2023.05.15

本屋と紙の本の未来

吉永明弘 環境倫理学

文化

今なお「本屋」と「紙の本」の時代なのか?

新型コロナウィルスは大学の授業のデジタル化を促進した。リモート授業の間、連絡はWEB上の情報システムを通じて行われ、資料もそこから取得することが一般的になった。そこでは参考となる情報としてWEB上の記事のURLを示すことが多かった。実際、WEB上の記事だけで必要な情報提供ができてしまう。本稿も、関連するWEB上の記事に多くを負っている。今回参照した「紙の本」は一冊しかない。

これまで私は「紙の本」を参照して論文や記事を書いてきた。「紙の本」を教科書として使い、授業の要旨を記した紙を配布し、参考図書を授業やゼミで学生に貸し出してきた。しかしこの先、電子書籍での読書がさらに普及し、ノートも紙ではなく直接PCに書き込む形が一般化したならば、教室からあらゆる形の「紙」が消えるかもしれない。

そのときに消えるのは「紙」だけではない。紙の本を売り買いする「場所」も不要になる。すでにネットで本を注文することが一般化しているのに加えて、紙の本に対する電子書籍の割合が増えたことにより、リアルな「本屋」の存在意義が問われ始めている。 

先日、都内の古本屋に立ち寄ったところ、通りがかった人たちが「まだ本屋さんってあったんだ」と驚いていた。すでにそのような認識が生まれている。ここ数年、老舗の本屋の閉店が相次いでいる。私はそれを残念に思うとともに、多くの本屋に存続の意思がないことも感じていた。

そういう言い方は失礼かもしれない。また「残念だと思うなら、そう思う人が積極的に本屋を支えなければならない」と言われるかもしれない。その意見はまっとうであるが、個人の力には限界がある。むしろ地域社会が本屋の存続を望むかどうかにかかっているともいえる。しかし地域社会が存続を望んでも、それぞれの本屋の事情で閉店するとなったら仕方ないことである。結局、最後には、デジタル化という「時代の流れ」には逆らえないのだ、という一般論で残念な気持ちを鎮めることになる。

「そもそも本屋の閉店を残念に思うこと自体が単なるノスタルジーだ」と言われれば、それまでのことである。製造、流通、廃棄に伴う環境負荷を考えるならば、紙の本は絶滅したほうがよいと主張する人もいるだろう。

その一方で、新たにリアルな「本屋」を始める人たちがいる。また、新しい形で「紙の本」をやりとりする場所が各地で生まれている。ここにはもう一つの「時代の流れ」がある。老舗の本屋の閉店を嘆くより、新しく本屋を始めた人たちの思いと、紙の本をやりとりすることの現代的な意義を探るほうが有意義かもしれない。

個人が本屋を開く

本屋を開きたいと思っている人は意外に多い。日本各地で「一箱古本市」が開かれているのがその証拠である(コロナで一時下火になったが最近復活しつつある)。一箱古本市とは、店の軒下やお寺・神社の一角を借りて、段ボール一箱分の本を個人が売るという試みである。2005年に、東京の谷中・根津・千駄木(いわゆる谷根千)で「不忍ブックストリート」という団体が主催したのが始まりで、その後全国に広まった(まちの一箱古本市)。私も千葉県柏市の「本まっち柏」と我孫子市の「青空古本市/冬空古本市」(運営主体はNORTH LAKE CAFE & BOOKS)で店を出したことがある。

単に本を売るだけであれば、ネット上でも可能な時代になっているし、そちらで売買している人のほうが多いだろう。その一方で、対面販売の場にたくさんの人が集まるのは、本を売ることを通じて本好きの人たちと交流するのが一つの楽しみになっているからである。「一箱古本市」には常連もいて、さまざまな場所で出店している人もいれば、さまざまな場所に客として訪れる人もいる。「また会いましたね」というのが魅力の一つである。

図書館が本屋になる

「一箱古本市」が移動する本屋であるのに対して、一定の場所に棚を借りて本屋を営めるしくみも生まれている。

ハムハウスの内観

埼玉県さいたま市にある「ハムハウス」は、個人が本屋のなかの「棚」を借りて蔵書の貸出と販売ができる「ハムブック」を運営している。私もそこで本棚オーナーになり、貸出状況や売れ行きを見に行き、ついでに他の人の棚から借りたり買ったりもしている。そこでは本の売買だけでなく、定期的に読書会などのイベントも行われている(本棚オーナーになる方法についてはこちらを参照)。

「ハムブック」が誕生したのは2022年4月30日である。運営者の一人である直井薫子さんは、筆者(吉永)にこう語った。

「ハムブックは、本が好きでいつか本屋をやりたかった人たちや、好きな本や作家の話をたくさん話せる人に出会いたい人たちの夢を叶える本屋さんです。いわば愛書家の秘密基地です」。

注目すべきは、この「ハムブック」が入っている建物が、もともとは「さいたま市立大宮図書館」であったということである。1972年に開館したが、2019年に近くに新しい図書館が建設されたことにより閉館となった。その後、市民から旧図書館を惜しむ声が多く寄せられたことから、市は土地と建物を民間事業者に貸し出すことを決定した。現在では「Bibli」という名前になり、民間の店舗やオフィスが入った複合施設として利用されている(Bibli:大宮のコモンプレイス)。ハムブックは「元は図書館であった」という歴史を直接に受け継いでいるといえよう。

スナックが古本屋に変わる

近年、本屋とともに従来型の古本屋も激減している。大型古書店の登場とネット販売の隆盛によって、既存の古本屋はどんどん姿を消している。その一方で、小さな古本屋が新しく生まれてきてもいる。ここで学生時代に私が出会った古本屋を紹介する。

Moonlight Bookstore

2007年に千葉県千葉市に開店した「Moonlight Bookstore」である。創業者(初代店主)の村井亮介さんには編集者としての顔があり、お客さんを巻き込んで小さい雑誌をいくつも作っている。私もそこに混ぜてもらったことがある。二代目の店主となった長嶋健太郎さんは、もともとはこの店に出入りしていた大学生である。お客さんに店を引き継がせるというのは心憎い話である。長嶋さんはこの店に加えて、近所に「Stack」という名前の古本屋を開いた。このご時世に古本屋の事業を拡大しているのだ。

「Moonlight Bookstore」の建物は、もともとはスナックだった。そのスナックのカウンターなどをそのまま利用して、店主が有料でコーヒーを淹れてくれる。そこで店主や他のお客さんと談笑することができる。ここではときどき「哲学カフェ」などが開かれ、お客さんたちの交流の場にもなっている。そこには「もとはスナックだった」というこの店の内部構造が一役買っているように思う。

自宅で古本屋を始める

books 電線の鳥(和室)

最後に紹介するのは、長野県松本市にある古本屋「books 電線の鳥」である。ホームページには、「八畳一間と玄関土間だけの小さな古本屋」とある。ここは店主である原山聡矢さんの自宅なのだ。開店日は2017年11月19日で、私は2018年5月にここを訪れているから、店ができて半年後に出会ったことになる。

このとき私は古本屋マップを片手に松本市内の古本屋をめぐって歩いていた。松本市には個性的な古本屋が多いが、「電線の鳥」は群を抜いていた。店というより、人の家に上がりこむ感じなのである。人の家で本を物色しながら店主と雑談する。ここでも有料でコーヒーが飲めるのだが、それ以外にもメニューが豊富で、「古本カフェ」を標榜してもよいくらいである。そのとき原山さんは私の持っているマップに載っていない店を丁寧に教えてくれた。その後、私は松本に行くたびにこの店を訪れ、本の話と松本の話に花を咲かせる。他の客が(ときには他県から)来ていることも多く、初対面の人と話すことになる。「昔のユースホステルの共有部屋」が一番近いかもしれない。旅先のコモンズのような場所である。面白い本に出会える、コーヒーが美味しい、店主の人柄がよいなど、ここに来る理由はたくさんある。しかし最大の理由は、この店が「自宅である」ということに尽きる。

本屋と紙の本の未来

これらの例を見てくると、本屋と紙の本の未来について悲観することもないと思えてくる。学校のデジタル化が進み、教室からは紙が消えるかもしれない。他方で、有形の本を貸し借りしたり売買したりする喜びはこの先も残るだろうし、多くの人によって長く活用されるのであれば資源効率もよいかもしれない。逆に言えば、「読み捨て」られる類の本は資源の無駄であり、そのような本はどんどんデジタル化すべきであろう。速報性が重要な情報や、更新性のある情報は、デジタルに最も適合的である。

一方でデジタル化が進み、他方で紙の本が小規模に流通していくというのは、地球環境にとって最適な組み合わせかもしれない。大量生産・大量消費・大量廃棄のしくみから「リユース」中心のしくみへと移行するわけだから、それはエコな社会に向かって動いているということである。

そのような社会のなかで、有形の本をリアルにやりとりする「本屋」は、人との出会いの機能を強化することによって、コミュニティの拠点として位置づけられるようになるかもしれない。コロナのもとで明らかになったのは、自宅でのリモート作業の利便性とともに、オンラインだけでは人は満足できないということである。大学はオンラインでは代替できなかった。多くの学生がオンラインの利点を認めつつも、対面授業やフィールドワークを求めたのだった。本も同じであり、デジタルと紙の本は今後も共存していくだろう。そして紙の本をやりとりする場としての本屋もきっと生き残っていくことだろう。

既存の建物の利用はとてつもないエコ活動である

ここまで紹介した4つの事例に共通するのは、既存の建物を利用しているという点である。「一箱古本市」は店の軒先やお寺・神社をその日だけ借りている。「ハムブック」は旧図書館を、「Moonlight Bookstore」はスナックをリノベーションしている。「電線の鳥」にいたっては店主の自宅である。みんな新しい建物をつくらず、既存の建物をうまく活用して本屋を営んでいる。

このことは環境問題を考えるうえでも重要なことである。元千葉県職員で、「産廃Gメン」として千葉県の不法投棄をゼロにしたことで有名な石渡正佳は、自著『スクラップエコノミー』(日経BP社、2005年)のなかでこう述べている。

「他の廃棄物が、「都市から生み出される廃棄物」だとすれば、建築系廃棄物は「都市それ自体の廃棄物」であると言える」(同書49頁)。

「日本人1人当たりのゴミ発生量は、1日約1キログラム、1年間に約400キログラムになる。80年間で32トンである。……実は、戸建て住宅の重さは、ちょうど一生分のゴミの量と同じ30~50トンである。住宅を一度でも解体したことがある人は、一生分のゴミを一度に出したことになるのだ」(同書50頁)。

「私たちが、イギリス並みに住宅をいまより3倍長く使うようになれば、建設系廃棄物の発生量は3分の1になり、不法投棄をやろうにも捨てるものがなくなってしまうに違いない」(同書50頁)。

ここからわかるのは、建物を長く使うことはゴミの減少に大きく寄与するということである。個人が毎日コツコツとゴミの削減に励んでも、一回建て替えをしたらその努力が帳消しになるのだから、エコな暮らしをしようと思ったら、建て替えをしない、中古物件に住む、というのが非常に効果的ということである。

より重要なのは、一般の個人の選択よりも環境に対する影響が格段に大きい、大企業や官公庁の選択である。少し考えればわかるように、大きな会社の建物や公共施設を壊したり新たに建設したりすることに伴うゴミの量は、戸建て住宅の場合とは比較にならない。だとすると、建物を長く維持することによって、大企業や官公庁はそれだけでとてつもないエコ活動をしていることになる。大企業や官公庁がSDGsに取り組む場合に、最も簡単にできることは、既存の建物を長く利用することである。大企業や官公庁にSDGsを達成する気があるのであれば、まず最初になすべきことは、スクラップ&ビルドの考え方を捨てることであろう。図書館を壊さずに「Bibli」として存続させたさいたま市は、既存の文化施設を活かして豊かな場所を創造しただけでなく、建築系廃棄物の大量排出を回避したという点でも称賛に値する自治体である。

プロフィール

吉永明弘環境倫理学

法政大学人間環境学部教授。専門は環境倫理学。著書『都市の環境倫理』(勁草書房、2014年)、『ブックガイド環境倫理』(勁草書房、2017年)。編著として『未来の環境倫理学』(勁草書房、2018年)、『環境倫理学(3STEPシリーズ)』(昭和堂、2020年)。最新の著作は『はじめて学ぶ環境倫理』(ちくまプリマ―新書、2021年)。

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