2018.03.30

新しい「ことば」の学び方――「一身にして二生を経る」時代を生き抜くために

田村優輝×浅羽祐樹

社会

「35歳問題」というものがあるという。その頃になると、「あの時ああしていれば、今どうなっていただろうか」と自分の来し方を振り返り、「いま、ここ」の偶有性と一回性に怖れおののくことがある。「ここだ」と信じて穴を掘り、ひとつ確実に水脈にたどり着いた人もいれば、あちこち小さな穴だらけで何も出ていないと感じる人もいるかもしれない。人生はそんな分岐にあふれているが、特に20歳前後はpoint of no return、過ぎ去ってしまうと二度と戻れない(文字どおり)有難い時期である。

大学一年生にとって、身近にいる同じ学部の先輩やバイト先の店長を「ロールモデル」にする場合が少なくない。新潟県立大学では、「首都圏の大学に比べても遜色ないように、社会の第一線で活躍する方々に学生達が直接触れる場を積極的に提供することが必要であると考えてい」(若杉隆平「学長室だより」2017年9月)るが、「いま、ここ」の「先」や「外」をあらかじめ思い描きながら、各自、「井戸掘り」に取り組んでもらいたい。「ここ掘れワンワン」はいない。自分の内側から湧き上がってくる声(inner urge)に耳を傾けるしかない。

今回、35歳の田村優輝氏(外務省総合外交政策局人権人道課兼人権条約履行室首席事務官)を国際地域学部一年生向けの「政治学入門」に再びお招きし、2018年1月10日に特別講義を開催した。その全容をお届けする。なお、以下に記される田村氏の発言は個人的見解を示すものであり、日本政府の公式見解を反映するものではない。(文責:浅羽)

田村優輝「新しい「ことば」の学び方―「一身にして二生を経る」時代を生き抜くために」

浅羽 「政治学入門」の特別講義を開催します。外務省から畏友の田村優輝さんにお越しいただきました。田村さんからは「新しい『ことば』の学び方~『一身にして二生を経る』時代を生き抜くために~」というテーマでお話いただきます。

田村さんのご紹介ですが、学生のみなさんは昨年度の講義録(「ローコンテクスト社会で<通訳する>ということ――新潟県立大学「政治学入門」授業公開」)を読んでくれているはずですので、重なる部分は割愛して、違う観点からご紹介したいと思います。

田村さんは2005年4月に外務省に入省しました。今年度でキャリア13年目ですが、7つの異なるポストを経ています。最初、北米局日米安全保障条約課で2年間勤務したのち、イギリスのケンブリッジ大学で研修し、修士号を取得しています。2009年から2年間は、アフリカのガーナにある日本大使館で二等書記官として勤務しました。2011年に帰国し、外務本省の総合外交政策局海上安全保障政策室で、最初は外務事務官として、のちに昇進して課長補佐として勤務しました。2013年から15年までは大臣官房総務課という別のポストで課長補佐をしました。その頃から、通訳担当官として総理や外務大臣の英語の通訳も行っていて、2017年まで続けたと伺っています。2015年から17年までは、アジア大洋州局地域政策課で同じく課長補佐として勤務しました。2017年7月からは、現在の所属である総合外交政策局人権人道課兼人権条約履行室に移り、昇進して首席事務官として働いています。首席事務官というのは外務省だけの独特のポストで、課長の前の筆頭課長補佐に該当します。

このように田村さんは13年間で7つの異なるポスト、3つの異なる職位を経ています。今後もおそらく2年から3年に一回の頻度で、新しいポストに就き、そのつどアサインメント、割り当てられる職務や責任が変わっていくことになります。

私たちが生きている時代は、2年から3年で変わるかどうかはともかくして、今いる場所にずっと留まるわけではありません。そのたびに、英語であったり、政治学であったり、新しい「ことば」、新しいゲームのプレイの仕方を身につけ、振る舞っていくタフさが求められています。そういう世界の最先端でお仕事されているお話を伺いながら、私たち自身が生きていくうえでヒントを得たいと考えています。みなさん、奮って参加するとともに、田村さんをもう一度拍手で迎えたいと思います。

■「幕末」から「明治」へ

田村 みなさん、こんにちは。外務省の田村と申します。今日はどうぞよろしくお願いいたします。

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私がみなさんにお話するのは、「新しい『ことば』の学び方」というテーマです。「ことば」というと、日本語とか英語とか中国語とか、ある言語のことだと思いがちです。しかし、今回、わざわざ平仮名表記でカギ括弧付きの「ことば」になっているのには意味があります。これはそういう一般的な意味の言語だけではなく、みなさんが今後、大学を卒業し、就職して、新潟であれ別のところであれ、新しい人生をどのように歩んでいくのかということと関係しています。新しい世界で必ず出くわすことになる新しい「ことば」をどのように身につけていくのかについて、私自身の経験も踏まえながら、何かヒントになるようなお話をさせていただきたいと思います。

最初にクイズをしてみます。

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この人は誰でしょうか。ちょんまげ姿の武士ですね。ピンとくる人はいますか。これだけだとさすがに難しいでしょうか。では別の写真を見てみましょう。この人物は数年後にこの写真を撮られました。ハズれてもいいので誰か手を上げてみてください。

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(学生の一人が「福澤諭吉」と答える)

正解。よくできました。こういうところで手を上げるのはとても難しいのですが、勇気を奮って手を上げ、しかも正解にたどり着きました。すばらしいと思います。

今年は「明治150周年」ですので、いろいろ話題になると思いますが、福澤諭吉は一万円札の人ということで一般的によく知られている人物です。しかし、実は、福澤諭吉は激動の時代に非常に多様なキャリアを生きた人としても有名なんです。

福澤諭吉は1835年に生まれました。大政奉還、明治維新が1867年、68年ですから、彼が生まれたのは江戸時代末期、まだ幕藩体制の頃でした。彼は、今でいう大分県に位置する中津藩で、比較的裕福な藩士、侍の子どもとして生まれました。福澤諭吉の最初のキャリアは蘭学者でした。日本史の授業で習ったと思いますが、蘭学はオランダの学問です。鎖国の時代に学べた唯一の西洋の学問が蘭学だったことは、みなさんも覚えているでしょう。

17世紀の江戸幕府は、キリスト教が日本に入ってくることを警戒して、西洋との交易を長崎の出島に集約し、そこから外に出ないようにしていました。出島を今でいう特区にして、その中であれば、オランダの学問や言葉を使ってよいという特別なルールを敷いていたんです。幕府は、武士の中から、あなたはオランダ語を学んでいいという人を「オランダ通詞」、今でいう通訳として特別に指名していました。

福澤諭吉はもともと学問の素養がある人で、特に中国の古典に優れていたのですが、当時の侍にとって最先端であった蘭学にも通じていました。そこでわざわざ長崎に行ったり、大坂の適塾に行ったりして学んでいました。しかし、そのとき大きな時代の転換が起こります。

日本史の教科書で読んだと思いますが、黒船の来襲によって、日本は否応なく19世紀の帝国主義の荒波の中に巻き込まれています。そうした中で、アメリカやイギリスといった国が「開港しろ」と迫ってきます。ここ新潟も、最初に開港した五港のひとつだということはみなさんも知っているはずです。

そこで福澤諭吉が気づいたのは、「あれ、オランダ語ってちっともメジャーではない」ということでした。今まで唯一学べた海外の言語だったオランダ語が、世界の中では超マイナーな言語だったということに気づいてしまったんですね。

江戸幕府がオランダ語だけを特別に許可していたのは、鎖国することを決めた17世紀前半の頃は、オランダが世界帝国として力を持っていた時代だったからです。現在ではチューリップとサッカーのイメージが強いかもしれませんが、オランダは当時、西ヨーロッパだけでなく、世界的に交易をがっちり握り、相当の富を持っていた国だったわけです。しかし日本が鎖国を続ける間にも、世界は動いていました。オランダはイギリスとの間の戦争に負け、欧州の中流国になり、そのイギリスが世界帝国として台頭しフランスとしのぎを削る中で、19世紀後半は、英語やフランス語ができないとお話にならない時代になっていました。

明治時代になっていきなり文明開化した、というイメージを持つ人もいるかもしれませんが、実は江戸末期、14代将軍の家持や15代将軍の慶喜の時代は、江戸幕府も自ら「変わらないといけない」と認識するようになっていました。そこで海外のものを積極的に取り入れようと、当時の侍たちで、今でいう外交官にあたる遣欧・遣米使節団を結成し、アメリカやイギリス、フランスに派遣しました。福澤諭吉はその一員に入り込み、アメリカやイギリスの最先端の学問に触れ、強い感銘を受けます。

その後日本に戻った福澤諭吉は、江戸幕府が倒れ明治政府ができたとき、あえて明治政府には入らず、自ら慶應義塾という教育機関を設けました。福澤諭吉はそれまでオランダ語をやってきたので、オランダ語にしがみつきたいという気持ちを持ったとしてもおかしくありません。しかし福澤諭吉は、これからは英語の時代であり、慶應義塾では英語で学問をやると考えたようです。そのあとの話はみなさんもよくご存知でしょう。『学問のすゝめ』や『文明論之概略』など様々な著作を残しました。

今回の講義のサブタイトルになっている「一身にして二生を経る」という言葉は、その福澤諭吉が残したものです。『文明論之概略』から該当する箇所を引用し、書き下してみます。

≪最近の日本国内の洋学者、アメリカやイギリスはこんなふうになっていると話す人は、以前は漢学者だった。中国の古典に親しんで、どう解釈するのかを考えていた人たちで、そうでなかった洋学者はいない(「方今我国の洋学者流、其前年は悉皆漢書生ならざるはなし」)。それは、まるで一つの身体が二つの人生を生きているようだ(「恰も一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し」)。≫

これは激動の時代を生きた福澤諭吉の偽らざる心情だったと思います。

さて、ここまではイントロなのですが、なぜ私はこの話をしたのでしょうか。それは、今、そしてこれから生きる時代も、福澤諭吉が生きた時代に負けず劣らず激動の時代だからです。そうした中でどう生き、そして新しい「ことば」を学んでいくのか、何かヒントを得ていただきたいと思っています。つまり、狭義の意味、「言語」という意味でいった場合、外国語をどのように習得するか、そしてより広い意味で、新しい分野でどのように「ことば」を自分の血肉にするのか、についてです。

■私たちはどう生きてきたのか        

この「ことば」については、いろいろな場面で考えてみてください。例えば、みなさんが新しいバイトを始めるとします。最初の1~2週間はそのバイト特有の言葉を覚えますよね。メニューや商品の名称、夜と昼のシフトがあるということ、時給はどう変わるのか……バイトごとに異なる「専門用語」は、新しい「ことば」として学ぶことになります。

就職活動の中でもそのつど新しい「ことば」が出てくるでしょう。「なぜ御社を志望するのか」をプレゼンするとき、どういうふうに立ち振る舞えば内定につながる可能性が高くなるのかを考える必要があります。すると、それまで使っていなかった表現であったり、かつて一度もしたことのない格好をしたりします。それこそネクタイが嫌いな人でもなんとか結ぼうと頑張ってみたり、茶髪だった人も黒髪にしたりするわけです。なぜ先輩たちは茶髪のままで面接に行かないんだろう、と思っていた人もきっと黒髪にするのだと思います。私自身は、黒髪だろうが茶髪だろうが、能力が備わっていれば問題ないと思うのですが、多くの人が一定の行動をとるのは、何らかのかたちで新しい「ことば」を学んだ結果なのだろうと思います。

このように、「ことば」というのは外国語だけでなく、本当に様々な場面に当てはまるということをまず押えておきます。

その上で、今後、どのような時代を生きていくことになるのか、を見ていきます。過去70年間で主要国・地域の名目GDP(国内総生産)構成比率、つまり世界全体の富がどの国によって何パーセントずつ占められているのか、がどのように移り変わったのか、を振り返るだけでも様々なことが分かります。

1945年、第2次世界大戦に負けた日本は、ほぼどん底だった状況から再び立ち上がっていきます。1950年に起きた朝鮮戦争によって、日本は特需を迎えました。アメリカは日本を前線基地として位置づけ、武器や食料などを作らせました。日本はいきなり巨大な工場になったんですね。日本にたくさんのお金が落ち、敗戦から復興することができたんです。その後、さまざまなインフラが整い、1960年代には高度経済成長期を迎えます。

「メイド・イン・ジャパン」という用語もこの時代を物語っています。これは、戦後すぐは「安かろう悪かろう」、安いけれど品質は良くない、という意味でした。当時の日本は、薄利多売、つまり、特に取り柄のないものを作って、安値だけれどたくさん売ることでなんとか稼ぐという国でした。しかし、この高度経済成長期に、良いものを安く売る国に変わっていきました。これはSONYや松下電器に代表されるような産業の功績に拠るところが大きいものでした。

1970年には、世界銀行のデータに拠ると、アメリカは一国だけで全世界の名目GDPの36.4%を占めています。次が当時の西ドイツで7.3%、日本は7.2%でした。この翌年くらいに日本は西ドイツを抜いて世界第二位の経済大国になるのですが、この時点ではぎりぎり第三位でした。中国は当時、文化大革命という非常に混乱した時期を経ており、わずか3.1%でした。

また、当時は「人口ボーナス期」でもありました。みなさんには馴染みのない用語かもしれませんが、これは生産人口、すなわち働き手の数がドカンと増えて、社会保障で支えなければいけない老人の数をはるかに上回っている時期のことです。旨味だけを生かせて、負担が小さいボーナス・ステージだと考えてください。戦争が終わり平和な世の中になった時期に生まれた子供たち、つまり1945~50年くらいに生まれた「団塊の世代」といわれる世代が生産人口になっていくタイミングで、日本は高度経済成長期を迎えることができたんです。

総務省による労働力調査によれば、1980年では、専業主婦の世帯は約1100万、共働きの世帯が約600万でした。1985年に成立した男女雇用機会均等法という法律すら、この頃にはまだありませんでした。また、かつては「寿退社」という言葉が広く使われていました。簡単に言えば、女性は結婚したら基本的に仕事を辞める、子供が生まれたら家庭に入る、ということです。当時、結婚や出産をしても継続して働いていた女性は、学校の先生など一部の職業の人に限られる傾向がありました。

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次に、1995年の状況を見てみましょう。日本は80年代のバブル景気とその崩壊を経験しましたが、それでも世界第二位の経済大国の座を維持していました。日本は全世界のGDP の17.7%を占めていました。70年代に競っていたドイツは8.4%です。中国もまだ現在ほどは発展していなくて、2.4%にすぎませんでした。当時の浮かれ気分を示す言葉として「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というものがあります。これは1979年に、エズラ・ヴォーゲルというアメリカの学者が出した本のタイトルなのですが、簡単に言えば「日本の何がこんなにすごいのか、研究しよう」と、日本型システムが成功した理由を大真面目に分析したものです。そこでは、日本人は勤勉で、労働をきちんとやり、残業もいとわず、ついに今の地位を築いた、と分析されています。

また、当時日本は世界最大の開発協力援助国でした。「ODA」という言葉を聞いたことがあるでしょう。アジアやアフリカなどの経済的にあまり恵まれていない国に対して経済援助を行うというものです。日本は世界ナンバーワンのODA供与国でした。

なお、1995年は、専業主婦世帯と共働き世帯がちょうど半々だった時期でもあります。共働き世帯の増加により、ともに約900万ずつになりました。男女雇用機会均等法ができて10年が経ち、女性が結婚後も職場でずっと働き続ける例が多くなりつつありました。とはいえ、「ガラスの天井」という、今でも指摘されるような、女性が直面するキャリアの壁、つまり女性の昇進がかなり限られ、女性の管理職がほとんどいなかった時代でもありました。

そして2010年です。世界のパワー・バランスは一気に変わりました。名目GDPの構成比率で、日本は8.6%、中国は9.3%となり、日本は世界第三位の経済大国になります。日本は「失われた20年」、バブル経済崩壊後の長い不況に苦しむことになります。成長しない、物価も上がらない、投資も起きない、お金が動かないという時代です。

この間に、世界ではグローバル化が進み、そして新興国が台頭しました。中国がその代表例ですが、もともとの潜在力を考えると、むしろ自然な結果なのかしれません。他にもインドやベトナム、ブラジルなど、それまではさほど大きな経済国とみなされていなかった国々が、新興国として出てきます。

みなさんも「G20」という用語を聞いたことがあるでしょう。以前はG7やG8、つまり先進7カ国、主要8カ国で世界情勢を議論していこう、という考えが主流でした。1990年代後半以降、G20は財務大臣・中央銀行総裁会議として地位を築いたものの、G20サミット、首脳会談までは開催されていませんでした。しかし、2008年にリーマン・ショックが起きて世界経済が不況に陥ったとき、サウジアラビア、南アフリカ、インド、アルゼンチン、メキシコなど新興国を入れなければ世界秩序のあり方をとても議論できない、という考えが広がっていき、初めてG20サミットが開催されました。 

■今、どんな時代なのか

最後、直近の2016年です。日本の割合はさらに小さくなって、名目GDPの構成比率で6.5%です。中国はさらに大きくなって14.8%ですから、大きな差がついています。しかし、この間、日本は手をこまねいていたわけではありません。労働力人口維持に向けた取り組みを始めています。

日本はいま人口がどんどん減っています。人口が減ると、当然ながら働ける人も減ります。働ける人が減ると、産業は縮小し、国の規模も小さくなります。なんとかしないといけません。国によっては移民を受け入れるという判断をしたところもあります。ドイツなど西ヨーロッパの国々では中東からの移民を受け入れ、労働力として活用していますが、その反面、国内で摩擦や対立が起きています。EU各国において、移民への排斥運動が今も続いていることはみなさんもご存知かと思います。

日本は今のところ、単純労働力としての移民を受け入れるという選択はしていません。日本の入管行政は、政策的な意図ではなく、難民として認定するかどうかは個別の要件に基づいて判断する、あえて門戸を広げたり狭めたりしない、という政策を採用しています。もちろん、技能実習生制度等を通じて、中国やベトナムなどから若年層が来日していますが、それはまた別の話で、政策として単純労働力としての移民を受け入れるということはやっていません。

しかしそうはいっても、人口が減少し、労働力が減っていく中で、日本はどうすればいいのでしょうか。

政府が行っているのは、女性や高齢者の就業促進です。女性が結婚しても子どもを産んでも働き続けることによって、これまで日本に欠けていたピースを補完できる。優秀な女性たちがこれまで参画していなかったところで働くことで、日本の労働力人口をなんとか維持することができるのではないか。いま安倍政権が女性の活躍の推進をアピールしている背景には、こういった側面があると指摘する声もあります。女性活躍を社会政策、すなわち、女性が潜在能力を発揮できるようにすることで両性にとって望ましい社会の実現を目指すという文脈だけでなく、経済政策、すなわち、女性が活躍できる社会のほうがみなさんも日本全体も経済的に豊かになるから望ましいという視座も加味したのが、現政権の大きな特色のひとつだと分析する見方もあります。

それから「働き方改革」です。みなさんもこの言葉を最近耳にすることがあると思います。

これまでのように、お父さんが外で働き、残業も苦にせず、土日も出勤する反面、お母さんが家の中にいて子どもを育てる、という働き方や家族のあり方はもう止めませんか。それよりも生産性、つまり働いた時間毎に得られる成果を重要視しませんか、というのが働き方改革です。男性の育児休業の取得促進もこの一環に入ると思います。現在、安倍政権は、2020年までに、男性国家公務員の13%が育児休業を取得することを数値目標として掲げています。

私事になりますが、私も2年前に娘が生まれたときに、育児休業等を取得して職場を5週間ほど離れました。15年前、いや10年前でさえ、男性が職場で育児休業を取得するのはまだまだ考えられない雰囲気だったというのが正直なところだと思います。もちろん、制度上、取得は可能であっても、育児休業を取得した男性の先輩は実際には見たことがありませんでした。

しかし、今はそういう雰囲気が変わってきています。男性が育児休業を取得することが、男女での育児の分担を進め、女性だけに育児の負担がのしかかる、いわゆる「ワンオペ」を是正することになるという話でもあるのと同時に、そうでもして女性がちゃんと働けるようにしないとこの国が持ちませんよ、という非常に大きな危機感の現れでもあります。国全体で人口が減っていく中、みんなで知恵をしぼっている時代でもあるわけです。

次に、人材獲得競争の激化です。

さきほど、日本は単純労働力としての移民を受け入れない、という話をしましたが、その一方で、高度技能人材の導入を積極的に行っています。これは一般的な単純労働力ではなく、能力のある海外の人はどんどん来てください、永住権もすぐに出します、という政府の姿勢を示しています。

同時に、一般労働者のコモディティ化も進んでいます。「コモディティ」というのは、どこにでも売られていて、付加価値が全くないもの、という意味です。海外から優れた人材が来るようになると、みなさんが今後就職活動を始めるとき、会社側からすると、日本人を雇わなくてはいけない、という状況では必ずしもなくなっていきます。中国、ベトナム、韓国など、非常に多様な国籍の中から、能力の高い人をよりどりみどり選ぶことができるとしたら、あえて新卒だから、という理由で日本人だけを選ぶ理由はどんどん減っていきます。特段取り柄のない日本人というだけの人は、就業機会が以前より少なくなる可能性があります。

さらに、SNSの急速な普及です。グローバル化とタコツボ化の同時進行という問題も見られます。

みなさんもLINE、FacebookやTwitter、InstagramなどのSNSをやっているでしょう。一見すると、SNSを利用することによって世界が広がるように思えます。もちろん、SNSによって世界中で起きていることがリアルタイムで分かるようになったことは事実です。例えば、トランプタワーで煙が出たとして、これまでだと半日くらいのタイムラグがあって日本だとNHKが報道したでしょうが、今は、誰かがSNSにその様子をまずアップロードし、メディアがその人に取材する、という時代になっています。遠くのことがリアルタイムに、しかも日本だけでなく世界各地のことがすぐに分かるという点で、グローバル化の時代に沿った現象です。

その反面、SNSの普及によって「タコツボ化」も同時に進んでいます。「タコツボ化」というのは、自分たちの身の回りだけで固まって、その中ですべて完結してしまうことです。SNSを友達同士でやっていると実感がある人もいると思います。SNSは似たタイプの人が集まりやすい傾向があります。自分と同じような属性の人たちがつるんで、長い時間を過ごす。すると全く違う考えの人たちとの間では諍(いさか)いが起こりやすい。SNSはそういう危険なツールでもあります。

今の時代でSNSを使いこなすことは、そうしたリスクと隣り合わせであることを意味します。私自身、学生の頃にTwitterがなくて本当に良かったと思っています。当時Twitterがあったら、いいか悪いかという判断能力がないまま、何でもアップロードしてしまって、炎上していたかもしれません。そういう意味でみなさんは、以前より厳しい時代を生きていることになります。

ここまでは、日本をめぐる過去50年間の変化を話してきました。これからはみなさんの大学卒業後に起きることを予想してみたいと思います。

■君たちはどう生きるか

1つ目は、「過去の「常識」があっという間に変わっていく」ということです。

さきほど、育児休業の話をしました。1980年代、90年代に男性で育児休業を取る人は、よほどの変わり者扱いされたでしょう。しかし今、2018年では、むしろ政府が旗を振って男性に育児休業をとりなさい、という時代になっています。私自身、育児は父親の本来的な仕事だと思っているので、個人的に「イクメン」という言葉は好きではないのですが、この言葉がもてはやされるくらい、男性の育児休業にプラスの側面があるとみなされるようになりました。これが20年前だったら、「こいつは職場への責任がない奴だ。仕事よりも家庭を優先する人間には出世の道はない」と評価されていたかもしれません。当時はそれが「常識」でしたが、わずか20年、10年でガラッと変わりました。

2つ目は、「新興国の優秀な人材との競争にさらされる」ということです。みなさんの競争相手は日本国内だけに限定されません。例えば中国には、ものすごく勉強していて、日本語が堪能で、英語もできる若者がゴマンといます。そういう人たちと就職活動の場で比べられることになります。そうすると、経営者からすると、労働者としてどっちを採るかを考える際に、中国、ベトナム、韓国から採用するという選択肢が出てきたということです。

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3つ目は、「これまで全く知らなかった分野への順応が急に求められる」ということです。みなさんは、アメリカのとある有名なユーチューバーが最近起こした事件を知っているかもしれません。このユーチューバーは、日本訪問中に不適切な言動を繰り返すビデオをアップロードした結果、インターネット上で大炎上しましたが、おそらく本人は何の悪気もなくやっていたんだと想像します。面白い映像をアップロードするほうがページビューをもっと稼げるし、収入も得られる。その人は倫理観を学ぶ時間がなかったのでしょう。確かその人は20代前半ですから、みなさんと世代はそれほど変わらないと思います。お金儲けの前に守らないといけない倫理観があるということを知らずに行動すると、著名でなくても大炎上してしまう可能性がみなさんにも十分にあります。

今まで中学や高校で、SNSの使い方や炎上対策などについて授業でまとめて教えられることはなかったと思います。しかし今、これらは生きていくための必須スキルのひとつになっています。このように勉強してこなかったこと、学校で教えてくれなかったことがいきなりスタンダードとなって、必ず順応しないといけないということが今後の人生で何度も起きると思います。

■元通訳担当官の英語勉強法

そうした変わりゆく世界の中で、私たちはどのように新しい「ことば」を学んでいけばいいのでしょうか。最初に、狭義の「ことば」としての外国語の習得について、私の専門である英語の話をしようと思います。

まずは初級編です。私はいわゆる「純ジャパ」、すなわち、帰国子女ではなく、多くのみなさんと同じように中学校に入って英語をABCから学んだ人間ですが、今は英語を生業にして生きています。その中で得た教訓は、「ほんやくコンニャク」は存在しない、ということです。

「ほんやくコンニャク」は『ドラえもん』の世界で有名な道具で、大長編の映画によく登場します。相手に食べさせると、母国語、母語で話しているように、途端に何の障害もなく意思疎通ができるようになります。私は「ほんやくコンニャク」のようなものがないかとずっと探していたのですが、どうやらそういう「近道」はない、自分が変わるしかない、というのが正直な感想です。

「英語の教材はどういうものがいいのか」「どうすれば勉強がはかどるのか」という質問を受けることがよくあります。結論としては、教材はあまり関係がありません。やればいいのです。どんな教材を使おうが、そんなに大きな差はありません。ただ、選んだ教材をコンスタントにやっている人というのは、実はあまりいません。多くの場合、教材を買っただけ、数ページめくっただけで満足してしまいます。

私自身がやっていたのは、NHKのラジオ「基礎英語」を毎日聞くことでした。NHKのラジオには、「基礎英語1」「基礎英語2」「基礎英語3」や「ラジオ英会話」など、所要15分間程度の番組がレベルごとにいくつもあります。私が当時心がけていたのは、自分のレベルと自分のひとつ上のレベルを同時に聴く、ということでした。例えば、中学1年生だったら基礎英語1と2、2年生だったら基礎英語2と3というやり方です。自分と同じ学年ならだいたい分かるのですが、ひとつ上のレベルになるとよく分からない、やっぱり難しいんですね。そうすると、自分がやっていることだけではなくて、さらに上のレベルがあるということを毎日実感します。そこはどういう世界なのか、とだんだん興味も湧いてくるようになります。3カ月、6カ月が経つと、ひとつ上のレベルも少しずつ分かってくるようになる。非常にやりがいがありました。

あくまで私の個人的な実感にすぎませんが、英語の勉強は、数学や物理などの他の分野と比較すると、努力した量に比例してできるようになる傾向が強いと思います。逆に言うと、やらないとどんどん能力が落ちていくということに他なりません。数学や物理は、勉強してもあんまりできるようにならなかったりします。国語なんて、全然やってなかったのに問題文との相性が良くて解けた、ということも結構あります。しかし、英語は努力した量とかなり比例します。100時間やった場合は、50時間やったときよりも英語力が伸びる可能性が高い。もちろん、全部がそうだとは言い切れませんが、英語は、努力に見合った結果が出やすいと思います。

それから、英文法、英文和訳、和文英訳の反復練習です。

例えば、ロールプレイングゲーム(RPG)の「ドラゴンクエスト」でも、ギラ系の呪文は、ギラがあってベギラマがあってベギラゴンがあるように、レベルが上がるごとに使える呪文も強くなります。レベル1からいきなりベギラゴンができるわけではないんですね。レベル8でギラが使えて、レベル15でベギラマが使えるようになって、レベル30でようやくベギラゴンに到達する。同じような感覚で、英語の単語や文法を覚えていく。丹念にずっと続けていくと、今までできなかったことがどんどんできるようになっていく、以前分からなかった英文が読めるようになっていきます。レベル上げの最中は「つまらないな」「筋トレみたいだな」と思うかもしれませんが、和文英訳なり、英文和訳なりをやるのは、コストパフォーマンスが高いことなんですね。

新潟県立大学では、英語だけでなく外国語の生の教材に触れ、スタッフからトレーニングを受けられる教室があり、いつでも利用できるそうですね。ぜひ身近にあるものを活用しながら、コツコツとやっていってください。

さらに、パラグラフ・リーディングの習得です。

英語の文章の構造は、明らかに、日本語と異なります。例えば、英語ではまず主題を述べます。「私はこう思います。そして、サポートする理由は3つあります。1、2、3。だから結論はこうなんです」という構造になっています。それを知らないまま、もともと日本語だった文章をベタッと英訳すると、論点が分かりにくい文章になってしまいます。ですから英語で何かを書くときは、日本語で書いてから英訳するのではなく、最初から英語で書いたほうがベターです。みなさんにも今後、英語で何かを書いたりする機会があるかもしれません。そういうときは、パラグラフ・リーディング、つまりこういう文章構成のものを読む、あるいはパラグラフ・ライティングならそのように書くということですが、日英の文章構造の相違点を踏まえたうえで取り組むのがいいと思います。

■完成度98パーセントを99パーセントに近づける努力

ここからは応用編です。私が生業として英語を使っている中で、常日頃から心がけていることについてお話しします。

まずは「手持ちのカードを一枚でも多くしておく」ということです。

この中で「シソーラス」を使っている人はいますか。この単語自体は聞いたことがある人はいますか。これは「ある単語と似ている単語は何か」を調べる類義語辞典のことです。万人向けのシソーラスとは別に、私には肌身離さず持っている自前の本があります。そこには、英語の勉強をする中で自分が知らなかったことをメモしておき、常に手元に置いています。例えば、このページには「深い議論」と書かれています。通訳の勉強会をしているときに「深い議論を行うことができました」という文章があったのですが、「深い議論」にはどういう言い方があるのかを同僚たちと議論したんですね。

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例えば、extensive、in-depth、thorough、detailed、full……いずれも「議論」という単語につながります。英語は、同じ単語の反復を非常に嫌がる言語です。英字新聞を読んだことがあると分かると思いますが、ある単語が出てくると次の行ではすこし言い換えられていることに気づくはずです。例えば、アーセン・ヴェンゲルというサッカーの監督の発言について、ニュースでは「アーセン・ヴェンゲル監督はこう言いました」「そのフランス人は…」「68歳の監督は…」というように、あえて違う単語を使って言い表されています。

ですので、同じ表現にしても、自分の手元に何通りのカードを持っているかというのが、実際に英語を活用していく中で非常に大きな勝負の分かれ目になるわけです。「深い議論」と言うときに、in-depthを使うか、thoroughを使うか、detailedを使うか、ニュアンスは微妙に異なります。in-depthだと「深掘りした」という印象を受けますし、detailedだはむしろ「細かい」という意味です。必ずしも同一の意味というわけではありませんが、似ている単語を数多く知っておくことで、表現の幅が広がります。

次に、「『意味は分かるけどそうは言わない』撲滅運動」です。ある程度英語ができるようになると誰もが突き当たる壁なんですが、「お前の言っている意味は分かるよ。でも、ネイティブはそうは言わないんだ」と言われてショックを受けることがあります。

最近私がびっくりしたのは、「~で満足しました」という言い方です。今回の議論に満足しました、と言うときに、一般的な“satisfied”という単語を使ったところ、ネイティブの友人から、「確かに“satisfied”でも意味は分かる。しかし、実は“satisfied”という単語は、『まあまあだね』と、決して100パーセント満足ではないという文脈で使われることがあるから注意したほうがいい。そういう場合には、“pleased”と言うほうが、この人は本当に喜んでくれているということが伝わる」と指摘されました。こういうことは学校の先生は教えてくれなかったと思うのですが、落とし穴があちこちにあります。

もうひとつ、例を挙げましょう。「デッドヒート」という単語があります。例えば「安倍総理とトランプ大統領はゴルフをして、デッドヒートを繰り広げました」といった文章を英語に訳すとしましょう。英語にも“dead-heat”という単語は確かにあるのですが、日本語の「デッドヒート」とはニュアンスが違います。英語の“dead-heat”は本当に「同着」のことを指します。「競っている」という意味の日本語の「デッドヒート」と英語の“dead-heat”とでは、意味が違ってきますよね。「激戦だった」ことを伝えたいのであれば、“a close contest”などと表現すべきでしょう。

ことほどさように英語は難しいんです。こんなにやっていても、なおも分からないことがたくさん出てきます。しかしそれでも、一つひとつこなしていかないと、高みには上っていけない。むしろ知らなかったことに出会うたびに「そんなふうに言うんだ」と面白がれると、英語の勉強は進むと思います。

最後に、「日本、世界でいま起きていることを英語で表現する」ということです。これは方法論のことです。

無料の英語教材はあちこちに転がっています。私のオススメはNHKのニュースです。みなさん、テレビのリモコンに、多重音声の切り替えのボタンがあることをご存知ですか。大体、チャンネルが並んでいるところではなく、蓋を開いたところにあるボタンなのですが、それを押すと同時通訳を聴ける番組があります。NHKだと、夜6時、7時、9時のニュースでこのボタンを押すと、言語がすべて英語に切り替わります。NHKのニュースは事前にすべての原稿ができていて、英訳したものが読み上げられるようになっています。このニュースを聴くのはものすごく勉強になります。しかも都合がいいことに、NHKのニュースは、英語が分からなくても、内容をなんとなく知っていたりしませんか。ボタンをひとつ押すだけで、ほぼネイティブのスピードで英語のニュースを聴くことができます。

こうした英語放送はそもそも、日本語は分からないけど英語なら分かるという日本在住者のために便宜を図っていたのだと思いますが、英語の学習をしている人にとっても無料でアクセスできる、とても良い教材です。みなさんも今日家に帰って、夜7時、9時になったら、早速そのボタンを押してみてください。そうすると、すぐ側に全く異なる世界が広がっていることに気づくと思います。

他にも、BBCのポッドキャストがオススメです。BBCはイギリスの公共放送で、世界中にネットワークを張り巡らせています。その中にはポッドキャストになっている番組もあります。iTunesなどのプラットフォームを持っている人であれば、世界のニュースを無料でダウンロードして、いくらでも聴くことができます。今の時代は、いつでも、どこでも、誰でも、その日の世界のニュースをダイジェストで聴くことができるんですね。ただ、これはちょっと難易度が高い。テレビなら映像が補助情報となって言っていることがなんとなく分かるのですが、ラジオの場合は音だけで理解しないといけません。それでもチャレンジしてみる価値は十分にあるのではないかと思います。

■「新しさ」をそのつど好奇心旺盛に楽しむ

最後に、より広義の新たな分野における「ことば」の習得についてお話します。私の個人的な実感としては、「新たな環境を好奇心旺盛に楽しんだ者勝ち」だと思います。

みなさんも、これから本当にいろいろな分野に進んで行くことになるでしょう。新潟を離れる人もいるでしょうし、新潟に残っても、今までとは想像もつかないようなところで就職するかもしれません。人によっては日本を離れて、全く違う別の国で働くという人もいるでしょう。しかし、どんな環境に行ったとしても、その新しい環境で、いかに好奇心旺盛に、それこそRPGで新しい呪文をどんどん覚えていくように楽しめるかどうか、が分かれ目だと思います。

もちろん、一人ひとり、環境や能力は千差万別で、一般化したことは言えません。ただ、私のこれまでの経験から、いくつかヒントになることを伝えたいと思います。

まず、「まずはスタンダードな『教科書』から」ということです。

昨年度の講義でもお話しましたが、「教科書」というのは、とにかくコストパフォーマンスがいいんですね。過去100年、200年くらいの一流の学者が「ああでもない、こうでもない」と議論した結果、「これは間違いない」という結論に至ったエッセンスが詰まっているのが、入門編の教科書です。しっかりした概要をまず読むのはコストパフォーマンスが高い。「巨人の肩に乗る」というのは、これまで築き上げられてきたものを土台にすれば迷わないし、語弊を恐れずに言えば、楽もできます。スタート地点で、自分独りで地面から登っていかなくても、巨人の肩の段階から始めればいい、というわけです。

逆にマズいのは、いわゆるトンデモ本に飛びついてしまうことです。明らかに科学的知見が欠如しており、これまで中学、高校の教育を受けていれば「あれ、そんなことないだろう」と思うようなことが書かれた本に引っかかってしまうと、そこから先は大変です。そのネタで盛り上がれる人たちだけと集まって「タコツボ」化してしまい、違う意見を持った人たちからの批判に対して、「あなたはこの有難さを分かっていないんだ!」とムキになって反論するようになってしまう。どんどんドツボにハマって、ダメなネットワークの中にズブズブと入り込むことになります。

ですから、まずは、これまで小中高、大学で築いてきた一般常識、教科書のスタンダードから始めることが重要です。

次に、「信頼に足る参照先を見つける」ということです。良い仲間を見つけてください。いろいろな新しい「ことば」を学んでいくうえで、一人でやっていくことはとてもつらいことです。ぜひ、良い仲間とともに歩んでいってください。逆に悪い友達を作ってしまうと、これまでいた良い友達は、音もなく去っていきます。本当に音もなく、去っていくんです。「お前、そういうのは止めたほうがいいと思うよ」と忠告してくれるのは良いほうで、普通は関わり合いになりたくないから何も言わずにいなくなります。そうなると、残るのは悪友ばかりです。良い仲間を見つけ、あなた自身が良い参照先として信頼されることは、死活的に重要な問題です。

あなたが話題にする人、誰々から褒められたとか、けなされたとか、と言う時に、どういう具体的な名前を出すのかということも、周りの人はよく見ています。もしかしたら、周りから「あいつはあんなことを言っていた。あんな名前を出した。関わらないようにしよう」とそっと距離を置かれてしまうということがあるかもしれません。

最後に、「これまで培った能力の活用を図る」ということです。

冒頭で福澤諭吉の話をしました。それまでオランダ語の勉強をしていた福澤諭吉は、いきなり英語に出会い、勉強をするようになりました。しかし、ゼロから始めたわけではありません。「世界でオランダ語は超マイナーだ、英語を始めなければいけない」となったときに、福澤諭吉がまず手にしたのは、英蘭辞典だったんです。つまり「英語のこの単語は、オランダ語のどの単語に該当するのか」が分かる辞書です。

このエピソードからも、今の私たちにとって大きな教訓を導き出すことができます。つまり、いきなり新しい分野に飛び込むのではなく、それまで自分が得てきた能力を土台にして、新しい「ことば」を学んでいく、ということです。

浅羽05

桂三輝(かつら・さんしゃいん)というカナダ人の落語家の例を紹介しましょう。最近、ニューヨークのブロードウェイで落語の英語公演をしたことで有名になった人で、本名はグレッグ・ロービックです。日本文化に興味を抱いた彼は、日本に留学した後、六代桂文枝に入門し、「三輝(さんしゃいん)」という面白い名を得たわけです。

カナダ人、あるいは英語を母語とする人はゴマンといます。落語家も、日本国内を見ればやはりたくさんいます。しかし、「英語ができる」「落語家」と条件を2つ足した瞬間に、その数は劇的に減少します。そうすることで、市場における付加価値が生まれるわけですね。オイシイところに目を付けて、「落語の面白さを英語にする」という今までほとんど誰もやってこなかったことを、ニューヨークやロンドンでチャレンジしたことで、桂三輝はいま売れてきています。誰もやっていなかった分野で、自分がやってきたことを生かせることを思いついた人は強いですね。

ちなみに、桂三輝はカナダ時代には劇作家だったそうです。英語で劇を作っていただけでなく、ギリシャ悲劇の基礎も学生時代にしっかりと学んでいました。本人は、落語の展開はギリシャ悲劇に似ているということに気づいたので、落語の理解も速かったと記しています。これまで学んでいた一見関係のなさそうなことをうまく生かしている人なのだと分かります。

■「鸛鵲楼」からの眺め

逆に注意しなければならないこともあります。「一発退場にご用心」です。

まず、どの分野にも共通して言えることですが、「基礎的データに関するミスには特に注意が必要」です。人名や地名、数値などが誤っていた時、あなたの言うこと、あなたの提出するレポートは、その間違いだけでなく、全体のクオリティに対して「こいつ大丈夫か」と見る目がとたんに厳しくなります。ぜひ気をつけてください。

例えば、現在のドイツ等の一部である「プロイセン」について、「プロセイン」と書いていた人を目にしたことがあります。たぶん間違えて覚えていたんでしょうが、それ以降、私はその人の文章を一切信用しなくなりました。そんな間違いをする人が、他にマトモなことを書けるわけがない、とみなしたからです。こういう恐ろしい落とし穴は、今後みなさんが生きていく中でいくつもあります。人名や地名、数値は基礎的データで、間違いようがないように思えるのですが、ここで間違えると一気に信頼を失います。そのサークルでは当然、良い仲間とはみなされなくなります。

次に、「知らないことを「知ったかぶり」しない」ということです。これも非常に難しいことです。新しい「ことば」を学んでいく中で、知らないことでもあたかも知っているように振る舞いたい、という欲求は誰でも持っています。しかし、これも、度を過ぎると失敗することになります。一番いいのは、知らないことについては黙っている、ということです。黙っておいて賢そうなフリをするのは重要な延命術です。逆に、知りもしないのに生半可なことを言うと、世の中には各分野の専門家がゴロゴロいますから、「お前、間違ったことを言っているぞ」と指摘されてしまいます。特にTwitterには各分野の専門家で暇人がウヨウヨいますから、何か間違ったことを言うと、いきなりリプライが飛んでくるという恐ろしい世界です。よく知らない分野について、自分の名前を出して対外的に発言するのは避けたほうが無難ですね。

そして「心身の健康を損ねて破綻しない」ということです。

みなさんの中には、漫画家・地獄のミサワの「カッコカワイイ宣言!」を読んだことがある人もいるでしょう。こういう人、よくいるよね、と笑いのネタにしているわけです。眠らない自慢、徹夜した自慢をしたい気持ちは分からないわけでもありませんが、「オレ、一時間しか寝てないからつれーわー」「レポート、徹夜で仕上げたわー」といっても、徹夜したこと自体には何の意味もありません。むしろちゃんと寝て、しっかりとしたレポートを書いた人のほうが、はるかに評価されます。これから新しい「ことば」を身につけて生きていくうえで、有限な時間の中で、どのようにモノを仕上げていくのか、ということが問われます。きっと、この講義に関するレポートもそうでしょうね。

与えられた時間は有限である中で、タスクごとにそれぞれの配分をよくよく考えて、どう結果を出していくのか。ぜひ睡眠時間をしっかりととるとともに、悲劇のヒーロー、ヒロインにならないようにしましょう。しっかりとした休みをとってください。ストレスの解消も重要です。

最後に、中国の唐代の詩人・王之渙の「鸛鵲楼に登る(登鸛鵲楼)」という詩を紹介します。私は中学生の時に、尊敬する先生からこの漢詩を教えていただき、憧れを抱きました。

白日依山尽

黄河入海流

欲窮千里目

更上一層樓

白日、山に依りて尽き

黄河、海に入りて流る

千里の目を窮めんと欲し

更に上る一層の楼

楼を登る途中に、ふと立ち止まって周囲を見渡すと、日が山に沈むところも、黄河が海に流れ込むところも見える様子を想像してみてください。眺めがよく、爽快だ。だが、それで良しとせず、もっと遠くを、千里先も見たいと願って、もう一段上って高みを目指す、という意味です。

内容だけでなく、「山」と「海」、「千」と「一」、「白」と「黄」が対照になっていて、リズムもいい詩です。私自身、新しい「ことば」を学んでいくにあたって深い示唆を与えてくれるものとして、ずっと大事にしています。

みなさん、これからいろいろなステップを踏んでいくことになると思います。ぜひ眺めの良いところを目指してください。そして、より良い眺めを得るためには、一歩一歩、層を登っていかないといけません。新しい「ことば」を学ぶうえで、もどかしい思いをすることが出てくるでしょう。それでも、いちど良い眺めを体験すると、その素晴らしさは筆舌に尽くしがたいもので、また味わってみたいと思うようになります。今後の人生において、みなさんが新しい「ことば」を学ぶうえで何らかのヒントにしてもらえればと思います。

私の話はここまでにして、浅羽先生とのクロストークに移ります。ありがとうございました。

田村優輝×浅羽祐樹「クロストーク」

■星々をつないで星座を描く

浅羽 田村さん、ありがとうございます。まさに、このとき、この場が、新しい「ことば」を知る経験になったのではないでしょうか。

学生のみなさんからすると、普段出会わないタイプの人から、普段聞いたことのない「ことば」をいくつも耳にし、目にもしたと思います。田村さんにとっても、普段接している人と全く違う相手に対して、全く違う「ことば」で語ることを、それこそ楽しむという姿勢がよく出ていたのではないか、とお見受けします。鸛鵲楼からの眺めは見晴らしも見通しも良いので、ぜひ一度みなさんも登ってほしい、そして見晴らしのいいところ、vantage pointから世界に臨んでみませんか、というお誘い、招待状として受け止めました。

田村 ありがとうございます。抽象的なことを言っていると感じた人も正直いるのではないかと思います。大学一年生ですと、今後自分が何をして生きていきたいのか、どういう職業に就きたいのか、どんな人と結婚したいのか、全く訳の分からない状況でしょう。私も大学一年生のときはそうだったと思います。

実は、みなさんが、ここ、新潟県立大学にいる時間は短いんですね。この講義に出ているのは、大学一年生が大半だと聞いています。就職活動は、だいたい大学三年生の頃に本格化していきますから、それまでに単位をほとんど取っておかなければいけないでしょう。そうなると、残された大学生活は、それこそ1年とか1年半くらいしかないかもしれないわけです。一人ひとり、周りの友達とは進路が違います。それは当然のことで、各自、やりたいことが異なるからです。これまでであれば進路指導の先生が「あなたの学力ならだいたいこのくらいだね」と志望校を勧めてくれたでしょう。しかし、今後はそうはいきません。「なにがやりたいのか」とまず訊かれます。そして、やりたいことをやるために、どういうところで働きたいのか、新潟にいたいのか、東京に行きたいのか、それとも日本を飛び出したいのか、どんな新しい「ことば」を学びたいのか、自分自身に問いかけなければいけません。

 

浅羽 私自身にとって田村さんは年に数回しかお会いできない存在ですから、今回の特別講義もとても楽しみにしていました。みなさんにも、その期待を昨年10月の時点からお話をしていたと思います。後期授業の初回でタイトルを示していましたが、それだけ二人で入念に打ち合わせをして臨んできました。それは、田村さんが私にとって「信頼に足る参照先」であるからなんですね。こうしたコラボレーションをさせていただくのも今回で三回目ですが、文字どおりその有難さを今回も改めて痛感させられました。

 

田村 ありがとうございます。もちろん年齢は浅羽先生のほうがだいぶ上なので、仲良くするなんていうのはおこがましいのですが、浅羽先生は「よく見ている人」です。これは私自身が浅羽先生をよく見ているという意味でもあり、先生自身も現在の社会の動きをしっかり観察している、という意味でもあります。私も仲良く、楽しく過ごさせていただいています。

浅羽 今回も最初から「通訳」「翻訳」をしていただきました。タイトルの「新しい「ことば」」において、平仮名表記でカギ括弧付きの「ことば」にした意味や意図について、conclusion firstでお話いただきました。英語と日本語では文章構成が全く違っていて、英語は最初に結論を出すという話をされましたが、今日の話の組み立て方自体がまさにそうでしたね。

浅羽06

田村 せっかくこの場に来て、一時間ちょっとしかない中でお話するわけですから、消化不良に終わってしまうとつまらないと思いました。これが全15回の講義なら、もう少しみなさんに考えていただく時間をとっていたと思います。なので、あえて最初に半分ネタばらしをしたうえで、みなさんが書くことになっているレポートで何を書けばいいのか、を考えてほしくて、アウトプットにつなげることまで意識して、今回の形式にしました。

浅羽 幾重にも織り込んだかたちにつくり込むというのは、今の世の中の成り立ちそのものですよね。普段なかなか気づきにくいのですが、そのことに気づくと、舞台を見て喜んでいるだけの観客ではなく、舞台に上がる演者、あるいは舞台そのものを作る演出家や劇場の経営者の側に自分もいつか回ってみることができるようになるかもしれません。これまでとは別様に、違ったかたちで世界に臨むことができるのだ、ということを示してくださいました。

田村 みなさんは毎週ミニ・レポートを提出していると聞いています。一回一回はたいした点数配分があるわけでもないのに、「~~について**字で論じなさい」という課題について、面倒くさいなぁ、バイトもあるのになぁ、と思いながら書いている人もいるでしょう。ですが、ここで視点を変えて、レポートを出す側に回って「なぜこんなレポートを毎回提出させるのか」について考えてみてください。そうすると、先生が半年をかけて、この授業で何をみなさんに学んでほしいのか、という狙いに気づくことになります。これは他の学習でも同じです。例えば数学の試験で、問2の(1)(2)(3)というように、ひとつの問いがいくつかの小さな問いに分かれている場合があります。この(1)(2)は導入問です。いきなり(3)という本題を出されると、解けない人が続出するでしょうから、出題者が補助線を引いてくれているわけですね。

毎週の課題は、実は、浅羽先生が出していた補助線を知らず知らずのうちになぞっていたということですね。それが最後には大きな問題につながるんだ、という展望、期待を持って、単に目の前の課題をこなすだけでなく、「なぜ先生はこんな課題を出すのか」「最後、どういう眺めを得るのだろうか」という大きな視点で見ると、楽しみ方も変わっていくんだと思います。

浅羽 まさに先まで見通すと、「いま、ここ」をめぐって、別の意味づけをすることができると、ここ「県立大」の基準では厳しいとされるこの授業のやり方をパラフレーズ(言い直す)し、エンドース(承認)してくださいました。教員として、とてもありがたいことです。学生のみなさんにも、それが伝わると嬉しいんですが…。

田村さんは13年間のキャリアの中で、7つの異なるポストを経ながら、3つの職位を上がってこられました。その中で、だんだん楼を登っていくと、見通しがさらに立つようになってきたというお話でしたが、これまでの「ことば」が通じないというのはどういう経験なんですか。

■これまでの「ことば」が通じないという経験

田村 まず、単純に、「ことば」が分からない。「なにこれ?」という経験ですね。

昨年7月に人権人道課に配属された直後、部下から上がってくる文書の略語が分からないことがありました。例えば「EoV」という用語です。「どういう意味だろうか」と調べてみると、Explanation of Vote、つまり「投票理由説明」という言葉が出てきました。私はそれまで国連分野には全く携わってこなかったので、最初はそのレベルから始めるしかなかったんですね。

これは、何かに投票する際に、なぜそこに票を投じたのか、投票の事前又は事後に説明するというプロセスのことです。そうすることによっていちいち説明して回らなくても、「日本にはこういう背景があって、こういうふうに取り組んできて、こういう事情があったので、例えば賛成票を投じることにしました」ということが分かる仕組みになっています。

こういう用語は、正直分からないことも多々あります。そういうとき、さきほどお話したように、知ったかぶりをせず、その場では黙っておいて、あとでこっそりGoogleで検索するなどして分かるということもあれば、その場で恥を忍んで訊くこともあります。

全く別の例ですが、上司と話している中で「PRST」という用語が出てきたことがありました。これはPresidential Statement、すなわち国連安保理における「議長声明」の略語で、その業界、サークルでは「常識」になっています。しかし、これはハイコンテクストな用語ですので、国連畑、しかも安保理のことを知っている人でなければ分からないところがあります。

そのときの議論は、このPRSTがどういう意味なのかが分からなければ、絶対についていけないものでした。そこで私は、あえて「すみません。PRSTって何ですか」と訊きました。こういう姿勢は、相手から「こいつ、こんなことも分かっていないのか」とマイナスの評価を下されることがあるかもしれません。しかし、入門編、それこそ着任して最初の一週間、一カ月であれば、「初めての分野だし仕方ないよな」とまだ許されるかもしれません。ところが半年も経った後で言ってしまうと、「そんなことも分からないままでやってきたのか」「こいつ、ヤバいな」と思われてしまうことでしょう。

ここから得られる教訓は、「分からない用語があったら、恥ずかしがらずに訊く」ということです。大学の先生、バイトの先輩、直属の上司に訊いてもいいんです。訊くこと自体は恥ではありません。むしろ訊かないまま何年も過ごして、意味が分からないまま仕事することほど有害なことはありません。最初の頃は、分からないことを進んで訊くことは、特に専門用語に関して大切だと思います。

浅羽 みなさんも「政治学入門」は今日で13回目ですから、「集合行為問題」という用語は、今では「PRST」と同じように、自由に使えていないとおかしい話ですよね。

今日のお話の中にも、「人口ボーナス」「コモディティ」など、みなさんが初めて聞く「ジャーゴン」、その分野の専門用語が出てきたと思います。「優秀な通訳は通訳者の存在を知らしめない」というお話を昨年度されましたが、今日もさらっと「人口ボーナス」「コモディティ」がどういう意味なのかを「通訳」されていたので、みなさん自身、あたかも最初から知っていたかのように聞き流してしまったかもしれませんが、こういうときに「新しい「ことば」が出てきた」「ラッキー!」と面白がって、あとで自分で調べてみるという姿勢が大事だということですね。

田村 幸いなことに、今の時代は、Googleなどの検索エンジンがありますから、何か知らない用語をすぐに調べること自体はとても簡単にできます。ただ同時に注意しなければいけないのは、検索エンジンを通じて得られる情報は必ずしも正確性が担保されているわけではない、ということです。オープンソースで得られるもの、インターネット上には、出典が全くないものや、誰が言ったのか、明確なエビデンス、証拠のないものがあふれています。そういうものを最初に掴んでしまうと、間違った情報に振り回されることになります。

浅羽 「新しい環境を好奇心旺盛に楽しんだ者勝ち」というのは、お仕事だけでなく、田村さんの生き方を貫くプリンシプル、行動規範ですよね。ただ人によっては、新しいことにチャレンジして、いまのレベルとひとつ上のものを同時にやってみたところ、負荷がかかりすぎて潰れてしまうこともあると思います。前やったときダメだったから、いま楽しめず、むしろ不安になって怖がってしまうこともあります。もちろん、田村さんは「正のスパイラル」の中にいると思うのですが、例えば120%の負荷をかけて新しい100%となり、それを土台にして120%の負荷をかけて、どんどん100%にしていくと、幾何学的に成長していきます。逆に、負荷が軽すぎてもマズいわけですよね。パニックに陥ることもなければ、あまりに居心地が良すぎてその場にいつまでも留まるということもない。そういうストレッチしていける幅、伸びていける負荷のかけ方というのは、どういうものなのですか。

田村 もちろん人それぞれで、プレッシャーをかけられるとより強く反発できる人と、プレッシャーに弱くてなかなか本番では実力が発揮できない人に分かれると思います。私に言えるのは、迷ったり疲れたり凹んだりしたときは、必ず、絶対にできるところまで戻り、分からなくなったところからもう一度やり直す、ということです。

いわゆる学習困難校で、小学校の内容が分からないまま中学や高校に上がってしまい、つらい思いをしている人がいます。そういう人たちの家庭教師は鉄則として、まず小学校の教科書に戻るといいます。分数や掛け算割り算に戻って、どこから分からなくなったのかを特定することから始めるわけです。この鉄則のいいところは、掛け算や割り算ならば100点がとれることです。たとえ小学校のドリルであっても、満点は嬉しい。ここは完璧にできた。RPGで言えば、「とりあえずスライムくらいは全部余裕で倒せた」ということが自信になります。そうすることで、どこから分からなくなったのかをなんとか特定します。

勉強が億劫になる多くのパターンは、どこが分からないのかが分からない、というものです。特に高校の数学が顕著だと思います。そもそも何を言っているのかが分からない。その状態が半年続いて、何が分からないのかも分からなくなっていく。そうしたときにオススメなのは、確実に分かるところまで戻って、そこで問題を解決し、少しずつレベルを上げていくとことです。私自身、数学は決して得意ではなかったので、中学校の教科書にまで戻ってみるということをよくやりました。

浅羽 私の知人で農業経済学をやっている先生が最近、ぶどうの研究を始めました。これまでコメの研究はしていたんですが、新しい分野のぶどうのことはよく分からない。そのため、ぶどうの種類の違いや栽培法について書かれた、絵のいっぱい入っている入門書から読み始めたというエピソードを思い出しました。

新潟県立大学学生×田村優輝「質疑応答」

■正しく努力する

学生A 外務省で今までお仕事されてきた中で、一番印象に残った仕事はどういうものですか。

田村 そうですね。13年間もこの仕事をしていれば印象に残る仕事はたくさんできてきます。一番ということではないのですが、最近の例では、昨年9月末に、国連人権理事会という場でカンボジアの人権状況決議を日本が主体になって回したことがありました。現在のカンボジアの人権状況を日本はどう見ていて、国際社会は今年予定されている国政選挙に向けてどう後押しをし、どの分野は改善したほうがいいのかについて、日本がペンホルダー、すなわち、決議の主提案国として文言を起案する立場でした。

この決議案交渉は、日本政府にとって非常に苦しいものでした。構造としては、カンボジアは、「日本はなんでこんな厳しいことを言ってくるんだ。日本はカンボジアの友人だろう。カンボジアの内情を分かっている日本には期待している」と言ってきます。一方、アメリカやヨーロッパ各国は「カンボジアが人権弾圧をしている中で、なぜ日本はこんな甘い態度をとるんだ。もっと厳しい内容を含む決議案にすべきだ」と言い出す。板挟みにあう苦しい状況の中、何かできることがあるはずだ、とギリギリの交渉を現場で行い、その結果、最終的には日本が提出した決議案がコンセンサス、つまり無投票でみんな賛成する、というかたちで採決されたんですね。

日本の立場は、人権外交の世界で独特なところところがあります。疑いようもなく、日本は自由、民主主義や法の支配、人権といった、近代の民主主義国家にとって重要な基本的価値を共有しており、その点ではアメリカやイギリスと同じ仲間です。同時に、日本はアジアの一員でもあり、その意味で欧米各国とは明らかに異なる立場にあります。ともすればどちらからも恨まれる恐れがある中で、日本がなんとか筋を通して、決議の際にコンセンサス採択に持っていくことができたというのは、最近の非常に印象に残る出来事でした。

学生B コツコツと努力することが大切とのご指摘でしたが、私にはなかなか難しいです。どうしたら継続できるのでしょうか。

田村 確かに継続することはとても難しいことです。NHKのラジオ「英語講座」を毎日15分ずつ聴くという話をしましたが、実は中学生のときから自主的にできていたわけではありません。

正直に言うと、私の母が、当時、カセットテープにラジオ講座を録音して、食卓の上に積み重ねていったんですね。一日、二日経つとカセットテープの量が増えていって、自分がやっていないことがバレる。無言の圧力ですよね。やれとは言われませんでしたが、10個くらい溜まるとヤバいと自分でも感じてやり始める、というのが当時の実情でした。あとから考えてみると、とてもありがたいことをやってもらっていたと思います。

ここから得られる教訓は、人間は黙っていればどんどん怠けていく性質があるということです。大多数の人間はより楽な方向に流れがちです。そうした中で努力を続けるというのは、一般的にとても難しい。むしろ続けられない人のほうが圧倒的多数ではないかと思います。それでも、どうにかコツコツやっていくしかありません。ひとつは、なぜ筋トレ的な努力を続けるのか、という目的意識を持つことが大事だと思います。腹筋をするにしても、毎日20回やってつらいだけでは、一日サボってしまったら「昨日やらなかったし…」と低きに流れていきます。だから、なんでもいいので、それこそ「夏までにウエストを5センチ小さくする」とか、「このデニムを履きたい」とか、努力するにあたって具体的な目標を考えてください。

英語の話であれば、新潟県立大学にも留学制度があると聞いています。大学二、三年生で応募したいと思ったのであれば、一定程度の点数をとらなければなりません。それを目標に設定して、その目標を達成するためにはどういう手段をとればいいのかを逆算し、どう正しく努力をすればいいのかを考えるといいと思います。努力すること自体を自己目的化するのはいいことではありません。

浅羽 高みを目指し、鸛鵲楼の一段目に足をかける、自分が上がれる高さにまでブレイクダウンする、毎日の一つひとつの作業工程にまで落とし込むことが大事だ、なぜなら人間はサボりやすいから、というお話を最後にしていただきました。今日のお話だけだと、あまりにかっこいいスーパーマンになってしまいますが、サボりたいという欲求は誰しもに自然にある中で、一段一段、積み上げていくことの凄みを示してくださいました。

私も含めて、今日伺った話は、本当に新しい「ことば」だと思います。ここにいる学生のみなさんは、英語はもちろんのこと、ロシア語・中国語・韓国語、政治学だけではなく、これからいろいろな新しい「ことば」、振る舞い方、ゲームでのプレイの仕方を身につけていく真っただ中にいると思います。ぜひ今日のお話を、この厳しい時代をタフに生き抜いていくうえでヒントにしてもらえればと願っています。田村さん、貴重なお話をまたしてもお聞かせくださり、本当にありがとうございました。

田村 みなさん、ありがとうございました。

新潟県立大学学生「受講生による解題」

■ひとつ上の景色に憧れを抱きながら

私は今、新潟県立大学に通う大学一年生である。国際地域学部という学部で、同じ分野に興味を持つ多くの同級生や先輩たちと関わりながら、勉学に励んでいる。ここは私にとってはとても恵まれた環境であると感じる日々である。高校生活に比べれば、県外生など、生まれも育ちも異なる環境であり、考え方も様々な人々と触れ合うことができ、私の世界は広がったように思う。

しかし、そのような喜びと同時に、私はいくつかの衝撃を受けた。というのも、自分は世界を知らなさすぎるということ、世界はもっと広く可能性であふれているということに気づいたからである。授業を受けると自分がいかに無知であるかを痛感し、世界はどんどん変化していることに気づかされ、自分が取り残されているようにも感じることがある。そんな中、周りを見渡せば、ボランティアに参加する人、自主的に語学に励む人、留学で経験値を積む人など自分なりにアクションを起こしている人がたくさんいる。世界が変わりゆく中で、より良い人材が求められている時代に適合し生きていくために、私はどう生きていくべきなのだろうか。

まず、目標を持つことが大切である。自分を動かす原動力となるものがいかに具体的でパワーを持っているかがカギである。自分は何をしたくて、そのためにどのようなことが必要なのか、どうすれば達成できるのかの過程が重要である。その原動力となる根本がしっかりしていない限り、アクションは起こせないし、継続もできない。

私は英語力を上げたいと漠然と思って入学した。しかし、結局、私は何もアクションを起こさないまま一年間過ごしてしまった。いま振り返れば、検定試験を受けることもできたし、英作文をチューターに見てもらうこともできたはずである。なぜそれができなかったか、それは自分にはしっかりとした原動力となる目的意識がなかったからである。

そんな私が今日新しい一歩を踏み出してみた。それは本当に小さな一歩である。初めてESSサークルに参加した。すると、ひとつ高い景色が広がっていたのである。今までなら授業で英語を使い会話するぐらいの景色であり、そこには何らかの義務感を感じていた。しかし、先輩たちの会話は極めて自由で、目を輝かせながら英語を使っていた。私はそこで、「英語で話すことの可能性と楽しみ」を目にしたのである。しかも、それだけではなかった。その後、人種差別についてディベートが始まった。そこでは自分が考えたことのないような考えを聴くことができ、新たな分野に触れることで新しい表現も学ぶことができた。さらに、自分の考えの浅さや、自分の意見をなかなか英語で表現することができず、もどかしさを感じた。そしてもっと高い景色を見るためには、自分の英語力を伸ばさなければいけないと痛感した。

私にとってこの一歩は大きな一歩であり、刺激となった。そしてまた高い景色を見たいと思った。変わりゆく世界に適用し、求められる人材であるために、私はこれからも常に高い景色に憧れを抱きながら、自らアクションを起こし、新しい「ことば」を学んでいきたい。

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プロフィール

浅羽祐樹比較政治学

新潟県立大学国際地域学部教授。北韓大学院大学校(韓国)招聘教授。早稲田大学韓国学研究所招聘研究員。専門は、比較政治学、韓国政治、国際関係論、日韓関係。1976年大阪府生まれ。立命館大学国際関係学部卒業。ソウル大学校社会科学大学政治学科博士課程修了。Ph. D(政治学)。九州大学韓国研究センター講師(研究機関研究員)、山口県立大学国際文化学部准教授などを経て現職。著書に、『戦後日韓関係史』(有斐閣、2017年、共著)、『だまされないための「韓国」』(講談社、2017年、共著)、『日韓政治制度比較』(慶應義塾大学出版会、2015年、共編著)、Japanese and Korean Politics: Alone and Apart from Each Other(Palgrave Macmillan, 2015, 共著)などがある。

この執筆者の記事

田村優輝外務省職員

外務省総合外交政策局人権人道課兼人権条約履行室首席事務官。1982年埼玉県生まれ。私立武蔵高等学校、東京大学法学部卒業後、2005年に外務省入省。ケンブリッジ大学で修士号(MPhil)取得。在ガーナ日本国大使館二等書記官、総合外交政策局海上安全保障政策室、大臣官房総務課、アジア大洋州局地域政策課での勤務を経て、2017年7月より現職。2013-17年には、外務省通訳担当官として、総理大臣、外務大臣等政府要人の英語通訳を担当した。

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