2021.06.18

『ラプソディ オブ colors』——障害と健常への眼差し

佐藤隆之監督×富田宇宙

文化

2021年5月29日よりポレポレ東中野から全国公開がはじまった映画『ラプソディ オブ colors』。「障害者を描く上で普段切りとられがちな枝葉が集まっていた」——パラ競泳選手・富田宇宙さんのこの感想を聞いた佐藤隆之監督が「ぜひもっとお話ししたい」ということで今回の対談が実現した。障害と健常の捉え方について語ってもらった。(聞き手・文 / 大久保渉)

《作品紹介》

障害がある人、ない人、グレーな人たちが集まるバリアフリー社会人サークルcolors。毎月10本ものイベント開催に年間800人が来場する。大学教授の講義や音楽フェス、いい加減な飲み会など。発達障害、身体障害、ただの呑んべえ、食いしん坊ほかカラフルな参加者たちの《生》がほとばしる。

2018 年から始まったcolors の撮影は予定を遥かに超過、だけどカメラは止まらない。色々な人物や色々な出来事が次から次へと現れる。難病の百人一首シンガーの野望。脳性麻痺の元デリヘル嬢が悩むエッチと介助。実録・ガイドヘルパー物語 e.t.c…。さらには、colorsが入居する建物の突然の取り壊しが決まり、まさかの閉鎖へ。colors代表と参加者たちの日々は、色々な人たちの色々な世界は……いったい何色に変わる?

色々な世界との向き合い方

佐藤 僕はこの『ラプソディ オブ colors』は基本的に分かりづらいつくりの作品だと思っています。障害者が登場する映画だとある種“みんなが期待するパターン”というものがあるでしょう。それとは違うことをやりたかった。良くいえば色々な見方ができる。簡単に分かりやすいものにしたくなかったんです。そうした中で、富田さんが音声ガイドで本作を観て、僕の描きたかったことを見抜いてくれた。そこにびっくりしたんです。

富田 この映画は“笑える”“泣ける”というわけではなくて、ひたすら考えさせられました。最近は僕のようなパラアスリートがメディアに出ることも増えましたけど、きれいに切りとられることがほとんどなんです。がんばっていて、何かの成果をだして、そこに皆さんが感動する。他にも、障害者が登場するフィクション作品もたくさんありますけど、まわりに美しくて優しい人たちがいて、ハッピーエンドでもバッドエンドでも何かしら救いがある。

それに反してこの映画は、楽しかったりしんどかったりと起伏はありますけど、色々な出来事や人の在り方が雑然と、そのままそこにあって。周りから見たら大変そうなシチュエーションがあったとしても、そこで強引なベクトルが働くことはなく、当人たちはそのままの日々を楽しそうに生きています。リアルな障害者の生活というのは基本的には救われるものではなくて、また当人たちがそのままでいいなら“救う”も“救わない”もないわけです。映画を通して“確かにこれが現実だよな”と感じました。監督が無理に出演者をひっぱっていないと言いますか。すごく興味深かったです。

佐藤 ひっぱるどころか、僕自身も一緒にそこにいたというのが正直なところでした。僕は分類があるとすれば恐らく“健常者”という風に言われると思う。だけど知的障害のある人にすごくシンパシーを感じるところもある。そう考えると、あの映画の中の世界も現実の世界にも、そもそも障害も健常もないんじゃないかと。皆が一緒にいて、複雑なグラデーションがあるのが本来の世界なんだと思ったんです。

富田 よくある切りとり方としては、健常者の目線から障害者をカテゴライズして、水槽に入れて眺めるように描く、というやり方がありますよね。そういった作品にはずっと違和感を覚えていました。本当は同じ海の中に皆が一緒に入っているんですよ。きれいに泳いでいる魚もいれば、岩に隠れている魚もいる。コケがあったり、ときにはペットボトルやビニール袋なんかも漂っている。それが本当の海であって、その雑多さに目を向けることが“世界を見る”ということだと思うんです。きれいなものや汚いもの、普段切りとられがちな枝葉の部分まで描かれた本作を見て、監督が撮りたい幹の部分はそこにあるのかなと思いました。

藤 そこを読み取ってもらえたのは嬉しいです。もちろん障害のある人の生活の一部分を切りとって象徴していくやり方もクリエイティブな方法としてあるわけです。ただ、僕は障害、健常は二次元的な指標ではなくて、もっと三次元的な空間の中で語られるべきものなんじゃないかと思うんです。

富田 健常者だから何かができて障害者だから何かができないということではなくて、誰だって何かができたりできなかったりしますよね。僕が選手としてパラ競泳の合宿に行くと、色々な障害の人たちと一緒に過ごすわけですが、例えば目が見えない僕が車椅子を押したり、逆に車椅子の人が何かを見て教えてくれたりと“できる・できない”はごちゃまぜになっていくわけです。そんな本来なら当たり前であるはずの、だけどなかなか映し出されない世界の在り方が描かれていたように思います。

© office + studio T.P.S

人の見方と伝え方

佐藤 今回対談するにあたり改めてインターネットで富田さんの記事を幾つか拝見しました。やはりどれもきれいな描かれ方のものばかりでした。「こんな素敵な人がいます」という伝え方を否定するつもりはありません。ただ、たぶんもっと醜かったり格好悪かったりするところがあるのにそこは映さないでいる。崇めている。それを見て「人はきれいで、ダメなところがあってはいけないんだ」と思う人も出てくるはずです。僕はもっと違う描き方をしたかったんです。

富田 実際に、僕はそこの部分とずっと闘い続けているんです。障害があるとかないとかではなくて、「僕という人間はこういう人間です」ということが伝わって欲しいという気持ちが強くて。たとえば、僕が小さい頃から目が見えなくてパラリンピックを一途に目指して成長してきたのであれば真っ直ぐなサクセスストーリーとして描いてもらってもかまわないんですが、実際にはそうではなくて、僕はもっとグニョグニョと廻りまわってたまたま今ここにいるという感覚なんです。

僕は段々と視力が弱まって、絶望して、ひきこもりのようになった時期もありました。目が見えないながらにシステムエンジニアとして働いたこともありました。だけどやはり仕事をしていく上で大きなハンデが色んな形で立ちふさがって、上に行くことは難しかった。そこから何か障害を活かして人生を歩んでいく仕事はないかと考えてもがいた挙句にパラリンピックと出会ったんです。なので、そこが伝わらないままに“アスリート”として一様に扱われることに戸惑いを覚えるときがあります。

佐藤 そもそも“アスリート”という言葉自体が偶像的過ぎるものではないかと思います。

富田 一方で、”アスリート”としてのブランディグもあります。サクセスストーリーが求められる立場に自分がいることも確かです。ただ、パラリンピック、障害者スポーツの場合はあくまで“障害者”とついているところに価値があると考えていて、僕はよく取材で「オリンピックは0から100を目指すけど、パラリンピックは-100から100を目指す」「そこに強みと面白味がある」という話をしています。

たとえば水泳の技術だけを言ったら僕のパフォーマンスなんて瀬戸大也君には遠く及びませんよね。彼が100なら僕は20くらいです。だけど視力を失って、人生に絶望して、障害と向き合って、やっとパラスポーツと出会いそこから必死に技術を磨いていったという-100の地点から捉えると、実際そこには120の道のりがあるわけです。アスリートの競技中の姿や結果に目を向けてもらうことももちろんうれしいのですが、パラアスリートが障害者として内包しているポテンシャルの部分ももっと伝わって欲しいと思っています。

障害と健常の捉え方

佐藤 僕はその“-100からの過程”というのは社会で割と認知されているものだと思っているんですよ。そのマイナス部分にスポットを当てすぎるから「障害者=感動物語」という安易なストーリーづくりになるわけです。

——佐藤監督の『ラプソディ オブ colors』は“感動の対象” “サクセスストーリー”というところから話を逸らして構成しているわけですよね。どう演出に気を配りましたか?

佐藤 こういう苦難があって今ここにいるということを順番に描けば、たぶん見ている人にとって気持ちいいものになるだろうと思います。だけどそれはやらなかった。キャプションを用いて人物の背景を説明することも敢えて避けました。たとえ画面に映る人たちが奇異に見えたとしてもそれでいい。その方がリアルな姿を映しているというのは撮る側の支配的な考え方とも言えるんですけど、“あの人は障害者でこの人は健常者”という線引きを提示したくなかった。あの判然としないグラデーションが面白いのであって、そこにカメラを向けていました。

富田 パラアスリートの場合は、なにせ競技が仕事ですから数字を目指さなければいけません。なので、そもそも僕らには多かれ少なかれ強引にでも前に進もうとするベクトルがあります。だけど社会の人全てに必ずしもベクトルがあるわけではない。競争やチャレンジが人生のメインになっていない人の方が多いと思うんです。

この映画の中の皆さんはまさにそうで、僕にとっては非常に新鮮なものとして響いてきました。それぞれが色々な方向に向かって色々な楽しみ方をしています。もちろん本人たちなりに思うところがあって様々な努力やトライもされているんですけど、真面目な顔をして何しているんだろうとか、でもそれでもいいんだろうなとか、入り組んだ人生を力強く歩んでいっています。

僕は普段“ダイバーシティ&インクルージョン”というワードを掲げて、「障害者でもこういうことができる」「皆と変わりないんだよ」ということを発信する立場にあります。だけどそれだけでは許容範囲が狭い。人と人との間には明確な違いや距離も横たわっていて、それも含めてのインクルージョンこそが目指す在り方なんだと改めて気づかされる映画でした。

『ラプソディ オブ colors』

公式HP:https://www.rhapsody-movie.com/

助成 : 文化庁文化芸術振興費補助金 ( 映画創造活動支援事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会

2020 年/日本/カラー/ 16 : 9 /ステレオ DCP 108 分

監督・撮影・編集:佐藤隆之

出演:石川悧々 中村和利 新井寿明 上田繁 Mayumi

配給 : 太秦

全国順次公開中

© office + studio T.P.S

プロフィール

佐藤隆之映画監督

1961年山形県鶴岡市生まれ。関西で育つ。高校時代、アメリカンフットボール全国大会出場。大阪芸術大学映像計画学科中退後、フリーの助監督として大林宣彦、黒木和雄、鈴木清順、廣木隆一、堤幸彦などの監督作品に参加。34歳、テレビ東京「きっと誰かに逢うために」で監督デビュー。深夜枠テレビドラマ、DVD作品、ネット配信作品など約20本で監督脚本。オリジナル脚本がサンダンス映画祭、函館イルミナシオン映画祭にノミネートされる。45歳でタクシードライバーに転職。その後、個人製作ドキュメンタリーに転じる。2016年秋ドキュメンタリー作品『kapiwとapappo〜アイヌの姉妹の物語〜』を渋谷ユーロスペース、レイトショーにて公開。本作が長編ドキュメンタリー2作目。

この執筆者の記事

富田宇宙パラ競泳選手

パラ競泳選手、ブラインドダンサー、研究者、講演家。日本体育大学大学院/EY Japan所属。

16歳の時に失明に至る難病が発覚、将来に絶望し引きこもりになったが、アニメやゲームに励まされて大学へ進学し、障害を抱えながらも演劇やダンスに挑戦。卒業後はシステムエンジニアとして働く傍ら、パラ競泳を開始。様々な経験や研究から多様性の面白さ、ポジティブな影響力を実感。現在はパラリンピック金メダル獲得を目指しながら、全ての人が認め合える社会を目指して各種メディア、講演回、SNSなどで発信も行う。

この執筆者の記事