2012.04.03

普遍的価値の擁護者としての「極右」―― リベラリズムのアイロニー

吉田徹 ヨーロッパ比較政治

政治 #ネオナチ#極右

ヨーロッパの政界で「極右」が話題にならない日はないといってよい。主要なものだけを数えても、EU27カ国で20以上もの極右政党が存在しており、各国の国政選挙でも、ときによって20%近くの得票率を得るまでの存在になった。

「極右」というと、いまだに、スキンヘッドで部屋にナチスのハーケン・クロイツを掲げた愚連隊崩れというイメージで語られることが多い。そうでなくとも、たとえば最近では『ミレニアム1ドラゴン・タトゥーの女』(スティーグ・ラーソン)で描かれたように、ナチスだった経験を持つ年老いたファシストの集まりといった認識も根強い。

こうした描写はまったく間違いだというわけではないが、もはや「ファシスト」や「ネオナチ」といった形容詞でもって極右を語るのは、ミスリーディングという以上に、間違いに近い。ヨーロッパの極右政党は、とくに9.11を以降になって、どちらかといえばアメリカの「ティーパーティ」に類似する、ポピュリスト政党として進化してきているからだ。

最近では、すでに第一党としての地位を築いたスイス人民党(UDC)の主導で、実刑判決を受けた外国人の強制送還措置やミナレット(モスクの塔)建設の是非を国民投票にかけたことに象徴されるように、一国の政策に大きな影響を与えるまでになっている。以下に、その類型と理由を見てみよう。

3つの類型と3つの局面

ヨーロッパの極右といっても、国によって大きなヴァリエーションがある。

ひとつは、ノルウェーの進歩党やフランスの国民戦線(FN)、ベルギー・オランダの「フラームス・ベラング」のように、選挙で10から20%の支持を得ながら、政権運営にはタッチしない(できない)極右政党である。これらの政党は、いまだ移民排斥を主張の力点にしており、そうした意味でも、獲得できる支持は限定的である。

次は、オーストリア自由党(FPO)やこれから分派した「オーストリア未来同盟」、デンマーク国民党、イタリアの北部同盟のように、何らかのかたちで、政権与党と協力関係にあり、政策に実質的に影響を及ぼしている諸政党がある。こうした政党は、地方政治ではもちろんのこと、国政でも完全な足場を築いている。

最後に、とくに旧東欧諸国のブルガリアの「アタカ」や、フィンランドの「真のフィンランド人党」といった、市場化と民主化を90年代に経験した国々での新興極右勢力がある。

それぞれの国での文脈は違っており、一括りにすることはできないが、いずれも既存政党のポジショニングに影響を与えるまでの勢力になっている。オーストリア自由党の台頭に対して見られたように、当初、既存政党はこうしたラディカルな政党に対して、政治的左右の垣根を超えて「予防壁」を形成しようとする。しかし、これは既得権を守るだけの行為としてしか有権者には認知されず、逆に極右の伸張を許すという悪循環を招くことになる。この場合、既存の政党は、部分的な協力関係を極右政党と結ぶか、彼らが掲げる政策を部分的に取り入れて支持者を懐柔するかの選択を迫られることになる。このような状況配置は、日本でも再現されつつあることには注意しなければならない。

ヨーロッパのこうした極右政党は、90年代まで、戦後のファシズム文化や反共勢力、帝国主義者をまとめあげる雑多な政治組織でしかなかった。もちろん、これだけでは政治勢力としてはマージナルな存在でしかない。現在につづく極右政党の伸張は、大きく言って3つのフェイズに分けることができる。

最初のフェイズは70年代、オイルショックによって移民問題が社会で表面化したときである。その後、ロジックはさまざまだが、移民排斥は現在に至るまで極右政党によって争点化されるようになっていく。

次のフェイズは、90年代に、既存の諸政党が多かれ少なかれ、とくに経済政策において中道化していくと同時に低成長率時代に本格的に突入し、共産党をはじめとする極左政党の支持者を獲得していったときに求められる。冷戦崩壊とともに、共産主義イデオロギーを掲げる政党が失墜するのと入れ替わって台頭するようになったのが極右政党だったのである。貧しい労働者ゆえに、極右政党を支持するというのは不思議な構図ではない。

三つ目の、そしてもっとも重要なフェイズは、2001年の同時多発テロ以降、ヨーロッパにおいて「文明の衝突」の構図が押し寄せたときである。折りしも、2002年にはオランダの極右政治家ピム・フォルタインが暗殺され、彼が創設した反イスラム政党は議会で第二党となるという、エポックメイキングな事件があった。

ポスト9.11が重要な契機となったのは、これを機にヨーロッパ極右政党は明確なポジション・チェンジをみせたからだ。イタリアのMSIのようなファシズム政党は除けば、それまで色濃く引きずっていた戦前のファシズムや冷戦時代の反共イデオロギーを掲げるのではなく、むしろ西欧文明に敵対するものとして反イスラム主義を明確にしたのである。しかも、これはたんにイスラム系移民の差別ではなく、西欧的普遍主義の擁護という容を採ることになった。

普遍的価値の擁護者?

具体的事例で説明してみよう。スイスや最近のフランスで問題になったものとして、ハラル(イスラムの教義に従って処理された食品などを差す総称)がある。ムスリムが豚肉を食さないのは一般的に知られているが、なかでも敬虔なイスラム教徒は、特定の屠殺によって処理された食肉(とくに頚動脈を切ることによる処理)しか口にできない。スイスのムスリム人口は5%弱、フランスのそれは10%弱だが、食肉業界はもちろんこうしたニーズを無視することはできない。他方で、ハラル食肉であることを表示する規定はないので、知らず知らずのうちに、全体としては少ないシェアであるものの、ハラルが通常の食肉に混ざって流通するという事実がある。こうしたことを問題視して、スイスは憲法でハラルを禁止したほどである。ここで、ハラル問題は、消費者としての権利を阻害するものとして、槍玉にあげられる。

他にも、イスラムの女性が被るブルカ(スカーフ)は、女性抑圧の象徴として、あるいはイスラム圏ではいまだ一般的な「強制結婚」(家長が娘の結婚相手を一方的に決める)、少数でみられる一夫多妻などは、女性の自己決定権に対する挑戦として受け止められる。先にあげたミナレットの建設禁止も、スイスの風光明媚な景観を守らなければならないとして、国民投票にかけられたのである。スイス国民は禁止案を58%で賛成した。かくしてヨーロッパで生成した普遍主義は、イスラム文化と相容れないという言説が伝播していくことになる。

こうしたトレンドは、たとえば少し前に北欧諸国で見られ、ヨーロッパ大陸でも近年見られたような「福祉ショーヴィズム(排外主義)」の発展形としてみることもできる。財政赤字が蓄積し、福祉国家が揺らいでいるなかで、移民系が社会保障を乱用することは結果的に福祉水準の切り下げにつながる、という論理である。

フランスの極右政党である「国民戦線(FN)」も、これまでの既存政党を告発する「反システム政党」から、デンマークの国民党やイタリアの北部同盟のように、政権担当能力を持つ本格的な近代政党へと変貌を遂げようとしているが、こうした近代的価値と西欧の普遍主義的価値観の擁護者として票を獲得する戦略に出ている。もちろん、こうした政党が高揚して告発する生活習慣や文化的態度は、何らかのアイデンティティを持つ人々を集団化してスティグマ化しているに過ぎない。しかし、FNが掲げる価値に賛成するとする国民は、世論調査によれば60%以上にも上っている。

こうした主張をする極右政党を、もはや「極右」ではなく、「ナショナル・ポピュリズム政党」と呼ぶべきだとの主張もある。先進国の多くは日本のみならず、人口減少の時代に入っている。こうしたなか、イスラム人口はキリスト教徒を上回り、これに南北格差が追い討ちをかけて、ヨーロッパへの人口流入圧力が働く。英デイリーテレグラフは2050年に、ヨーロッパ人口の20%がイスラムに占められることになる、との予測を報道した。このような「文明の衝突」を抱えるヨーロッパで、極右政党は、普遍主義の新たな擁護者として立ち現れようとしているのである。こうして、2011年のノルウェーでのテロ犯はイスラムに対する「聖戦」を口にし、2012年にはフランスでユダヤ人とアフガン占領に対する「聖戦」を訴えるテロ犯が生まれるまでになった。テロの連鎖が生まれつつある。

問題は、このような極右勢力の変貌に抗することのできる、説得的な対抗言説を既存の政治家も、知識人も生み出すことができていないことにある。それは、20世紀を通じて構築し、普遍的な価値を持つと声高に主張してきた言説そのものが、逆手にとられていることの証拠に他ならない。少なくとも、ヨーロッパに関するかぎり、人々の持つ価値観は年を追うごとに、より寛容でリベラルなものになってきている。EU加盟の条件として、死刑廃止が求められているのは、その価値観を制度化した端的な例である。その価値を守ろうとすればするほど、今度はそのような価値体系を持たない人々や文化との差異が際立つことになる。

哲学者のスラヴォイ・ジジェクは、この一連のプロセスそのものが、実際には暴力行為以外の何物でもないと喝破している。ヨーロッパのリベラリズムは、「寛容」を許したことによって、「寛容」そのものを失くしてしまっているという逆説が生まれつつある、と。新たな統合の原理は一朝一夕には創出されない。そのかぎりで、時代変化を貪欲に取り入れつつ、政治世界で生存を誇ってきたヨーロッパの新たな極右の時代は、当分つづくことになるだろう。

プロフィール

吉田徹ヨーロッパ比較政治

東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学博士課程修了、博士(学術)。現在、同志社大学政策学部教授。主著として、『「野党」論』(ちくま新書・2016年)『感情の政治学』(講談社・2014 年)、『ポピュリズムを考える』(NHK 出版・2011 年)、『民意のはかり方』(編著、法律文化社・2012 年)、『ミッテラン社会党の転換』(法政大学出版局・2008 年)など。

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