“自分らしさ”をケアするのは誰か ―― ホームヘルパー、制度と日常を越えて

制度と付き合いながら、自分らしくいきいきと暮らすために

 

―― 制度を大幅に変える必要があると思いますか?

 

制度の変え方によりますよね。ひと昔前なら、ただ給付を厚く、負担は少なくと訴え、制度をつくって予算を引っ張ってくるという取り組みが有効でした。保育など今でもそれが必要な領域はありますが、財政事情もありますし、政策を裏づける社会的な価値観による適当・不適当の判断もあるでしょう。

 

とくに精神障がいや難病の方には「みんな頑張っているんだから、お前も頑張れ」という視線を向けられることが多い。とても乱暴です。介護保険だけで言えば、制度をいじってメニューを増やすのは正直うんざりですが、精神障がいの人や難病の人が家でフツーに暮らすための制度はまだまだ不十分だと思います。いまは「あれもこれも」が難しく、「あれかこれか」って言われています。だからこそ、より共感を広げて行くために「困ってるズ!」のような取り組みは重要だと思います。

 

社会保障全体で考えると、年金制度にばかりお金が集中してしまっています。また、効率を上げようとしてかえって肥大化した部分が多くあるため、現場に関係のないところにお金が使われてしまい、肝心の利用者やヘルパーにはなかなか回ってこない。制度を変えるとしたら、お金の配分を変えることと、制度を包括的にして利用者に使いやすく、運営自体のコストを大幅に下げることでしょう。

 

2006年に精神障がい者が障がい者自立支援法の枠組みに入り、2010年には発達障がい者もその枠に入りました。そして来年の春には難病も含まれるようになります。どこまでが含まれ、給付の対象となるか、その内容はまだ議論がありますが、全体としてケアの法制度が統合化される流れにあります。介護保険ができたのもそうですが、従来医療の枠組みでしかケアできなかったものが、生活支援や介護の必要に応えていくものに変わってきた。そして少しずつ「社会サービス法」のような、ニーズのある人が困ったことに応じて使える大きな括りの仕組みにつながるとよいと思います。

 

とはいえ、いろいろと議論はあります。障がいの当事者団体の多くは、介護保険との統合には反対しています。長年の運動の成果として勝ち取ってきた介護保障の切り下げを危惧しているのと、仕事や子育て、社会参加など、高齢者とはニーズが異なると考えられている。逆に高齢者の方は、自分は「障がい者」じゃない、一緒にしてくれるなという思いがあったりする。これまでの人生で培われた能力主義的な価値観と偏見を反映しているのです。

 

また、たとえば「延命治療」についても高齢者と障がい・難病者では見方が違う。高齢者の方では、今までのような医療重装備の延命治療が相応しいのかどうか見直し、「尊厳死」や「平穏死」を望むトレンドがある。新政権も尊厳死法案を進めるでしょう。一方、障がいや難病の方では、社会全体が生きている意味のある生とない生を峻別し始めかねないことに、強い危機感を持っている。社会資源や制度の不充分さによって、文字通り息の根を止められたくない。

 

でも、障がい当事者が、施設や病院や親もとから飛び出して自立生活を始めたのは、自分の意思に依らない外部のシステムによって、自分の生き方を決められたくないという強い思いだったはず。使える制度は使いながらも、自分らしさをシステムに委ねずにいきいきと暮らし尽くすという点では、それぞれに共通するものが見つけられる気がします。

 

 

ヘルパーさんは、こんな風に困ってるズ!

 

―― ヘルパーさんの「困ってること」をお聞かせください。

 

今までお話してきた内容と重複すると思いますが、3つほどあげられます。

 

ひとつ目は制度が硬直していること。曇ったガラスが気になっても掃除してはいけない。正しくやろうとしたら大変。実際にあったケースですが、窓の結露のひどい部屋があって、それを拭くために、役所に確認して衛生的な環境の維持とか何とか目標とともにケアプランに書き込み、担当者会議を経て、事業所では訪問介護計画書に明記し、やっとできたことがあります。形式的な文書主義が横行し、役所向けに整えるための仕事が増えています。

 

さらに言えば、アセスメントして目標と計画を立て、結果を評価する、といったあり方は、とても近代的な発想に過ぎて、ヘルパーからすると違和感が拭えません。リハビリや看護など医療モデルにはまだ馴染むかもしれませんが、シンプルに自分らしく暮らすことを望む生活モデルや、人が齢を重ねて衰え、やがて亡くなっていくという自然そのものに対しては、当てはめにくいように感じられます。

 

細かい規定と手続きをつくることで、制度からもれるものも生じてしまう。もっとシンプルかつ柔軟で、包括的な制度になれば、谷間も小さくなっていくでしょう。これについては、以前シノドスジャーナルに寄稿した「介護保険、報酬の抑制はせめて美しく ―― 改定で疲弊する現場 https://synodos.jp/welfare/1441」をお読みください。

 

ふたつ目は時間的な制約です。訪問時にはやるべきことで手いっぱいで、利用者さんとゆっくり話をしたくてもする時間がない。昨春の改定では、さらに1回あたりの時間幅が減らされました。実態としては、ちょっと時間を超えて、お喋りにつきあったり、認められていない家事をすることもあります。その善意は悪くないのですが、それが当たり前のものとして重なってくると、結局はただでさえ安い時給で頑張っているヘルパーにしわ寄せがいくことになります。

 

世間では「介護はボランティアで良い」という感覚も根強いですが、仕事としてつづけていくためにはそれではいけないです。なかにはどうしてやってくれないのかと不満をぶつけられることもありますが、多くのヘルパーは悩みながらも法律の範囲内で精一杯やっていることを理解して欲しいです。

 

最後がチームワークです。ケアはヘルパーひとりではなく、ケアマネジャーや他の事業所のヘルパー、訪問看護師などとチームで行います。思いがあっても、チームのなかではあまり飛び抜けたことはできません。ケアマネジャーや一緒に組むヘルパー、訪問看護師、診療医などは、そのつど持ち味が異なりますし、本人を囲むチームの一員である家族も、妻や夫、子ども、親類たちで意見が違うことはままあります。

 

最近、介護職も痰の吸引など医療的ケアをすることが可能になりましたが、及び腰のヘルパー事業所もありますし、看護師さんには「ヘルパーにそんなことやらせられない」と思っている方もいる。家族はできて疲労困憊しているのに、専門職ができないのはおかしな話ですが、同じようにどのタイミングで入院するのか、あるいは家でどのように最期のひとときを過ごすか、食事が摂れず排泄もないリスクをどのように引き受けるかなど、方向性が重ならないこともあります。カンファレンスなどの場を通じて、1対1ではなく、チームのそれぞれが強みを発揮しあって、よりよいケアに協働して取り組んでいくことは常に課題です。

 

 

 

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