2023.05.23

ベルファストの「憎しみの連鎖」を断つ――哲学対話が子どもたちの未来を変える

ケヴィン・マカリーヴィー×土屋陽介

文化

北アイルランド紛争により、プロテスタントとカトリックの対立が長く続いたベルファスト。この街には「平和の壁」と言う名の分離壁があり、今も一部で武装化組織が存在する。そんなベルファストで「憎しみの連鎖を断ち切りたい」とホーリークロス男子小学校で、哲学対話を取り入れたのが、ケヴィン・マカリーヴィー校長だ。彼の哲学の授業を2年間にわたり記録した映画「ぼくたちの哲学教室」が日本でも公開される(監督:ナーサ・ニ・キアナン、デクラン・マッグラ/5月27日よりユーロスペースほか全国順次公開)。

来日中のケヴィン校長を迎え、日本における哲学対話教育研究の第一人者、土屋陽介氏と共に、子どもと哲学対話を行う意味について語ってもらった。(取材・文:玉居子泰子)

© Soilsiú Films, Aisling Productions, Clin d’oeil
films, Zadig Productions,MMXXI

哲学対話は2歳から始めるのがベスト

土屋陽介さん(以下、敬称略) 映画に描かれていたケヴィン先生の授業を、楽しく拝見しました。私自身はもともと、現代英語圏で盛んな分析哲学の研究を専門としていたのですが、30代前半の頃に、海外で「子どもの哲学 Philosophy for Children(P4C)」と呼ばれる哲学対話の教育運動があることを偶然知りました。その後、オーストリアやハワイで授業見学や研修への参加を重ねるうち、日本の子どもたちにも哲学対話を伝えたいと思い、2012年から11年間にわたって、東京都や埼玉県の学校を中心に見よう見まねでの実践を続けてきました。最初は仲間がほとんどいないところから始まりましたが、今、少しずつ日本にも子どもの哲学対話の場が増えてきたところです。

ケヴィン先生(以下、敬称略) それは素晴らしい活動ですね。土屋先生は、現在主に何歳の子たちを対象に哲学対話を行っているのですか?

土屋 日本の中学生にあたる13歳から15歳ですね。ただ私は、中学校の教員としてではなく、あくまで哲学研究者として、外部からくる「P4Cの実践家」として哲学対話の授業だけを担当しています。中学生になると自然にシャイになっていきますから、自分の意見を発表するのが苦手という子も多いです。幼稚園児や小学生ならもう少し、自然に話をしやすい気がします。ケヴィン先生は小学生に向けて授業を行なっていますが、哲学対話を始めるのに適した年齢はあると思いますか?

ケヴィン 私は、校長を務める男子校で4歳から11歳に教えていますが、哲学対話は本当は2歳くらいから始めるのがベストだと思っているんです。言葉を覚えたての幼いうちからでも哲学的な考え方はいくらでもできるし、むしろ早くそうした対話に慣れることで、スムーズに哲学の世界に入っていくことができる。そうやって、子どもたちの中に自然と論理的な思考パターンが入れば、哲学的な思考に馴染みやすくなりますからね。

土屋 それは本当にそうですよね。小さな子どもは本来、実に発想が豊かで、深い質問をします。私は小学生向けの新聞で、幼稚園児や小学生たちからの哲学的な質問に答える「てつがくカフェ」の連載を持っているのですが、「魚は何を思っているの?」など、幼い子ほど大人では思いつかないような柔軟な発想の質問が来たりします。こうした問いも実に哲学的です。

ケヴィン ははは、おもしろいですね! 私は、パフォーマーですから、年齢が小さいクラスではこんなふうにします。教室に入るなり、「わぁ! 大変だ! 校庭に女の子がいる!」とね。「先生、ここは男子校だから女の子はいないよ」などと子どもは言いますよ。でも、「いや、居たんだよ。彼女は“But-what-if”(でも、もし…だったら?)の精なんだ」とつづけます。「今日は校庭にコートを着て出なさい」と先生が言ったら、彼女は「でももしコートがなかったら?」「でももし暑かったら?」と問い直してくるよ、と。これを例に生徒たちにもどんどん“反例”を提案してもらうんです。

土屋 なるほど。“But-what-if”というキャラクターを用いて子どもの気を引きながら、反例の示し方を伝えるなど、ポイントとして哲学的なロジックを使っていらっしゃる。とてもユニークなやり方ですね。

ケヴィン こんなふうに日常的に哲学的思考に親しむことは、幼い子でも十分にできます。誰かに、「これをやりなさい」と命令されても「もし、こうだったら? 自分はどう考える?」と考える練習をすることで、13歳になる頃には、戦略と正確な言語を使って、自信を持って自分の思考を論理的に表現できるようになるはずですからね。

ケヴィン・マカリーヴィー氏

日常の中に哲学の種は潜んでいる

土屋 映画の中でケヴィン先生が、輪を作っていわゆる哲学対話の“授業”をするシーンもありましたが、むしろ生徒との日常的な関わりの中で、自然と哲学的な問いを立てて対応している姿が印象的でした。哲学を「教える」というよりも、学校全体に哲学的な風土を作っていこうと思っていらっしゃるようにも見えましたね。

ケヴィン まさに! おっしゃるように、私は単なる授業の一部としてではなく、学校の中に哲学を埋め込もうとしています。私が行っているのは“DOING”―実践的な哲学です。子どもたちの日常に質問を投げかけ、そこから答えを出させる。例えば喧嘩が起きたら、なぜ、殴ってしまったのか、友達とは何か、と問い直し、自分なりに答えを出させる。こうしたことを繰り返すことでクリティカルシンキングの思考を育んでもらいたいんです。

それに哲学はどの授業でもできます。例えば4年生で第二次世界大戦を学ぶ際も、哲学的なディスカッションを取り入れます。「自分が難民になったらどうする?」「難民とはそもそもどういう人?」といった問いを、自分ごととして考えながら、歴史や宗教を学ぶことができます。土屋先生は日本の学校でどんな哲学の授業を?

土屋 私もまずは中学生にとって、身近で興味を持ってもらえそうなことをテーマにします。「なぜ勉強をしなくちゃいけないのか?」「ロボットは心を持てるのか?」「死んだ後はどうなるのか?」といったような、中学生にとって素朴に興味を引かれることや、自分ごととして考えられる問いだと盛り上がりますね。いずれの問いでもまずは意見をどんどん出し合います。

日本の中学生は、先生の評価を気にして期待に応えなくてはと思う子が多く、哲学をやろうとしても、自由に話すというより、“正解”を求めようとする傾向がどうしてもあるんです。ですからまずは心理的な安全性を確保した上で自由にクリエイティブに話せる場を作るよう、心がけています。“当たり前”や“普通”といった概念から一旦離れてもらうことを大切にしています。

ケヴィン それは、非常に大切なことです。

土屋 日本は同調圧力が強いところがあり、子どもでも人の目を気にして発言してしまう部分があるんです。これを壊さないと思考も対話も始まらないですよね。そういう場をみんなで作ろう、人の目を気にせず自分が本当に考えていることを発言できるようにしようというのが、まずは日本の哲学対話のスタートです。答えが一つに決まらない哲学の問いを使うからこそ、価値観の違いや人と同じかどうかを気にせずに、安心して自由に自分の考えを話すことができるんです。こういう意味で「自由に話せる」時間と場所が学校にあったら、きっともう少し日本の子どもたちの息苦しさも、緩和されるのではと、思っています。

土屋陽介氏

学校だけでなく家庭や社会にも哲学対話を 

土屋 ホーリークロス男子小学校では、ケヴィン先生だけでなく、他の先生たちも、哲学の授業に関わっていますよね。そこが羨ましく思いました。私はP4Cに出会って、手探りで実践をしてきましたが、当初は一緒に実践する仲間がほとんどいなかったんです。ようやくいろんな学校が興味を持ってくれ、哲学は面白いという風土が出てきましたが……。私はあいにく、校長ではないので、いろんな先生と協力しながら少しずつ、哲学対話を進めているところです。

ケヴィン 土屋先生がおっしゃるように、一人で哲学対話の考えを伝えていくのは非常に難しいことです。私も、哲学対話を学校に取り入れると決めた当初は孤独で、徐々に周囲の理解を得ていきました。一つ大きなポイントになったのは、他の先生方にも、週に一度、校長室で哲学対話を実践し、トレーニングしながら面白さを理解してもらったことです。もう一つ成功の秘訣は、クラスルームアシスタントにも協力してもらったことですね。若いアシスタントほど理解が早かった。

土屋 映画の中でも、他の先生たちと校長室で哲学的な対話をされている様子が出てきますね。

ケヴィン 先生たちと話すテーマも生活の上での問題です。例えば社会問題、人間関係、不倫問題に至るまで、日常のあらゆる問題で対話をしながら、同時にソクラテス、プラトンなどの話もする。哲学を通して、まずは先生たちに自分の人生には意味があるんだと理解してもらうところから始めました。そうすることでだんだん、若い先生たちが学校の外でも――例えば、レストランやクラブなどでも哲学的な対話をしてくれるようになり、そこから一般家庭にも広まっていった。そんな「マジック」を使って、徐々に哲学のことを広めていったんです。

土屋 なるほど。勉強になります。

ケヴィン 私は、子どもたちに哲学を伝えることで、最終的には親や家庭に哲学を落とし込んでいけたらと願っているんです。現代社会は、どの国でも子どもたちはスマホやテレビに夢中ですよね。大人もそうです。これでは家庭内の会話が少なくなってしまう。せめて、家庭で対話をするときだけは、電話もパソコンもオフにして、親子で向き合って話を聞き合うところから始めてほしい。なぜなら、やはり関係性というものは、人との関わりや対話の中で生まれるものだからです。哲学はその橋渡しになってくれるはずです。

土屋 まったくその通りだと思います。

哲学を通して伝えたいのは「幸福」

土屋 ケヴィン先生の哲学教育への情熱はどのようなところから来ていますか?

ケヴィン ベルファストは紛争が続き、暴力に覆われた街でした。私自身、若い頃は力で人をねじ伏せようとしたこともあります。大切な人を守るために、拳の力に頼ってしまった。そんな反省を経て、暴力ではなく、対話を、学校の中にどうしても取り入れたかったのです。

土屋 ベルファストと日本では、そうした背景は異なりますが、次世代に向けてもっと生きやすい社会にするという目的は同じですね。日本では、今、「学校に馴染めない子」が多いことは問題視されています。そうした子は、繊細な感性を持っていたり考えすぎたりして、そのために学業や日常生活でつまずいている場合が多いんです。

でも、哲学対話のような場では、常識にとらわれない発想や発言ができる。どんな意見も尊重される場所で、話し、聞いてもらうことで、生徒たちは、クラスというコミュニティの中で自分らしくいられる安心感を得られる部分もあると思います。これは私自身、昔、学校に行きづらく感じていた時期があり、そのときに哲学的な思考や対話に触れたことで救われた体験があるので、実感として抱いていることです。 

ケヴィン 私の教室でも、普段は控えめな生徒の声ほどきちんと聞くようにしていますし、どんな意見にも価値がある、と信じています。ぜひ、子どもの人権、差別、アイデンティティや将来の目標など、それぞれの子が興味を持つテーマを話し合えるような機会を与えてあげてほしいです。哲学はそのための一つのプラットフォームになってくれると思っています。 

© Soilsiú Films, Aisling Productions, Clin d’oeil
films, Zadig Productions,MMXXI

土屋 まさにそうですね。現在の日本の学校教育では、対話力やコミュニケーションスキルの重要性が以前にも増して強く叫ばれています。それらを身につけておかないとグローバルな競争社会では生き残れないんだぞ!と。だからアクティブ・ラーニングが必要なんだ!と。学校がそんな風潮では、控えめな生徒や学校に馴染めない子どもたちの小さな声はかき消されてしまって、そういう子たちは学校の中でますます居場所がなくなってしまうと思うのです。そんなアクティブ・ラーニング全盛時代に哲学対話が、アクティブ・ラーニングの「ふりをして」今後ますます多くの学校に広がっていくことは、私にとっては救いのような思いがします。

ケヴィン それが哲学の持つ魔法ですね。10年前、校長になった時、私は目標を掲げました。「哲学を学校に取り入れて、本を書いて、映画も撮って、世界中を回って、哲学の大切さを伝える」と。みんなに猛反対されましたよ「そんなことできるはずがない」って。

土屋 今、その通りになっているじゃないですか!

ケヴィン そうなんです! まず、哲学の思考メソッドをまとめた『Think, Think, Respond』という本を9年かけて書きました。そうすると次は、映画監督とプロデューサーが学校を撮影したいと言ってやってきてくれた。そして、今、こうして、東京を始め、世界のいろんなところで、哲学対話の実践をお伝えすることができているんです。哲学を通して対話を広げることは、人との出会いを作ってくれるし、さまざまな機会が巡ってくることでもある。それを子どもたちに伝えたいですね。

土屋 素晴らしいですね。私が関わっている学校でも、哲学対話に熱心な子たちが集まってクラブ活動を行ったりしています。そうした子たちが学校改革をしようという動きの中で中心的な役割を担ったこともありました。思春期ともなれば、時には、真面目に話し合うことから気持ちが離れてしまうこともありますが、それでも良いと私は思っていて、ねばり強く実践を続けていけば必ず日常の「当たり前」にいい意味で疑いの視点を持ち、問い直せる子が育ってくると思っています。

先日、大学で私のゼミに所属し、小学校の先生になった教え子たちと再会したのですが、20代後半になった彼ら・彼女らはみな、自分たちが小学校の教室で直面した様々な種類の問題について、自身の体験や感情を大事にしつつもそれらをきちんと言語化し、論理的に考えることができるようになっていました。10年後・20年後に、彼ら・彼女らが教育現場でさらに中核的に活躍していく姿を見るのは本当に楽しみです。

ケヴィン わが校の生徒たちも同様です。たとえ幼いうちは問題行動や喧嘩を繰り返していても、何度もそのことについて話し合っていくうちに、中学校に上がった子たちが、それぞれの場所で非常に優秀な振る舞いをし、学びの中心になっていると聞きます。「素晴らしい子どもたちを育ててくれてありがとう」と中学の先生たちにお礼を言われることも少なくありません。哲学を日常に取り入れることの効果は、結果として顕著に表れていると思います。ベルファストでこれが実現できたのだから、世界中どこでもできます。

私が子どもたちに願うことは、この哲学的な経験を通して、今後も、自分自身の人生を愛して幸せに暮らしていってほしいということ。その強い想いがあってこそ、哲学対話を続けていきたいと思っています。

土屋 本当にその通りですね。本日はありがとうございました。

『ぼくたちの哲学教室』 5/27(土)よりユーロスペースほか全国順次公開。詳細は公式サイト(https://youngplato.jp/)で。

ケヴィン・マカリーヴィー
北アイルランド・ベルファスト出身。ホーリークロス男子小学校校長。カトリックとプロテスタントの宗派闘争による紛争が続くベルファストで育ち、テロやナイフによる攻撃から生き延びた経験がある。若い頃は”闘う”ことで自分や親しい人を守ってきたが、「暴力は暴力をうみ、決して止まない」という考えから、ホーリークロス男子小学校校長就任後、哲学を主要科目に取り入れる。エルヴィス・プレスリーを愛する4姉妹の父でもある。

土屋陽介(つちや・ようすけ)
開智国際大学教育学部准教授。博士(教育学)(立教大学)。哲学対話教育、現代哲学、教育哲学などを専門とする。2008年に海外で取り組まれている「子どもの哲学(P4C)」に出会い、オーストリア、ハワイ、シンガポールなどの学校で授業見学や教員研修に参加する。2012年からは、学校法人・開智学園の複数の中学校で、学園が独自に開設した教科「哲学対話」の授業担当者を務め、哲学対話教育の実践家としても活動する。主な著書に『僕らの世界を作りかえる哲学の授業』(青春出版社)ほか。毎日小学生新聞「てつがくカフェ」連載担当。NHK・Eテレの番組「Q~こどものための哲学」監修。