2016.10.21

移民と地元民をつなぐ作物――ガーナにおけるカカオ生産とコーラナッツ交易

桐越仁美 アフリカ地域研究、地理学

国際 #等身大のアフリカ/最前線のアフリカ#コーラナッツ#ガーナ

シリーズ「等身大のアフリカ/最前線のアフリカ」では、マスメディアが伝えてこなかったアフリカ、とくに等身大の日常生活や最前線の現地情報を気鋭の研究者、 熟練のフィールドワーカーがお伝えします。今月は「等身大のアフリカ」(協力:NPO法人アフリック・アフリカ)です。

西アフリカのカカオ生産の背景

チョコレートの原料として私たちにとって身近なカカオは、その大半が西アフリカで生産されていることはよく知られているだろう。しかし、その生産現場のことは十分に知られていないのではないだろうか。カカオは、どのような環境下で、どのような人びとによって、どのように栽培されているのだろうか。そして、どのような経路で、誰によって、どのように運ばれているのだろうか。

現代のカカオの生産・流通の形態は、歴史的過程を通じて形成されており、そこには多様な地域と民族がさまざまなかたちで関わっている。また、カカオの栽培は単一におこなわれているわけではなく、西アフリカ特産のコーラナッツという樹木作物が重要な役割を果たしている。本稿では、カカオの産地として私たちと最もなじみの深い西アフリカのガーナにおけるカカオ生産に着目して、アフリカにおける商品作物の生産がどのように成立しているのか、それをとりまく人や他の作物がどのように関わっているのかについて述べる。

世界のカカオ生産量の国別割合 (2014/15年度、国際ココア機関(ICCO)カカオ統計2014/15年度 第2刊より筆者作成)
世界のカカオ生産量の国別割合
(2014/15年度、国際ココア機関(ICCO)カカオ統計2014/15年度 第2刊より筆者作成)

世界のカカオ総生産量をみると、第1位の生産国はコートジボワール、第2位はガーナ、第5位はナイジェリア、第6位にはカメルーンがつづき、世界のカカオ生産の約3分の2を西アフリカ諸国が占めていることになる(ICCO 2015)。カカオ生産というと、大規模なプランテーションでの栽培を想像するかもしれないが、コートジボワールやガーナなどの西アフリカ諸国では、小規模農家がカカオ生産を担っていることが多い。

19世紀後半、ヨーロッパ諸国は西アフリカにおける植民地化を進め、パーム油やラッカセイ、カカオ、コーヒーなどの農業生産の部門で奴隷を使った生産体制を南部の森林地帯に広めた(Candido 2011)。このとき奴隷とされていたのは、現在のブルキナファソやコートジボワール北部、ガーナ北部などのサバンナ地帯に暮らす人びとであった。奴隷制度が廃止された後も、西アフリカ南部の森林地帯における農業生産では、サバンナ地帯からの移民労働者が主力になっていった。

コートジボワールは1960年の独立以降、1970年にかけて急速な経済成長を遂げた。1975~1977年にコーヒーとカカオの生産部門が急成長をみせ、1976~1980年には、おもにブルキナファソやマリから130万人にものぼる移民が流入した(OECD 2009)。政治的な後押しを背景に熱帯森林地帯へと急速に入植した移民たちは農園を開拓し、登記をおこなわないまま土地を占有・所有しつづけた。受け入れ地となった南部の森林地帯では、移民と地元民の潜在的な対立の構図が根づくことになり、2003年の内戦の大きな要因のひとつとなった(佐藤 2015)。

一方、私が調査対象としているガーナ南部の森林地帯でも、カカオ生産に従事しているのは北部のサバンナ地帯からの移民労働者たちである。現在、ガーナ国内には60万人の移民がいるとされ、そのうち40万人が西アフリカ各国からの移民労働者であり、その数は増加傾向にある(Ghana Statistical Service 2013)。移民が増加しているガーナでは、かつてのコートジボワールのように、移民と地元民のあいだに軋轢は生じていないのだろうか。

ガーナ南部の森林地帯では、カカオとともにコーラナッツが生産されている。カカオ産業を経済基盤とし、その生産を移民の労働力に依存しているガーナにおいて、移民と地元民をつなぐ重要な作物が、このコーラナッツである。

西アフリカの重要な交易品、コーラナッツ

「コーラナッツ」を知っている読者は少ないかもしれないが、初期のコカ・コーラの原料であったという話を聞いたことがある人はいるのではないだろうか。コカ・コーラという名称の「コカ」はコカの葉、「コーラ」はコーラナッツからとっている。

コーラナッツは熱帯西アフリカ原産のアオイ科コラノキ属コラノキ(Cola nitida)の種子で、西アフリカ北部のサバンナ地帯の人びとが嗜好品としている。サバンナ地帯では社会的な価値が高く、儀礼などにも欠かせない。

たとえばハウサと呼ばれる民族の社会では、首長への貢物や訪問先に送る品、出産の祝いの品、祭りや儀式の供物として重宝され、新生児の命名式などに用いられるほか、結婚に関するやりとりにも用いられる。結婚に関するやりとりでは、男性が意中の女性にコーラナッツを送り、女性は結婚の申し込みを受けるときには白いコーラナッツ、拒むときには赤いコーラナッツを男性に渡して返事をするのだという(Abaka 2005)。

ニジェールのハウサの農村では、子どもの命名式でコーラナッツが参列者に配られる (写真提供:大山修一)
ニジェールのハウサの農村では、子どもの命名式でコーラナッツが参列者に配られる
(写真提供:大山修一)

祭りや儀礼の場だけでなく、日常生活のなかでもコーラナッツが消費される。コーラナッツにはカフェインやテオブロミンといった成分が含まれており、指で小さく刻んだものを口に入れ、10~30分ほどかけて噛むことで眠気覚ましや興奮剤になる(Burdock et al. 2009)。西アフリカの学生たちは、試験勉強のときにコーラナッツを噛んで眠気を抑え、集中力を高める。コーラナッツは日本でいうところの栄養ドリンクのような役割も果たしている。

独特の苦味と渋みがあって、日本人にとっては馴染みのない味であるが、サバンナ地帯の人びとは男女ともに好んで毎日コーラナッツを購入し、噛みながら仕事に向かう。ときには40度以上の猛暑となることもあるこの地域では、人びとが炎天下で仕事をするときに、商用共通語であるハウサ語を使って「水を飲み,コーラナッツを噛め(ka sha ruwa, ka ci goro)」と声をかけ合う。コーラナッツを噛むことで空腹が和らぐから、食事がなくても水とコーラナッツさえあれば働けるという意味だ。

このように、西アフリカのサバンナ地帯の人びとにとってなくてはならないコーラナッツだが、その最大の特徴は生産地と消費地が異なるところにある。消費地であるサバンナ地帯では日常的に消費されているのに対して、生産地である森林地帯では日常的に消費されることはまずない。

森林地帯で生産されたコーラナッツは、長ければ2,000キロメートル以上の道のりを経て、サバンナ地帯やその北のサヘル地帯、ときにサハラ砂漠にまで輸送される。しかも生のまま消費されるので、鮮度を保ちながら迅速に輸送しなければならない。鮮度を維持するために日が当たらないように厳重に木の葉で包み、湿度を保つために道中で水をかけることが必要とされる。

このように輸送に相当の手間とコストがかかるために高い付加価値がつき、貴族しか手に入れることができない高級品として扱われていたこともあるなど、コーラナッツは何世紀にもわたって西アフリカの重要な交易品とされてきたのである。

コーラナッツとカカオの関係

19世紀末、それまで西アフリカ域内で流通していたコーラナッツは、ヨーロッパや北アメリカに海上輸送されるようになった。西アフリカの人びとが畑仕事や戦争の際にコーラナッツを噛んで空腹を抑えていたことに、ヨーロッパの科学者が注目したからだといわれている。1885年には患者への投与実験によってリウマチや呼吸困難、頭痛に効果があることが確かめられ、同じように医療効果があるとされるカカオと混ぜることで消耗性疾患の補助療法としても有効であるとされた(Abaka 2005)。この頃からコーラナッツはカカオと対をなす存在になっていった。

ゴールドコースト(現在のガーナ)産のコーラナッツは、カカオよりも少し早く1867年にはじめてイギリスへ海上輸送された。科学的な関心の高まりとは別に、コカ・コーラの原料などとしての需要もあり、輸出量を伸ばした。しかし、1921年をピークに海上輸送量は減少した。このときからコカ・コーラなどの製造では、コーラナッツの成分の代わりとなる人工の防腐剤が使われるようになったからである。

こうしてヨーロッパや北アメリカにおけるコーラナッツの市場拡大は失敗に終わったのだが、コーラナッツに取ってかわるようにしてカカオの海上輸送量が増加していった。それまではヨーロッパの貴族階級の人びとしか口にすることのできなかった飲み物の「チョコレート」が、産業革命後の19世紀にひろく労働階級にも普及したからである(武田 2010)。ゴールドコーストのカカオ産業は20世紀に入って生産量を急速にのばし、1965年にピークを迎えた。その後、一時的に減少傾向を示したものの、現在にいたるまでガーナの基幹産業として生産量を維持している。

交易の歴史にみられる関係だけでなく、生産の現場でもコーラナッツとカカオは密接に関わっている。カカオノキ(Theobroma cacao)はコラノキと同じアオイ科で、このふたつの樹木はなにかと相性がいい。コラノキはカカオノキの幼樹を日光から守るのに最適であるとされ、ゴールドコーストの人びとは野生のコラノキの根元にカカオノキの苗木を植えた。コーラナッツの生産に使われた農具はそのままカカオ生産に転用可能であったし、コーラナッツ交易で蓄えた資金がカカオ生産を発展させた(Mitomi 1982)。

北部のサバンナ地帯から来た移民労働者たちは、南部の森林地帯でカカオの栽培や収穫に従事し、その収益でコーラナッツを購入して故郷のサバンナ地帯へ輸送した(Abaka 2005)。カカオ生産の重要性が高まるにつれて多くの労働力が必要になったが、コーラナッツを必要とするサバンナ地帯の人びとによって労働力が補われ、現在にいたるまで生産量が維持されてきた。

このように、私たちにも馴染み深いチョコレートの原料であるカカオの生産は、私たちにはあまり馴染みのないコーラナッツの交易と寄り添うように発展してきた。カカオ畑にはコーラナッツが植えられており、サバンナ地帯から森林地帯にやって来た移民労働者たちが、カカオ生産に従事するかたわらでコーラナッツの生産や流通にも関わっている。

移民労働者の若者は品質の悪いコーラナッツを取り除いて輸送用の袋に詰める
移民労働者の若者は品質の悪いコーラナッツを取り除いて輸送用の袋に詰める

コーラナッツ交易からコーラナッツ・ビジネスへ

コーラナッツの長距離交易は、長い時間をかけて西アフリカに巨大な商業ネットワークを形成した。コーラナッツは、各地の交易拠点で人から人へ手渡され、たくさんの民族を介して南部の森林地帯から北部のサバンナ地帯へと輸送された。道路や鉄道が整備される20世紀までは、輸送には一般的にロバが使われ、商人たちは大きな隊商を組んでコーラナッツなどの交易品を運んだ。19世紀の終わりに確認されたコーラナッツ隊商は、大規模なものでコーラナッツを運搬するアシスタントの男性が1,000~1,500人、ロバが2,000頭で構成されていたという(Lovejoy 1980)。

現在でもコーラナッツの交易には、消費者であるサバンナ地帯の多くの民族が関わっている。一方で、生産者やコラノキの所有者は、ガーナ南部の森林地帯にもともと暮らすアサンテなどの民族である。異なる気候帯に暮らす異なる民族の連携のもとで、森林地帯からサバンナ地帯へと長い旅路を経てコーラナッツが運ばれていく。しかしながら、20世紀までと現在のコーラナッツ交易では、携帯電話と大型のトレーラーをつかった輸送形態がとられている点が大きく異なっている。

20世紀までは、商人がサバンナ地帯から森林地帯に向けて奴隷や家畜などを運び、アシャンティ王国の市場でコーラナッツに交換してサバンナ地帯に戻っていた。商人たちは、家族をともなって数ヶ月かけて交易路を往復していた。一方、現在のコーラナッツ交易では、商人たちは南部の森林地帯に暮らし、農家から直接コーラナッツを買付けている。コーラナッツを買付けた商人は携帯電話でバイヤーに連絡をとり、要請された分のコーラナッツを準備する。準備が整うと輸送業者に依頼して、コーラナッツをバイヤーのもとに送り届ける(桐越 2016)。

コラノキにはある程度きまった収穫期があるが、結実の時期に個体差があるため、商人たちは年間を通じてコーラナッツを得ることができる。みずからがコーラナッツを買付け、生産地から動くことなく販売することができるため、商人たちはガーナ南部の農村に移住し、長い年月をそこで過ごすようになった。近年では、コーラナッツ交易は「コーラ・ビジネス」または「コーラナッツ・ビジネス」と呼ばれている。

コーラナッツは3日かけてガーナから大消費地のナイジェリアやニジェールへと運ばれていく
コーラナッツは3日かけてガーナから大消費地のナイジェリアやニジェールへと運ばれていく

コーラナッツ商人以外の移民労働者たちは、地主である南部の人びとから土地を貸し与えられ、小作人としてカカオとコーラナッツを一緒に生産する。小作人は、カカオとコーラナッツの収穫の3分の1から2分の1を得ることができ、残りを地代として地主に納める。この契約では土地を借りるための現金が必要ないので、サバンナ地帯から来た人びとは現金の持ち合わせがなくても地主と小作契約をむすぶことができる。

またコーラナッツにかぎり、地主や小作人の許可なく地面に落ちたものを拾うことが許されており、サバンナ地帯出身の人びとも森林地帯の人びとも、毎朝村の周りのカカオ畑に入ってコーラナッツを集めてくる。これは、アサンテの人びとがコーラナッツを「神の贈り物」であると考えているためであり、木の下に落ちたコーラナッツは民族に関係なく誰がどの畑から拾ってもかまわない。女性や子どもはカカオ畑で拾ったコーラナッツを少しずつ売って、そのお金で食材や教材を買っている。

小作契約で得たコーラナッツや畑に入って拾ったコーラナッツは、サバンナ地帯から森林地帯に移り住んだコーラナッツ商人たちに売却することができる。1袋(約7,000個)のコーラナッツは200ガーナセディ(約50,000円)で取引される。商人は1ヵ月に10~50袋ほどのコーラナッツをサバンナ地帯に向けて送り出す。20世紀までは男性だけが商人として活動していたが、最近ではたくさんの女性がコーラナッツ商人となって活躍している。夫はカカオ生産、妻はコーラナッツ・ビジネスで現金を稼いでいるという世帯も多い。

女性は集めてきたコーラナッツを少しずつ売って現金を得る
女性は集めてきたコーラナッツを少しずつ売って現金を得る

移民と地元民をつなぐコーラナッツ・ビジネス

ガーナ南部の森林地帯では、サバンナ地帯からの移民労働者がカカオ生産に従事しており、その多くが生産者や商人、輸送業者としてコーラナッツ・ビジネスにも関わっている。しかし、コーラナッツ・ビジネスに従事している移民たちのなかには、「コーラナッツ・ビジネスは副業だ」、「ガーナ南部の森林地帯に移住してきた真の目的はカカオ生産への参入だ」などと語る人が多い。カカオ生産はガーナ経済を支える大きな柱であるがゆえに大量の労働力を必要としており、サバンナ地帯の人たちはそこに目をつけているのだ。

サバンナ地帯出身の移民労働者たちは「カカオ産業に参入したいと思ったときは、まずは故郷の市場にいってコーラナッツ商人を探すのが最善の方法だ」と話す。すでに述べてきたように、コーラナッツはカカオとのつながりが深いからだ。カカオ生産に参入したいサバンナ地帯の人びとは市場にいき、コーラナッツ商人にかけあって森林地帯の人びとへの紹介を依頼する。コーラナッツ商人を通じることで、比較的容易にカカオ産業に参入することができるのである。私の調査村でも、移民たちの半数以上が「コーラナッツ商人を通じてガーナ南部に生活の場をみつけ、地主を探しだした」と語る。

移民労働者は土地を購入することなく、地主と契約して小作人になることでカカオ生産に参入していく。小作人とはいえ、高値で売れるカカオとコーラナッツの収穫の3分の1から2分の1をもらえるので、自分の生活を維持しつつ故郷の家族に仕送りすることも十分に可能だ。さらにカカオ畑のなかで食料作物のプランテン・バナナやキャッサバ、ココヤムなどを自由に育てることが許されているため、毎日の食事にも困らない。

このように、地主と契約さえできてしまえば生活は保障されるのだが、社会的・文化的・宗教的な違いが大きいために、北部のサバンナ地帯の人びとが南部の森林地帯でよい地主をみつけだすには、その土地や人をよく知る仲介者をたてる必要があるのだ。

コーラナッツ商人も、森林地帯の人びとと関わらずにビジネスを成立させることはできない。コーラナッツの買付けは、買付け額の前払いが一般的となっている。代金を前払いしたうえで数日後にその分のコーラナッツを受け取るので、支払った分を確実に渡してくれる人と取引をしないと損失が出ることになる。したがってサバンナ地帯の人たちは、取引のなかでその人が信用に足る人かどうかを見極めている。彼らが長く取引していれば、信用できる人であるということになる。こうしてサバンナ地帯出身のコーラナッツ商人たちは、信頼できる地主をコーラナッツ・ビジネスのなかで見つけだし、自分の友人や知人を紹介する。

%e7%94%bb%e5%83%8f06
サバンナ出身の商人(左)は森林地帯の農家(右)からコーラナッツを買付ける

ただし、西アフリカのサバンナ地帯の人たちと森林地帯の人たちとの関係をみるとき、奴隷貿易の記憶はいまだに拭いきれない。奴隷貿易時代、森林地帯に成立した強大なアシャンティ王国は、サバンナ地帯の人びとを奴隷としてヨーロッパ諸国に売ることで富を蓄積し、ヨーロッパから輸入した銃などの武器を独占して内陸に領土を拡大させ、武力で周辺の民族を従わせた。さらに、ヨーロッパから輸入した武器は奴隷狩りに利用され、サバンナ地帯で奴隷狩りがますます拡大するという「銃―奴隷サイクル」をつくりだした(Austin 2013)。

このように奴隷貿易が一般的だった時代には、隣村に出かけることすら危険をともない、長距離交易の隊商が奴隷狩りに襲撃されることもあった。サバンナ地帯では、成人の男女だけでなく、ときには老人や子どもまでもが奴隷として連れ去られた。奴隷たちは充分な食料を与えられないまま数百キロメートルの道のりを歩かされ、市場では長時間にわたって炎天下にさらされた。買い手がついたとしても、西インド諸島やアメリカ大陸へ売り飛ばされるか、もしくはアサンテの人びとのもとで毎日朝から晩まで働かされる日々を送ったのだ。

現在の移民労働者たちが同じ経験をしたわけではないが、それでも厳しい仕打ちを受け、森林地帯の民族のもとで労働させられた「奴隷としての記憶」を今にいたるまで残している。調査中に「これだからアサンテの人は信用できない」という話をきいたり、「森林地帯の人は昔、奴隷であるサバンナ地帯の人をたくさん殺した」と説明されたりと、随所で彼らのなかに残る奴隷としての過去を感じることがある。

それでも今は、サバンナ地帯から来た移民労働者たちと森林地帯の人たちとのあいだに大きな衝突はなく、両者は同じ村のなかでともに生活している。コーラナッツ・ビジネスやカカオ生産のなかでお互いに信頼関係を築き、一緒に仕事をしている場面にも立ちあう。

「ガーナではサバンナ地帯からの移民と森林地帯の地元民が争うことはないの? コートジボワールやナイジェリアでは内戦にもなったのに」と聞く私に、移民たちは「お互いが必要だからね」と答える。「コーラナッツもカカオも、サバンナと森林の両方の人たちを必要としている。私たちもお互いを必要としている。だからガーナでは紛争なんて起きないよ。どちらかがいなくなったら困るから」と。

移民たちのなかでも、とくにコーラナッツ商人たちは「私たちが北部のサバンナ地帯と南部の森林地帯をつないでいるんだ」と鼻高々に語る。古くから続くコーラナッツ交易は、コーラナッツの特殊性ゆえに、数世紀にもわたってサバンナ地帯と森林地帯という異なる地域をつないできた。いまでもなお、サバンナ地帯の人びとは貴重なカカオ生産の労働力として、森林地帯の人びとはコーラナッツの提供者として、コーラナッツ・ビジネスを通じて強くむすびつけられている。

参考文献

・桐越仁美. 2016.「コーラナッツがつなぐ森とサバンナの人びと―ガーナ・カカオ生産の裏側で」重田眞義・伊谷樹一編『争わないための生業実践―生態資源と人びとの関わり』(アフリカ潜在力シリーズ 太田至 総編集 第4巻)京都大学学術出版会, pp.85-118.

・国際ココア機関(ICCO). 2015.『カカオ統計2014/15第2刊』ICCO.

・佐藤 章. 2015.「コートジボワール農村部に適用される土地政策の変遷―植民地創設から今日まで」武内進一編『アフリカ土地政策史』アジア経済研究所, 147-170.

・武田尚子. 2010.『チョコレートの世界史』中公新書.

・Abaka, E. 2005. Kola is God’s Gift: Agricultural Production, Export Initiatives & the Kola Industry of Asante & the Gold Coast c.1820-1950. Accra: Woeli Publishing Services.

・Austin, G. 2013. Commercial Agriculture and the Ending of Slave-Trading and Slavery in West Africa, 1780s-1920s. In Law, R., S. Schwarz and S. Strickrodt. eds., Commercial Agriculture, the Slave Trade & Slavery in Atlantic Africa. New York: James Currey, pp. 243-265.

・Burdock, G. A., I. G.Carabin and C. M. Crincoli. 2009. Safety Assessment of Kola nut Extract as a Food Ingredient. Food and Chemical Toxicology, 47: 1725-1732.

・Candido, M. 2011. Sub-Saharan Africa: Jihads, Slave Trade and Early Colonialism in the Long Eighteenth Century. Journal for Eighteenth-Century Studies, 34: 543-550.

・Ghana Statistical Service. 2013. 2010 Population & Housing Census. Accra: Ghana Statistical Service.

・Lovejoy, P. E. 1980. Caravans of Kola –The Hausa Kola Trade 1700-1900. Zaria: Ahmadu Bello University Press.

・Mitomi, M. 1982. Underdevelopment, Peripheral Capitalism and the Cocoa Industry in Ghana. Japanese Journal of Human Geography, 34: 69-82.

・Organisation for Economic Co-operation and Development. 2009. Regional Atlas on West Africa. West African Studies ser. Paris: OECD Publishing.

プロフィール

桐越仁美アフリカ地域研究、地理学

京都大学アフリカ地域研究資料センター研究員。博士(地域研究)。専門はアフリカ地域研究、地理学、生態人類学。2010年からニジェール南部で農耕民ハウサの植生利用と砂漠化に関する調査を開始し、2013年からはガーナ北部・南部を新たに調査地にくわえた。現在はハウサやダガーレ、クサシといった西アフリカ各地の民族を対象として、流通をめぐる民族関係に関する現地調査を続けている。

この執筆者の記事