商業性の中で芸術を追求する――『戦後ドイツの映画ポスター』展 

「戦後ドイツの映画ポスター」展が1月29日(日)まで東京国立近代美術館フィルムセンターにて開催中だ。戦後東西に分かれ、別々の道を歩んだ2つのドイツ。それぞれの社会的背景のもとで、映画産業も独自の芸術性が花開いた。それに呼応するように、映画と観客をつなぐ宣伝媒体、ポスターも単なる商業的広告の域を越え芸術性を強めていった。商業的でありながら芸術的な映画ポスターの世界。フィルムセンター研究員、岡田秀則氏と大澤浄氏にその魅力を伺った。(取材・構成/増田穂)

 

 

芸術作品としての映画ポスター

 

――今まで「ドイツ映画」に関するイベントは見たことがあったのですが、東西で、しかも映画自体ではなくポスターを比較するような展示は見たことがなかったので、興味深い企画だと思いました。構想はどんな経緯で出てきたのですか?

 

岡田 1970年の創立以来、フィルムセンターでは国内外の名作映画の上映を行ってきました。ですから来館者の方々にとっては、いわゆるシネマテーク、「映画を見る場所」としての印象が強かったと思います。しかし20年ほど前からは、映画に関連する展覧会活動にも力を入れていて、ポスター展もその一環です。

 

映画ポスターは通常「映画の内容を宣伝するもの」と考えられています。しかしこの展覧会では映画ポスターがそうした機能性だけでなく、ひとつの独立した芸術作品にもなり得るのではないか、という視点に立っています。2017年の4月からは巡回展として京都の国立近代美術館でも展覧会を行う予定になっていて、フィルムセンターでは映画という文脈で、京都では近代美術の文脈においてそれぞれキュレーションが成立している。ふたつの要素がひとつになる、面白い企画なんです。

 

実は各国の映画ポスターをテーマにした展覧会は過去にも行っていて、今回の東西ドイツで6回目になります。今回ドイツを取り上げた理由としては、DEFA(東ドイツの国営映画製作会社)が創立70周年を迎えるという事情があります。現在70周年を記念して、フィルムセンターでは東ドイツ映画を特集上映しています。(注1)展覧会もそれにあわせて企画をしようと、ドイツ映画ポスターを取り上げることになりました。

 

(注1)2016年12月25まで開催

DEFA70周年 知られざる東ドイツ映画 http://www.momat.go.jp/fc/exhibition/defa2016-12/#section1-1

 

第二次世界大戦後、1990年の再統一までのドイツは、戦後の混乱の中で国が2つに分断され、それぞれ社会的背景は違ったものの、東西共に冷戦の最前線として厳しい時代を過ごしました。しかしそうした背景の中でも、映画文化はそれぞれに花開き、芸術的なポスターも制作された。展覧会では東ドイツに限定せず、東西両方を展示することで、それぞれの映画文化の歴史も感じてもらえるのではないかと企画を着想しました。

 

 

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――本当に、展示品はどれも近現代アートを扱う美術館に展示されていても全く違和感のない、おしゃれなポスターばかりですよね。

 

岡田 ええ。ただ、西ドイツの場合、こうしたアート性の高いポスターは映画産業の中では少数派です。大多数のポスターはより商業的で広告性の高い「わかりやすい」ものです。今回はあえて芸術的作品を集めているのでこうした展示になっていますが、決して当時の西ドイツのポスター全てがこんなにアーティスティックというわけではないんですよ。

 

 

――少数派でありながらもこうしたアーティスティックなポスターが出てきた背景はなんだったのでしょうか。

 

岡田 戦後のドイツは敗戦国として瓦礫の中から復興を遂げました。特に西ではアメリカ映画が大量に輸入され、国産映画も疲弊した人びとの気持ちを晴らすために娯楽的要素の強い、商業映画が多くなります。「宣伝のためのポスター」として、たとえばイラストや写真を用いて作品を紹介する、伝達第一の「わかりやすいポスター」が多くなった。

 

しかし1950年代後半になると、次第に他のヨーロッパ諸国や日本などで製作される芸術性の高い映画に刺激をうけた映画関係者により、こうしたアート映画、つまり映画としては優れているけれど、必ずしも収益性の高くない作品を人々に届けようと、いくつかの会社が設立されます。良い作品をしっかり評価する観客のもとへ届けようとしたのです。

 

そうした映画配給会社は芸術に対する理解も深く、単にわかりやすいポスターを作ることに否定的でした。それで、当時若かった新世代のグラフィックデザイナーたちにポスターの制作を依頼します。デザイナーたちは映画を観て、それぞれが受けた印象を反映してポスターをデザインします。映画の持つ雰囲気や考え方が伝わるようなインパクトのある作品、いわば「映画の精神」をつかむポスターを作っていった。

 

こうしたデザイナーたちの中にはグループを組む者もいて、「ノーヴム」などが有名でした。今回十数点を展示しているハンス・ヒルマンもその中のメンバーです。ただ、彼らはグループにはなっていましたが、チームとして仕事するのではなく、それぞれが個々に発注を受けて仕事をしていました。ひとりひとりが独立したデザイナーとして活動して、個々の表現を自由に追求する事を大切にしていました。

 

 

『七人の侍』(1954年/日本/黒澤明監督) ポスター:ハンス・ヒルマン(1962年) ドイツ映画研究所所蔵

『七人の侍』(1954年/日本/黒澤明監督)
ポスター:ハンス・ヒルマン(1962年)
ドイツ映画研究所所蔵

 

ちなみにこうした流れは、少し遅れてのことになりますが、日本にも共通して存在しました。日本では1962年ごろから、いわゆる「アート映画」が独自のルートで広まってゆきました。日本アート・シアター・ギルド(ATG)という映画配給会社が誕生し、大衆向けの拡大公開ではなく、アート映画を好む人びとをターゲットに小回りの利くサイクルで映画配給を行い始めたのです。

 

日本の映画宣伝では映画ポスターを制作するときに業界内での「掟」があって、主演俳優の顔の大きさや配置、宣伝文句など、商業映画としての厳しい制約の元に作られていました。ところが、ATGのポスターにはそうした決まり事がありませんでした。当時最先端の若いグラフィックデザイナーに依頼したり、それこそ『新宿泥棒日記』(大島渚監督、1969年)では主演したデザイナーの横尾忠則自身に描いてもらったり、業界内で普段ポスター制作をしている人間でもATGでは好きにやっていいなど、日本の映画宣伝史の中ではポスターに対しても非常に野心的な会社でしたね。

 

西ドイツの場合、こうした動きが活発だったのは50年代終わりから70年代中ごろまでの20年にも満たない期間でしたが、この時期のアート映画のポスターは作品として自立した価値を持っていると思います。今回はこうした作品を、あくまで美術展としてみていただきたいと思い企画をしました。作者ごとにコーナーをわけているので、それぞれのデザイナーの作風も見てとれると思います。

 

 

――70年代後半にアート映画が衰退した要因はなんだったのでしょうか。

 

岡田 やはり映画配給もビジネスですから、そうした専門的な配給会社が倒産したり、路線変更を余儀なくされたのが大きいと思います。アート作品を商業的に成立させるのはやはり大変でしょうからね。ポスターの中には両面刷りになっていて、片面は「わかりやすい」ポスター、もう一面がアーティスティックなポスターになっているものもあって、おそらく映画館が商業的に宣伝するか、芸術的に宣伝するかを選べたのだと思います。こうしていろいろ工夫はしてみたようですが、なかなかうまくゆかなかったのかも知れません。もちろん70年代後半以降もアート映画は盛んに紹介されましたが、ビジネスとしては世界的にみても縮小気味でした。【次ページにつづく】

 

 

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