2014.12.15

経済学のツールを使って「働くこと」を考える

労働経済学者・近藤絢子氏インタビュー

情報 #教養入門#高校生のための教養入門#労働経済

さまざまな研究者にそれぞれの専門分野をわかりやすく解説していただく人気コーナー「高校生のための教養入門」。今回は、労働経済学者の近藤絢子氏にインタビューをしてきました。労働経済学が対象にする「労働市場」とは? 経営学や他の経済学との違いとは? 経済学の応用分野ひとつだからこその面白さと、経済学そのものの魅力についてお話いただきました。(聞き手・構成/金子昂)

「労働市場」を分析する学問

―― 最初に先生のご専門である労働経済学がどのような学問なのかお教えください。

労働経済学は経済学の応用分野のひとつなので、まずは経済学の話をしないといけないと思います。

経済学は、人は自分にとって都合の良い結果が起こるような行動を選択するという仮定に基づいて、さまざまな物事を考える分野です。そして労働経済学はそうした考え方に基づいて、労働に関する領域を分析します。つまり労働経済学は、他の経済学と同じ手法を使って、労働を対象にしている経済学のいち分野なんですね。

―― 働くことを対象にする分野だと経営学も同じなのかな? と思いました。

経営学の中には労使関係論といった分野があって、労働経済学とかなり近いので、はっきりと境界を引くのは難しいんですよね。それに経済学者でも経営学っぽい研究をしている人はたくさんいますし、反対に商学部でも経営学部でも経済学っぽい研究をしている人はいます。だからその疑問を抱くのは当然だと思います。

違いをあげるとしたら、労働経済学というより経済学と経営学の違いになりますが、経営学は特定の企業が業績をあげる方法を考える分野で、そのために必要なオペレーションだとか、部署の構成だとかを細かく見る。一方で経済学は、ひとつの企業の視点ではなく、社会全体の最適化を考えるという違いがあると思います。

―― 労働経済学は、社会全体における労働について考えるということでしょうか?

そうですね、もう少し正確にいうと、労働経済学は、働く側の人間と雇う側の企業で構成されている「労働市場」について分析をします。具体的には、人びとのお給料はどのようにして決まっているのか、なぜ失業者が発生してしまうのか、などです。

経済学にはミクロ経済学という分野があります。ミクロ経済学では、最初に「完全競争市場」というものを勉強しますが、完全競争市場では失業が発生しないことになっているんですね。というのも、働きたいと思っている人の数と、企業が雇いたいと思っている人数がぴったり釣り合うところまで賃金が上がったり下がったりすると考えられているからなんです。

例えば、雇う側が必要としている人数に比べて、働きたいと思っている人が多い場合は、お給料を低くしてもみんな働いてくれますから、企業はお給料を下げる。すると「そんなお給料じゃ働かないよ!」という人がでてきたり、逆に企業はお給料が安くなった分雇う人数を増やしたりして、最終的には失業している人がいなくなる……はずなのに、現実はそうなりません。それはどうしてなんだろう? ということを労働経済学は細かく分析するんです。

数学が苦手だからやめておこうはもったいないかも?

―― 先生が経済学に興味をもったきっかけはなんですか?

中学生のときだったと思います。中学校って、英語、数学、国語、社会、理科の5教科にわかれますよね。その中では国語や数学よりも、社会と理科が好きだったんです。だから文系に行くなら文学部じゃなくて経済学部かなって漠然と思っていたんです。まあ子どもなので、文学部と経済学部と法学部しか知らなかったというのもありますが(笑)。

中学3年生のときにバブルが崩壊したと言われ始めました。すると私が通っていた塾でアルバイトの先生をしている大学生が就活がつらいって嘆き始めたんですね。そこで「世の中なんでこうなったんだろう?」って疑問を感じはじめました。しかも高校生になると日本の景気はどんどん悪くなっていく。さらに気になるようになっていたような気がします。

理科も好きだったので工学系にも興味はあったのですが、高校の先輩たちをみていて理系の学部がとても大変そうだったので、楽しい大学生活を送りたいと思って(笑)、文系の、経済学部を選びました。

―― 実際に経済学部で勉強をし始めて、「こんなはずじゃなかった!」と思うことはありましたか?

なかったかなあ。むしろ「こんなことまでやれるんだ!」と思いました。わたしは勉強してみたらどんどん面白いと思うようになったくちです。

よく「経済学は数学を使うから苦手」って話がありますよね。実はわたしは、経済学が数学を使うことを知らずに選んじゃったんです(笑)。しかも数学は苦手で。でも、大学で勉強をはじめたら、世の中の仕組みを数学で記述する面白さがわかるようになってきた。すごく基本的な数学を使って、人の行動や商品の価格が決まる理由がわかる。現実が、数字になって目の前に現れるようになるのが楽しくて。

―― 数学って苦手な人はとことん苦手ですよね。

もちろん大学院まで進んだり、研究者になるためには、難しい数学をちゃんと勉強しないといけません。でも、経済学者の書いたものを読むだけなら、高校生までにならう数学がちゃんとできていれば十分なことが多いんです。

だから経済学に興味はあるけど、数学が苦手だからやめておこうかなと思うのはちょっともったいないかもしれません。それは本屋にいって経済学者の本をぱらぱらとめくってみればわかると思います。多くは、数学がわからなくても理解できますから。

photo

魅力はイメージがしやすいところ

―― 数ある分野の中でも労働経済学に興味を持たれたのには、労働経済学ならではの魅力があったのだと思いますがいかがでしょうか?

労働経済学の魅力は、他の分野に比べて、現実にイメージがしやすいところだと思います。例えばマクロ経済学という分野では、GDPや金利などの動きを分析するのですが、これって目に見えないのでイメージがしにくいんですよね。国際経済学も、国同士のことを考えなくちゃいけないので身近な話題とは言えません。

でも労働経済学の場合、すごく噛み砕いて考えると、「近所のおじさんが定年退職して再雇用されているけど、昔の人って定年退職したらそのままだったよなあ。なんで変わってきたんだろう?」とか、「今自分がやっているアルバイトの時給がこのくらいなのはなぜだろう?」とか、身近なところまで落として考えることができる。その分、とっつきやすいんです。

―― 労働経済学は応用分野とのことですが、専門的になればなるほど、その面白さは伝わりにくいように思います。

学部で勉強するような経済学の基本も、専門的な話もどちらもそれぞれに面白さがあります。ただ、いま思うと生意気なんですけど、学部生のころは抽象的なことばかり勉強させられるので「こんなの机上の空論でしょ」って思っていたんですね。だから専門的になればなるほど現実社会との繋がりが見えてきて面白いと思うようになりました。

最初にお話しましたが、学部のレベルだと、労働を供給する側(働きたい人たち)と労働を需要する側(雇いたい人たち)が一致するように賃金が決まる完全競争市場という勉強をします。でも、なんらかの理由で失業が発生してしまう。この「何らかの理由」に学部のレベルだと深くは踏み込まないんですね。

でも専門的な勉強を少しずつ進めていくと、その理由に踏み込んでいけるようになります。失業が発生してしまうのは、職探しをしている人は、世の中にあるすべての求人をみることはできないし、企業もその人がどれだけ働ける人間かわからない。その探り合いに時間がかかるから、とか。いままで工場で働いていた人が、いきなり不動産の営業をできるようになるわけじゃないから、とか。いろいろな理由が具体的にでてきて「そうだったのか!」と思えるんです。

高齢者と若者は仕事を奪い合っていない?

―― 近藤先生はこれまでどのような研究をされてきたのでしょうか?

以前シノドスに書かせてもらった、一度フリーターになってしまうと、そのままフリーターから抜け出せないという研究は、高校生にとって身近なものだと思います。

これは、たとえばリーマンショックが起きて景気が悪くなったタイミングで学校を卒業した人たちは、景気がよくなったあとでも、そのハンデを引きずることが分析する中でわかり、その理由は、最初の仕事が非正規雇用の場合、正規雇用になれないという日本特有の問題がかなりの部分を占めているという結論が導かれた研究です。詳しくは「リーマンショック世代・ロスジェネ世代に希望はあるのか」を読んでみてください。

いまは、高齢者雇用の問題について研究中です。まだ研究中なので、確定的なことは言えないのですが……。

―― お話いただける範囲で、ぜひお聞かせください。

2006年に高齢者雇用安定法という、「65歳まで働けるようにしよう」という法律が施行されたんですね。高齢化がどんどん進んでいて、働ける人もどんどん少なっていく中で、高齢者にもっと働いてもらいたいという意図がこの法律にはあるのだと思います。でも、高齢者の雇用を増やしたら、他の世代にしわ寄せがいってしまうかもしれない。高校生だったら、アルバイトしたいのに高齢者が働いていて雇ってもらえないような状況をイメージしてもらえるとわかりやすいかもしれません。

もし高齢者が雇われることで若い人の雇用が減ってしまったら、若いうちに職務経験を積めないので、中年になったときに仕事をする能力があまりない人になってしまうかもしれません。そんな人が溢れてしまったら、日本経済はたいへんなことになってしまいますよね。大問題です。高齢者と若者が対立するような図式ができているかもしれない。

でも、分析をしていると、高齢者が居座ることで若者の仕事が減るという単純な図式にはなっていないように感じるんですね。企業にとっては安くてたくさん働いてくれる若者の方が生産性は高いので、本当は若者を雇いたいと思っているはずです。ということは、若者の雇用を削ってまで、高齢者を増やしているわけではない可能性がある。それに新卒と高齢者じゃ仕事の内容も違いますから、直接的に仕事を奪い合ってるわけではないのかなあ、と。だから世代間での対立って世間で言われているほどにはないのかもしれません。

―― 研究していて面白いと感じる瞬間ってどんなときですか?

世の中で漠然と囁かれていることに対してイエスなりノーなりの答えが出た瞬間ですね。

例えば、いまお話した世代間対立みたいな話も、「あるみたいだよ」という結論がでたらそれなりに面白いんですけど、「ないっぽいね」って結論がでてきてもやっぱり面白いです。

フリーターになったらそこから抜け出せないという話も一緒です。以前は「フリーターになる人はなりたいからなっているんだから放っておけばいい」という話がよくされていたんですけど、「それは違うんじゃないかな」と思って研究してみたら、日本特有の問題があることをデータで裏付けできた。「フリーターをやりたくてずっとやってるわけじゃないよ」と、自分の実感に基づいた結論がでたのはやっぱり嬉しかったですね。

―― ちなみに研究のアイディアっていつ思い浮かぶんですか?

だいたいは研究者同士で話しているときに思いつきますね。でも、悲しいことに、研究者と話をしていて「あっ、これはいけるかも!」って盛り上がった話の3個に2個は思い違いなんですよね(笑)。だからこそ結果がでたときの面白さが際立つんだと思います。

経済学の基礎を勉強してから

―― 労働経済学を勉強しても、研究者になる人はほとんどいないと思います。労働経済学を勉強しておくと、社会に出たときにどんな役に立ちますか?

まず労働経済学に限らず、経済学を勉強することのメリットは、世の中の仕組みを客観的に見渡せるようになることだと思います。

というのも、経済学は「みんなが自分にとって得になるよう行動するとどうなるのか」という考え方を基本にしています。その考えに基づくと、ある人にある行動をとって欲しいと思ったときに、ただお願いをするのではなくて、相手にとっても得になるような状況を作れば、思い通りの行動をとってくれるはずですよね。そういう状況をどうやって作ればいいのか、あるいは世の中の動きがなぜそのようになっているのかを考えるために必要な視点が身につけられると思います。

特に労働経済学について言えば、自分の仕事に直結するような問題が起きたときに、どのように考えればいいのかがわかるようになります。例えばテレビで言われている「デフレがうんぬんで、賃上げがどうこう」といった問題の背景になにがあるのか。あるいは最近よく「成果主義」という言葉を耳にしますが、企業によっては得をしない仕組みなのに、なぜやろうとしているのかを考えられるようになる。

自分のお給料をあげるためにどうすればいいのか直接はわからないけれど、お給料がどのように決まっているのかはわかるようになる。そういう意味で役に立つと言えると思います。企業や個人の利益をあげるための方法を勉強するのが経営学や商学部で、日本経済といった全体の問題を考えるのがマクロ経済学だとしたら、労働経済学はその間のことを考える分野なんですね。

―― どんな高校生に労働経済学をおすすめしますか?

労働経済学は応用分野ですから、高校生には経済学が向いているかどうかのほうが大切だと思います。

社会全体の仕組みに興味がある高校生、とくに「世の中はなんでこうなっちゃってるんだろう?」と思う人は経済学が向いているかもしれません。経済学は高校生のイメージする「経済」よりももっと広い、社会システム全体のことを研究しています。「お金のこと」だけじゃないんですね。それこそAKB48はなぜ人気があるのかも経済学の範囲にありますし、少子化、結婚、医療も経済学の中で研究できます。研究者であるわたしも「どこが経済なんだろう?」って戸惑ってしまう論文があるくらい、応用範囲が広いんですね。

だから経済学に興味がある人は、まず経済学の基礎をひととおり勉強してみて、それから特に興味のある分野は何か考えてみるといいと思います。もし自分の興味関心が労働に関するものだとわかったら、労働経済学を勉強してみてください。

―― まずは経済学を、そしてその中で興味のある分野を選んでほしいということですね。最後に高校生にメッセージをお願いします!

わたしは労働経済学を研究しているので、労働経済学を勉強して欲しいですし、ぜひ経済学部で経済学を勉強して欲しいと思っています。でも一番いいのは、自分が一番興味を持てそうな学部を選ぶことです。

私が高校生のときに志望学部の選択で悩んでいたら、母親には法学部を、父親には文学部をすすめられました。でもどちらも何か違うなと思って、結局、経済学部に進んで、その面白さに気付いて、研究者になりました。実際に勉強しなければわからないことだらけですから、周りの大人に流されるのではなく、自分で考えて進路を決めるのが一番だと思います。

あとは勉強だけじゃなくて、部活や行事など、高校生活を楽しんでください。それは大学生になっても一緒です。いろいろなことをやっていくうちに、自分にとって興味のあるテーマが見つかったり、研究のヒントが見つかることもあります。勉強だけの高校、大学生活は、とてももったいないことだと思いますよ。

労働経済学がわかる! 高校生のための3冊

主に若者の雇用をめぐる問題について、実証研究をベースにしつつ一般向けにわかりやすく論じた本です。初版が出たのは10年以上前ですが、世代間の格差や長時間労働など、今の若者にとっても重要な問題が多く取り上げられています(ただし中高年をめぐる状況はこの本が出た後でけっこう変わっているので注意)。私が労働経済学の研究者になろうと思うきっかけになった本です。

経済学的なものの考え方を理解するのに最適な本です。前半は、美人は本当に得なのか、プロ野球の監督の評価など、一見経済学と関係ないような例を使いながら、インセンティブなどの基本概念をわかりやすく説明し、後半では年金財政や所得格差などについて、労働経済学の視点から解説しています。

日本労働研究雑誌

これは本ではなく雑誌、それも専門的な学術雑誌ですが、なんと半年以上前のバックナンバーがすべて無料で読めます。日本の労働市場に関するあらゆるトピックがカバーされています。専門的すぎて難しい論文もありますが、専門知識がなくても読めるものもたくさんあります。大学に入ってからの、卒業論文などの参考資料探しにもお勧めです。 http://www.jil.go.jp/institute/zassi/new/index.htm

プロフィール

近藤絢子労働経済学

横浜国立大学国際社会科学研究院准教授。2009年にコロンビア大学で経済学博士号を取得後、大阪大学社会経済研究所講師、法政大学経済学部 准教授を経て2013年4月より現職。

この執筆者の記事