2015.06.26

わからない!から始まるコミュニケーション――津軽語演劇の反逆

水谷八也×山田百次

文化 #或るめぐらの話

早稲田大学文化構想学部の人気授業「翻訳文化論」。そこで劇団野の上を主宰する山田百次さんのひとり芝居が上演されました。山田さんは津軽の方言を用いて演劇を作る劇作家。「方言って日本語だけれど、広い意味では別の言語なのでは――?」という水谷先生の考察に、山田さん本人が直に答えます。(聞き手・構成/住本麻子)

「或るめぐらの話」をめぐって

水谷 「珈琲法要」(2013)のアフタートークの代わりに山田さんがやったひとり芝居「或るめぐらの話」を見て、これはすごいと思い授業にお呼びしました。このような記事(※当日資料の朝日新聞の記事)を見ると、私は津軽弁をひとつの独立した言語として津軽語と呼びたくなるんですが、山田さんは津軽のご出身なんですか?

山田 厳密に言うと南部地方です。青森は津軽地方と南部地方があって、八戸などを含む太平洋側が南部。弘前などの日本海側が津軽で、むつ市などがある半島が下北です。

水谷 じゃあ厳密に言うと、言葉も違うんですか?

山田 厳密に言うと違います。津軽弁の方が男性的で、南部弁の方がやわらかい、女性的な響きがあります。

水谷 山田さんの場合は、小さい頃から、南部弁をしゃべっていたという意識はあったんですか?

山田 ないです。まわりはみんな南部弁をしゃべっているので、なまってるなんて、みじんも思ってなかったです。高校卒業してからは津軽に移り住んだんですけど、そしたら「すっげぇおめ、なまってんな!」って言われたのが、すごいショックで。ぼくは「おめぇらがなまってんだよ」って思ったんですけど。

会場 (笑)。

水谷 関東から見たらそのあたりは東北弁でざっくりまとめられていて、でも青森の中でまた細かく分かれている。その津軽語を後天的に学んだってことですよね。

山田 そうです。「弘前劇場」っていう、津軽語で演劇をやっている劇団が弘前にあったので、弘前に移り住んだんです。

水谷 それは津軽語で演劇をやるということに、魅力を感じたから?

山田 それはありましたね。自分たちの言葉で物語を演じて、それを関東にも持っていくという活動は、すごくかっこいいなと思ってた。

水谷 普通の若い人は、「地方を捨てて東京に出て行く」という流れがあると思うんだけど、あえて地方に拠点を置く活動がかっこいいと思ったのはなぜですか?

山田 ぼくはテレビで演劇を見ることしかできなくて、演劇をやるのが東京に限られていることには疑問がありました。だから、それを青森でやっているのは、かっこいいなって思ったんです。

水谷 今日上演していただいた「或るめぐらの話」は、眼医者であり詩人でもあった高木恭造が書いた台本……台本というか長文詩がもとになってるんですけど、山田さんは演劇の活動をする中で、高木さんの存在を知ったんですか?それとも高木さんは、青森の中ではそれなりに有名な人?

山田 青森で伝説的な演劇人、牧良介さんという人がおりまして、その人がこの「或るめぐらの話」というのをやっていたんです。その人はぼくが演劇をやり始めたときにはもう亡くなっていたんですが、彼以後、青森では代々やってたんです。それでぼくもぜひやりたいな、と。ひとり芝居だから、覚えてさえいればどこでもやれるし。

水谷 そうですよね、全く別の芝居の本番間近でこうやってやれてるってすごい(笑)。(※授業日は「爛れ、至る」という山田さん出演作の本番九日前)

地方の民話を絶やさないように活動しているところはたくさんあると思うんだけど、山田さんの「珈琲法要」なんかを見ていると、それに加えて中央への怒りのようなものが作品の底に流れている気がするんですね。ちょっと「珈琲法要」のあらすじを見るために、YouTubeに上がっている「珈琲法要」の予告編の紙芝居を見てみましょう。

山田 恥ずかしいですね……。

水谷 大まかな筋としては、江戸時代、ロシアから日本の領土を守るために、津軽藩の藩士たちが、蝦夷地に警備に行くという話なんですけど、これは実話なんですよね?

山田 実話です。「津軽藩士殉難事件」という、史実に基づいています。弁慶という名のお手伝いも、史実に出てくる人物です。

水谷 しかし「珈琲法要」はその史実の再現ではなくて、山田さんの創作ですよね。そこで史実をフィクションとして組み立てていくときに、そのフィクションの部分でどんなことを浮き立たせようとしたんですか?

山田 一言で言うなら、津軽藩士たちのもって行き場のない怒りですね。ロシアから軍隊が攻めてくるというのに、北海道にはアイヌの人々が住んでいて、松前藩はあるけど、それは函館にしかない。それでは北海道は守れない、ということで青森とか東北諸藩に北海道に行かせているんですね。

それは国を守るためには必要なんですけど、結局行かされているのは本州の端の人たち。江戸から遠いところ――北でも南でもそうだと思うんですけど――中央から遠い場所が犠牲になるという構図は、地方を題材にすると、どうしても浮かび上がってくる。それは原発とか、今でもそうなんですよね。

水谷 そこで標準語でやるのと津軽語でやるのとでは、見えてくるものがかなり違うような気がします。

ぼくは今日やってもらった「或るめぐらの話」を三回くらい聞いたから、なんとなくわかるようになってきたけど、はじめて聞くと手探りで物語を構築しなきゃならない。

もしこれを、物語をわかりやすくするために標準語に「翻訳」をしたとすると、伝わるものは相当違ってきちゃう気がするんですよね。

山田 そうですね、ニュアンスとか、響きみたいなものは。

水谷 オノマトペのあたりはそうですよね。「ぽかーら、ぽかーら」「とろらぁ~」「まやらまやらまやら」とか、たくさんの豊かな「音」がありますよね。

文字にして台本にした時点で、多分その音の半分くらいは死んでしまう。「声」であることが重要だと思います。簡単に文字では置き換えできない、体の中にある気持ちだとか温度が、音声によって伝わっていくと思うんですよね。その気持ちの一つが怒りだと思うんです。

水谷 「珈琲法要」には「なんでこんなところに来ちゃったんだ」って言う場面があるんですけど、ちょっと見てみましょう。音が悪いんですけど、耳を澄まして聞いてください。16:00 ~ 19:35あたりです。

極寒の蝦夷地で、まともな装備も食料もないまま、ただロシアが攻めてくるのを待ってるわけですよね。「俺たちはただ死にに来たのか」っていう台詞は津軽語だとものすごく切実な響きがある。

攻めてきたら、少なくとも駐屯している意義もあるんだけど、自分たちが何のためにそこに存在しているかわからないような不条理な状況が続く。ロシアは結局、来ないんですよね。

山田 史実的には、一回も攻めてこないんですよ。それはロシアの情勢が変わり、内向きに入ってしまったからです。結局攻めてこないのに、北海道に警備に行った人たちは寒さと栄養失調で死んでしまった。だから、まぁ……無駄死にしたんですね。そういう史実はあります。

水谷 たとえば太平洋戦争で「玉砕」という言葉が大々的に使われるきっかけとなったアッツ島の戦いなんか、似たような状況だと思いますし、ガダルカナル島などアジアでは、寒さとは逆だけど、全く同じ構造で、多くの兵士が戦うこともなく餓死していますよね。藤原彰(一橋大学名誉教授)の『餓死した英霊たち』には、約230万人の戦没者の約60%が広義の「餓死」に当たるとしてます。

それからもうひとつ、山田さんが「珈琲法要」のフィクションの部分で書き加えた要素として、アイヌの弁慶に「カムイ」の話をさせる部分があると思うんですが、そこが、すごくうまいなって思っています。ちょっと見ましょう。32:00 ~ 39:30あたりです。

カムイの話――アイヌの神の話は、どうして入れようと思ったんですか。

山田 アイヌには日本人と考え方が違う、アニミズムがまだ残っている。日本人は土地所有の概念があるんですね。でもアイヌの人々にとって土地や動物は、自分たちのものではない、神から授かるものだっていう考え方なんです。

でも日本人とか欧米諸国は土地所有の概念があって、「ここからここまでは俺たちのもんだ」って柵を立てたら自分たちのものになる。アイヌとか先住民の人たちは、「それはお前たちのものじゃない、神様のものだ。俺たちのものでもない」と言うけど、「お前たちのものじゃないんだろ? じゃあ俺たちのもんだ」っていう理屈で全部侵略されているんです。ここが全ての元凶……。

水谷 「珈琲法要」の中で面白いのは、中央から地方の人たち、津軽の人たちが使い捨てにされているのと、蝦夷地ではアイヌの人たちが津軽の人たちによって抑圧されているという、権力構造が二重三重になっているところだと思うんですよね。

最初にも言いましたが、方言って周縁にあって淘汰される運命にある、という感覚で片付けられちゃうところがあるけど、本当はひとつの言語として存在していて、ひとつの言語にはひとつの世界観とか宇宙観がある。

「珈琲法要」では周縁の周縁に追いやられているアイヌの宇宙観をさりげなく、でも相当力強く語らせている。「珈琲法要」の最後で弁慶は、「倭人はどこまで行ぐの?」って聞きますよね。あの問いは、その後の日本の歩みまで視野に入れた台詞だと思う。

このあと、日本は地方を踏み台にして、中央集権化を押し進めていきます。その過程で、「社会」「自由」「個人」「権利」のような実態が伴わない様々な翻訳語が生み出され、近代化したように見える。でもその土地土地から産まれている「言葉」と比べると、その翻訳語のなんと空疎なことかと思ってしまいます。

だから、津軽語にこだわって上演していく山田さんの演劇は、とても意味のあることだと思います。山田さんが津軽語でやっていくということには、それ自体に中央に対する、「けっ!」ていう気持ちがあるのかな?

山田 それは……あると思いますね。日本のほころびっていうのは地方から出てくると思うんですよね。過疎なり、シャッター商店街なり。高度経済成長にはなかったような問題が、今すごく出てる。そうすると、地方と中央とか、個人と国家という対立構造を考えて作品にしようと思うことはありますね。

水谷 そうするとやっぱり、津軽語でやるっていうことがひとつの問題提起になったりしますよね。

山田 そうですね。まず、「見る人にすぐにはわかるような物語にはしないぞ」と思って作っています。さっき実演したのも、「何しゃべってんだろうな」って、最初は誰でも聞き耳を立ててくれると思うんですよね。

そこから、どうしてもわからなくて「ああもう、無理無理」ってあきらめちゃう人もいれば、最後まで集中して観る人もいるでしょう。でも最初に「うっ」となる瞬間が必要だと思いますね。関心を示すというか、「この人は何を言いたいんだろうか」って考える。そこからコミュニケーションが始まるだろうと思います。

単純に標準語だけだと、受け身だけになるという可能性がある。だから、そういう意味でわかりづらい言葉を使っています。

水谷 学生で、何か質問があれば。

学生 今日は本当に、素晴らしかったです。なんかテレパシーみたいな体験だなって。

山田 テレパシー……!?

学生 標準語じゃないから、言葉では伝わらないものなんですけど、これは言葉だからこそ伝わるものだったと感じるんですね。身振り手振りじゃなくて、言葉で物語を受け取ったと。

水谷 なるほど。

学生 それで質問なんですけど、津軽語を誇張している部分はありますか? というのも、とにかく何かを残したいと思うときに、本来の形を誇張したり、変形したりしてしまうことがあると思うんです。

本来とは何かという問題もありますが、ましてや演劇という見せ物にするにあたって――人を楽しませたいとか、人に訴えるにあたって――「本来」から形を変えてしまうことに対して、どのように向き合っているのかをおうかがいしたいです。

山田 はい。まず今の若い子は、実際にはこういう言葉は全く使わないですね。そして演劇にするにあたり、誇張している部分もあります。そして厳密に言うと、津軽語も町と町によって細かく分かれていて、それを全部保存するのはぼくひとりでは無理。そもそもが多様なので、ぼくオリジナルなものにはなっていると思います。

その中で、津軽の人が聞いても大丈夫であり、東京とか他の都市の人が聞いても大丈夫なようにしてるんです。物語をやる上で、「これ以上わけわかんなくなったら無理!」となる前に、わかりやすい単語や言葉を入れて、ついて来られるように工夫しています。

水谷 「珈琲法要」なんかにも、今の感覚で理解できる言葉がありますもんね。

山田 丸っきり時代劇、丸っきり方言にしてしまうとね。やる方もそうだけど、観る方も今の人たちと昔の人たちとでは違うわけだから。ちょこちょこそういうことはしています。

水谷 調べてみると、高木恭造さんなんかも「自分の津軽語は正しいのか」って疑ってたてという記録が残っているみたいですね(笑)

山田 そうそう。微妙な違いも、総じて、間違いない、津軽語という認識です。

授業をおえて――楽屋のこぼれ話

山田さんのパフォーマンス、深みのあるお二人のトークで90分はあっという間。短い時間の中で語り残したこと、もう少しお聞きしたかったことをお話してもらいました。

――最後に質問をした学生は、いいことを言っていましたね。

水谷  あれは文学、詩の本質を突くものでしたね。テレパシーって言ってたけど、プラトンのいう「霊的」なものを感じたんだろうね。詩や文学って、言葉にならざるものを言葉を使って想起させようという矛盾した行為だと思う。

たとえば最後の花見の場面、特に最後にあの黒井善一という盲目の男が周りの風景が見えるというとき、あれ、聴いてるわれわれにも見えてくるんだよね。ただそれは、言葉の意味だけを理解してイメージするわけじゃない。あの体験がとても詩的ですよね。で、そこに至るまでの過程で、山田さんは、津軽語の音と意味の伝わる言葉をとても巧みに配分してると思うんですよ。

山田 東京でやるときは、まず「普通にやったら伝わらないだろう」というところを前提にして、伝わらないなら伝わらないなりに、何を受け取ってもらえるか。このことを考えながらやってます。

水谷 地元でやることは、あるんですか?

山田 あります。

水谷 地元でやるときと東京でやるときに、違いはありますか?

山田 地元でやるときは、まず自分は「ネイティブ津軽」じゃないから、イントネーションのダメ出しをされるんですよね。地元だからって完璧な津軽語にできるわけじゃない。

水谷 地元で、あえて標準語にしたらどうですかね?

山田 超怒ると思う。

水谷 (笑)

山田 地元の人がそういう感覚なんですよね。「なんで標準語でやるんだ」っていう。だから、地元の人からすれば方言だとちょっと嬉しい、というのはあると思います。「珈琲法要」は去年の暮れに弘前でやったんです。「珈琲法要」の物語自体は知らない人もいたから、その部分で感じ入ってくれたりはしたんですけど、何人かが「あなた、南部のなまり入ってますね」って言ってきたりしたことはありました(笑)

――「地方からほころび始める」という話がありましたが、具体的にそう感じた体験はありますか?

山田 それはやっぱり、若者が出て行ってしまうこととか。あとは行政サービスのこととかですね。バスの便数が少ないこととか。高齢者は、便数があまりにも便数が少ないから、タクシーをチケットで買ったりしているんですよね。それから学校も通えない。

冬は雪も降りますし、親が送ってくれる子はいいけど、送ってくれない子は雪でも自転車でとか。セーラー服で吹雪の中をチャリで行く子、普通にいますね。

――それが普通だと思っていると、やっちゃいそうですね。震災後になって、「地方」はひとつのテーマになってきていると思います。でも山田さんの演劇は、昨今叫ばれがちな地元愛とか、地方愛とは少し違いますね。

山田 最近テレビでは、「お国自慢」ってすごく多いじゃないですか。そういうのは自分ではやらなくていいと思っています。演劇をやる人って、あまり何かを全肯定する人っていないんですよね。ぼくもそうで、「地方は素晴らしいけど、問題があるのはなんでだろう、君たちも考えてみてくれ」って思いながら作っています。

県民性って大きくくくっちゃうのはそれもまた問題だけど、地元の人は他人としゃべるってことにあまり慣れてない気がする。仲間内ではわーわー言うけど、全然知らない人が来ると無言になるという人、あまり積極的にコミュニケーション取ろうとしない人が、地方ではすごい多いと思う。そこから生まれる問題を取り入れて、問題提起するようにしています。

――中央に対してだけでなく、地方にたいしても問題を投げかけているんですね。

山田 そうそう。なんとなくみんなが考えていることを、可視化して問題提起することが、演劇とか表現なんだと思います。というか、ぼくがやってるのはそういうこと。

――なるほど。地方の問題は、中にいると見えにくいということがあるかもしれませんね。

山田 地方と東京を行ったり来たりしている、ぼくだから見えるものってなんだろう、って考えています。

――「珈琲法要」では土地所有の概念の違いというのが、印象的だと思いました。

山田 あれは厳密に言うと、農耕民族と狩猟民族の違いなんですよ。農耕民族は柵を立てる。でも狩猟民族は移動する。欧米もそうだと思うんだけど、ただアングロサクソンがいたところは過酷な土地だったから、侵略に走っちゃったりする。

――地方と東京を移動する山田さん、移動する狩猟民族……もしかして移動することは、山田さんにとってキーワードなのでしょうか?

山田 正直に言えば、一つのところにとどまってじっくり関係を作っていく方が、あっちこっち行くよりは楽ですけどね。演劇を作る人はみんな、東京にとどまってやってるし。でもぼくは方言でやってるし、土地に根付いた生活を描くことが好きなんですね。

今は青森のことを基本にしてやってるけど、機会があれば他の土地で起きてることとかもやりたいなと思います。だから、行ったり来たりすることで交流が生まれるのが、ぼくの強みだと思います。

水谷 距離の問題ですよね。ものごとを見るには距離が必要で、山田さんはいい位置にいる、いいポジションを自分で作っていってると思います。南部とか、津軽に没入しすぎず、距離を取る。距離を取ることで、様々な差異が見えてくる。これって翻訳の基盤ですよね、違うものの間に入って、仲介していくということが。中間に立とうとする者にしかそれは見えないんですよね。

プロフィール

山田百次劇団野の上

青森出身。地元青森の劇団、弘前劇場に10年ほど在籍。2010年より活動地を関東に移すと同時に、津軽弁を主体とした劇団野の上を旗揚げ。作、演出、出演している。「東京アレルギー」が第19回劇作家協会新人戯曲賞最終候補となる。2013年より青年団若手ユニット「青年団リンク ホエイ」でも作・演出を手がけている。他にも客演多数。

この執筆者の記事

水谷八也20世紀英米演劇

1953年生まれ。早稲田大学文化構想学部(文芸・ジャーナリズム論系)教授。専門は20世紀英米演劇。編共著に『アメリカ文学案内』(朝日出版)、訳書にアリエル・ドルフマン『谷間の女たち』(新樹社)、『世界で最も乾いた土地』(早川書房)、また上演台本翻訳にソーントン・ワイルダーの『わが町』(新国立劇場)、アーサー・ミラーの『るつぼ』など。

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