特集:沖縄

仲村清司氏インタビュー「変わる沖縄——失われる心と『沖縄問題』」

 

地上戦を経験し、焦土と化した沖縄。たくましいオバァたちが、戦後復興を支えてきた。その沖縄が、今、再開発で変わりつつある。失われていく沖縄の風景、そして心、アイデンティティ。変わりゆく姿は、沖縄社会に軋轢を生んでいる。広がる格差、県内での対立。殺伐とする社会の中で、次の世代につないでゆくべき沖縄の姿とは。沖縄に関する多数の著書を執筆されている作家の仲村清司氏に伺った。(取材・構成/増田穂)

 

◇ヤマトにもウチナーにも溶け込めない

 

——仲村さんはご両親が沖縄のご出身で、ご自身は大阪のお生まれですよね。現在は那覇にお住まいとのことですが、何がきっかけで沖縄に移住しようと思ったのですか。

 

僕は大阪の中でも此花区という、沖縄出身者や在日コリアンが多い地域で育ったんです。学校に行けば4人に1人は被差別民族でした。大阪は今でも同和政策がありますが、当時も差別は多く、自然に部落の問題や自分のルーツである「沖縄」という存在に敏感になっていきました。僕が中学3年のときに沖縄は日本に復帰しますが、それまではいわば「外国」みたいものですから情報もほとんどなく、その分、何か焦がれるような想いがあったんだと思います。

 

しかし、僕の両親は息子に差別を味あわせたくないという思いから、周囲にも僕にも沖縄人であることを隠していました。僕のことも、日本人として、大阪人として育てようとしていました。でも、自分が「日本人」でないことは薄々感じていました。日本人というか、ヤマトンチュ、内地の人間ではないということですね。僕は生まれも育ちも大阪ですから、沖縄で生まれ育った沖縄人、「ウチナーンチュ」とも違う。そういう、二重の立ち位置は思春期の頃から意識していました。

 

そうした日々を送っているうちに、沖縄という存在に強い関心を抱くようになり、その歴史について学ぶようになりました。ちょうどその頃、沖縄復帰運動が佳境を迎えていたんです。しかし沖縄の歴史を勉強していた身としては、沖縄戦や琉球処分など、歴史の節目でいつもヤマトの思惑で貧乏くじを引かされてきた沖縄が、なぜ日本に復帰したいと思うのか、とても不思議に思えた。沖縄にルーツを持つ人間として、ヤマトが沖縄に負担を強いるやり方には納得できない部分もありましたが、同時にそんな扱いを受けながらも日本に帰属しようとする沖縄にも合点がいかない点がありました。

 

そうした疑問から、沖縄の人や沖縄問題に関わるようになりました。大人になって東京に移り住んでからは、ゆうなの会という沖縄出身者の集まりにも参加して、沖縄人との交流を深めました。しかし交流を通して、自分が「ウチナーンチュ」ではないことを実感します。それは同化するのではなく、僕自身が異化される感覚で、ヤマトンチュにもウチナーンチュにもなれない、自分だけ浮いたような感覚でした。

 

決定的だったのは、当時一世の方に「二世に基地問題がわかってたまるか」と言われたことですね。何人沖縄の人と関わっても、どんなに問題を議論しても、やはりその土地の空気を知らないとわからないことがたくさんあるのではないかと。自分自身が感じた二重の立ち位置という溝を埋めるためにも、沖縄という地に住んでみようと思ったんです。

 

 

——実際に沖縄を肌で感じてみようという感じですか。

 

そうです。哲学用語に「アンガージュマン」と言う言葉がありますが、自分を投げ出すというか、実際に自分を沖縄に投企することで、自身がどう変化するのかを見てみたいと思いました。初めは、「まあ3年くらい住んでみようかな」という軽い気持ちで。僕は今でこそいろいろ書く仕事をしていますが、東京では編集者でした。出版活動が盛んな沖縄ですが、それでも移住当時は編集者の募集がありませんでした。だから仕事がなくて生活できなければ、また東京に戻ろうと思っていたんです。

 

ところがあるとき、旅行作家の下川裕治さんの企画で、基地問題とか沖縄問題を取っ払って、バッグパッカーの視点で書くような「生」の沖縄の本を出せないかという話がありました。それに加わるかたちで、僕も書く側の人間になった。そうやって沖縄のオバァの話とか、食の話とか、自分の移住体験の話などを執筆しているうちに、3年ではすまなくなったのです(笑)。

 

 

◇開発により深まる溝

 

——すでに移住から20年とのことですが、ご著書『消えゆく沖縄』(光文社新書)では、最近沖縄が「重くなってきた」と語られています。重く感じるようになったきっかけはあったのでしょうか。

 

これは時期でいうと2005年以降ですね。僕が沖縄に移住したのは1996年で、当時の沖縄は芸能や音楽、伝統料理などの明るい面で内地から注目を集めた時期でした。2001年にはNHK朝の連続テレビ小説で「ちゅらさん」が放送され、爆発的な沖縄ブームを迎えます。だから僕が本で書いたような沖縄のテーマは地元の人からもとても歓迎されたのです。

 

実は「ちゅらさん」は僕らが書いた『沖縄オバァ烈伝』(双葉社)が下敷きになって脚本が書かれたと聞いています。それまでの沖縄は基地問題をはじめ暗いイメージが多く、沖縄を語る上で、そうした問題に触れずに書くことは、何かタブーのようになっていました。しかし僕たちはそういう「基地問題」とか「青い海、青い空」といった既存の沖縄のイメージを取っ払って、沖縄の人たちの生の生活について書いてみた。そうしたらどの本もあたったんですよ。

 

しかし2005年くらいから、沖縄ブームがひと段落着いてきます。もちろんブーム自体は今でも継続しているのですが、以前のように熱狂的なものではなくなりました。観光文化的な沖縄はほとんど紹介しつくされたんです。同時に1995年の米兵による少女暴行事件から起こった普天間基地移設問題がこじれてきたのがこの頃で、ヤマトと沖縄の間に溝ができてきます。

 

日本の中で沖縄だけが異様な状態が続いています。民意が通らない。基地問題に関しても小さな市町村選挙を除いて沖縄ではずっと新基地反対派が勝利しています。鳩山政権で「最低でも県外」という話になったとき、県民はやっと民意が通ると思ったし、これだけ県民が総意で基地に反対して、政府も県外移設を宣言したのだから、もう辺野古に新しい基地が建設されることはないだろうと思いました。しかし第二次安倍内閣になって、対沖縄政策は大きく転換し、今や辺野古は強制着工の段階に入っています。

 

これまで沖縄は国を相手に何度も裁判を起こしていますし、県民投票を求める声もあります。そうしたさまざまなかたちで、ヤマトと沖縄が対立して溝が深まってきている。この溝は戦後史の中では最も深いものでしょう。今や歩み寄りが難しいところまで来てしまっています。その溝の間で、二重の立ち位置にいる僕としては、沖縄にも、ヤマトにも納得できない部分がある。その溝が重くのしかかってきているんです。

 

 

——基地の必要性に対する本土と沖縄県民の認識にも大きな差がありますよね。

 

ええ。NHKが最新の世論調査(2017年4月21日〜3日間)で、「沖縄の経済は米軍基地がないと成り立たないと思うか」、全国でアンケートを取りました。すると沖縄では「そうは思わない」と答えた人が60%に対し、沖縄以外の地域では「そう思う」と答えた人が58%。数字が見事に逆転しています。

 

しかし県内総所得を見ると、基地収入が占める割合は5%くらいです。もちろん復帰前は50%とか、地域によっては100%近い収入を基地関連の産業が占めていたかもしれません。しかし現在では基地収入よりも観光やIT産業が沖縄経済の柱になっています。基地の跡地にはショッピングモールなどが立ち並び、基地の数十倍の雇用効果、経済効果を生み出しています。そうなると経済的な視点からみても、基地はなくなった方がいい。県内ではそう考える人が増えています。

 

沖縄は確かに東アジアの十字路に位置していて、地政学的に言えば一番の軍事的要衝です。しかしこれは考え方によっては、経済的な意味でも重要な拠点になり得るということです。那覇は東京をはじめ、ソウル、バンコク、シンガポール、上海など、アジアの主要な都市へ飛行機で5時間という好アクセスです。那覇空港をハブ空港にして物流の拠点にすれば、その経済効果は計り知れません。

 

実際に、その試みは始められています。例えば、沖縄の魚。熱帯魚みたいで内地ではあまり人気がありませんが、東南アジア諸国では同じような魚を食べています。ですから獲った魚を夜間に輸送して、翌午前中にはアジア諸国に刺身にできるほど新鮮な状態で提供する。このビジネスが注目されています。内地は内地で物流がありますから、なかなか沖縄の商品が届かないところがありますが、視線を南に移せばそこには何十億人というマーケットが存在します。観光客もアジア各国からやってくるでしょう。日本という枠にとらわれず、アジアの一部として機能することで、沖縄は基地がなくても十分やっていけるんです。むしろ基地は経済発展の阻害要因と言えるでしょう。

 

 

——本土からもビジネス拠点を沖縄に移す会社などがあるそうですね。

 

物流関係の仕事を沖縄で起業する人もいます。あと多いのはIT産業ですね。IT技術者はアジアを大きなマーケットと捉え、強いパイプを作って仕事をしています。アジア諸国の人を対象としたビジネススクールなども運営されていますし、大学にも中国の富裕層がたくさん留学に来ています。

 

県民所得は未だに47都道府県中最下位ですが、「新都心」と呼ばれる那覇市内の基地返還跡地には次々と高層マンションが建設されていますし、インフラも整い、ホテルやビーチも次々と整備されている。沖縄のメディアも「右肩上がりの経済成長」と表現していますが、まさに高度経済成長期の日本のような変貌ぶりです。

 

 

——そうして開発が進み、便利になると同時に、消えて行ってしまっているものがあると、ご著書の中では述べられていました。

 

そうですね。目に見えるかたちで消えたのはやはり風景です。沖縄らしい風景が、全て新しいビルやショッピングモールに変わってしまいました。今や沖縄はイオンの出店率、コンビニの出店率共に全国1位です。このままだと沖縄はコンビニとショッピングモールだらけの島になってしまう。

 

 

——どうしてそんなにビルばかりが立ち並ぶようになってしまったのでしょうか。

 

沖縄の場合、島の真ん中を広大な基地が占めているので土地がありません。その中で人口は増えています。そうすると横に広がれない分、どうしても縦に伸びることになる。そうやってどんどん高層マンションが立ち並び、その地価が急上昇しています。結果、沖縄の魅力のひとつであった空は狭くなりました。今、マンションの売りは夜景で、もともとの沖縄らしい風景ではないのです。これをどう捉えるかという問題だと思います。もちろんこうした開発をよしとする人もいるでしょう。ただ、僕個人としては、どうかと思うのが正直なところです。

 

現在、那覇やその周辺の地域では高層マンションの3LDKが4000万円以上で売買されています。この価格帯になると一般の沖縄の人たちの経済力では買うことができない金額です。地元の人が住めないマンションがどんどん増えてきているということは、アンバランスが始まっているということです。いわゆるバブルですね。いずれはじけるに決まっている。それだけ危ない状況にあるということです。……つづきはα-Synodos vol.222で!

 

 

 

荻上チキ責任編集“α-Synodos”vol.222

 

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2017.06.15 vol.222 特集:沖縄


1.仲村清司氏インタビュー「変わる沖縄——失われる心と『沖縄問題』」
2.宮城大蔵「静かに深まる危機——沖縄基地問題の二〇年」
3.北村毅「戦争の『犠牲』のリアリティー——当事者不在の政治の行く末にあるもの」
4.神戸和佳子「『わからなさ』の中でいかに語り考えるのか——沖縄をめぐる哲学対話の実践から」
5.山本ぽてと「沖縄トイレットペーパー産業史」
6.齋藤直子(絵)×岸政彦(文)「Yeah! めっちゃ平日」第六回

 

 

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