2015.04.23

バウルという生き方――ベンガル地方の「もうひとつのライフスタイル」

村瀬智 / 文化人類学

国際 #インド#パウル#村瀬智

わたしがおよそ30年間にわたって追いかけている研究テーマは、インド文明の人類学的研究である。とくに、ベンガル地方の「バウル」とよばれる宗教的芸能集団に焦点をあてて研究をすすめている。本稿では、ベンガルのバウルを紹介しつつ、「バウルという生き方」について考察する。

風狂の歌びと

バウルがベンガル社会にあたえているイメージは、わざと社会の規範からはずれようとする狂人のイメージである。バウルはカーストやカースト制度をいっさいみとめない。またバウルは、偶像崇拝や寺院礼拝をいっさいおこなわない。彼らの自由奔放で神秘主義的な思想は、世間の常識や社会通念からはずれることがあり、人びとからは常軌を逸した集団とみなされることがおおいのである。実際に、ベンガル語の「バウル」という語は、もともと「狂気」という意味である。そしてその語源は、サンスクリット語のvâtula(「風邪の熱気にあてられた」、「気が狂った」)、あるいはvyâkula(「無我夢中で」、「混乱した」)に由来するようである。

バウルの歴史がどこまでさかのぼれるかは不明である。しかし中世のベンガル語の文献では、バウルという語は、牛飼い女のゴーピーがクリシュナに恋をしたように、「(神に恋をして)狂気になった人」という意味でつかわれはじめている。たとえば、16世紀のベンガルの熱狂的な宗教運動の指導者チャイタニヤ(Caitanya 1485-1533)の伝記には、「我、クリシュナのはてしなき甘露の海にさまよい、狂気(バウル)となれり」といったような文脈でしばしばでてくる。しかしバウルという語が、そのころに狂人のような宗教的態度の「個人」をさしていたのか、あるいは「宗派」としての意味をもちはじめていたのかどうかは、まったくあきらかでない。

現代のベンガルでは、バウルという語にはまだ「狂気」というふかい意味がひそんでいるが、その語はもっぱら「バウルの歌と音楽を伝承する一群の人びと」、あるいは「バウルの歌と宗教を伝承する一群の人びと」をさす、といってさしつかえない。このような、バウルという語の語源や中世の文献での使われ方、そして現代での意味合いやイメージを考慮して、ベンガルのバウルのことを、「風狂の歌びと」とでも名づけておこう。

村で門づけ・托鉢をするハウル
村で門づけ・托鉢をするハウル

マドゥコリの生活

さて、そのバウルとよばれる「一群の人びと」が、いったい何人いるのかあきらかではない。インド政府が10年に一度おこなう国勢調査の数字にあらわれてこないほど、バウルは少数である。それにもかかわらず、バウルはベンガル社会で、はっきりと目立つ存在なのである。バウルがベンガル社会で目立つのは、彼らのライフスタイルが、一般のベンガル人のそれとは根本的に異なっているからである。そのちがいは、「生活費の稼ぎ方」である。

バウルは、世俗的な意味で非生産的である。彼らは農業労働や工業生産、手工芸作業、商業活動などに、いっさい従事していない。バウルは、一般のベンガル人に経済的に依存し「マドゥコリ」をして生活費を稼いでいるのである。ベンガル語の辞書は、「マドゥコリ」という語を、「蜂が花から花へと蜜を集めるように、一軒一軒物乞いをして歩くこと」と説明している。すなわち、ベンガルのバウルとは、「みずからバウルと名のり、バウルの衣装を身にまとい、門口でバウルの歌をうたったり、あるいは神の御名を唱えたりして、米やお金をもらって歩く人たち」のことである。バウルは、世捨て人のようなゲルア色(黄土色)の衣装を着て、「門づけ」や「たく鉢」をして生活費を稼いでいるのである。

バウルの道

マドゥコリの生活は、ひとりの人間が「バウルになる」ためにも、また「バウルである」ためにも不可欠の要件である。これは彼らが選んだライフスタイルである。そしてこのライフスタイルそのものが、彼らが主張する「バウルの道」(バウル・ポト)の基本なのである。バウルの道とは、「マドゥコリの生活にはじまり、神との合一という究極の目標にいたる道」である。それは「人間の肉体は、真理の容器」という彼らの信仰に基づいている。

この信仰をもうすこし整理すると、ふたつの原理に分解できる。

(1)人間の肉体は、宇宙にあるひとつの「もの」であるだけでなく、宇宙の「縮図」である。

(2)人間の肉体は、神の「住処」であるばかりでなく、神を実感するための唯一の「媒介物」である。

つまりバウルは、人間の肉体を小宇宙とみなし、みずからの肉体に宿る神と合一するために、みずからの肉体を駆使して「サドナ」(成就法)とよばれる宗教儀礼を実践するのである。このサドナには、ヨーガの呼吸法や坐法を通じておこなわれる性的儀礼や、宇宙を構成する五粗大元素(すなわち「地」、「水」、「火」、「風」、「空」)を、人間の器官や分泌物にたとえておこなわれる儀礼などをともなう。そして、サドナに関することがらは、もっぱらグル(師)から弟子へ、こっそりと伝えられるのである。

ヴィシュヴァ・バーラティ大学の寄宿舎に招かれて歌うバウル
ヴィシュヴァ・バーラティ大学の寄宿舎に招かれて歌うバウル

バウルの歌

バウルの宗教はバウルの歌に表現されている。しかしバウルの宗教には秘密のことがらがおおいので、その秘密をうたいこんだバウルの歌には、しばしば「なぞめいた用語」(サンダー・バーシャー)が使用されている。つまりバウルの歌には、表面上の意味の奥ふかくに隠された「真の意味」を表現するために、暗号のような語句や表現が意図的に使用されているのである。このためバウルの歌は部外者にとっては難解で、いくつもの解釈が可能であったり、あるいは意味不明のことが多い。その反面、部内者には「なぞ解き」をするようなおもしろさがあるといわれる。

ときどき夕方などに、グルのアーシュラム(庵)に弟子たちが集まってくることがある。そこでもサドナについて議論されることがあるが、それは主としてバウルの歌の解釈を通じてである。彼らはバウルの歌をうたい、バウルの歌の「なぞ解き」を楽しんでいるのである。しかし、歌の「真の意味」は秘密とされ、議論はグルとその弟子たちのあいだにかぎられるのである。【次ページに続く】

もうひとつのライフスタイル

それでは、ベンガル社会の「だれが」、「なぜ」マドゥコリの生活を採用し、バウルになったのであろうか。

バウルに、なぜバウルになったのかという質問をすると、十中八、九、「子どものころから歌や音楽がすきだったからだ」という答がかえってくる。しかし、個々のバウルのライフヒストリーを詳細に検討してみると、長期にわたる心理的・社会的・経済的不安を経験したのちに、バウルになったようである。

ベンガル社会の一群の人びとが、なぜバウルの道をえらんだのかを、ただひとつの要因をあげて説明することはできない。彼らがバウルになった動機には、いくつもの要因が複雑に絡みあっているのがふつうである。それらは、慢性的な貧困、低いカースト身分による抑圧、本人の意志のはいりこむ余地のない結婚に対する不安、世代間の反目、父母の別居による家庭崩壊、乳・幼児期における親の死の経験、そして異母兄弟との土地所有権や相続権をめぐる争いなど、解決できない抑圧の具体的な経験である。

このように、バウルになる動機となった要因のおおくは、カースト社会に内在している特質や矛盾に由来するようである。そしてそれらの要因が、彼らを脱出できない貧困に追いこみ、結果として生じた感情的な緊張や心理的な不調和は、バウルには、「現実」であるが「耐えがたい」と感じられていたようである。カーストの地位や身分による限界、インドの家族制度や結婚制度の特性、経済的な不安定さなどに起因するこれらの社会的・心理的な問題に対する解答は、「苛酷な現実に耐える」か「耐えがたい現実から自由になる」かの二者択一である。このような状況のなかで、わたしがインタビューしたバウルのおおくは、自分の身に降りかかった問題に対する意味ある解決策を、文化的に是認された「世捨て」、すなわち「マドゥコリの生活」に見いだすことができたのである。

マドゥコリの生活は、個人の選択肢が制限されたカースト社会における、選択可能な「もうひとつのライフスタイル」である。マドゥコリの生活は、それがどのような形態であれ、カースト制度が存続するかぎり、個人が生き延びるための「生存戦略」として、これからも存続するだろう。またマドゥコリの生活は、カースト社会のなかで差別されたり排斥された人びとや、カースト社会の社会関係や規範に疑問をもつ人びとの心理的・社会的な「適応戦略」として、これからも選択されるだろう。

マドゥコリの生活がいかにきびしいものであっても、バウルの道は、おなじ道をあゆむバウルのあいだに仲間意識をそだてる。ディッカ(特定のグルへの入門式)やベック(世捨て人の身分への通過儀礼)を通じて、グルとの師弟関係を軸にキョウダイ弟子をつくり、擬制的親族関係の輪をひろげる。さらにバウルの道は、宗教的トレーニングを通じてバウルを鍛える。バウルの歌を通じてバウルの宗教を学び、ヨーガを通じて自己鍛錬に努力したバウルは、精神的にも肉体的にも自信をもつようになる。そして、みずからの肉体に存在する神を実感するために、サドナを実践するのである。バウルの道の究極の目標に達したバウルは、宗教的求道者として、世俗の人びとからも尊敬されるのである。

バウルのライフヒストリーは、バウルがベンガル社会の「周縁部」の輪郭のはっきりした集団であることを十分に示している。ベンガル社会の大多数の人生を規定するカースト制度に対する彼らの否定は、バウルを社会の外側に、そして対立するものとして位置づける。それにもかかわらず、バウルは社会的に認知された周縁的集団の構成員として、ベンガル社会と親密に共存している。

このように、ベンガル社会の「世俗の人びと」と「バウル」とのあいだには社会的・文化的な緊張と均衡が日常的に存在する。そして、バウルという周縁的人間の存在そのものが、ベンガル社会の「中心部」の崩壊を守っているかのようである。なぜなら「バウルの道」は、カースト制度がいまだに根強いベンガル社会において、社会を拒否したり、あるいは社会に拒否された人に、「もうひとつのライフスタイル」を提供しているからである。それはあたかも、必然的に矛盾をふくまざるをえない複合社会が周縁的人間を生みだし、その周縁的人間の存在そのものが、社会全体を完全な分裂から守っているかのようである。しかしバウルにとっては、カースト制度の維持にはたす彼らの役割は、まったく理解の範囲をこえたものであろう。

アーシュラムで歌うバウル
アーシュラムで歌うバウル

ドルソン現象

さて、世俗の人びとと世捨て人との関係を考察するために、インドの聖地ではどこでも観察される「ドルソン(ダルシャナ)現象」についてふれておかねばならない。

ドルソン現象とは、ヒンドゥー教の出家修行者「サードゥー」に対する、世俗の人びとの態度の根拠となっている信仰形態である。「ドルソン」という語は、「見ること」あるいは「知らせること」という意味である。ベンガル語の日常的な会話の文脈では、「ドルソンを得る」とは「ちらりと見ること」であり、「ドルソンを与える」とは「ちらっと姿を見せること」である。世俗の人びとにとっては、聖地を巡礼するサードゥーをちらっと見ることは、聖地の寺院に祀られた神像をちらっと見ることに相応するとされている。そして世俗の人びとは、敬けんなヒンドゥー教徒が神像を取り扱うのとおなじやり方で、サードゥーに丁重に接しなければならないのである。それは、「ドルソンを得た」ことに対する返礼である。しかしサードゥー自身は、「ドルソンを与える」ほかには、俗人に対してなんの義務もないのである。

現代においても、カースト社会に生きる世俗の人びとにとって、サードゥーは相反する生活様式を採用した人であるが、「究極の理想を追求する人」として存在しているのである。そして世俗の人びとは、サードゥーに食べ物や金品を与えて世話をし、サードゥーの生存を保証しているのである。それは、世俗の人びとにとって「スヴァ・ダルマ」(本分)とされているのである。

バウルは、サードゥーのようなゲルア色の衣装を着て、門口でバウルの歌をうたったり、神の御名を唱えたりして、「ドルソンを与えている」のである。世俗の人びとは、「ドルソンを得た」返礼として、一握りの米や季節の野菜をバウルに施与し、バウルの生存を保証しているのである。

ローカル列車で稼ぐバウル
ローカル列車で稼ぐバウル

近年のインドの急速な経済成長には目を見張るものがある。しかし、急速な経済成長は物価の上昇をともなう。たとえば米1キログラムの値段は、1988年では4ルピーだったが、2007年では22ルピーに上昇した。しかしバウルにとって、マドゥコリの生活の重要性は変化していない。現在でも、バウルが村で1日マドゥコリをすると、米2〜3キログラム、季節の野菜1〜2キログラムを集めることができる。それは20年前と変化していない。バウルが村人から喜捨として受けとる米や季節の野菜などの「現物」の価値は、物価の上昇に影響されない。バウルは、村でマドゥコリをするかぎり、生活の基盤は脅かされないのである。

「バウルの道」(バウル・ポト)は、「サードゥー」(ヒンドゥー教の出家修行者)や「ヨーギー」(ヨーガ行者)、「ボイラギ」(ヴィシュヌ派の出家行者)、「ファッキール」(イスラム神秘主義の行者)など、ベンガル社会に存在するいくつかの「世捨ての道」(ションナーシ・ポト)のひとつである。インド文明には、カースト制度にともなって、それと矛盾する世捨ての制度が、文明の装置として組み込まれているのである。

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プロフィール

村瀬智文化人類学

大手前大学メディア・芸術学部教授。1944年、兵庫県芦屋市生まれ。1991年、アメリカ・イリノイ大学大学院人類学研究科博士課程修了(Ph.D. 取得)。インドの宗教と社会を中心に研究。専門は文化人類学、比較文明学。著書にPatchwork Jacket and Loincloth: An Ethnographic Study of the Bauls of Bengal.(Univ. of Illinois)、『「貧困の文化」再考』(共著、有斐閣)、『生活世界としての「スラム」』(共著、古今書院)、『グローバル化とアジアの観光』(共著、ナカニシヤ出版)、『貧困の超克とツーリズム』(共著、明石書店),『地球時代の文明学2』(共著、京都通信社)など。

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