2019.05.15

スポーツにおける“男らしさ”とは何か――伝説のフィギュアスケート男子金メダリストの栄光と孤独

映画『氷上の王、ジョン・カリー』監督インタビュー

文化

アイススケートをメジャースポーツへと押し上げ、さらに芸術の領域にまで昇華させた伝説の英国人スケーター、カリー。彼はバレエのメソッドを取り入れた演技で、1976年インスブルック冬季五輪フィギュアスケート男子シングルの金メダルを獲得する。

しかし、マスコミが真っ先に伝えたのは、表に出るはずのなかった彼のセクシュアリティだった。同性愛が公的にも差別されていた時代に、ゲイであることが公表されたメダリストの存在は、世界中を驚かせ論争を巻き起こす。しかし、彼は華麗な滑りで多くの人を魅了し続け、現在の日本人スケーターにも影響を与えている。

映画はアスリートとしてのカリーだけでなく、栄光の裏にあった深い孤独、自ら立ち上げたカンパニーでの新たな挑戦、そして彼を蝕んでゆく病魔AIDSとの闘いを、貴重なパフォーマンス映像と、本人、家族や友人、スケート関係者へのインタビューで明らかにしていく。

新たに発掘された、ホームビデオで撮影された彼の最高傑作『ムーンスケート』について監督のジェイムス・エルスキンは「どんなスケートより美しく心を打たれた。これをみて感動を覚えない人はいないだろう」と語っている。これは、時代に翻弄され不当な扱いを受けながらも、屈することなく高みを目指し、人を遠ざけながらも愛に飢え、滑り、踊り続けた男の物語。

ロードレーサーのマルコ・パンターニを追った映画『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト』(2014)をはじめ、スポーツや芸術の感動の裏側に秘められた物語や社会・政治問題をテーマにしたドキュメンタリー作品を多く手掛けるジェイムス・エルスキン監督のインタビューをお届けする。

ジェイムス・エルスキン監督

──映画『氷上の王、ジョン・カリー』を作るきっかけについて教えてください。ジョン・カリーのことは以前からご存知でしたか?

イギリスで彼は有名人ではあるけれど、活躍していたのが1970年代から80年代にかけてだから、僕の中では子供の頃の遠い記憶に埋もれていた。ある日、ガーディアン紙にジャーナリストのビル・ジョーンズによるジョン・カリーの伝記『Alone』の紹介記事が載っていて、ジョン・カリーがどれほど重要な人物か書いてあった。それで、すぐその本を読んで「すごい話だ」と思い、版元に電話をかけて映画化の権利について問い合わせた。それが始まりだった。

──ジョン・カリーは、それまでの男子フィギュアスケートになかったバレエのメソッドを取り入れた優美な演技で、1976年インスブルック冬季五輪フィギュアスケート男子シングルの金メダルを獲得し、世界を驚かせました。この映画で深く掘り下げられているのは、「スポーツにおける男らしさとは何か」ということですね。プロスポーツの世界で、ジェンダーの問題は今も曖昧な状態だと思いますか?

“曖昧”以上のものだと思うね。ホモフォビア(同性愛者に対する偏見)や性差別、人種差別は、スポーツ界では今も大きな問題だよ。その中でもホモフォビアは関心が高い。アートの世界では、多少人と違っていても大丈夫だけど、スポーツの世界では一般的な慣習に従うことを強いられる。それに、芸術的な才能というのは大人になってから芽生えることが多いけど、スポーツの分野では、幼い頃からその道に進む傾向にあって、セクシュアリティについては、大人になるにつれて気付くようになるからね。

ジョン・カリーという人物の興味深い点は、彼が社会に受容されるための言わば旅路に出たことで、これは本作の大きなテーマでもある。そして、彼は受容された。金メダルを勝ち取り、メトロポリタン歌劇場では2万人の観客を得て、天才と呼ばれるようになった。でも、彼自身がどうしても自分のことを受け入れられなかったんだ。

──本作では、カリーが同性愛者であることがメディアによって公表されたことについても詳細に描いていますね。

たしかに彼のセクシュアリティはメディアによって公表された。ただ、ジョンの性格が自己破壊的なものであったかどうかとは別の問題だと思う。彼の人生を見ると、その傾向はあると思うけどね。彼はオリンピックで金メダルを取るために人生を捧げた。そして、自身のセクシュアリティについては、口を滑らせてしまったんだと思う。たしかに選手引退後のジョンは、ある時期にピークに達し、その後、自己破壊的になった。やろうと思えばもっと後にもメトロポリタン歌劇場で公演することもできたと思うけど、望まなかったんだ。

──監督は、個人のセクシュアリティについては、他人があまり関心を持つべきではないという考えでしょうか。メディアも一般人も有名人のプライバシーを守るために気を使うべきでしょうか?

当然そうするべきだと思う。もちろん、セクシュアリティについてはもっと議論されるべきだとは思うけど、諸刃の剣でもあるよね。つまり、私生活を語るサッカー選手がいなければ、具体的に例に出して議論することはできないけれども、最悪なのはSNSで気軽にカミングアウトした結果、ネットで総攻撃されることだ。

──カリーは、1987年にHIVと診断され、1991年にエイズ発症し、1994年4月15日にエイズによる心臓発作のため44歳でなくなっています。劇中の演目、ジャン=ミッシェル・ジャールの曲『軌跡(EQUINOXE)』を使った演目『バーン』ですが、パフォーマーが全員、赤と白の衣装を着ています。あれを見たとき、白血球と赤血球のように感じたのですが……。

僕もそう思ったんだ。あれを見たとき、頭に浮かんだのはまさにそのことだった。観客にもそれを感じてほしくて、あの映像を使ったんだ。当時、彼の友人たちが(HIV末期に発症する)カポジ肉腫で死にはじめていた。ニューヨークの彼の仲間たちも死んでいて、彼の友達が感染していたこともわかっている。だから、間違いなく意識的に決めた衣装だと思うよ。

──日本においても映画『ボヘミアン・ラプソディ』(日本公開2018年11月)が大ヒットしましたが、カリーと同様にエイズで早逝したイギリスの同時代アーティストを描いた映画が、時をほぼ同じくして公開されたことについてどう思いますか?

セクシュアリティの物語を社会が受け入れるようなったんだと思う。ドキュメンタリーに限らず、ドラマでも多くなってきてるよね。実話への関心が高まっていることが、僕には興味深い。映画は、ニュースを見るだけではできない感情移入が可能になる。たとえ自分が主人公とまったく異なるアイデンティティーだったとしても、映画はその人の身になって感じることができる。

──日本でも人気の高い、スケーターのジョニー・ウィアーは映画の中で「カリーが僕を創った。ありのままでいられる僕を」と語っています。

ジョンは1970~80年代に活躍した過去のスケーターだから、映画にはジョンから影響を受けた現在のスケーターを出したいと考えた。ジョニー・ウィアーのこれまでの発言を調べてから連絡を取って、なぜジョン・カリーの映画を作りたいか、その理由を伝えたんだ。ジョンがアスリート兼アーティストとしてスケート界で成した功績は、世の人々の記憶にとどめておかれるべきことだとね。「ついては、ジョンが与えたインパクトについて、ぜひ映画の中で語ってほしい」とジョニーに頼んだ。

彼もジョンと同じく、ゲイである自分を表現するために闘ってきたスケーターだからね。彼が練習しているスケートリンクがあるアメリカのデラウェアまで撮影しに行った。彼はとても協力的で、滑っているシーンとインタビューに半日も時間を割いてくれた。

この映画は何かを成し遂げ、その努力を目撃する世界の目を変えた人間の話なんだ。とてつもない功績だよ。映画の中には盛り込めなかったけど、ジョニー・ウィアーがインタビューでこう言った。「自分の足跡を残すことは、世界で最も大変なことだ」。カリーはそれを成し遂げ、偉大なアートを作り上げたんだ。

ジョニー・ウィアー


ジェイムス・エルスキン James Erskine

英国生まれ。オックスフォード大学で法律を学んだ後、脚本家・映画監督に転身。BBCアーツで映像作りをスタートした。2001年にBBCで放送されたドキュメンタリー番組『Human Face』がエミー賞にノミネートされる。長編映画デビュー作となったサイコスリラー『EMR』(2004/ダニー・マカルーとの共同監督)で、レインダンス映画祭審査員賞やワシントンDCインディペンデント映画祭観客賞などを受賞。人気BBCドラマ『秘密情報部 トーチウッド』(2006)や『ロビン・フッド』(2007)では数話の監督を担当。2009年に映画制作会社ニューブラックフィルムズを設立。代表作は、1990年のワールドカップイタリア大会を描いた『One Night in Turin』(2010)、早逝したロードレーサーのマルコ・パンターニを追ったドキュメンタリー『パンターニ/海賊と呼ばれたサイクリスト』(2014)、伝説的なクリケット選手サチン・テンドルカールを描いた『Sachin: A Billion Dreams』(2017)など。スポーツや芸術の感動の裏側に秘められた物語や社会・政治問題をテーマにしたドキュメンタリー作品を得意としている。

映画『氷上の王、ジョン・カリー』

2019年5月31日(金)、新宿ピカデリー、東劇、アップリンク渋谷、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開

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