に比較的多くの工場や労働や生産物資が配分されることになります。それに対して消費財は社会のニーズに比べて生産が少ないままに放っておかれます。生産手段にもなり、また消費財にもなるタイプの生産物が不足したならば、一介の消費者は予算にもコネにも限りのあるのに対して、企業は、あとで書くように予算の縛りが緩いし、エラい人とか経営者どうしとかのコネもありますので、その財を生産手段として買うのを諦める必要はありません。だから消費者は買い負けてしまいます(*13)。

 

かくして、消費財も不足します。スターリン時代のような恐怖の脅しが使えない時代になったら、労働者の不満をなだめて働かせるために、賃金は上がっていきましたが、賃金が上がっても買える物がありません。西側ではそうなると価格が上がって、消費者は買うのをあきらめるのですが、価格は統制されて決まっていたり、場合によっては無料だったりしますので、いつも長い行列がなくならない慢性的な需要超過が起こります。

 

もともとソ連では、スターリン時代、重工業にばかりに偏った経済計画を遂行していました。人手も物資も重工業にまわすために、消費財の生産はわざと抑えられていました。それで急速な工業化をしたのですが、いざ工業化を成し遂げても、そのまま、生産手段部門に過剰に工場や人手や資材が張り付いて、消費財生産の割合を膨らませることができない構造になっていたわけです(*14)。

 

これでは、大衆の生活を豊かにするなんて、最初からかなわなかったことになります。おまけに、いつも品不足で、買い手が頭を下げて売り手がふんぞり返っている状態では、コストを下げて安くしようとか、品質を上げようとかという誘引は働きません。だから生産性が上がらず(*15)、不足はますます解消されないままだし、消費財の種類でも品質でも、西側資本主義国との差が開く一方になってしまったわけです。

 

(*5)「スターリンが『小ブルジョアの平等主義』を公然と非難して、より大きな所得格差を求めて、1931年に個人的に介入したことはよく知られている。…補助作業者…と上級カテゴリーの者の間のギャップは、1対12かそれ以上に上昇した。」アレック・ノーヴ『ソ連の経済システム』(大野、家本、吉井訳、晃洋書房、1986年)。「賃金格差は『同一労働に同一賃金』の社会主義的分配原則およびレーニンの『平等屋』に対する警告によって正当化された。」P・グレゴリー、R・スチュアート『ソ連経済』(吉田靖彦訳、第3版、教育社、1987年)、243ページ。同書356ページも参照のこと。

 

(*6)グレゴリー、スチュアート前掲書第8章「経営役員と報酬」「ソ連における賃金格差」。また同書356-357ページでは、スターリン時代の労働者階層間賃金格差はアメリカより大きかったが、その後縮小したことを示し、スウェーデンや英国ほど平等ではないが、アメリカ等よりは平等になったとする。ただし、エリート層との格差は勘案していない。

 

(*7)コルナイ『コルナイ・ヤーノシュ自伝』(盛田常夫訳、日本評論社、2006年)第15章。

 

(*8)以下あげる原因論は、31-34ページ。

 

(*9)とはいえ、アレック・ノーヴは、ソ連においても慢性的な過剰設備投資を指摘している。175-177ページ。

 

(*10)グレゴリー、スチュアート前掲書187ページ。

 

(*11)コルナイ前掲書12-13ページ。

 

(*12)コルナイ同上書60-61ページ。

 

(*13)同上書33-34ページ。コルナイ『反均衡と不足の経済学』(盛田常夫、門脇延行訳、日本評論社、1983年)172ページ。

 

(*14)工業化時代の「ソ連における私的消費のすう勢の顕著な特徴は絶対的な低下に加えて相対的低下の規模と速さであった。1928年には私的消費はソ連のGNPの80パーセントに相当した。1940年ごろにはその数字は50パーセントに低下した。…他の国々ではその低下は80パーセントから60と70パーセントの間であった。そしてその低下には完了するまで30年から80年を必要としたが、これに対してソ連の場合は12年であった。」グレゴリー、スチュアート前掲書155-156ページ。また、1970-80年代を指して、「粗国民生産物に占める消費の取り分は過去20年間に着実に低下した。」同上書188ページ。

 

(*15)コルナイ『「不足」の政治経済学』23ページ。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.278 

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