新しい「ことば」の学び方――「一身にして二生を経る」時代を生き抜くために

■私たちはどう生きてきたのか        

 

この「ことば」については、いろいろな場面で考えてみてください。例えば、みなさんが新しいバイトを始めるとします。最初の1~2週間はそのバイト特有の言葉を覚えますよね。メニューや商品の名称、夜と昼のシフトがあるということ、時給はどう変わるのか……バイトごとに異なる「専門用語」は、新しい「ことば」として学ぶことになります。

 

就職活動の中でもそのつど新しい「ことば」が出てくるでしょう。「なぜ御社を志望するのか」をプレゼンするとき、どういうふうに立ち振る舞えば内定につながる可能性が高くなるのかを考える必要があります。すると、それまで使っていなかった表現であったり、かつて一度もしたことのない格好をしたりします。それこそネクタイが嫌いな人でもなんとか結ぼうと頑張ってみたり、茶髪だった人も黒髪にしたりするわけです。なぜ先輩たちは茶髪のままで面接に行かないんだろう、と思っていた人もきっと黒髪にするのだと思います。私自身は、黒髪だろうが茶髪だろうが、能力が備わっていれば問題ないと思うのですが、多くの人が一定の行動をとるのは、何らかのかたちで新しい「ことば」を学んだ結果なのだろうと思います。

 

このように、「ことば」というのは外国語だけでなく、本当に様々な場面に当てはまるということをまず押えておきます。

 

その上で、今後、どのような時代を生きていくことになるのか、を見ていきます。過去70年間で主要国・地域の名目GDP(国内総生産)構成比率、つまり世界全体の富がどの国によって何パーセントずつ占められているのか、がどのように移り変わったのか、を振り返るだけでも様々なことが分かります。

 

1945年、第2次世界大戦に負けた日本は、ほぼどん底だった状況から再び立ち上がっていきます。1950年に起きた朝鮮戦争によって、日本は特需を迎えました。アメリカは日本を前線基地として位置づけ、武器や食料などを作らせました。日本はいきなり巨大な工場になったんですね。日本にたくさんのお金が落ち、敗戦から復興することができたんです。その後、さまざまなインフラが整い、1960年代には高度経済成長期を迎えます。

 

「メイド・イン・ジャパン」という用語もこの時代を物語っています。これは、戦後すぐは「安かろう悪かろう」、安いけれど品質は良くない、という意味でした。当時の日本は、薄利多売、つまり、特に取り柄のないものを作って、安値だけれどたくさん売ることでなんとか稼ぐという国でした。しかし、この高度経済成長期に、良いものを安く売る国に変わっていきました。これはSONYや松下電器に代表されるような産業の功績に拠るところが大きいものでした。

 

1970年には、世界銀行のデータに拠ると、アメリカは一国だけで全世界の名目GDPの36.4%を占めています。次が当時の西ドイツで7.3%、日本は7.2%でした。この翌年くらいに日本は西ドイツを抜いて世界第二位の経済大国になるのですが、この時点ではぎりぎり第三位でした。中国は当時、文化大革命という非常に混乱した時期を経ており、わずか3.1%でした。

 

また、当時は「人口ボーナス期」でもありました。みなさんには馴染みのない用語かもしれませんが、これは生産人口、すなわち働き手の数がドカンと増えて、社会保障で支えなければいけない老人の数をはるかに上回っている時期のことです。旨味だけを生かせて、負担が小さいボーナス・ステージだと考えてください。戦争が終わり平和な世の中になった時期に生まれた子供たち、つまり1945~50年くらいに生まれた「団塊の世代」といわれる世代が生産人口になっていくタイミングで、日本は高度経済成長期を迎えることができたんです。

 

総務省による労働力調査によれば、1980年では、専業主婦の世帯は約1100万、共働きの世帯が約600万でした。1985年に成立した男女雇用機会均等法という法律すら、この頃にはまだありませんでした。また、かつては「寿退社」という言葉が広く使われていました。簡単に言えば、女性は結婚したら基本的に仕事を辞める、子供が生まれたら家庭に入る、ということです。当時、結婚や出産をしても継続して働いていた女性は、学校の先生など一部の職業の人に限られる傾向がありました。

 

 

浅羽01

 

 

次に、1995年の状況を見てみましょう。日本は80年代のバブル景気とその崩壊を経験しましたが、それでも世界第二位の経済大国の座を維持していました。日本は全世界のGDP の17.7%を占めていました。70年代に競っていたドイツは8.4%です。中国もまだ現在ほどは発展していなくて、2.4%にすぎませんでした。当時の浮かれ気分を示す言葉として「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というものがあります。これは1979年に、エズラ・ヴォーゲルというアメリカの学者が出した本のタイトルなのですが、簡単に言えば「日本の何がこんなにすごいのか、研究しよう」と、日本型システムが成功した理由を大真面目に分析したものです。そこでは、日本人は勤勉で、労働をきちんとやり、残業もいとわず、ついに今の地位を築いた、と分析されています。

 

また、当時日本は世界最大の開発協力援助国でした。「ODA」という言葉を聞いたことがあるでしょう。アジアやアフリカなどの経済的にあまり恵まれていない国に対して経済援助を行うというものです。日本は世界ナンバーワンのODA供与国でした。

 

なお、1995年は、専業主婦世帯と共働き世帯がちょうど半々だった時期でもあります。共働き世帯の増加により、ともに約900万ずつになりました。男女雇用機会均等法ができて10年が経ち、女性が結婚後も職場でずっと働き続ける例が多くなりつつありました。とはいえ、「ガラスの天井」という、今でも指摘されるような、女性が直面するキャリアの壁、つまり女性の昇進がかなり限られ、女性の管理職がほとんどいなかった時代でもありました。

 

そして2010年です。世界のパワー・バランスは一気に変わりました。名目GDPの構成比率で、日本は8.6%、中国は9.3%となり、日本は世界第三位の経済大国になります。日本は「失われた20年」、バブル経済崩壊後の長い不況に苦しむことになります。成長しない、物価も上がらない、投資も起きない、お金が動かないという時代です。

 

この間に、世界ではグローバル化が進み、そして新興国が台頭しました。中国がその代表例ですが、もともとの潜在力を考えると、むしろ自然な結果なのかしれません。他にもインドやベトナム、ブラジルなど、それまではさほど大きな経済国とみなされていなかった国々が、新興国として出てきます。

 

みなさんも「G20」という用語を聞いたことがあるでしょう。以前はG7やG8、つまり先進7カ国、主要8カ国で世界情勢を議論していこう、という考えが主流でした。1990年代後半以降、G20は財務大臣・中央銀行総裁会議として地位を築いたものの、G20サミット、首脳会談までは開催されていませんでした。しかし、2008年にリーマン・ショックが起きて世界経済が不況に陥ったとき、サウジアラビア、南アフリカ、インド、アルゼンチン、メキシコなど新興国を入れなければ世界秩序のあり方をとても議論できない、という考えが広がっていき、初めてG20サミットが開催されました。 【次ページにつづく】

 

 

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