生活保護法改正法案、その問題点

扶養義務の強化について

 

「扶養義務」については、昨年に芸能人の母親が生活保護を利用していたことによる一連のバッシングで話題になったので、記憶している方も多いことだと思う。では、現行法の「扶養義務」の扱いはどうなっているのだろうか。

 

生活保護の申請があった際に福祉事務所は、民法で定めた「扶養義務」にのっとり、「扶養照会」といって、おもに申請者の2親等、場合によっては3親等の家族・親族に対して、「生活保護の申請があったこと」「申請者の扶養義務者として扶養して欲しい」という連絡をする。

 

とはいえ、DVや虐待など、特別な事情で家族や親族と離れて暮らす必要がある場合や、連絡を取ることが良くないと判断される場合など、申請者の状況や状態、環境によっては「扶養照会」を止めてもらうことができる。また、「扶養」といっても、「可能な範囲での援助を行う」というもので、法的に強制されるものではない。よく誤解されがちだが、扶養義務は生活保護の「要件」ではなく(収入や資産等の状況が生活保護基準を下回っていることが要件)、「可能であれば」というものである。

 

では、改正法案ではどう提起されているのだろうか。「扶養義務」については24条第8項、28条、29条がそれにあたる。

 

内容を要約すると、

 

 

1)「扶養義務者」に対して申請があったことを、厚生労働省令で定める事情がない限りは福祉事務所が通知しなければならない。

2)福祉事務所は「扶養義務者」に対して資産や収入の状況について報告を求めることができる。

3)福祉事務所は「扶養義務者」の資産・収入等について官公署に資料の提供や報告を求めることができる。

4)福祉事務所は、現在だけでなく過去(当時)の被保護者およびその「扶養義務者」の保護期間中の資産・収入等について、官公署に資料の提供や報告を求めることができる。

5)官公署は上記の求めがあれば速やかに資料等の提供をおこなう

というものだ。

 

 

正直、これを見て絶句した。少しわかりにくいと思うので、あなたに兄がいて生活保護申請をしたと仮定して考えよう。

 

ある日、遠方の福祉事務所から突然連絡がある。音信不通だった兄が生活保護申請をしたとのことで、扶養できないかという連絡だった(DV等の事案がなければこのように連絡がいく)。あなたはそのとき、自分の生活でかつかつで余裕はない。日々の生活でいっぱいで返事が遅くなっていたら福祉事務所から報告を求められ、扶養できない旨を伝える(福祉事務所は報告を求めることができる)。

 

すると福祉事務所は、あなたが本当に扶養できないかどうか、あなたの収入や資産の状況等を官公署に情報照会。官公署もあなたの情報を福祉事務所に提供する。あなたは福祉事務所によって「調べられて」、はじめて兄を扶養しなくてもよいと認められ、兄の生活保護が決定する。また、過去の生活保護に関してもこれと同様のさかのぼっての家族や親族へ扶養調査ができるようになる。

 

以上は簡単な例だが、この「扶養義務の強化」のおそろしさがわかるだろうか。

 

生活困窮に陥る人のなかには、家族との関係が悪くなっている人も多い。また、家族や親族にしても身内が生活保護申請をしたら扶養能力について福祉事務所に「調査」されることになる。これは本人だけでなく、その家族や親族にまでスティグマ性(制度利用を恥だと思わせてしまうこと)を植え付けさせる提案で言語道断である。

 

誰もが、失業や健康状態の悪化など、必ずしも個人の資質とはいえないさまざまな社会環境の問題によって生活困窮に陥るにも関わらず、まず家族が養うことを事実上義務化するという前近代的なことがまかり通ろうとしていることに戦慄を覚える。

 

 

水際作戦の再来と強化

 

このように、この「生活保護法改正法案」は、制度申請時に申請書や必要書類がそろっていることを求めたり、扶養義務を強化(実質要件化)して家族や親族に扶養を事実上義務付け制度利用のスティグマ性を高めたりと、非常に問題が多い。またこれらの問題はいままでの既存の生活保護行政が抱える問題と直結して、必要な人が必要な支援につながることを妨げる大きな要因になってしまう可能性が高い。

 

具体的には「水際作戦」の再来と強化のおそれがあげられる。「水際作戦」とは、生活保護申請の唯一の窓口である福祉事務所が、本来保障されている「申請権」を無視して、「違法に」申請を受け付けなかったり、阻止しようとすることである。

 

そんなことがあるわけない、と思う方もいるかもしれない。しかしたとえば、今年1月に札幌市白石区にて、病弱な姉と障がいをもつ妹との姉妹が、3度福祉事務所に相談に行っていたにもかかわらず、生活保護の申請にいたらずに餓死されるという事件がおこった。この白石区では1987年にも、生活保護申請を受け付けず「相談」にとどめるという対応を行い、母子家庭の母親が餓死するということが起きている。

 

昨年3月には京都府宇治市で、申請に訪れた母子家庭の母親に対し「異性との生活は禁止」「妊娠出産した場合は生活保護には頼らない」などの誓約書を担当職員が不当に書かせていたことが明らかになった。また同じく京都府の舞鶴市では、妊娠中の女性に対してその父親とすでに音信不通であるにもかかわらず、「胎児の父親の連絡先が必要だ」との理由で申請を拒否するという事態も起きた。

 

いずれも法的に違法であり、かつ非常に差別的である。

 

現行法でも、まだまだ生活保護行政に関してはこういった「水際作戦」が見られる。しかし、もし「改正」されると、必要な書類や申請書がそろっていないという理由で追い返されたり、扶養義務の強化によって自ら申請をあきらめてしまったりと、ただでさえ補足率が約2~3割といわれている現状から、さらに入口が狭くなってしまう可能性が高く、本来生活保護を利用することができる人が、結果的にそういった支援につながらなくなってしまうおそれが多い。

 

 

「改正案」の前提にあるもの

 

「生活保護法改正案」を見ていると、とくに「扶養義務の強化」などが顕著にあらわしているが、生活困窮の原因を社会全体の責任と考えるのでなく、個人や家族などの枠の中に押しとどめてしまっている印象がある。

 

実際に冒頭でふれたさまざまな法整備や施策案のなかで、今後の社会保障の方向性は、公的な支出をできるだけ少なくし、生活困窮した人にできるだけ自立してもらおう、自立するのが大変な人には地域や民間の力で支えよう、もしそれでも難しければ公的な制度で支えよう、というものとなっている。これはいわゆる「自助」を中心に「共助」をあてにし、確たる制度としての「公助」を圧縮しようという発想で、これを前提に議論がされている感が否めない。

 

生活困窮に陥る方は、本人の資質に帰結させることができない、さまざまな要因の連鎖(失業や病気、社会制度の不備等)によって、社会的な不利益を被ってしまい、孤立し、困ってしまっている場合が多い。そんな彼ら・彼女らを支えていくのは「自助努力」や「家族の扶養」などといった、あいまいで不透明なものではなく、公的な、たしかなセーフティネットとしての社会保障制度である。

 

制度を利用することに新たに障壁を設定し(すでに要件等高い障壁があるにもかかわらず)、社会保障制度が果たすべき本来の役割を圧縮して、個人や家族にその役割を押しこんでしまうことは、社会全体が自らの役割とその責任を放棄することだ。

 

アベノミクスで景気は浮揚し、日本社会は活性化するかもしれない。しかし、一方で生活保護基準の引き下げが決定したりと、再配分機能は軽視され、ナショナルミニマムとしての社会保障のベースが切り捨てられようとしている。

 

いまおこなわれている議論は、貧困の実態に即しているとは言い難く、あまりにも軽薄なものだ。一人ひとりの「いのち」に目を向けて、切り捨てではない「持続可能性」を模索していかなければならない。もちろん、それはもしかしたら針の穴を通すような難しいプロセスなのかもしれない。しかし、それを模索せずして何が政治なのだろうか。

 

 

 

 

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