2015.04.30

ゴールデンウィークのための新作映画案内

若林良 映画批評・現代日本文学批評

文化 #新作映画#龍三と七人の子分たち

 「芸術に触れる○○」という言葉があります。○○には季節が入る、と言われれば、恐らく「秋」が一番しっくりくるでしょう。

しかしながら、本、音楽、映画、絵画、演劇などのさまざまな芸術に触れることは、季節に関係なく続けたいもの。ただ、普段は仕事で忙しくて、なかなか時間がとれないという方も多いとは思います。そんな中での待ちに待った、大型連休(ゴールデンウィーク)の到来。今回はその時期に公開中の、おすすめ映画5本についてご紹介できればと思います。

『龍三と七人の子分たち』(4月25日公開)

言わずと知れた世界の巨匠、北野武。本作は『アウトレイジ ビヨンド』以来3年ぶりとなる、待望の最新作です。今回のテーマはズバリ「ジジイ」。

元・ヤクザで今はさえない隠居生活を送る「ジジイ」たちが、元組長の龍三がオレオレ詐欺(振り込め詐欺)に引っ掛かったことをきっかけに再結集。詐欺集団の若者たちを成敗するために動き出します。いわば、新たに世直しに挑もうとする「ジジイ」たちの姿を、コメディ・タッチを交えて描く作品です。

北野監督には『ソナチネ』『BROTHER』などやくざの世界を描いた作品が多く、近作『アウトレイジ』『アウトレイジ ビヨンド』もまた然りですが、本作がこれらの作品と異なる点は、基本的に「コメディである」ことにあります。

「若者問題」「組織犯罪」「高齢化社会」と言うとどうしても社会派映画のような、暗いタッチの作品を連想してしまいがちですが、本作の主眼はなんといってもジジイたちの“破天荒さ”。彼らはとにかく画面のなかで活き活きと動きまわるのです。

「金無し、先無し、怖いモノ無し」とは本作のキャッチコピーですが、老い先の短い彼らは怖いものなどまさに何も無いようで、その姿からはある種の清々しささえもが感じられるほど。

また、基本的に昭和前期世代(たぶん)ゆえか、彼らの行動には現代社会から見ると微妙なずれがあり(ネタバレになるので詳しくは書きませんが、たとえば“トイレ”のエピソードなどが秀逸です)、そこからもまた笑いは生まれます。

さすがはお笑い界の重鎮という感じで、本作は「北野武監督作品」というより、「ビートたけし監督作品」と呼んだほうが、むしろぴったりかもしれません。(ちなみに、1995年の「みんな~やってるか!」はビートたけし名義の作品です)

北野作品は激しい暴力や、物語の本筋からは外れた独特の表現などが特徴となっていますが、本作はむしろ誰にでも楽しめる、第一級のコメディ映画になっています。北野作品は初めて、という方にもぜひおすすめしたい作品です。

『Mommy/マミー』(4月25日公開)

グザヴィエ・ドラン。この名前は少しずつ、世界の映画ファンに浸透していっているように思います。現在26歳の、「映画界の若き救世主」と呼ばれるカナダの映画監督。

彼は『マイ・マザー』、『胸騒ぎの恋人』で世界の映画界に鮮烈なデビューを飾り、続く『わたしはロランス』、『トム・アット・ザ・ファーム』ではカンヌ、ベネチアといった世界最大規模の映画祭での喝采を浴びます。

20代にして世界の注目の的となったドランですが、その最新作にして“最高傑作”と呼ばれるのが、今回公開される『Mommy/マミー』です。2014年のカンヌ国際映画祭において審査員特別賞を受賞し、審査委員長のジェーン・カンピオン(オーストラリアの女性映画監督)からの絶賛を浴びた本作。

フランスでは公開直後から大ヒット、最終的には100万人を超える動員を果たし、世界の映画界のビッグニュースにもなります。日本でも観客がどのような反応を見せるのか、今から期待は尽きません。

そんな本作のテーマになるのは、ずばり「母と子」です。2015年、とある世界のカナダでは、「S-14法案」という法律が可決されました。その内容は、問題を抱える子どもの親が経済的、また精神的な危機に陥った場合は、法の手続きを経ずにその養育を放棄できるというもの。

ADHD(多動性障害)である15歳のスティーブとその母ダイアンは、この法律に大きく左右されます。スティーブは普段は知的で純朴な少年ですが、暴れ出すとダイアンにも手がつけられない。一度は矯正施設に入ったスティーブですが、やがて母親のもとに帰ったときから生活にはさらなる変化が起こります。はたしてふたりは、新たな「希望」を見つけることができるのだろうか――。

ドラン監督の映画は、その独特なカメラの構図や色彩表現に定評がありますが、本作はまさにその可能性を極限まで推しすすめたような、百花繚乱の趣を醸しだす作品と言えます。若い情熱のほとばしりと「円熟」の域に達した巧みな描写力を、ぜひ、劇場で味わってみてはいかがでしょうか。

『セッション』(4月17日公開)

第87回(2015年度)アカデミー賞において、助演男優賞をはじめとした3部門を受賞した本作品。監督のデミアン・チャゼルは28歳(撮影当時)の若さであり、また本作が初の長編映画となります。

しかしながら、チャゼルはこの作品で、「世界がもっとも注目すべき」監督のひとりになったと言えるのではないでしょうか。この映画の衝撃に、いまアメリカが、日本が、そして世界が揺れています。

物語は、主人公のアンドリューが名門音楽大学に入学するところからスタートします。彼は練習の中で、学校の中でも最高の指揮者として名高いフレッチャーのバンドにスカウトされ、大きな喜びを抱きます。しかし、アンドリューを待っていたのはまさに想像を絶するような、過酷な練習の日々でした。

フレッチャーは異常なまでの完璧主義者であり、演奏における0.1秒のテンポのずれも許しません。ミスをしたメンバーには容赦なく「クズ」「ブタ野郎」といった罵声を浴びせ、頬を打ち、椅子や楽器をも投げつけます。アンドリューもまたその暴力の対象となり、また心理的なワナによっても次第に追い詰められていきます。

それでも家族や恋人といった大切な存在も投げうち、フレッチャーの目指す高みに必死で食らいつこうとするアンドリュー。しかしその頑張りはいつしか狂気に近づき、やがてフレッチャーのスパルタ指導をも飲み込むようになっていきます。その果てにはいったいなにがあるのか。栄光か、挫折なのか――。

「音楽映画」「スポ根映画」、本作を形容するとすれば、恐らくこのようになると思います。しかしそうしたカテゴライズから、この映画の本質は見えてきません。まさに究極の師弟関係ともいえる、アンドリューとフレッチャーが生み出すひとつひとつのドラマや、そこから生まれる演奏の1秒1秒のきらめきに対して、感覚をひたすら傾けること。

それによって初めて、この映画を「本当に味わった」という実感は生まれてきます。「頭ではなく心で見る」ことを意識して、ぜひ、この映画と向き合ってみてください。【次ページに続く】

 

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(4月10日公開)

なにやらよくわからない題名だなあ、と思うそこのあなた、正解です。この映画は一度見て「よくわかる」という作品ではありません。しかしその「わからなさ」こそが本作の魅力のひとつ。いわば見る人の感性や価値観によって幾通りにも判断できるような、そうした世界の広さこそが本作のもつ特徴と言えます。

主人公のリーガンは、かつては「バードマン」という人気映画シリーズの主人公として名前をはせたものの、現在は落ち目でうらぶれた生活を送っています。しかし、新たに世間の注目を浴びたい、アーティストとして認められたいという願望から、ブロードウェイへの進出という無謀とも言える賭けに出ます。

自らが演出と主演をつとめ、公演に向けて準備を積み重ねるリーガン。しかし、怪我した共演者の代役に実力派俳優のマイクが選ばれたことから、事態は予期せぬ方向へ進んでいき――。

ストーリーを説明するとだいたい上記のようになりますが、最初にも記したようにこの映画の特色は「わからなさ」、つまり「現実」と「空想」の境目があいまいなところにあります。それは特に、主人公であるリーガンについて。

リーガンはどうやら超能力を備えているようで、コップや時計を指一本触れずに動かし、また自由に空も飛びまわります。さらには、リーガンのそばには自分の分身ともいえる“バードマン”がしばしば現れ、彼にこうすべきだ、となにかと話しかけてくるのです。

おそらく、これはリーガンの空想の世界なのでしょうが、そうともはっきりはわかりません。そして、この「空想」は彼の中のみにとどまらず、やがては周囲を巻き込むような大きな力となります。

ラストシーンに描かれるのは絶望か、希望か。それを決めるのはあなた次第です。アカデミー賞で作品賞を初めとする、4つの賞に輝いた実績は伊達じゃない。「映画でしか味わえない体験」を、あなたもその目で確かめてみてください。

『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』(4月11日)

メキシコでは2006年以来、「麻薬戦争」が続いています。メキシコ政府が麻薬戦争の撲滅のため、密売人たちに宣戦布告をおこなったことからこの「戦争」は始まりました。

しかし事態は簡単に収束せず、また麻薬組織同士の抗争などから、状況はむしろ悪化の一途をたどっていくこととなります。その犠牲者は、現在まででおよそ12万人を数えるほど。

このメキシコ、ひいては世界を揺るがす大きな問題に切り込んだのが、長編ドキュメンタリー『皆殺しのバラッド』です。監督は、イスラエル出身のアメリカの報道写真家、シャウル・シュワルツ。これまでロバード・キャパ賞など数々の賞に輝く著名な写真家である彼が、はじめて「映画」に挑戦した作品となりました。

シュワルツ監督は表現媒体に「写真」ではなく「映画」を選んだ理由として、「物語を伝えたかった」と語っています。麻薬戦争が現地に与えた影響については、視覚だけでなく感覚全体に訴えかけるような刺激が必要で、そのためには「映画」でなければダメなのだと。

監督が撮影に6年間をかけ、文字通りの悪戦苦闘の末に完成させた本作には、そうした強い決意がまさに画面の中に満ちあふれています。

映画において重要なキーワードとなるのは、「ナルコ・コリード」という音楽です。もともとは死と暴力のなかで生きる若者たちを讃えた音楽でしたが、いつのまにか麻薬王の栄光を賛美する音楽へと変わっていきました。

しかしながら、メキシコやアメリカでは爆発的な人気を博し、その影響でメキシコの少女たちからは、「将来は麻薬王と結婚したい」という声も多くあがっているほど。なぜ、こうした音楽が定着してしまったのか、そしてなぜ、この「戦争」はいつまでも続いているのか――。

この映画の提起する問題は決して軽くはありませんが、それだけに、画面に向かう私たちには切実な訴求性を帯びた、メキシコの「闇」が伝わってきます。「自分であればどうするか」を考えることから、世界が変わるきっかけは生まれてくるのかもしれない。見終わった後には、そんな感慨も生まれてくるような一作です。

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プロフィール

若林良映画批評・現代日本文学批評

1990年神奈川県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修士課程在籍。ドキュメンタリーカルチャーマガジン『neoneo』編集委員。太平洋戦争を題材とした日本映画・ドキュメンタリーを中心に研究する。

 

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