「尊厳死法案」をめぐる議論の論点整理――「国民的議論」活性化の一助として

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尊厳死と安楽死の混同

 

尊厳死と安楽死が混同されて用いられることがある。それが意図的でない場合もあれば、意図的あるいは戦略的にあいまいにされる場合もあるように思われる。筆者の考えでは、両方とも混乱をもたらす点で問題が大きい。

 

前者の意図的でない場合については、2004年に道立羽幌病院で「脳死」患者の治療中止が行なわれたときに新聞報道等で「安楽死」と報道され、しかも東海大安楽死事件に関して横浜地裁が示したいわゆる積極的安楽死の四要件までもが示された[*9]。同じことが2006年に問題となった富山県射水市民病院「安楽死」事件でも繰り返されたため、治療の差し控えや中止に関して、現在に至る混乱が医療現場にもたらされた[*10][*11]。つまり、終末期が近い患者にいったん人工呼吸器を付けるなどの積極的治療を開始すると、仮に治療が医学的に見て無益であり、また患者や家族が中止を求めたとしても、医師は法的責任を問われる懸念から、患者の最期が来るまで積極的治療を続けざるをえなくなるという事態が生じたのだ[*12]。

 

後者の意図的あるいは戦略的に安楽死と尊厳死をあいまいに論じる例はあえて挙げないが、尊厳死法案を批判するために、オランダやベルギーなどの安楽死が認められている国で起きている問題事例を解説するといったものが考えられる[*13]。

 

そもそも尊厳死概念があいまいだという議論は以前からある[*14]。しかし、大方の共通理解としては、安楽死と尊厳死は、先の学術会議の報告書にある以下の理解でよいと考える。

 

 

「安楽死の定義も多様であるが、現在主に問題とされている安楽死は、耐え難い苦痛に襲われている死期の迫った人に致死的な薬剤を投与して死なせるものである。これに対し、尊厳死は、過剰な医療を避け尊厳を持って自然な死を迎えさせることを出発点として論じられている概念である。」(報告書3頁)。

 

 

簡単に言えば、安楽死(積極的安楽死)は、致死薬投与によって患者を死なせることであり、尊厳死は治療を差し控えるか中止して患者に死をもたらすことである[*15]。現在の日本では、よかれあしかれ、安楽死はほとんど議論の対象外となっており、尊厳死法案も後者の尊厳死すなわち治療の差し控えまたは中止を問題にしている。重要な点なので繰り返しておくが、現在の法案では安楽死は問題にされていない点に注意すべきである。

 

 

治療を拒否する権利と死ぬ権利の混同

 

今回の尊厳死法案は、患者に「死ぬ権利」を認めるものだという主張が見られる。たとえば川口有美子氏は「尊厳死議連は『死ぬ権利』を法制化しようとしているのです」と述べ、松田純氏も尊厳死法案に対する日弁連会長声明を引用しつつ、「患者の『生きる権利』が保障されていない現状のなかで、なぜ『死ぬ権利を保障する法律』の制定を急ぐのか」と記している[*16]。

 

しかし、筆者の考えでは、患者の意思に基づく治療の差し控えや中止を認めることは、「死ぬ権利」を認めることではなく、「同意のない医療行為は暴行である」というインフォームド・コンセントの原則の一部である。「死ぬ権利」は英国の運動ニューロン疾患の患者が欧州人権裁判所まで争ったときにも焦点になったが、そこで争われていたのは致死薬投与による安楽死をした場合であり、治療拒否権ではない[*17]。ここにも2.で述べた尊厳死と安楽死の意図的・非意図的な混同があるように思われる。もちろん「死ぬ権利」をどのような意味で用いるかはそれぞれの論者の自由であるが、その場合には混乱が起きないように定義をして用いるべきである。

 

一方、「説明と同意」と訳されることもあるインフォームド・コンセントは、患者に対する適切な説明と同意がなければ、その身体に侵襲的行為をなすことは許されないという原則である[*18]。この考え方は、患者が望まない治療を拒否する権利を含むものである。本人の同意がなければ治療行為ができないのだとしたら、本人の同意がなければ治療行為の継続もできないはずだからだ。

 

「いいかげん死にたいと思っても『生きられますから』と生かされたらかなわない」という麻生太郎氏の発言がある[*19]。これはかなり問題視されたが、できるだけ好意的に解釈するなら、自分の身体に関しては、自分に決める権利があり、医療従事者には本人の同意なく治療の継続・中止を決める権利はない、という主張だと理解することができる。このような主張だとすれば、この部分に関しては筆者も基本的に同意する。

 

繰り返しになるが、今回の尊厳死法案で問題になっているのは、治療拒否権であり、「死ぬ権利」ではない。筆者はインフォームド・コンセントの原則の見地から、個人にはこのような治療拒否権も認められるべきだと考える。

 

[*9] 積極的安楽死とは、致死薬を投与するなどによって、患者の生命を断つことである。羽幌病院の事件については、以下を参照せよ。前田正一・児玉聡「院内に倫理的助言者を」読売新聞(北海道版)、2004年5月20日http://cbel.jp/modules/pico/200405.html

 

[*10] 射水市民病院の事件については、詳しくは以下を見よ。児玉聡、前田正一、赤林朗「富山県射水市民病院事件について–日本の延命治療の中止のあり方に関する一提案」(PDF)、『日本医事新報』、4281:79-83 (2006年5月13日)。http://cbel.jp/images/topics/topic200606.pdf

 

[*11] 現在でも、ベルギーにおける安楽死の議論を、日本の尊厳死の議論と一緒くたにして論じる報道記事が見られる。下記は、朝日新聞の記事(「安楽死、18歳未満も ベルギー合法化へ、7割賛成」2014/02/12)について、日本尊厳死協会がそのウェブサイトのコラムで苦情を述べているものである。「【ひとりごと】-困ります。尊厳死も、安楽死もごっちゃでは」日本尊厳死協会、2014.02.14 http://www.songenshi-kyokai.com/messages/column/101.html

 

[*12] この点については本論の「あえて立法化する必要はないか?」も参照せよ。また逆に、いったん呼吸器を付けるなどの積極的治療を始めると止められなくなるため、たとえ回復の可能性がいくらかある場合でも、積極的治療を差し控えるという事態も生じたと考えられる。

 

[*13] ベネルクス3国の安楽死法などの優れたサーベイとして、以下の特集を参照せよ。「特集:終末期の意思決定-死の質の良さを求めて」『理想』692号(理想社、2014年3月5日)

 

[*14] 最近の論文としては、以下を参照。品川哲彦「尊厳死という概念のあいまいさ」『理想』692号(理想社、2014年3月5日、111-122頁)。海外では尊厳死は「自発的な積極的安楽死」という意味で用いられることが多いので、注意が必要である。たとえば米国のオレゴン州やワシントン州のいわゆる尊厳死法(Death with Dignity Act)は、医師が致死薬を処方して患者が自ら服薬する「医師幇助自殺」について規定した法律であり、現在日本で問題になっている延命治療の不開始と中止に関する法案とはまったく性格を異にするものである。

 

[*15] さらに詳しくは、以下を参照。赤林朗編『入門・医療倫理I』(勁草書房、2005年)。

 

[*16] 川口有美子「いま、わたしたちに「死ぬ権利」は必要なのか?」Synodos 2012.08.09 https://synodos.jp/society/1481; 松田純「事前医療指示の法制化は患者の自律に役立つか--ドイツや各国の経験から」『理想』692号(理想社、2014年3月5日、78-96頁)、93頁。なお、日弁連の会長声明自体には「死ぬ権利」という言葉は出てこない。下記を参照。「「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案(仮称)」に対する会長声明」http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/120404_3.html

 

[*17] この事件については、詳しくは以下を参照。児玉聡・田中美穂、「英国における終末期医療の議論と課題」、『理想』692号(理想社、2014年3月5日、52-65頁)。

 

[*18] インフォームド・コンセントの原則(法理)については、たとえば以下を参照せよ。前田正一「インフォームド・コンセント」(赤林朗編『入門・医療倫理I』勁草書房、2005年、第8章)。

 

[*19] 松田純、上掲、93頁に引用。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.264 

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