2012.12.29

いじめ防止に「怖い先生」は必要か?

内藤朝雄 社会学

教育 #いじめ

文部科学副大臣に就いた谷川弥一衆院議員は27日、記者会見の場において「いじめを防止するためには、先生としてボクシングや空手といった武道家が必要だろう。いないのであれば警察OBを雇う」といった趣旨の発言をした。ここ数カ月の間に、頻繁に報道されるようになった「いじめ問題」だが、いじめを解決する具体的な方法はなかなか提示されていなかったように思う。この発言を受け、シノドスではいじめ問題に詳しい社会学者・内藤朝雄氏に緊急インタビューを行った。(聞き手・構成/金子昂)

※12月30日追記:発端となった記者会見全文文字起こしを掲載しました。「いじめ対策に武道家を」はどんな文脈で発言されたのか ―― 文部科学副大臣・政務官の任命記者会見全文文字起こし」 https://synodos.jp/education/806

―― いじめの理論研究に携わる研究者として、谷川弥一文科副大臣の発言についてどう思われましたか。

さまざまな点で問題があると思います。

いじめに対して、普遍的なルールによるペナルティではなく、暴力の雰囲気を強烈に発散させた「人」を怖がらせる、という仕方で抑制することは、その秩序学習により、むしろいじめを蔓延させる効果があると思います。

つまり、もし谷川副大臣の発言が実現されてしまったとしたら、子どもたちは、怖いと思わせることで人の運命が決まる世界に生きているのだという秩序感覚、普遍的なルールではなく強い者が畏怖させることで秩序が成立するという、誤ったメッセージを受け取ってしまいます。そして、自分より弱い者に対して同じことをするようになります。

とくに「荒れている」と言われる中学校では、チンピラ風の「生活指導暴力ダーティ・ワーク」にいそしむ教員暴力集団と、「ヤンキー」「不良」と呼ばれる生徒暴力集団が、権力の綱引きをしながらなれあい的に学校を支配し、彼らの理不尽な暴力と脅かしによって、多くの生徒たちの市民的自由と人権が消滅してしまっていることがよくみられます。そういう場所では、攻撃力の強い人が弱い人を畏怖力で支配するということだけが「ルール」なのです。

―― そもそもなぜ、このような発言がされてしまうのでしょうか。

こういうことを心のなかで思っている大臣クラスの人はいくらでもいるでしょう。しかし、通常であれば、このような暴論はたとえ心のなかで思っていても立場上「まずい」と判断して自制するものです。谷川氏にはこの内閣なら「言っても大丈夫」という時流感覚(ムード)があるのでしょう。

もう一つ言えば、従来のいじめ論では、教員による生徒いじめという論点が抜けています。教員が気に食わない生徒をとことん痛めつけることはよくあることで、社会問題化する必要があります。そうした視点への配慮がないため、いまだに暴力で怖がらせて支配しようとする論調が出てくることに驚きます。

教員は「聖職」だから生徒に何をしてもよいという感覚があるのでしょう。カソリック神父による教会の児童への性的虐待事件にみられるように、世の中でもっとも陰惨なことをやりたい放題してきたのは、何をしても許されてきた人たちです。

―― 必要ないじめ対策をお教えください。

一言でいえば、市民社会の論理を学校に導入すること、市民的な生活ができるようにすることです。暴力的ないじめに対しては警察を呼ぶこと。コミュニケーション操作系のいじめに対しては、閉鎖空間に閉じこめないこと。

谷川副大臣は警察に対する大きな誤解をしています。というのも、いじめ防止のために、まるで暴力団のように、暴力能力をその身から発散させて支配する「強い先生」として、ボクシングや空手、剣道や柔道などの中に警察OBを並べて入れていますね。これは警察に対する認識として誤っています。

警察はあくまで法にしたがって仕事をするものです。つまり国家権力として暴力を独占することで私的な暴力を禁止する一方で、法によって厳しく暴力をコントロールされていることが、その存在理由になっています。

警察の介入が必要なら、「法のしもべ」としてすぐさま介入できるようにするべきで、その機能を「こわい人がその勢いで支配する」秩序のために使うものではありません。そういう秩序は、法の秩序ではなく、いわば暴力団の秩序です。警察をそのように考えるのは、法治国家の否定であるのみならず、法の番人としての警察に対する侮辱でもあります。

また、ボクシングや空手は試合以外で安易に使用すれば、凶器ともいうべき破壊力を有するものです。これを生徒を脅すために使うということは、副大臣の公的な発言として許されるものではありません。

いじめは、狭い世界に閉じ込められ、視野搾取に陥ることで苦しみが増している部分がありますから、より広い世界にだしてあげることが必要だと思います。それによって心理的な距離が自由に調整でき、友だちも自由に選べるようになれば、コミュニケーション操作系によるいじめが持つ、人を痛めつける効能は減るでしょう。

―― いじめには二パターンあるということですね。

そうです。暴力的ないじめとコミュニケーション操作系のいじめにわけた上で、暴力的ないじめに関しては、法を導入し、警察を使う必要があります。コミュニケーション操作系のいじめについては、学級制度を廃止するなどして生活空間を広くし、市民社会の一部とすることで、いじめによる弊害は激減すると思います。

あくまでクラス制度などを前提とし、「暴力の雰囲気によって畏怖させることを中心とする秩序」を強めるような、それでいて効果がよくわからないような議論が、組閣後すぐに副大臣から行われるという事態に、私たちはもっと身構える必要があるでしょう。具体的には、谷川氏を罷免させ、世論がこのような発言は許されないということを毅然と示す必要があります。中学生にいじめが許されないと示すのと同じことです。

(2012年12月28日 電話インタビューにて)

プロフィール

内藤朝雄社会学

社会学者。著書に『いじめの社会理論』(柏書房)、『いじめの構造--なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)、『いじめ加害者を厳罰にせよ』(KKベストセラーズ)、『いじめと現代社会』(双風舎)、『〈いじめ学〉の時代』(柏書房)、『「ニート」って言うな!』(共著、光文社新書)、『いじめの直し方』(共著、朝日新聞出版)、『学校が自由になる日』(共著、雲母書房)がある

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