ゲーム理論による制度分析と「予想」

「駆け引き」の分析の段階

 

「ゲーム理論」とは、互いに目的の違う人がお互いの影響関係を考慮に入れながら、相手の意思を読みあってものごとを決める決め方を考える数学手法で、これ自体はすでに戦前に生まれています。代表的創始者のフォン・ノイマンは、コンピュータ科学や核物理学などさまざまな分野で大きな業績を残していて、現代の「万学の祖」とも言うべき人物です。その後、戦後1950年代に、ナッシュが、あとで触れる「ナッシュ均衡」と呼ばれる均衡概念を確立して、今日の基本的な枠組みが出来上がっています。

 

当初これが経済学に応用されたのは、全体の中ではどちらかというと「枝葉末節」的な部分だったと思います。一番基本的な経済の描写では、無数の小人のような生産者が競争している世界を前提します。その場合は、価格のように経済全体で決まることは、各自は自分一人で影響を与えることなんてできませんので、あたかも自然法則のように客観的なものとして受け取って、そのもとで自然を相手にするように各自が最適なやり方を決めればいいです。こういうのはゲーム理論ではありません。

 

ところがこれを現実に近づけて、少数の大企業が市場を牛耳るような状況を考えることにするとゲーム理論の出番になります。各企業はある程度売値をコントロールできますので、自分の決定がライバル企業に影響を与え、ライバル企業の決定が自分の決定に影響を与えることになります。こういったことを互いに読みあって最適なやり方を決めるというのが、まさにゲーム理論で扱う問題になるわけです。

 

このような少数の大企業の間での価格の決まり方をゲーム理論的に考える研究は、「ゲーム理論」と名前がついた数学理論が開発されるはるか前からすでに、19世紀には生まれていました。経済学の世界では、最初、その流れを汲んで、大きな企業同士とか、企業と労働組合とか、国どうしなどの駆け引きを考えるための手法としてゲーム理論が使われていたわけです。

 

しかしこれらは、経済学全体に大きなインパクトを与えることなく、やがて研究の進展は落ち着いていったように思います。

 

 

経済学におけるゲーム理論の発展

 

それが、その後主に1980年代に入って以降、ゲーム理論の発展がミクロ経済学の教科書を書き換えるようなインパクトを与えていくことになります。

 

そのころゲーム理論そのものの研究者たちの間では、後で説明する「ナッシュ均衡」と呼ばれるつじつまのあった答えが、複数発生してしまう問題が議論の的になっていました(「複数均衡」問題)。同じ人たちが同じ条件のもとに置かれても、全員につじつまの合う答えが何通りもある。場合によっては無限にある。その中には、現実にはちょっと起こり得ないだろうというのもありましたから、これらの均衡を、もっともらしい理由をつけて絞り込んでいくことが課題になっていたのです(ナッシュ均衡の「リファインメント」)。

 

これを、経済学の分野で考えてみたわけです。経済学における従来のゲーム理論応用は、大きな企業どうしの価格決定の駆け引きも、労資の駆け引きも、結局落ち着く答えは一つというのがだいたいのところでした。ところがそうではない。複数答えが出る。しかし現実にはそのうちどれかが選ばれているわけですから、そのどれが選ばれるのかについて、はっきりと意識しなければならない。そのことが、経済学を書き換えるインパクトをもたらしたのです。

 

その中でも一番の典型的なフィールドは、「制度」というものの分析だったと思います[*1]。それまでは、経済学というよりは、政治学や法学や社会学などの対象であった「制度」というものが、ゲーム理論を使うことで、経済学的に分析できるようになったわけです。その分析の中で、同じ条件のもとでも、違ったタイプの制度が成り立つことがあることが、ゲーム理論の複数均衡の考え方によって説明されるようになりました。その複数あり得る制度のうちどれがとられるのかは、結局歴史的経緯に依存するということになります。これを成り立たせているのが、人々の振る舞いについての各自の予想なのだ……それが明らかになったわけです。

 

今回はこれからその話をしていくのですが、この分野では、青木昌彦さん[*2]、奥野正寛さん、伊藤秀史さん、松井彰彦さん[*3]ら、日本人研究者でパイオニア的活躍をしてきた人が多く、まとまった基本的業績が日本語の本で読めます。また、アブナー・グライフさん、ロバート・ザグデンさん[*4]のような海外の有名な研究者のまとまった本も翻訳されています。本文や注で紹介しておきますので、できれば実際にこれらの本を読んでみて下さい。

 

もちろんこれらの本は、基本的には経済学の専門の入門教育はマスターしている人を対象にしているものです。ごく初心者向けの解説としては、手前味噌ですが、拙著『「はだかの王様」の経済学』(東洋経済新報社)の第6章をお読みいただけるとありがたいです。

 

 

青木昌彦さんらの「比較制度分析」

 

この手の研究が最も目覚ましい業績をあげたのは、青木昌彦さん(1938-)たちによる、戦後日本型経済システムの分析だったと思います。青木さんたちは、このような分析方法を「比較制度分析」と名乗りました。英語にすると「コンパラティブ・インスティテューショナル・アナリシス」。略すと「CIA」ですから、この手の議論をしていると「CIAのゲームのエージェント」などと言った言葉が飛び交うのですけど、もちろんスパイゲームとは何の関係もありません。

 

もともとは、ゲーム理論のモデルで、さっき述べた「複数均衡」というものが発生することを使って、アメリカ的な、伝統的経済学の描写に近い経済システムと並んで、戦後日本的なシステムも別途均衡として発生することを示して見せることに問題意識があったようです。そこで「比較」という言葉を使ったのだと思います。でも、場合によっては、同じ分析の枠組みで複数均衡が発生しないケースも扱うことができるわけですから、「比較」という言葉は必ずしもこの手法を指すために適当ではない枕詞だと思うのですけどね。

 

ここで分析されている日本型経済システムというのは、終身雇用制、年功序列制、企業別労働組合、内部昇進制といった、いわゆる「日本型雇用慣行」や、株式の相互持ち合い、固定的な下請けシステム、メインバンク制、官僚の行政指導等々の仕組みを指しています。いずれも、伝統的なミクロ経済学が描くような、何もかもスッキリ市場取引でおおわれたシステムとは違っています。同じ資本主義なのにどうしてこんな違いがでるのだろうかということが問題になったわけです。

 

この分析が出る以前のことを振り返ってみますと、かつては、これらの日本型システムは、何か日本の文化や民族性に根ざしたもののように思われていました。例えば、江戸時代の大名家の家臣団から引き継がれたもののように言われたりしたわけです。その上で、これらの制度が欧米と比べて遅れた、乗り越えるべき日本の前近代性とみなされたり、あるいは、変えることのできない、永遠に守るべき日本固有の優れた伝統とみなされたりしたわけです。

 

ところがその後の歴史研究で、そうではなかったことが明らかにされました。大正時代までの雇用は流動的で、労働者はみなひんぱんに企業を渡り歩き、簡単にクビにされていました。企業は、大株主である財閥家が支配していました。部品の調達は、自分の社内で作るか、そうでなければ相手を固定せず自由に調達していました。その意味では、伝統的経済学が描くようなスッキリハッキリの純粋な資本主義だったわけです[*5]。

 

青木さんたちの分析が明らかにしたことは、問題は文化的な好みとか遺伝子とかとは関係がないのだということです。まったく同じ条件のもとで、人々の好みや性格や価値観がまったく変わらなかったとしても、伝統的経済学の描く世界に近いアメリカ的なシステムもできれば、戦後日本型システムもできる。どちらも安定的なシステムとして成り立つのだということです。これを、ゲーム理論を使って、複数均衡として説明したわけです。

 

この議論は、青木さんと奥野さんの編著の『経済システムの比較制度分析』(東京大学出版会, 1996年)で、まとまって読むことができます。とくに日本型雇用慣行については第5章で、日本型の企業運営やメインバンクシステムについては第II部で読めます。伊藤秀史編『日本の企業システム』(東京大学出版会, 1996年)でも、日本型企業の昇進制や意思決定、金融システム、取引慣行などについて、同様の分析が紹介されています。

 

初学者向きに、関連する論点を体系的網羅的かつコンパクトに説明したものとしては、もし入手できるのであれば、林田修さんが『経済セミナー』1997年11月号(No.514)に書いた記事、「企業分析に不可欠な制度補完性の視点」がお勧めです。私は長年、ゼミなどで学生に説明するときにお世話になっています。以下の議論は基本的にこれらの文献での議論のご紹介になります。

 

 

[*1]その他、当時は「せり」の設計を考える「オークション理論」がまず大きく発展した。

 

[*2]本文中であげたものの他、今世紀初頭段階での総括的な大著に『比較制度分析に向けて』(滝沢弘和、谷口和弘訳, NTT出版, 2003年)、一般向け文庫本に『比較制度分析序説──経済システムの進化と多元性』(講談社, 2008年)。

 

[*3]『慣習と規範の経済学──ゲーム理論からのメッセージ』(東洋経済新報社, 2002年)。全く合理的根拠のない民族差別が、ゲームの均衡として「合理的」に生じてしまう「フェスティバルゲーム」を論じた第16章、第17章は是非読んでほしい。

 

[*4]『慣習と秩序の経済学』(友野典男訳, 日本評論社, 2008年)。

 

[*5]青木、奥野編著『経済システムの比較制度分析』302ページ。伊藤秀史編『日本の企業システム』289-290ページ。

 

 

 

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