ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

沿岸漁業はなぜ漁業者が自己経営するのか(*22)

 

また、新自由主義のサイドからは、ソ連型システム崩壊を見て、何でも資本が主権を持つ営利企業(資本主義企業)にした方がいいとする誤解も起きました。ここからいま、農業も漁業も医療も、みんな資本主義企業が担うようにしようという動きが出ています。

 

しかし例えば沿岸漁業を考えてみましょう。沿岸漁業はいまは、漁業協同組合が漁業権を持って、漁師さんたちが自営して働いています。これが出資者に決定権のある資本主義企業だったらどうなるでしょうか。

 

沿岸漁業の場合、リスクにはどんなものがあるでしょうか。普通のビジネスには、売れる見込みがはずれて出資が戻ってこないリスクがあります。もちろん漁業にもそれはあると思うのですが、漁船や漁具のための出資というのは、それほど大きなものではありません。万一それが戻らなくても、普通のビジネスの場合と比べるとたいした損失ではないでしょう。

 

それに対して漁業には、漁師さんが現場でシケに遭ったりして死んでしまったり、障害を負ったりするリスクがあります。「舟板一枚の下は地獄」というやつです。これは、とても重大なリスクですが、現場の漁師さんは、長年の経験があったりして、現場特有の情報からこのリスクをある程度抑えることができます。

 

もし、資本を出資した資本家が決定権を持っていて、たかが漁船や漁具に出資したぐらいで、現場を離れたところから出漁などを指図したらどうなるでしょうか。その結果の事故リスクは現場の漁師さんにかかってくるのですが、決定者がその責任を負わなくていいならば、どんどんと過剰にリスクの高い操業を命令してしまうことになります。

 

これはいけないということで、被害者が納得する額の人身事故の補償を、きっちり資本家側にさせるようにしたらどうなるでしょうか。そうするとその補償額はとても大きいはずですので、事故リスクにかかわる情報がよくわからない資本家としては、今度は逆に慎重すぎる操業決定をしてしまうでしょう。

 

そうすると、操業決定を現場の漁師さんに任せてしまうという解決もあるかもしれません。ところが、一定のお給料がもらえるとなったら、漁師さんとしては、資本家がリスクにかかわる情報がわからないことにつけこんで、危険だと言ってなるべく出漁しなくなるでしょう。

 

それを防ごうとしたら、漁師さんの収入を漁獲高に比例させるほかないのですが、操業決定も漁師さんがして、その収入も漁獲高に比例するというのは、会社が自営業者としての漁師さんに下請け委託していることと同じです。そうしたら、漁業権管理のためには、一つの漁場は一つの会社で独占しないわけにはいきませんので、この会社は買い手独占の状態になります。漁師さんが隣の港まで働きにいくなんてことは現実的じゃありませんしね。そうなると、漁師さんは穫ってきた魚を会社に買いたたかれてしまいます。

 

結局、漁師さんが自分で操業決定して、自分で責任を負い、自分たちで販売するというのが一番効率的だということになります。つまり、リスクが一番あって、そのリスクにかかわる情報を一番持っている人が決定し、その責任を引き受けるのが一番いいわけです。だから、いまの漁協方式というのは、それなりに合理的なものなのです。

 

これが遠洋漁業になると、大手の水産会社が担っていますが、これは、漁船や漁具が巨額になり、いまの世の中のもとでは、それが返ってこない市場リスクの重大さが現場の事故リスクの重大さを上回って評価されるからだと思います。

 

ちなみに、航空・運輸や、鉱業では、へたするとたくさんの従業員が一挙に死んでしまいますから、現場の人身事故のリスクも重大ですが、出資額も巨額なので市場リスクも同様に大きいです。だからこれらの事業では、世界中でたいてい、資本側と労働組合側が勢力拮抗するのが自然なのだと思います。そこを無理に、労働組合側の力を抑え込んでしまうと、そうでない場合と比べて事故が起こりやすくなるのではないかと思います。

 

 

出資者主権の根拠と限界

 

世の中の普通の事業体は、出資者である資本家に決定権がある資本主義企業になっています。これは、いろいろなリスクの中でも、出資が返ってこない市場リスクが一番大きいので、そのリスクが一番かかってくる出資者が決定するのが一番適切だからです。出資者が的外れな決定をして、失敗して出資が返ってこなくても、それは自己責任として引き受けるということです。

 

その代わり、出資者側の決定のせいで業績が上がろうが下がろうが、従業員にはそのリスクをかぶせずに、働いたら働いた分きっちり給料を払わなければなりません。資材を仕入れた業者にも、業績にかかわらず、きっちり代金を払わなければなりません。出資者側の決定の結果、顧客・利用者や地域住民に、健康被害などの不利益を与えたならば、きっちり補償しなければなりません。こうしたことがきっちりできたならば、たしかに決定者がリスクをすべて引き受ける責任をちゃんと果たしたと言えます。

 

実際には、資本家側の決定の結果、失敗して会社がつぶれたりしたら、従業員も明日から路頭に迷います。そこまでいかなくても、業績が悪ければやはりクビになったり給料が減らされたりするかもしれません。間違った経営判断の結果、顧客や住民に健康被害を与えたならば、どんなに多額でもおカネだけで補償できるものではないかもしれません。やっぱり現実問題としては、出資側だけですべてのリスクをカバーすることはできないので、その他の関係者にとっては、自分が決めたわけでもないことのためにリスクを押し付けられてしまう部分が残ります。

 

だとすると、出資側が決定権をすべて握るのであれば、労働運動や消費者運動や住民運動などが、自分たちに降りかかったリスクについて、出資側にきっちり担わせ、補償する責任を果たさせるため闘うことが、社会全体のコストを反映した適切な生産を実現するために大事なことだということになります。そして、それでも補償しきれないリスクが残るのであれば、労働運動や消費者運動や住民運動が、自分たちにふりかかるリスクの分、事前に意思決定に影響を与えるために圧力をかけるとか、あるいは、もっと直接的な経営参加の仕組みを作るとかということが合理的になるわけです。

 

(*22)この節の議論を数理モデル分析で示したのが、拙稿「漁業における企業形態の効率比較モデル──資本主義企業vs協同組合(http://matsuo-tadasu.ptu.jp/GyogyouKigyouKeitai.pdf)」(2011年、未公刊)

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.278 

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