ゲーム理論による制度分析と「予想」

汎用的技能の欧米・企業特殊的技能の日本

 

この論者たちの議論の出発点は、技能の中には、「汎用的技能」[*6]と「企業特殊的技能」[*7]があるということです。「汎用的技能」というのは、典型的なのは、医師や看護師の技能や、英会話の技能や、システムエンジニアの技能などを思い浮かべて下さい。こういうのは、学校で習って身につけて、資格等のはっきり誰にでも目に見える形で表され、どこの企業でも等しく役に立つものです。

 

それに対して「企業特殊的技能」というのは、ある一つの企業の中だけでしか役に立たない技能のことです。典型的なのは、書類のファイルの整理の仕方とか根回しのかけかたとかです。こういうものは、学校で教えてくれるわけではありません。仕事をしながら身近な先輩に教わるもので、資格のように目に見える形で表すのが難しいです。

 

たしかに、多くの仕事の場合は、いまあげた二つの極端な典型例の間にあるでしょう。何か技能が身に付くと言えば、どこでも通用する技術の改善能力としても、職場固有の「段取り」を改善する能力としても、どちらもある程度はあてはまる話でしょう。生産性が上がることに変わりはないかぎり、それは企業にとっては本来はどちらであってもかまわないものです。しかし、欧米では主に汎用的技能に依存していたのに対して、戦後日本では企業特殊的技能に依存してきたのです。

 

 

企業特殊的技能を身につけさせるための日本型雇用慣行

 

では企業が従業員に、企業特殊的技能を身につけていってもらうためには、何をしなければならないでしょうか。

 

いつかこの会社をクビになるかもしれないという可能性があったならば、従業員にとって、その企業でしか役に立たない技能を身につけるためにコツコツ努力することは、リスキーで割に合わないです。クビになっても別のところで雇ってもらえるように、英会話なりプログラミングなり、汎用的技能を身につけようとするでしょう。

 

だから企業としては、会社の都合で勝手にクビにすることはありません、定年まで面倒見ますということを保証する必要があるわけです。これが終身雇用ということです。

 

でもいくら企業が勝手にクビにしませんと保証しても、従業員に勝手に辞められたら困ります。汎用的技能の場合と違って、企業特殊的技能の場合は、入社したての新米従業員は、何の技能もまだ身についていません。仕事を覚えてもらうまでの間はタダメシを食わせてやっているのと同じです。技能の教育投資として給料を払っているのです。それなのにやっと元がとれると思ったとたん辞められたりしたら、企業にとって損です。

 

そこで、若い頃は生産性よりも給料が低くて労働に見合わないけど、歳を取ったら生産性以上に給料がもらえて、長いこと勤めれば元がとれる仕組みにしておきます。年功序列制ということですね。そうすると途中で辞めると損になりますので、従業員は自らすすんで定年まで働き続けることになります。

 

でも、クビにはならない、歳取れば自動的に給料は上がるとなれば、従業員にとって一番いい方法は、適当にサボって技能も身につけないことです。そうさせないために、出世をご褒美に使うことになります。しかし、あんまり早いうちから出世で差がつくと、負けた方は競争から降りて仕事しなくなりますので、挽回のチャンスがいつでもあるように、あくまで年功序列で出世する原則の枠内で、同期従業員の間で微妙に差をつけることにします。そうすることで、みんなまんまと出世競争にはげむことになります。

 

そもそも、汎用的技能と違って、企業特殊的技能は身近な先輩が日頃から教えてはじめて身に付くものです。すると、もし年功序列を無視して成果主義で給料や出世を決めたら、先輩は自分のライバルを育てることになりますので、仕事を教えなくなってしまいます。

 

かくして、企業側が終身雇用制と年功序列の賃金・出世の仕組みとをセットでとって、はじめて、従業員は企業特殊的技能の蓄積にはげむことになるわけです。

 

逆に労働者たちが、みんな最初から汎用的技能を身につけているものならば、企業としては、わざわざ企業特殊的技能をつけさせようとコストをかけるのは損です。他社から優秀な人材を引き抜けるように、また、優秀な若手に逃げられないように、年功序列はやめなければなりません。他社のベテランがみんな企業特殊的技能の持ち主でこっちに引き抜いても役に立たず、新卒の若者もこぞって四年間遊びほうけてきたか、役にたたない教育をされているか(すみません!)だからこそ、企業が自前のコストで技能を養成しなければならず、そうである以上は他社では役立たない企業特殊的技能でなければならないわけです。

 

 

ゲーム理論のナッシュ均衡としての日米両タイプ

 

この関係をゲーム理論の説明でよく見られる「利得表」と呼ばれる表であらわすと、次のようになります。

 

 

graph1

 

 

本当は、企業も労働者もたくさんいて、それぞれ企業ごと、個人ごとに違ったテをとるかもしれませんので、こんなふうな2×2の表に表すことはできません。説明のための私の便宜的な工夫で、専門家のみなさんがご覧になったら怒るかもしれませんが、実は、あとで説明しますように、企業はみなそろってどちらか一方のテをとり、労働者もみなそろってどちらか一方のテをとることが言えますので、このような説明も許されると思います。

 

それで、この表は次のように見ます。労働者が表の右列のように企業特殊的技能を身につけているならば、企業は下欄の成果主義や流動的雇用──まあ、正確な表現かどうか知りませんけど、一応「アメリカ型」と言っておきましょう──をとるよりは、上欄の日本型雇用慣行をとった方がいい。他方、企業が上行の日本型雇用慣行をとっているならば、労働者は左欄の汎用的技能を身につけるよりは右欄の企業特殊的技能を身につけた方がいいということです。

 

逆に、労働者が左列の汎用的技能を身につけているならば、企業は下欄のアメリカ型の雇用制度をとった方がいいし、企業が下行のアメリカ型の雇用制度をとっているならば、労働者は左欄の汎用的技能を身につけた方がいいということになります。

 

だから、表の網掛けしている欄は、相手がその欄のテをとっている限り、自分もその欄のテをとることが最適な状況に、お互いなっています。まあ、いま「テ」と表現している言葉は、ゲーム理論では、「戦略」というモノモノしい言い方をするのですが、この欄では、お互いの戦略がつじつまがあっていて落ち着いて動かない状態になっています。こういうのを「ナッシュ均衡」と言います。

 

いまのケースでは、ナッシュ均衡が右上と左下の二種類出て、どちらになるかは理屈だけでは何も言えないことになります。つまり、アメリカ人労働者であろうがアメリカ系企業であろうが、一旦右上の欄の「日本型雇用慣行−企業特殊的技能形成」の状態におかれたら互いにそのテをとり続ける。日本人労働者であろうが日系企業であろうが、一旦左下の欄の「アメリカ型雇用制度−汎用的技能形成」の状態におかれたら互いにそのテをとり続けるということです。

 

 

多数者の戦略に合わせるのが得──戦略的補完性

 

なお、さきほど、企業はみなそろってどちらか一方のテをとり、労働者もみなそろってどちらか一方のテをとると書きましたけど、その理由はこういうことです。

 

他の企業がみな日本型雇用慣行をとっているときに、自分の企業だけが、ちょっと業績が悪いからと言って従業員を勝手にクビにしたりしたら、ひどい会社だと悪評がたって優秀な人材が集まらなくなります。あるいは自分の企業だけが年功序列制をやめて、汎用的技能でいいから成果主義でいくとなったらどうなるかわかりますか。

 

かつて日本型雇用慣行がまだ強固だった時代に、成果主義をとる外資系でよく見られた現象は、業績評価をする上司が、部下にゴマスリやプライベートな用事を強要するということでした。本国でこんなことをしたら、正当に評価されないと怒った従業員は転職してしまいますから、ゴマスリ強要がまったくないわけじゃないでしょうけど限度があります。しかし、まわりがみんな日本型雇用慣行の企業ばかりならば、中途採用市場も発達してないでしょうし、年功序列で勤続年数が振り出しにもどるのは損です。だから転職なんて非現実的。我慢するほかありません。その足下を見て、上司がさせたい放題こき使ってくることになります。

 

他方、まわりがみんなアメリカ型の雇用制度の中で、自分の企業だけが日本型雇用慣行をとっても、優秀な若手はもっと働きに見合った高い給料をくれる会社に転職してしまいますのでうまくいきません。

 

労働者の方はどうでしょうか。多くの労働者が企業特殊的技能を形成することを選び、企業もそれに合わせて日本型雇用慣行をとっているときに、自分だけ汎用的技能を身につけて世に出ても、コストに見合った給料がもらえるわけでないのですから損です。逆に、多くの労働者が汎用的技能を身につけている中で、自分だけ企業特殊的技能を身につけようと思っても、企業からは「あなたは何ができるのですか」と言われて相手にされないでしょう。

 

というわけで、多くの企業が日本型雇用慣行をとり多くの労働者が企業特殊的技能を形成すると予想されるもとでは、各企業は自分に一番メリットがあるように行動して日本型雇用慣行を選び、各労働者は自分に一番メリットがあるように行動して企業特殊的技能を形成します。かくして、当初の予想が再生産されることになります。

 

他方、多くの企業がアメリカ型の雇用慣行をとり多くの労働者が汎用的技能を形成すると予想されるもとでは、各企業は自分に一番メリットがあるように行動してアメリカ型雇用慣行を選び、各労働者は自分に一番メリットがあるように行動して汎用的技能を形成して、やはり当初の予想が再生産されることになります。ある戦略をとる他者が多ければ多いほど、各自自分もその同じ戦略をとることが有利になるときのことを、「戦略的補完」と言いますが、いまのケースはまさにそれにあたります。

 

このように、人々の行動についての各自の予想と、その予想にもとづく各自の最適行動が、お互いつじつまがあって再生産されている状態が「制度」というものだと言えるわけです。ここで、複数あるナッシュ均衡のうちどちらが現実に選ばれるかを決めているのは、個人の内面の国民性とか価値観とか文化的な好みとかではなかったわけです。たまたま歴史的に人々がどのように振る舞っていたかによって、人々がどのように振る舞うかの予想が形成され、それが均衡を決めていたのであり、その中に置かれたならば、各自は日本人であろうがアメリカ人であろうが関係なく、自分にメリットがあるように合理的に振る舞ってもともとの予想を再生産するということです。

 

日本型雇用慣行の場合、たまたま戦時体制として無理矢理強権で作り上げたシステムが、戦後もナッシュ均衡として残ったわけです[*8]。

 

[*6]「一般的技能」「機能的技能」とも言う。

 

[*7]「関係特殊的技能」「文脈的技能」とも言う。

 

[*8]青木、奥野編前掲書第12章。

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

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