2013.03.04

わたしたちが生きる社会はどのように生まれたのか

計量社会学者・筒井淳也氏インタビュー

情報 #教養入門#計量社会学

大学も学部もたくさんあるけれど、いったいなにをやっているのかわからない! そんな高校生のためにスタートした『高校生のための教養入門』。今回は、計量社会学者の筒井淳也氏にお話をうかがいました。

社会学ってどんな学問? 計量社会学はなにをやっているの? なにが面白いんだろう? 「社会の背景を知らなくても生きていける。でも理解できたら納得して進むことができる」。社会学の魅力に触れていただけたら幸いです。(聞き手・構成/小島瑳莉)

社会学ってなんだろう

―― 社会学ってどんな学問なのでしょうか?

どのように答えても他の社会学者から「違う!」と言われてしまうと思いますが(笑)、ぼくの考えをお話しましょう。ぼくは社会学を、長期的な観点から社会の変化を説明したり、空間的に広い視野で社会について説明したりする学問だと考えています。

社会学と呼ばれる学問は、西ヨーロッパで産業革命と市民革命を経て社会が近代化したときに生まれました。そういった変化によって社会や人びとの生活がどのように変化するのか、ということが、社会学にとって出発点の問いになっています。

市民革命によって身分制が廃止されると、農家の子どもは必ずしも家を継ぐ必要がなくなります。さらに産業革命を発端に社会が産業化し、農業や自営業中心の社会から、工業社会へと移り変わる。企業が経済の主体になったことで、無数の職業が存在する社会へと変化します。

そうすると、たくさんの職業ができたことで、自分とは異なる仕事についている人がどんなことをしているのかがわからなくなってしまいます。それによって社会的な集合意識(連帯感)が生まれにくくなり、社会は機能しなくなってしまうのではないか、という懸念が生まれます。フランスの有名な社会学者、エミール・デュルケムの問題関心ですね。

デュルケム自身は、職業の分化、つまり社会分業こそが連帯感の基礎になるのだ、と主張しました。分業社会というのは個々人がバラバラに行動している社会というよりは、お互いが専門的な職業に従事することで助け合っているという側面を持っているはずだ、と考えたのですね。

ただし職業分化を基盤に連帯を構築しようとするこの考え方は、失業や障害など、なんらかの正当な理由で「働く」ことができない人を連帯の輪のなかに包摂しにくいものなので、その意味では現代社会の福祉制度の理念にはなりにくいかもしれません。とはいえ、「職業爆発」が起こった当時の社会変化に対応しようという思想のひとつではあります。

このように社会が変化したことでなにが起きたのか、あるいは起こりつつあるのかを見極めようとするのが社会学のひとつの特徴でしょう。

公平な社会になっているか

―― 社会学にはどのような分野があるのでしょうか?

それこそ無数にあるのですが、具体的な例をあげながら、メジャーな分野についてのお話をしましょう。

ひとつめは階層社会学です。産業化によって経済の主体は企業へと移っていきます。企業は利益を追求する主体ですから、能力の高い人を雇って活躍してもらい利益を伸ばそうとします。そのとき、もしスタートラインの時点ですでに差がつけられていたら、やる気が起きないですよね? スタートラインというのは、自分の能力や努力とは無関係に決まっている自分の立ち位置のことです。性別、民族、親の社会的地位などですね。こういった社会的属性による差別が存在すると、働く人のモチベーションを下げてしまうので、企業は公平な条件のもとに、競争をうながし利益を上げていこうとする動きに積極的になるはずです。少なくとも理屈上はそうなるはずです。

実際、一部の社会学者は、このような論理をもつ企業が産業化によって社会的な影響力を増すことで、社会もまたこのような変化をするだろうと考えました。しかし現実は必ずしもそうなっていません。

親が大企業に勤めていたり、いい大学を出ていると、子どもも高い社会的地位についている場合が多い。民族差別や性差別も根強く残っている。社会の生産性をあげたいのであれば、このようなスタートラインの格差はないほうがよいはずです。

これが階層社会学にとっての基本的な「パズル」になっています。「公平な社会で生産性を最大化する」という近代社会の論理が、どの程度見られるのか。この論理が完遂せずに頓挫しているとすれば、それはなぜなのか。こういったことを、長期的なデータをもとに考えていく分野です。

都市化はなにをもたらした?

ふたつめは都市社会学。産業化は、おのずと農村部から都市部への人口移動を伴います。このことの付随的な結果について、都市社会学者は研究しています。

都市化については、メディアなどでよく「失われた農村の絆」「都市の人間は冷たい」といった論調を耳にしますよね。社会学者は、本当に産業化して都市化が起きたときに、人間関係は薄れているのだろうか? と考えます。

たしかに農村部から都市部に人口が移動すれば、親族ネットワークはばらばらになるでしょう。しかしその他の絆についてはどうでしょう。たとえば趣味のサークルをつくりたいとき、人口5000人の村では同じ趣味を持っている人を集めにくいですよね。でも100万人いれば、「仲間」と遭遇する確率はぐんと高くなります。

つまり都市化が既存のネットワークや人間関係を破壊することはあるのかもしれませんが、新たな人間関係もつくっているわけです。こういったことを研究するのが都市社会学という分野です。

不安定な家族の姿

最後は家族社会学です。現在の家族社会学は、産業化そのものというよりは、産業化のあとに起こったポスト産業化が家族に及ぼす影響に関心を持っています。ポスト産業化とは、産業の中心が製造業からサービス業、たとえば金融業、IT産業、外食産業などに変化することを指します。

日本は50年代から産業化が急激に進展し、経済が安定しました。それによって男性は仕事で十分な所得を手に入れるようになり、女性は専業主婦として家事を行うようになります。「近代家族」の誕生です。しかしポスト産業化が進むにつれて、このような近代家族のかたちは急速に失われていきます。

製造業は比較的生産性をあげる余地が多く、所得はどんどんあがっていきましたが、製造業が途上国に移転しはじめると産業の中心はサービス産業へと移っていきます。サービス産業は、高度な知識を必要とするものと誰にでもできるものと二極分化する傾向があるため、ほうっておくとアルバイトやパートなどの非正規雇用が増加していきます。非正規雇用が増えると、結婚できるほどの所得が得られない人が増加し、晩婚化・非婚化への圧力が生まれます。

ポスト産業化は、女性の働き方の選択肢を増やす作用も持っています。いわゆる「女性の社会進出」が進むわけですね。すると近代家族の「男は外で働き、女は家事をする」という分業が成立しにくくなる。いかに家事を分担していくかが社会的な課題になる。

いずれにしろ、産業化でいったん安定した家族の姿が、いまふたたび不安定になっています。家族社会学はこの点について研究をしています。

データを使った社会学・計量社会学

―― 筒井先生のご専門である計量社会学とはどのような学問なのでしょうか?

一言でいえば、数量データを使って社会学的な問いに答える学問です。

といっても説明になっていないかもしれないですね。計量経済学との違いを説明するとわかりやすいでしょう。

計量経済学は、たとえば「子ども手当を導入すれば、出生率は上がるのか」といった因果関係に興味があります。計量社会学もデータを使って分析をするものの、因果関係にはあまりこだわらず、社会が長期的にどのように変化しているのかを調べようとする傾向が強いです。

たとえば、戦後から50年間のマクロ統計の数字の変化をみて、社会はどのように変化してきたのか。あるいは他国のデータと比較をして、日本社会がどのような位置づけにあるのかなど、長期的なスパンと空間的に広いデータを眺めて社会の特徴をつかもうとするんですね。

具体的に説明しましょう。先ほどもお話しましたが「女性が社会進出してきている」とよく耳にしますよね。これだけを聞くと、まるで最近になってはじめて女性が働き始めたかのように感じてしまう人もいると思います。

しかし長期的にデータを見てみると、女性の労働力率(簡単にいえば、働く女性の割合)は1975年くらいにストンと下がっていて、いまはそれがまた上がりつつ状況だということに気がつきます。高度経済成長期で男性が工場やオフィスなどで働くようになり、それ以前は農業や自営業に就いていた女性が専業主婦になっていった。そのためにストンと下がっているわけです。

1970年代の半ば以降、この専業主婦層が、パートとして働くようになってきた。背景にはサービス産業化や、高学歴化による教育費の負担増があります。以降、女性の労働力率はすこしずつ上昇しますが、その多くはパートの増加で説明できてしまいます。これが現在につながる「女性の社会進出」の内実です。

このようにデータをみながら社会の長期的変化を考えるのが、計量社会学のひとつの特徴です。

とはいえ、因果関係、というか政策の実効性などにこだわって計量経済学と同じような研究をしている計量社会学者も多くいますよ。ぼくもどちらかといえばそちらに近い研究をしていますね。

計量社会学と計量経済学の違いとは?

―― データを使って分析するということは、数学ができなくちゃいけないのでしょうか?

計量経済学と同じように、ごりごりに分析をかけて、できるかぎり正確な因果関係を推定しようとする計量社会学者もいれば、長期的なデータをざっくりみて社会の長期的な流れを記述しようとする計量社会学者もいます。計量社会学の特徴は、どちらかというと後者にありますね。だから数学が得意じゃない人も大丈夫(笑)。

計量社会学は、自分たちが生活している社会を少し遠目から見渡して、現在の立ち位置をデータを使って確認しているんです。晩婚化について考えるとき、「他の条件を動かさずに所得のみが上がったとすれば、結婚は増えるだろうか」という、因果関係にこだわった問いの立て方もあります。他方で、「1970年代に一旦完成をみた近代家族が、ポスト産業化社会が進展していくなかでその成立条件を失っているのではないか」といった筋立てを検証する方向性もありえますね。前者が計量経済学的な研究の方向性、後者が計量社会学に特徴的な説明といえるかと思います。

風邪薬を飲めば風邪が治るかどうかを調べて、治るのであれば処方するのが計量経済学、社会の構造自体が風邪を引きやすい体制になっているのでは、と考えるのが計量社会学といえそうです。その意味では、じつは社会に対して「直接的に」役立たなければいけないというプレッシャーは、不思議なくらい持たれていないかと思います。

社会学はよくわからない学問?

―― たしかに「社会学は役に立たない」という批判はよく耳にしますね。

その批判は当たっていると思いますが(笑)、長期的にみればいい社会認識ができるという意味で役に立つと思いますよ。ただ、それをどのように示しつづけていくかは、社会学が考えなくてはいけない問題のひとつでしょうね。

もし社会学部に入って、実学系の他学部の友だちに「社会学なんて役に立たない」と言われたら、「じゃあきみがやっている学問はどうやって(自分の、ではなく)社会の役に立つの?」と聞き返してみてください。その学問を勉強すればするほど、自信を持って「こう役に立つ!」と答えられる人は少なくなると思います。社会科学のなかでも体系化が一番進んでいるといわれる経済学でも、「どうやったら失業が減るのか」「どういう政策を実施すれば景気が回復するのか」という重要課題については、内部で正反対の主張が聞かれます。

社会学のなかでも、対立する見解はたくさんあります。学問の世界はかくも奥深く、それだけにそこからいろんなことを学べるのです。対立する見解があることは、ある意味ではその学問の成熟度の指標でもあります。ヘンな言い方ですが、胸をはって「俺のやっていることは社会に役立つ」なんていえる人のいうことは少し警戒したほうがいい(笑)。

そのことを踏まえても、たしかに社会学はよくわからない学問ではあります。日本では学問分野をよく「文系」と「理系」にわけますよね。これは世界の他の地域ではあまり一般的な分け方ではありません。より通用しやすいのは、「サイエンス(科学)」と「ヒューマニティー(人文学)」という分類です。現在の経済学や心理学はどちらかというと科学。哲学や歴史は人文学ですね。社会学はその狭間にあるせいで、なにをやっているのかよくわからないといわれてしまうのだと思います。

不幸なことですが、科学と人文学はお互いにその価値を認めていないところがあります。科学者のなかには、科学には社会的な使命があるが、人文学は趣味でしかないと思っている人がいます。人文学者のなかには、数式や数字でいったい世の中のなにがわかるの? と思っている人もいます。

社会学者はそのあいだに立っているために、両方から叩かれちゃうんです(笑)。どっちつかずのところがあるので。

「性別・年齢・学歴・職業」

―― 計量社会学的な発想といえばどのようなものがありますか?

学生に研究させると、人間の行動を心理学っぽいもの、心の部分に回収させてしまう傾向があるんですよね。それでも研究として成り立つのですが、せっかく社会学を勉強するならば、社会学っぽい研究をしてほしい。そこでぼくは、学生に対する簡単なアドバイスとして、行動を「性別・年齢・学歴・職業」で説明できるかどうかをまず考えてみるように言うことが多いです。これだけで研究が社会学っぽくなるんですよ。

たとえばある学生が恋愛について研究をはじめたとします。恋愛というと、いかにも「心」の動きに焦点を当てたくなるものですが、そこで一歩踏みとどまって、「性別と恋愛観には関係があるのか」「学歴によって恋愛行動や恋愛についての考え方は変わるのか」を検証してみる。すると、とたんに社会学っぽい研究になります。それは、「性別・年齢・学歴・職業」が社会全体の構造に結びついているからなんです。

結婚について考えてみましょう。いまでも結婚の際に親が口をだしてくることがありますね。1960年代以前の、お見合い結婚が多かった時代ならまだしも、ほとんどが恋愛結婚となっている現在でも、どうして親は結婚に口を出してくるのでしょう? このとき「性別」に注目してデータを調べると、面白いことが見えてきます。

じつは、親が結婚に口を出す割合は、息子ではなく娘のほうが高い。「跡取り」である息子のほうが口出しされるような気がするのですが、実際はそうでもないんですね。

ここからはデータの解釈になりますが、これはおそらく日本社会のジェンダー格差の反映です。日本ではまだまだ女性が途中で仕事を辞める可能性が高いため、誰と結婚するかが人生の幸福度に大きく関わってくるのは、男性よりも女性においてである。だから親は口出しするんですね。

「結婚の際に親が口をだすかどうか」。こういった行動から、社会全体に残るジェンダー格差をあぶり出していくことができる。これが計量社会学的な発想のひとつだと思います。

予想外の結果のつじつまを合わせる

―― 筒井先生はどんなところに社会学の面白さを感じますか?

データを眺めていると、想定していたものと違う結果がでることがあります。この思いもよらない結果を、うまく説明できたときに面白さを感じますね。

またまた例をあげましょう。日本の女性の労働力率をグラフにすると、「M字型」になります。なぜこのようなかたちになるかというと、働いていた女性が結婚や出産で仕事を辞め、子育てが一段落した後、今度はパートで働き始めるから。これは性別分業が強い社会、日本や韓国のようないわゆる儒教文化圏でよくみられます。

ということは、儒教文化圏で性別分業意識の強い台湾でも同様の傾向があるのだろうと思いますが、調べてみると実際はそんなことがない。なぜこのような結果になっているのでしょうか。

アメリカの社会学者メアリー・ブリントンは、この結果を説明するふたつの理論を考えだしました。ひとつは、台湾は親族ネットワークが強く、親戚が子どもの面倒をみてくれるのではないか、という説。もうひとつは、オリジナリティーの高い考え方ですが、日韓と比べて中小企業従業者の比率が高い台湾では、女性が比較的柔軟な雇用や労働形態の恩恵を被ることができるのではないか、という説。聞いてみると「なるほどな」って思いますよね。

このように予想外の結果を、改めて考え直し、つじつまを合わせる研究を見ると、社会学って面白いなあって思います。

大きな物語の記述

―― 計量社会学を研究されているうちに、計量社会学に対する印象は変わられましたか?

あまり厳密でなくても、数字を使って面白いことをやる研究に共感を覚えるようになりましたね。

ぼくは計量経済学のテキストで計量分析を学びました。ですから、その後に統計データを使った社会学の分析をみたとき、多くの研究が因果関係に興味をもっていないことに気がついて、多少当惑した覚えがあります。

最初は計量経済学の手法が唯一正しいと思っていました。ただ、それでは話がどんどん小さくなってしまう。ざっくりとした数字を示しながら、大きな物語を記述していく研究にも独自の面白みがあることがわかった。同時に、「計量」といってもいろいろあるんだなあと思いました。

もちろん、厳密な方法もいちおう知っている方がいいと思います。数字の扱い方に慣れていないと無理やり物語をつくってしまうことがある。とはいえ、それだってつづく研究者が少しずつ直していけばいいとも言えます。社会の変化についての物語を誰かが最初にドンと提示してくれないと、それを修正していく作業さえ生まれません。

データ蓄積のために総合社会調査を続けること

―― これからの社会学にはどんな可能性がありますか?

いま、データの蓄積がどんどん進んでいます。

政府統計はA4サイズ裏表程度の、比較的短い調査票を使って行われますが、社会学者は10〜15ページもの調査票で人々の行動や意識を詳細に調査することが多いです。いわゆる「総合社会調査」ですね。このようなデータの長期的な蓄積が進めば、たとえば「事務職でフルタイムで働く子ども有り有配偶女性の夫の家事負担」が30年間でどのように変化したかなど、変化についての詳細な様子を知ることができます。人々の行動や状態の一部のみを観察する政府統計では、このような分析は難しいです。

日本でも2000年前後から詳細なデータの蓄積が急に進んできた。データが溜まれば溜まるほど、計量社会学者が活躍できる場面は増えていくでしょう。

大切なことは、このような総合社会調査をやめないこと。いま蓄積しているデータの真価がわかるのは50年後、100年後になります。社会調査には膨大な資金が必要となりますから、調査の意義を訴えていかないといけない。

ぼくはいま40歳くらいですから、引退まで20~30年ほど。次の世代の研究者が、このデータを使ってどんな研究をするか楽しみにしています。

社会の変化を知って納得して進む

―― 最後に、高校生に向けてメッセージをお願いします。

いま自分たちが生きている社会がどのような経緯で生まれたのか、どういうふうに変化してきたのかに興味を持ってほしいです。

人生には、進学、就職、結婚という大きなイベントがあります。「なんだか結婚しづらいな」「どうして就職できないんだろう」と違和感を覚えたとき、その背景を探ってみてください。

もちろん社会の変化の背景がわかったからといって、就職が楽になったり、結婚しやすくなったりするわけではないでしょう。でも背景を知ることができたら、同じ道でも納得して進むことができると思います。知らなくても生きていける。でも知っていた方がいい。

長期的な観点から社会の変化や先進国間での社会の違いに興味を持っている人にとって、社会学はひとつの選択肢だと思いますよ。

(2013年1月27日 新宿にて)

プロフィール

筒井淳也計量社会学

1970 年生まれ。一橋大学社会学部卒業、同大大学院社会学研究科博士課程満期退学。博士(社会学)。現在、立命館大学産業社会学部教授。専門は家族社会学・計量社会学。著書に『制度と再帰性の社会学』(ハーベスト社、2006)、『親密性の社会学』(世界思想社、2008)、『仕事と家族』(中公新書、2015)、『結婚と家族のこれから』(光文社新書、2016)など。

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