2016.12.14

「生」と「死」をめぐる普遍的な問いかけ――『クリスチャン・ボルタンスキーアニミタス-さざめく亡霊たち』

東京都庭園美術館学芸員・田中雅子氏インタビュー

文化 #クリスチャン・ボルタンスキー

東京都庭園美術館で「クリスチャン・ボルタンスキーアニミタス-さざめく亡霊たち」展が開催中だ。クリスチャン・ボルタンスキー氏は1944年フランス生まれ。一貫して「名もなき人びとの「生」と「死」」をテーマとしてきた、現代美術の巨匠である。彼の作品は芸術作品というより、哲学的な「問い」だ。そのテーマの根底に流れるものは何なのか、展覧会の担当学芸員、田中雅子さんにお話を伺った。(取材・構成/増田穂)

「まず場所に対して耳を傾ける」

――現代美術では大御所のボルタンスキー氏ですが、東京での個展ははじめてなんですね。

そうなんです。1990年には名古屋や水戸で日本初個展を開催していますし、瀬戸内国際芸術祭越後妻有アートトリエンナーレには度々参加しているので意外ですが、東京では初個展になります。日本で広く名前が知られるようになったのは、やはり上記2つの芸術祭への参加が大きいと思います。

前者の作品は恒久的に訪れることができます。2010年の瀬戸内国際芸術祭の際に豊島に開館した「心臓音のアーカイブ」では、世界中の人びとの心臓音を録音し、保存しているのですが、訪れるとその音を聞くことができます。また今年の夏には同じ豊島の檀山の中腹に「ささやきの森」という作品を制作しました。いずれもサイトスペシフィックな、この場所でしか体験できない作品です。

《心臓音》「心臓音のアーカイブ」展(2008年)展示風景 Courtesy Maison rouge c Christian Boltanski
《心臓音》「心臓音のアーカイブ」展(2008年)展示風景
Courtesy Maison rouge c Christian Boltanski

――作風としてはどんな特徴がある方なのでしょうか。

「まず場所に対して耳を傾ける」ことを大切になさっている方です。「空間と対話する作品」と言いましょうか。いわゆる美術館のホワイト・キューブ(美術展示用の真っ白な空間)だけでなく、廃校や教会、屋外など、特徴のある空間に作品を設置して、インスタレーション(装置を設置したり音や光を駆使して、展示空間を含めて作品とする芸術の表現手法)にすることにも積極的に取り組んでいます。

今回東京都庭園美術館で個展を開催するにあたり、当然ボルタンスキー氏は朝香宮邸にまつわる歴史についても調べたと思います。ただ彼は、そうした歴史に直接言及するのではなく、あえて曖昧にし、解釈を鑑賞者に委ねることで、普遍的な意味を持たせているところがあります。彼の考える歴史とは単なる「事実」の連なりではなく、もっと複雑で重層的なものなのです。

東京都庭園美術館 本館 正面外観 写真提供:東京都庭園美術館
東京都庭園美術館 本館 正面外観
写真提供:東京都庭園美術館
 東京都庭園美術館 本館 大客室  写真提供:東京都庭園美術館
東京都庭園美術館 本館 大客室 
写真提供:東京都庭園美術館

――ボルタンスキー氏は人びとの存在性に対する問いかけという普遍的で壮大なテーマを扱っていらっしゃいますよね。私の中では「芸術家」というより「哲学者」というイメージです。

そうですね。「現代美術の世界で何をやるか」を追及しているというより、自分のルーツや世界に対するまなざしを表現する方法が、彼の場合たまたまアートだったのだと思います。その作品が問うてる内容は哲学者の探求に近いですね。

「記憶」を留めておくための芸術

――彼の生い立ちは作風にどのように関係しているのでしょうか。

ボルタンスキー氏の父親はユダヤ系フランス人です。ボルタンスキー氏自身は1944年9月6日にパリで生まれました。パリ解放直後のことです。彼の幼少期には常に戦争の影が付きまといました。父親は少し運命が異なれば強制収容所に送られていたかもしれない。母親は父親を匿うために、離婚したふりをして父親は床下に隠れていたそうです。父親は存在しないことになっていた。

他のユダヤ系の家庭でも同じような経験があったかも知れませんが、ボルタンスキー自身も、こうした経験がトラウマになり作品に影響していると言っています。

――大変な子ども時代を過ごされたんですね。

ええ。それもあってか12歳の時には学校へ行かなくなりました。そして13歳ごろにオブジェのようなものを作り出します。するとその作品を兄がほめてくれた。それまで勉強も好きではなく、何かに熱中するということがなかったボルタンスキーは、それで一気にやる気になって、どんどん作品を作るようになったんです。

芸術に対して家族の理解があったのも、彼の才能が開花した理由でしょうね。母親が彼の作品を展示するためにギャラリーを始めたり、周囲からのサポートが大きかったんです。アーティストといってもボルタンスキー氏の場合、アヴァンギャルドに「挑発的なことやってやろう!」みたいな気負いがないのも、そうしたバックグラウンドがあるからかもしれません。

――今回の展覧会に関するインタビューでの雰囲気も、大学の教授のような落ち着いた感じですよね。

本当に穏やかで優しい方なんです。

子どもの頃から、とても感受性が豊かだったのだと思います。刻一刻と成長し、自分の幼少期が過ぎ去っていく、死んでいくことに、何かを残したいと感じたんですね。それで、自分が使っていた日用品とかクッキーの入っていたブリキの缶なんかをとっておくようになった。彼の作品はそこから始まっています。なので最初はホロコーストとかそういった大きなものを扱っていたわけではないんです。「身近で個人的な過去を保存する」というのが、「記憶」をめぐる彼の芸術の出発点でした。

――はじめはあくまで自分の記憶を留めておくためのものだった。

ええ。しかし次第に外に目が向くようになり、他者の過去を集めるようになります。名もない人びとの生きた証として、その人が使っていた日用品などを集めて美術館の展示ケースに陳列する。こうした手法は今でこそ普通に受け止められるかもしれませんが、60年代末から70年代はじめの当時は画期的な表現方法でした。美術館に本来あるはずのないものが展示ケースにおさまっていたのですから。

70年代以降、ボルタンスキー氏の活動も広がり、ドイツのドクメンタ(5年に1度開催される大規模な現代美術の祭典)にも参加するようになりました。自分自身が現代アートのシーンのメインストリームに身をおくことで彼自身のアートを見る目が磨かれ、その中でアーティストとしてどのような表現を目指すべきか模索した時期でもあるといえます。

80年代もまた、ボルタンスキーにとって重要な転換期が訪れました。この頃、社会的には、ヨーロッパを中心に歴史を再構成する動きがありました。それまで国家主導で作り上げてきた「大きな歴史」に対して、より「小さな歴史」を残していこうとする動きです。戦争の記憶に対して、それまで国が慰霊碑を立てたり、追悼祭典をしたり、マクロに行っていた記憶の継承を、より個人的な、ミクロな継承に目が向けられるようになった。こうした動きに当時の現代アートの手法がマッチしたことで、現代アートそのものが広く活用されるようになります。

そして同時期に、ボルタンスキー氏の父親が亡くなります。これをきっかけにボルタンスキーもホロコーストを強く意識するようになりました。今では彼のシンボリックな表現方法のひとつとなった、大量の古着を展示してホロコーストを印象付けるような手法も、この頃にはじまったものです。

重要なのは、こうした彼の作品は、彼のホロコーストのトラウマに深く根ざしてはいるけれど、その作品が伝えているのは、ホロコーストの悲惨さや悲しみそれ自体ではないということです。ボルタンスキー氏の作品は、作品そのものが重要なのではなく、その作品には普遍的なものが内包されていて、作品を観ることでその普遍的な「何か」の感覚が呼び起こされる。それが彼の作品の持つ力、私たちが心を打たれる理由なのだと思います。

――私も作品を観ていて、具体的な経験は違っても人びとに普遍的に共有されているトラウマや喪失感、そうした我々の根底にある感情に響く作品が多い印象を受けました。

まさにその通りです。今回の展示でも「大切な人の記憶」をテーマにした「ささやきの森」という作品の映像を出品しました。来館者からも「作品を見て自分の大切な人を思い出した」という感想がよく聞かれます。それぞれの想いや対象は違っても「大切な人への想い」という普遍的な感情を呼び起こしているのでしょう。

ボルタンスキー氏がすごいのは、芸術の表現手法として難しいことは一切せず、こうした大切な感情や記憶を呼び起こす「装置」を作り上げることです。ほんの少しその空間に介入することで、人の心を動かすきっかけを作る。

《アニミタス》(小さな魂)、2014年  Photo: Angelika Markul Courtesy the artist and Marian Goodman Gallery
《アニミタス》(小さな魂)、2014年
 Photo: Angelika Markul Courtesy the artist and Marian Goodman Gallery
《ささやきの森》2014年 © Fukutake Foundation
《ささやきの森》2014年
© Fukutake Foundation

――ボルタンスキー氏自身も「ただ美しい個展ではなく、観客に問いかけるものでありたい」と言っていますね。特に現代アートはただ美しいだけではなく、人の在り方など深いテーマを考えさせられるものが多いと感じます。こうした哲学的問いに人が引き付けられるのでしょうか。

そうですね。だからこそ難しいと言われてしまうこともあるんですが。

現代美術ではコンセプトが非常に重要です。20世紀はじめに、マルセル・デュシャンが美しさを重視した既存の美術のあり方を徹底的に覆しましたが、21世紀以降は、現代美術の扱う範疇はさらに広くなり、今日私たちが生きている社会とリンクした問いかけを内包する作品が多く生まれています。

ボルタンスキー氏の作品を観ていると、私自身も自分の存在自体について問われているような気になります。「死」とは何なのか、なぜ現代社会では「死」はタブー視されているのか。いうまでもなく「生」と「死」は切り離せません。私たちが生きている以上、不老不死の方法が開発されない限り、「死」は必ず訪れます。「死」が明らかになった時に、「生」も裏返しじゃないですが、生き生きというか、鮮明になってくる。彼の作品にはそういった面についても考えさせられます。

ボルタンスキーの言う、「何か事件があり何千人もの人が亡くなったと、私たちはニュースで知るけれど、本当はそのひとりひとりが誰かにとってのかけがえのない存在」ということは、考えれば当たり前なのですが、私たちは普段膨大な情報に接する中で、さっと流し見て、理解した気なってしまう。その恐ろしさをボルタンスキーの作品は思い出させてくれますね。

――そうした当事者性を思い出すためにも、直感に訴える、実際にその感覚を体験する、インスタレーションの手法が効果的なのでしょうか。

インスタレーションの大きな特徴のひとつが、観客が作品の中に入れるということです。絵や彫刻だと、作品の前あるいはその周りにいることしかできません。一方インスタレーションでは、空間全体を使い観客は作品を「実体験できる」。感情に訴えかけるものは大きく変わっていきます。

――ボルタンスキー氏はいつからインスタレーションの手法を使うようになったのですか。

ボルタンスキーは当初絵を描いていました。しかしさまざまな現代美術を観る中で、自分は絵画には向いていないと思うようになり、すっぱりとやめてしまいます。その後しばらくは粘土の玉をひたすら続けたりしていたようです。しかし、そこからインスタレーションがはじまっていたのでしょうね。土のボールがひとつあっても単なるオブジェですが、それが何千個とある空間に存在したら、その「場」が変わる。初個展もラヌラグ劇場というパリの劇場を利用した空間性のある展示でしたし、芸術家としての彼のキャリアはインスタレーションで始まっています。

作者は忘れられても、作品のメッセージは残り続ける

――ボルタンスキー氏と現代芸術の出会いのきっかけは何だったのでしょうか。

60年代末に母親がはじめたギャラリーに出入りしていた人々の影響が大きいと思います。後に一緒に展覧会を行うアーティストのジャン・ル・ガックや、今やフランスを代表するギャラリストのイヴォン・ランベールにもこの頃に出会っています。

この頃、よく兄弟とパリの現代美術ギャラリーやヨーロッパの現代美術館にも出かけたりしていたみたいです。

――ご兄弟も芸術家なんですか?

ボルタンスキー氏には2人兄がいます。芸術家ではないのですが、長兄ジャン=エリーは言語学者、次兄のリュックは現代フランスを代表する社会学者です。母親は作家、父親は医者という知的な家庭でした。本人は学校をやめってしまったのですが、日常会話が非常に深い内容を含んでいたことが想像できます。ボルタンスキー氏自身も「耳から聞いた情報が重要だった」と言っていて、こうした人びとに囲まれていたことは、彼の扱うテーマや表現方法に大きく影響していると思います。

――比較的狭い世界で彼の芸術的感性は磨かれていったということでしょうか。

最初はそうだったと思います。ただ学校には行っていませんでしたが、母親のギャラリーでアルバイトをしていました。家の外の世界とはそうした所で徐々に繋がっていったようです。

ボルタンスキー氏には同じく現代美術のアーティストであるパートナーがいます。アネット・メサジェという方で、森美術館でも大きな個展をしている方です(注)。彼女と生活するためにはじめて家を出たそうで、それまではずっと家にいたと聞いています。ちなみに彼女とは20代の頃に出会って以来のパートナーなんですよ。

(注)森美術館「アネット・メサジェ:聖と俗の使者たち」(2008年8月9日~2008年11月3日)

http://www.mori.art.museum/contents/annette/

――もうずっと一緒にいらっしゃるんですね!現代美術家同士合うんでしょうか

でも、お互いのアトリエに入ったことはないらしいです。干渉し合わないのがいいんだそうです(笑)。

――なるほど(笑)。

ただ、先日アネットが、ボルタンスキー氏自身も2006年に授賞した高松宮殿下記念世界文化賞を受賞したことをとても嬉しそうに話しているところを見ると、アーティストとして心からリスペクトしていることはよく分かります。

――素晴らしいご関係ですね。

ボルタンスキー氏は確かに特殊な環境の中で青年期までを過ごしました。しかし世界で起きていることに対しては強い好奇心を持っていたので、ごく自然な流れで視点が外に向いていったのだと思います。1972年に前述のドクメンタに初参加して以来、海外でも展覧会を開くようになりましたし、今でも常に世界のあちこちで展覧会を開催して、世界中を飛び回ってます。今はパタゴニアで新しい企画を進めているところです。もう72歳なんですけど、そのバイタリティーには驚かされます。

――パタゴニアでは「神話を作る」ことを目指しているそうですね。どんな企画なんですか?

パタゴニアに600本のトランペットを設置して、風が吹くたびに音が鳴る、というインスタレーションを作成しようとしています。

ボルタンスキー氏は「誰がその作品を作ったのか忘れ去られても、作品のメッセージは人々の中に残り続けるものを作りたい」と言っています。今回の展示でもチリのアタカマ砂漠に数百の風鈴を置いたインスタレーションを映像に収めたものを展示しています。私たち日本人がチリの奥地の砂漠まで、実際に彼の作品を見に行くことはそうそうできない。豊島の「心臓音のアーカイブ」や「ささやきの森」も、例えばヨーロッパの人は簡単には観に行けません。

それでも、ボルタンスキー氏は、誰かにとっての「大切な人」を想うための場所として、これらの作品を制作しました。そしてそのことを私たちは知っています。インスタレーションが存在する(もしくはかつて存在した)ことが伝えられることによって、たとえその場所に行くことが叶わなくても、その場所が聖なる地として「存在」するようになる。神話のように大切なものとして、人びとの心に残り続ける。それはその作品を実際に観ることよりも、はるかに大きな力を持つと、ボルタンスキー氏は言っています。

今回の展覧会のタイトルにある「亡霊」にも共通しますが、肉体的、物質的にはそこに存在しなくても、何かが残る、存在している、それが重要なんだ、ということかもしれません。「神話」というキーワードが出るようになったのは比較的最近のことですが、作家自身が老年期に入ったことや、アクセスしづらい場所での展示が増えていることも関係していると思います。

ただ興味深いことに、ボルタンスキー氏自身は特定の宗教や死後の世界といったものは全く信じていないんです。本人も「人が死んで何かが残るとは思っていない」と言っています。

逆説的ですが、だからこそその人が生きた証として、記憶やその人を想う人の存在があるのだと思います。誰かが誰かのことを大切に思った証を残すような、そんな作品が増えてきているような気がします。

「亡霊」も、例えば朝香宮邸に住んでいた人たちの亡霊を召喚する、ということではなく、もっと多様で曖昧な存在なのです。亡くなった人たちの記憶や、その人への想いとか、そうした包括的で漠然とした「亡霊」の存在を感じ取れるように空間を再構築している。そもそも生きてる人と死んでる人の違いってなんだろう、ということさえ考えてしまいます。

同時に、「亡霊」という曖昧な存在は、絶対的な他者とも言えます。何か理解できないものが、理解はできないけれど存在している、という感覚でしょうか。具体的に見えて、理解できるわけではないけれど、確かにどこかに存在している。神話と共通しますね。

――壮大なテーマを提示しつつも、ボルタンスキー氏は作品がどう観客に見せられるのか、どう受け取られるのかについては、各々の解釈にゆだねるスタンスのようですね。

彼はよく作品や展示について「自分は楽譜を書いているんだ」と言います。今回もその「楽譜」を元に、現地のチームで準備を進めました。本人が到着したのはオープニングの数日前。大方できあがっているインスタレーションに対して、突風のように素早い、でも的確な指示を出して作品を完成させました。

「譜面」通りにインスタレーションを構成してみると、その空間がどんどんボルタンスキー氏の作品になっていくんです。そして最後、本人がちょっと手を入れると、紛れもない「ボルタンスキーの作品」が完成する。

――まさに音楽もそうですよね。作曲家の書いた譜面を見て、演奏者がその意図を反映しようと準備して、最後に作曲者がちょっと指示を出すだけで、その作曲家独特の音楽として完成していく。

その変化を目の前で見ていました。非常にエキサイティングで、感動的ですらありました。

《影の劇場》1984年  Photo:André Morain Courtesy the artist and Marian Goodman Gallery
《影の劇場》1984年 
Photo:André Morain Courtesy the artist and Marian Goodman Gallery

――キュレーターとして、田中さんはどのような解釈を取り入れていたんですか。

一番明確なのはタイトルですね。展覧会のタイトルを相談している際に、ボルタンスキー氏は始めて美術館を訪れて以来「fantôme(亡霊)」のイメージを持っていると言いました。その一言からフランス語のタイトル「Animitas – Les âmes qui murmurent 」が決まりました。

これを当初翻訳家の方に和訳していただいた時、「アニミタス―さざめく霊」という訳が出てきたんです。「âme」は確かに直訳だと「霊」や「魂」に近い。でも原題は「Les âmes」という複数形なんです。ボルタンスキーの作品に通底する「無数の匿名の存在」と照合しても、その複数性がすごく重要なんじゃないかと思いました。

さらに、日本語で「霊」というと降霊術のような、特定の霊を召還するような意味合いが強くなってしまうような気がして。より「なんだかよくわからない存在」や「他者性」のニュアンスも意味に込めたいと思い「亡霊たち」にすることを提案しました。確かに旧朝香宮邸が経た歴史や空間は今回の展覧会の大きなインスピレーションの源ですが、その場所だけに収斂されない展覧会にしたかったのです。

――確かに似たような言葉でも、それ一つでボルタンスキー氏のテーマ性がより詳細に伝わる気がします。ボルタンスキー氏と日本との関わりはどんなものだったのでしょうか。

日本を最初に訪れたのは70年代初頭、実は展覧会のためではなく、彼の初期の映像作品があるアンダーグラウンドな番組で紹介されたときでした。以来、たびたび来日していることもあって日本には深い親近感を持っているようです。一神教とは異なる霊魂に対する感覚や、伝承が物ではなく知恵やコンセプトを伝承していくような所が気に入っているそうです。例として、ボルタンスキーはよく神社が一定のスパンで取り壊されて、立て直されることをあげます。

前の建物はなくなって、新しいものに変わるんですが、その底流にある価値観のようなものは、過去のものがなくなっても変わらずに受け継がれてゆく。そういうところがとても魅力的なのだそうです。このことは、先ほどの「楽譜」の話や現在のボルタンスキーのインスタレーションが展示後ほとんど解体され、また別の場所で形を変えて再現されることとも、どこか通じていると思います。

若者に問いかける「生」と「死」

――田中さんはどういう経緯でボルタンスキー氏の作品と出会ったのですか?

作品との最初の出会いは留学先のパリでした。パリ市近代美術館に常設されている「影の劇場」と、世界中の電話帳を集めた「電話の契約者」だったと思います。また留学中、インターンをしていたギャラリーにボルタンスキー氏が所属していたので、本人とも何回か挨拶を交わしたことがあります。帰国してからもボルタンスキー氏の活動には常に注目していました。

朝香宮邸はそれ自体が「記憶の器」と言えます。もともとは1933年に朝香宮家の邸宅として建てられ、その後吉田茂の公邸を経て、色々な経緯を経て1983年に美術館になりました。日本の1番揺れ動いた時代を見てきた建物ともいえます。この空間で取り上げるアーティストを考えたとき、ボルタンスキー氏の存在はいつも念頭にありました。とはいえボルタンスキー氏はアートの世界では大御所なので、まあダメ元で聞いてみようと、パリのギャラリーに相談してみた。するとすぐ直接ボルタンスキー氏から連絡が来たんです。

――結構ノリというか、軽いんですね(笑)。

本当にフットワークの軽やかな人です。若い人ともオープンに接するし、メールのやりとりも全て本人がして、返信も早い(笑)。

展覧会の企画が出てたとき、ちょうどパリに出張する機会があったのでその時に彼のアトリエに行って話をしてみたんです。東京都庭園美術館のことは知らなくて、雰囲気を伝えたら「年配のお客さんばかりなんじゃないの?」って、あまり乗り気ではなさそうで。「意外性のある空間だからこそ、面白い展示ができる。私はあなたの作品を日本の若い人と共有したいんです」って熱弁して(笑)。ひととおり話は聞いてもらえて「少し考えさせて」といわれました。ああ、これは無理だなって思いました。

ところが翌日ごく短いメールでしたが「やってみたい」というメールが来たんです。近々回顧展の予定があるから大掛かりなものは出来ないけど、空間にあった軽やかさのある展覧会にしよう、と。初めは出品作品も2点の予定だったのですが、結果的には7点、また当初予定になかった新作も生まれました。

約1年という展覧会準備期間としては比較的短い期間でしたが、作家と対話を重ねながら展覧会を作り上げたという実感はあります。

クリスチャン・ボルタンスキー氏 Photo: Akemi Shiraha
クリスチャン・ボルタンスキー氏
Photo: Akemi Shiraha

――若い人に見てほしい、という意図もあったのでしょうか。

それはあると思います。ボルタンスキー氏自身もとても考え方が若々しい方ですし。朝香宮邸という場所の持つ独自性もあると思いますが、私自身もキュレーターの中では若手な方なので、新しい視点を提供したいという気持ちがありました。ボルタンスキー氏もそういうところを面白がってくれたのかもしれません。

日本では1990年に初個展が開かれて以来、まとまって作品を見る機会はあまりなかったので、今の若い人は海外、あるいは前述の地方の芸術祭に出向かない限り、なかなか実際に彼の作品を見る機会はなかったと思うんです。私自身、彼が問いかけるメッセージは、今若い方にこそ知ってほしいという気持ちが強くあります。

――インタビューの重鎮感がすごかったので、若い方とフランクに関わってらっしゃるというのは少し意外でした。

見た目はそうかもしれません(笑)。でもとてもチャーミングで、誰に対しても率直に接する方です。役職や立場ではなくその人自身や物事の本質を見ている。

――今回の展示で特におススメのものはありますか?

今回は回顧展ではないので、作品数は決して多くはありませんが、厳選されているからこそ、1点1点とじっくり対話するように見ていただけると思います。また、ボルタンスキーの作品には音や光、匂いなどを効果的に用いられているために、不思議と作品から離れても余韻が続きます。今回朝香宮邸というもともと人が住んでいた空間が舞台であるために、作品が展示されていない部屋でも妙に関連性を感じることもあるでしょう。

また、本館内あちこちから声が聞こえてくる新作の「さざめく亡霊たち」は、ランダムに流れるように設定されているので、体験する人がどこの部屋にいるかによっても感じ方が変わってくると思います。

海外の有名なアーティストだと、かえって東京で回顧展以外で展示を見られる機会は少ないので、ホワイト・キューブでの回顧展とは違う展示のかたちも楽しんでほしいですね。

 東京都庭園美術館 本館 第一階段装飾 写真提供:東京都庭園美術館
東京都庭園美術館 本館 第一階段装飾
写真提供:東京都庭園美術館
東京都庭園美術館 新館 ロビー 写真提供:東京都庭園美術館
東京都庭園美術館 新館 ロビー
写真提供:東京都庭園美術館

――お話を伺って、改めて作品と対話し、余韻に浸りに行きたいとそわそわしてきました。田中さん、本日はお忙しい中ありがとうございました。

■展覧会情報

クリスチャン・ボルタンスキーアニミタス-さざめく亡霊たち

会期 2016年9月22日(木・祝)–12月25日(日)

会場 東京都庭園美術館(本館・新館ギャラリー1・2)

開館時 10:00–18:00 ※入館は閉館の30分前まで。

休館日 第2・第4水曜日(12/14)

観覧料 一般:900(720)円 大学生(専修・各種専門学校含む):720(570)円 
中・高校生・65歳以上:450(360)円
※上記観覧料で「アール・デコの花弁  旧朝香宮邸の室内空間」展もご覧いただけます。

展覧会ホームページ

http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/160922-1225_boltanski.html

プロフィール

田中雅子東京都庭園美術館学芸員

東京都庭園美術館学芸員。1983年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、渡仏。Institut d’Etudes Supérieures des Arts (IESA) Marché de l’art学科を修了。東京都現代美術館インターン、G-tokyo事務局などを経て2013年より現職、2014年のリニューアル開館準備に従事。現在開催中のクリスチャン・ボルタンスキーの東京初個展「アニミタス_さざめく亡霊たち」展を企画した。また様々なアーティストやクリエイターとともに、音楽、演劇、舞踊、映像…既存の領域を横断し、新しい表現を生み出すプロジェクト「TTM: IGNITION BOX」の企画も行っている。

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