2023.11.16

『1%の風景』が映し出すもの ―― 命を産み、育てようとする女性のそばに信頼できる誰かがいるということ

白井千晶×吉田夕日

文化

妊娠がわかり、どこで出産しようかを考える時、当然のように病院やクリニックの情報を集める人は多いのではないでしょうか。現代の日本では医療施設での出産が99%にのぼります。残りの1%は、助産所や自宅での出産。映画『1%の風景』は、そうした1%の選択をした女性たちと、伴走者である助産師を見つめたドキュメンタリーです。助産所のお産と、病院のお産は何が違うのか? 女性が自分で選択することの意義とは? 自身も第二子を助産所で出産した吉田夕日監督と、社会学研究者でリプロダクションを研究している白井千晶さん(静岡大学人文社会科学部教授)が語り合いました。

©︎2023 SUNSET FILMS

「どうして病院で産むの?」と問われて

――吉田監督が助産所で出産し、今回の映画を撮り始めたいきさつをお聞かせください。

吉田 第一子はあまり色々と考えずに病院を選び、満足なお産ができました。第二子は別の病院で妊婦健診を受けていたのですが、第一子の時より院内の決まりごとが多くて、違和感を覚えたんです。そんな時、仕事仲間から「自宅で出産したんだ」と聞いて、今の時代にそういう選択肢があることに驚きました。「どうして自宅で産みたいって思うの?」とたずねたら、逆に「なんで病院で産むの?」と言われて。そこから病院以外のお産の選択を自分でも調べるようになりました。

ちょうど自宅の近くに、今回の映画に出ていただいた「つむぎ助産所」(東京都練馬区)があったので、お電話をかけて訪ねました。助産師の渡辺愛さんは物腰が柔らかく、助産所ではお産の本番だけでなく産前産後のケアもしていること、妊娠中に異常があれば病院に転院になることなどを丁寧に教えていただきました。そこから、自分のお産について「自主的に責任を持つ」という意識が芽生えました。妊娠3カ月くらいだったでしょうか。つむぎ助産所で出産することを、家族と相談して決めました。

つむぎ助産所の妊婦健診では、1時間くらいかけて渡辺さんが丁寧に見てくださるんです。マッサージを兼ねた触診で、お腹に張りがないか、体が冷えすぎていないかなどを確認しながら、これまでの自分の人生についても話します。私がどういう人なのかを渡辺さんが知ろうとしてくださって、家族関係のことや、仕事と育児の両立への不安などを自然と語っていました。

こうして女性に寄り添い、命が生まれ出てくるのを待つ助産師という仕事に興味を持ち、2017年から息子をおぶって取材させていただきました。

吉田夕日氏

白井 私は助産所で事務として14年間勤めながら、社会学研究者として助産師さんの聞き書きをしていました。自分の出産も助産所や自宅だったので、今回の映画に映し出されている風景にはなじみがありました。

すごく感銘を受けたのは、渡辺さんが赤ちゃんの誕生を待っている場面です。お母さんの陣痛の最中に、静かにじっと待つ様子が記録されています。映画やドキュメンタリー番組は、ストーリーがないといけないような、無音だと落ち着かないようなところがありますし、日常生活の中でも、だれかと会っていて無言になると何かしゃべらなければならないような気がしてくる。映画を観て、「こねくりまわさない」ことに、この映画に向かう吉田監督の姿勢を感じるとともに、自分はせかせかと日常を生きているんだなと気付かされました。

生活の中にあるお産、システムの中に入るお産

吉田 撮っている時は本当に静かでした。中には、わーっとなる方もいるのですが、お産のあり方は人によりますよね。

白井 はい、その人が出ますね。私は三人の男の子を出産しましたが、一人目と二人目は助産所(東京都北区にあった福岡助産院)、三人目は自宅出産でした。三人目は今回の映画に出演している「みづき助産院」(東京都北区)の神谷整子先生のお世話になったのですが、妊婦健診で来てくださる時間が、いつも夜20時くらいなんです。遅い時間に大変だと思い、「先生、昼間でいいですよ」と言っても、「私がこの部屋にいることに、この子たちになじんでほしいから」とわざわざ夜に来てくださるんです。

そして第三子の出産の時は、ドップラーの音に合わせて上の子たちが踊って、私は雄叫びをあげながらお祭り騒ぎのような開放的なお産でした。上の子どもたちが神谷さんと一緒にへその緒を切ってくれて、すごく楽しかったですね。その日も、いつものように上の子どもたちに絵本の読み聞かせをしましたが、同じ布団の傍らに産まれたばかりの赤ちゃんがいました。お産のために母親が入院すると、上の子は「どうして僕は一緒にいられないんだろうと」葛藤します。でも、出産後も普段と同じ生活がそのまま続いていくことで「僕にとっての赤ちゃん誕生」になるわけです。

病院での出産と、助産師さんとの出産とで何が違うかというと、「お産が生活の中にあるか、システムの中に入っていくか」が大きいと思います。

吉田 家族みんなで、赤ちゃんの誕生をすぐに共有できるんですよね。

白井 そうですね。自宅出産は夫・パートナーにとっても全然違うと思いました。助産所であっても、「ホーム」というより「アウェイ」かもしれません。何がどこにあるか、何を触ってよいか分からなかったり、許可が必要だと感じたりするでしょう。でも「ホーム」なら、自分たちのいつもの持ち物、いつもの過ごし方です。出産する人にとっても、家族にとってもここが「ホーム」であって、生活が続いていくんだなと感じました。

吉田 今回の映画でも、5人目のお子さんを自宅出産した女性(山本宗子さん)を取材させていただきましたが、本当に日常のできごととしてお産がありました。「陣痛がきたみたい。お母さん、ちょっと横になるね」と言って、命が産まれるのです。今の時代も、こういう選択ができることに驚きましたし、お子さんたちにとっても大きな経験だなと感じました。

白井 妊婦健診や出産の時にカメラが入っても大丈夫だったというのは、すごいことですよね。どんなふうにそばにいたのですか?

吉田 まるで空気のように(笑)。なるべく早い段階から同席させていただいて、いつも端のほうに私がいることが普通だと思ってもらえるように心掛けていました。じゃまにならないか心配もありましたが、皆さん大丈夫でした。山本さんだけは、「お産の最中は入ってこないでほしい」とおっしゃったので、お家の前で待っていたんです。家族も寝静まる中、二人の助産師さんと出産されていました。

白井 そうやって、ちゃんと自分の気持ちを吉田さんに言えるいい関係だったのですね。

白井千晶氏

選ぶことは「私たちは変えられる」と信じること

――病院で出産することが当たり前のような社会で、どのような女性たちが助産所での出産を選択しているのでしょうか。

白井 一時期は本当に“激レアさん”で、すごくリテラシーの高い人たちでした。お産について調べつくして収入もあって、学歴も高い女性が多かったと思いますが、今はだいぶ変わってきています。例えば、入院中に上のお子さんを預ける先がないとか、一人目を病院で産んだあとに乳房ケアを助産院で受けて、「ここで出産もできるんだ」と知ったという人もいます。以前より助産所が身近になってきた気がします。

吉田 私も含めて、今回撮影に応じてくださったお母さん方は、全員が自然のお産を求めているわけではなく、自分の抱えている状況に助産所が合っていたし、助産師さんとお話して納得して、「ここで産もう」と決断していました。体調によっては病院に転送になることも理解していました。何がなんでも助産所というより、もっと柔軟に、自分や周りのことを考えて選択しているようでした。

こうやって自分で考えて選択することは「女性の自立」にも関わっているんですよね。映画に登場していただいた平塚克子さんは、第二子をみづき助産院で出産しました。本当は病院で産む予定で、出生前診断も受けるつもりだったそうですが、コロナ禍で家族の立ち会いができなかったため、助産所を選ばれました。

妊婦健診ではわからなかったのですが、産まれたお子さんにはダウン症があり、助産師の神谷さんは平塚さんがそのことを受け入れていく時間に寄り添っていました。神谷さんは、赤ちゃんが生まれてすぐにその可能性に気付いたそうですが、何も言わなかった。出産から1週間後に神谷さんが自宅訪問した時、平塚さんが「もしかしたら問題がありますか?」と聞くと、優しく「いつから気付いてましたか」と労り、「一度、病院で診てもらったほうがいいと思う。今日はそれを言おうと思って来たの」と言葉をかけていました。

平塚さんは、そうした神谷さんとの関わりがとても良かったとおっしゃっていました。葛藤がありつつも、一人の女性として立ち始める。その過程に、助産師さんがそばにいたことは大きな支えだったのではないかと、取材を通して感じました。助産は「助けるお産」ですけれども、お産の最中だけでなく、産後までつながっているんですよね。

白井 平塚さんのことは、とても深い気持ちで映画を観ました。私は出生前診断や生まれてから赤ちゃんの障害の可能性がわかった方々の相談支援に携わるNPOに参加しています。養子縁組や里親の研究では、ダウン症の赤ちゃんが生まれて、乳児院や里親に預ける人、養子に出す人、自分で育てる人など様々な人がいることを研究してきました。

出生前診断を受けて赤ちゃんの障害がわかった男性にインタビューをしたことがあります。その方は、出生前診断をしたことで妊娠中に夫婦で考え、たくさん話し合いができたとおっしゃっていました。赤ちゃんを迎える時には100%の気持ちで「生まれてくれてありがとう」「なんてかわいいんだ」と思えたそうです。

出産も、その後に続く子育ても、自分たちが納得して選んで対話を重ねる。その営みが一番大事なことだと思います。考えて選ぶということは、「私たちには変えることができる」と思うこと。自分を信じることになるんですね。どこで産むか、検査を受けるか受けないかが本質ではないんだなと、監督のお話を聞いて改めて感じました。

お産の医療化が始まった背景

――そもそもの話ですが、医療機関での出産が広がったのは安全性のためなのでしょうか?

白井 そうですね。母体死亡率を下げようという国の施策はありました。日本では長らく自宅出産が一般的でしたが、戦後、農村の隅々にまで共同の助産所のような施設が作られて、当時の助産婦さんが交代勤務で運営していました。そういうソフトな施設化から始まって、病院での出産が当たり前のようになっていきました。

私は国内外のリプロダクション(生殖)について研究していますが、モンゴルなど住居と病院が遠く離れている国ではお産が近くなったら入院して、計画的に帝王切開をする割合が高いとされています。安全性を確保するために、出産する場所を集約化しているんですね。自宅出産が禁止の国もいくつかあります。そうかと思うと、オランダでは今でも自宅出産率が4分の1~3分の1くらいあります。

吉田 出産のあり方は国や地域によってもかなり異なるんですね。

白井 アジアの国々では、妊娠する前段階から保健センターのような機関にリプロダクション全般の相談ができるところが珍しくありません。子どもを産むか産まないか、産むとしたらいつ頃か、安全のために何が必要かなどを医師や助産師に相談できるのです。それがベーシックなヘルスケアとして位置づけられていて、貧富に関係なく無料で相談できます。もちろん、出産も無料です。

他方で、アメリカは自由市場です。自宅出産にする人もいれば、出産時にドゥーラを依頼する人も、オプションが豊富な病院にする人も。日本のお産も自由市場なので、きれいな病院がいいとか、ご飯がおいしいところがいいとか、その時に知り得た情報やイメージでチョイスしているのではないでしょうか。

吉田 やっぱり私の世代は「お産は病院やクリニックでするもの」と思い込んでいて、助産所や自宅出産は自分とは違うところの話として捉えている人が多いと思います。今の若い世代だと、病院で産むことを前提として、無痛分娩にするかしないかに意識が向いているのではないでしょうか。妊娠や出産は、自分で調べないとわからないことが本当に多いんですよね。

助産所でのお産が、特別ではなくなる日

――全国の助産所の数は約2500ヵ所で、そのうちお産を取り扱うのは325ヵ所(2021年3月末時点、出張のみの無床助産所を含む)。2011年からの10年間で、お産を扱う助産所は30%も減少しているそうですね。

白井 昔はポストの数ほど助産所があったのですが、ずいぶん少なくなりました。助産所を維持する大きなハードルの一つが、「嘱託医」や「嘱託医療機関」の問題です。助産所でお産を扱うには、何か問題が生じた時に備えて嘱託医(産科医または産婦人科医)と、嘱託医療機関(産科または産婦人科および小児科のある医療機関)と契約しなければなりませんが、契約先が見つからない場合があります。

私の勤務先のある静岡市では、静岡市助産師会と静岡県立総合病院が包括的な契約をしていて、他のモデルになっています。市の助産師会に所属する助産所であれば、嘱託医療機関が確保できる体制になっています。地元の助産師に聞くと、病院で出産することになった場合のカンファレンスや振り返りを一緒にしたり、助産所が実習を受け入れたりと、関係を作る機会をもっているそうです。ただ、地域の自助努力には限界があるので、本来は国が調整すべき課題ではないかと思います。

吉田 私が第二子の妊娠でかかっていた病院とつむぎ助産所は、もともと嘱託医としての連携はとっていませんでした。けれども、つむぎ助産所の渡辺さんが、その病院にお手紙を書き、産科医の先生に直接あいさつをしてくださったんです。自分を通して助産所と病院の連携ができたことを目の当たりにして、お産を自分の問題として引き寄せて考えることの大切さを痛感しました。

以降も連携は続いて、病院で勤務している助産師さんがつむぎ助産所に研修に来ているとも聞きました。

白井 地域における助産所の役割は、これから変わっていくような気がしますね。お産とは正反対のようですが、人が亡くなる時も在宅ケアや在宅死を選ぶ人が増えてきました。在宅医療のシステムも整ってきています。昔に回帰するというよりは前進かな。医療的な体制もしっかりあるうえで、助産所や自宅出産を選ぶ人は増えていくように思います。

吉田 助産師さんが使っている医療機器も、高度なものがあるんですよね。

白井 そうそう、ポータブルの超音波診断装置(エコー)とかね。医師の処方に基づいて、点滴をしながら自宅で出産することもできます。そこは在宅のターミナルケアと同じなんです。助産所での出産は、今は映画のタイトルにあるように『1%の風景』だとしても、これからは特別なことではなくなるかもしれません。

©︎2023 SUNSET FILMS

映画が映す「だれしもが通り過ぎた風景」

――最後に、今回の作品をどんな方に観ていただきたいですか?

吉田:妊娠、出産の映画なので、取材をしている最中は「ターゲットは子育て中の女性なのかな」と思っていたんです。もちろん、映画を見にきてくれる人をイメージしてみると最前列は女性の方だと思うのですが、その後ろに男性や祖父母世代の方々、子どもたちにもいてほしいと思うようになりました。きっと、それぞれが映画に自分を重ねて、過去のお産を振り返ったり、自分が生まれてきたことに思いを馳せたりするのではないでしょうか。今を生きてる人は、だれしもが通り過ぎた風景でもあるので。

この映画をご覧になった方が「小学校で子どもたちに見せたい」と言ってくださったこともあります。特定の層に観ていただきたいというより、この映画に出会ってくれた人が、大切に思う人たちに広めていってもらえたら嬉しいですね。

白井 観ている側が問われる映画だなって思うんですよね。「こう観てください」というストーリーがないので、この映画を観て何を感じるかは自分次第です。もし、「これは医療の話じゃない」と思ったなら、どうして自分はそう思うんだろうと考えてほしいし、男性が観て「自分には関係ない」と感じたとしたら、それはなぜかを自分に問いかけてみてほしい。

私は大学で教えていますが、もしも学生にこの映画を観てレポートをまとめなさいと課題を出したら、「今の医療システムは…」とマクロに論じる学生もいるだろうし、中には「産んだことがないし将来も産まないから」と他人事みたいに書く学生もいるかもしれません。学生でなくても、この映画はきっと、その人の姿勢が表れるんじゃないかな。

どんな人が観ても、その時に思ったことを自分でもう一回考えることができれば、その人のものになる映画だと思います。

作品紹介

『1%の風景』

東京・ポレポレ東中野にて公開中、ほか全国順次


99%のお産が病院やクリニックといった医療施設で行われている日本で、助産所や自宅での出産という「1%の選択」をした4人の女性と彼女たちをサポートする開業助産師の日々をみつめたドキュメンタリー。都内にある2つの助産所を舞台に4人の女性のお産を撮影したのは、本作が初監督作品となる吉田夕日。第一子を病院で、第二子をつむぎ助産所で出産した経験から、助産師の世界をもっと知りたいと本作の制作を決意しました。社会が多様化し選択肢がひろがる一方で、失われつつある“命の風景”をみつめた4年間の記録。

監督・撮影・編集:吉田夕日
出演: 渡辺愛(つむぎ助産所)、神谷整子(みづき助産院)
製作:SUNSET FILMS/配給・宣伝:リガード 
後援:公益社団法人日本助産師会/こども家庭庁こども家庭審議会 推薦
2023/日本/106分/DCP/ドキュメンタリー ©2023 SUNSET FILMS
公式サイト:https://josan-movie.com/

●プロフィール
白井千晶(しらい・ちあき) 
静岡大学人文社会科学部社会学科教授。専門はリプロダクション(性と生殖)の社会学。全国養子縁組団体協議会代表理事、養子と里親を考える会理事・編集委員長、日本ファミリーホーム協議会編集委員、写真と言葉でつむぐ「フォスター」代表、REBORNスタッフであり、リプロ・リサーチ実行委員会メンバー。主著に、『アジアの出産とテクノロジー:リプロダクションの最前線』(編著、勉誠出版、2022年)、『フォスター:里親家庭・養子縁組家庭・ファミリーホームと社会的養育』(著、生活書院、2019年)など。

吉田夕日(よしだ・ゆうひ)
東京生まれ。東京都立晴海総合高等学校を卒業後、フランスへ留学。 南仏モンペリエやロワール地方アンジェ、パリでフランス文化を学ぶ。2004-2005年映画専門学校のÉSEC PARISに在学。帰国後、フリーランスの映像ディレクターとして制作会社テレビマンユニオンに参加。老舗旅番組「遠くへ行きたい」など、日本国内の風土や伝統工芸・食をテーマに取材。第2子を助産所で出産した事をきっかけに、初のドキュメンタリー映画『1%の風景』を制作する。