2014.08.19

ヴェールのファッション化と宗教言説の変容――「ヘガーブ・アラ・モーダ」の誕生

後藤絵美 西アジア・中東地域研究

国際 #ヴェール#ヘガーブ・アラ・モーダ

ヴェールの条件

「ムスリム女性のヴェール」と聞いて、どのようなものが思い浮かぶだろうか。真黒なイランのチャードル? テントのようなアフガニスタンのブルカ? 黒子の衣装のようなエジプトの二カーブ? いずれにしても、お洒落や流行とは縁遠そうなものばかりである。

それもそのはず、ムスリム女性のヴェールは、お洒落とは真逆の目的でまとわれると言われてきたのだから。たとえば、エジプトの著名な宗教学者の一人、ムハンマド・ハッサーン(1962– )は、『ムスリム女性のヴェール』(1995)と題する説教の冒頭でこう述べている。

「イスラムは高潔な社会を築くことを目指している。つまり、(婚姻外の男女の間に)性欲が沸き起こることや、衝動が生じることが一切ない社会である。……むき出しの肉体、飾り立てられた美しさ、刺激的な匂い、意味ありげな視線、くねくねとした歩き方。これらはすべて性欲を刺激し、誘惑の火をつけ、欲望を煽り立てる。……だからこそ、イスラムではムスリム女性に対して、身を飾り立てることを禁じ、ヴェールの着用を課したのである。」

イスラムの啓典『クルアーン(コーラン)』には、ヴェールに関わるいくつかの章句がある。ムスリム女性を嫌がらせから守るために、その他の女性と見分けがつくような「ジルバーブ」と呼ばれる衣服の着用を命じた33章59節、男性信仰者に対して預言者の妻たちとの間に「ヒジャーブ(帳)」を介するようにと命じた33章53節、男女の信仰者に慎み深く行動し、とくに女性は美しい部分を覆い隠し、胸に「ヒマール」と呼ばれる覆いをかけるようにと命じた24章30、31節などである。

クルアーンの章句や、ハディース(預言者ムハンマドの言行録)などの宗教典拠を見た限りでは、たとえば、「ジルバーブ」や「ヒジャーブ」というのがどのようなものだったのか、ムスリム女性はそれでどの部分を覆うべきなのか、そもそもなぜこうした啓示が下されたのかなどは、必ずしも明確ではない。

そこで後世の人々は、これらの章句をさまざまに読み解いてきた。ムスリム女性がヴェールをまとう理由や、覆うべきとされる身体範囲が、時代や地域、個々人によって異なってきたのはそのためでもある。

20世紀後半のエジプトで、ヴェールの着用は通常、「男性の欲望」を防ぎ、「社会の平安」を保つための行為だとされていた。結果的に、ヴェールは女性自身の清い心や身体、尊厳を守るものと言われた。

こうした目的でまとわれるヴェールの条件として、ムハンマド・ハッサーンを含む現代の宗教知識人たちが挙げてきたのが、以下の八つの項目である。

1. 女性の身体を覆うこと

2. それ自体、飾りにならないこと

3. 下が透けて見えない、分厚い布地でできていること

4. 身体に密着せず、ゆったりとしていること

5. 香水やお香の匂いがついていないこと

6. 男性の衣服と似ていないこと

7. 不信仰者の衣服と似ていないこと

8. 目印となるような(目立つ)衣服ではないこと

要は、女性の身体的特徴をあらわにせず、ほのめかさず、地味で、男性の関心を引いたり、欲望を煽ったりしないもの、がヴェールの条件にされている。

ヴェールのファッション化と商品化

ところが、2000年代に入った頃から、エジプトでは、この条件を満たさないと思われるヴェール姿の女性が目立ち始めた。それが「ヘガーブ・アラ・モーダ」である。

エジプト・カイロ方言では、ムスリム女性がまとうヴェールのことを「ヘガーブ」と言う。「モーダ」とは、『エジプト口語辞典』によると、語源がイタリア語の<moda>、意味は英語のfashion, styleに相当する。fashionやstyleという語は、服飾史家のValerie Cummingによると、prevailing customs、つまり、「流行している/普及している習俗」と言い換えうる。そして二つの語をつなぐ「アラ」は、前置詞で「~の状態の」を表す。よって、ヘガーブ・アラ・モーダとは、「流行のヴェール」という意味になる。

それはどのようなものなのか。たとえば、2005年7月にレバノンで発行された芸能週刊誌『アル=マウイド(約束)』に下のような記事が掲載されていた。ハイサム・サイードという名の新人エジプト人男性歌手のビデオ・クリップ(プロモーション・ビデオ)が、このところ大きな注目を集めている。そこに登場する女性が、エジプトの音楽ビデオでは初めて、「ヘガーブ・アラ・モーダを着ていた」からだという。

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ハイサム・サイード『夜よ、彼らは僕らと何の関係があるの』(2005)

このクリップの制作監督シェリーフ・サブリーは、前年、ルービーという歌手のクリップを制作した。それが「エジプト人女性歌手のものとしてはエロティック過ぎる」と物議を醸して以来、彼は、挑戦的なヒットメーカーとして知られるようになった。

ルービー『なんでそうやって隠しているの?』(2004)

サブリー監督がハイサムのクリップに、「ヘガーブ・アラ・モーダ」姿――ここでは長袖Tシャツとジーンズ、配色や巻き方を工夫したスカーフという装い――の女性を登場させたのは、ルービーの扇情的な動きと同様に、それでビデオ・クリップがヒットすると考えたからであろう。ここにヴェールが商品として「売れる」時代の到来を見ることができる。

この時期のヴェールの商品化の動きは、他の場面でも確認することができる。たとえば、あるヴェール専門店の経営者の話によると、1999年に彼女がカイロで起業したとき、同業者はほとんどおらず、「そんなものを扱って商売になるのか」と皆に心配されたという。

ところが状況は数年で大きく変化した。新しいヴェール専門店が次々と開店し、ヴェールのファッション・ショーがあちこちで開催されるようになった。

テレビではファッション番組が放映され、2004年には、ヴェール姿の女性のためのファッション雑誌「ヘガーブ・ファッション」が創刊された。その中には、鮮やかな色や高級感あふれる材質の衣服やスカーフをお洒落に着こなしたモデルたちが、ファッショナブルな靴や服、アクセサリーといった商品と一緒に並んでいる。

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カリスマ説教師とヴェール

なぜ、この時期に突然ヴェールがファッション化し、流行し始めたのだろうか。そのきっかけをつくった一人として、エジプト人の男性説教師であるアムル・ハーレド(1967– )に筆者は注目している。

元来の職業は会計士、2000年代前半当時、30代後半だったハーレドは、高級そうなスーツを着こなし、スマートにわかりやすくイスラムの教えを語った。その説教は富裕層や若年層の心を掴み、彼はしだいに「カリスマ説教師」として知られるようになった。

ハーレドが2000年、カイロ市内中心部にあるモスクで行った説教の一つに、『ヴェール』と題するものがある。この説教はとくに話題を呼び、それを録音したカセットテープはエジプト中に出回った。ハーレドの影響で、「何百万人という若い女性」が新たにヴェールをまとったとも言われている。

さて、ハーレドはこの説教の中で何を言ったのだろうか。字数の関係で詳細は省くが(拙著『神のためにまとうヴェール』の第二章から第四章で詳述している)、ここでは、ヴェール着用の目的とヴェールの条件という二点について押さえておきたい。

ハーレドによると、女性がヴェールをまとうのは「それが神からの命令だから」である。なぜ神はそう命じたのか。それはよくわからない。しかし、ムスリムにとって神に従うことは義務であり、最後の審判のときに神の面前に出て恥ずかしい思いをしないためにも、今、その義務を果たすべきである、と。

「神の命令に従うための」ヴェールの条件として、ハーレドは次の五つを挙げる。

1. 身体の線をはっきりと示さないもの

2. 下が透けて見えないもの

3. 顔と両手を除いて全身を覆うもの

4. 男性の衣服と似ていないもの

5. 香りのついていないもの

さて、これを前出のムハンマド・ハッサーンらの八つの条件と比べてみたい。二つの違いは、後者にある2. それ自体飾りにならないこと、7. 不信仰者の衣服と似ていないこと、8. 目印となるような目立つ衣服ではないこと、という項目である。

7にある「不信仰者」とは、一般に「欧米人」や「西洋人」を暗示する言葉である。欧米的な衣服――たとえば、ジーンズ地のズボンやTシャツなど――は着てはならないということである。

ハーレドは(意図的なのかどうかは不明であるが)、これら三つの条件に言及しなかった。そしてこのことは、衣服を選ぶ側の女性たちにとって、少なからぬ意味があったと想像される。

この三つがなければ、ちょっとした光物やコサージュ、あるいはレースがついていても、生地がジーンズ地でも、色がショッキングピンクでも、花柄でも水玉でも、「ムスリム女性のヴェールの条件」から外れないことになる。ヴェールをまといながらも、自分は「お洒落を楽しんでいる」と実感できる装いが可能になったのである。

ハーレドはこうも言っている。これらの条件に合うと「あなたが思うもの」を着ればいい。重要なのは、あなた自身の神に対する思いである。神の前で恥ずかしくない格好であれば、それこそがムスリム女性のヴェールなのだ、と。また、流行から取り残されたくないと願う女性たちには、次のような言葉を投げかけている。

「ヘガーブがモーダからほど遠いなどと、いったい誰が言ったのか。もちろん、モーダのためにヘガーブをまとうわけではない。しかし、モーダなヘガーブを探してみればいい。見つからない? それでもヘガーブをまとうのだ。なぜか? 主の命令はモーダよりも大切だからだ。神に従うことはモーダよりも大切だからだ。」

* * *

2000年代初頭以来、エジプトのムスリム女性のあいだでファッショナブルなヴェールが流行した背景の一つには、「ヴェール着用の目的」と「ヴェールの条件」に関する宗教言説の変容があった。これが筆者の持論である。

現在のエジプトで街中を歩いていると、保守的なヴェール姿や、そもそも頭髪などを覆わない女性たちに加えて、多様な「ヘガーブ・アラ・モーダ」とすれ違う。中には、「男性の欲望」を煽り「社会の平安」を乱すのではないか、とこちらが心配してしまうような、魅惑的なヴェール姿も少なくない。

ヴェールをめぐる宗教言説は今後も変化していくことだろう。そして、女性たちの装いも。

(本記事はα-Synodos vol.153+4号から転載です)

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プロフィール

後藤絵美西アジア・中東地域研究

西アジア・中東地域研究、イスラム文化・思想、服飾文化史。東京大学総合文化研究科博士課程修了。学術博士。平和中島財団奨学生としてエジプトに留学、カイロ・アメリカン大学女性・ジェンダー研究所に研究員として在籍(2003–5年)。日本学術振興会特別研究員(2007–12年)を経て、現職は東京大学東洋文化研究所助教(2013年- )。主著『神のためにまとうヴェール―現代エジプトの女性とイスラーム』(中央公論新社、2014年)、共訳『「女性をつくり変える」という思想』(明石書店、2009年)。

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