「演劇的想像力」に溢れた作品を――第63回岸田國士戯曲賞予想対談

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松原俊太郎『山山』

 

■あらすじ

特定されてはいないが、福島の原発事故後を想起させる立ち入り禁止地区の山に戻って来た家族。夫、妻、アメリカ留学を夢見る娘、そこへ放蕩息子が帰還し、それぞれの見ている日本の現状、世界という鏡に写したこの国の姿をオブラートに包むことなく次々と吐露する。せっせと除染作業に精を出す「ブッシュ」という名前のロボットと作業員、某企業の社員の後ろでは国土の大半を占める雄大な山山が聳えている。(田中)

 

■上演記録

KAAT×地点『山山』

作:松原俊太郎

演出:三浦基

出演:安部聡子、石田大、小河原康二、窪田史恵、小林洋平、田中祐気、麻上しおり

2018年6月 横浜・KAAT神奈川県芸術劇場 中スタジオ

 

田中 『山山』は二人とも「地点」による上演を見ているんですよね。

 

山﨑 上演と戯曲では全く印象が違いますね。「地点」の三浦基さんは戯曲を大胆に再構成するタイプの演出家です。『山山』もたぶん3分の1ぐらいしかテキストを使っていないんじゃないかな。「地点」の上演もとても面白く観ました。ただ、「地点」の上演もそうですが、松原くんの戯曲もその面白さを言語化するのが難しい。

 

田中 私も決して分かりやすい戯曲だとは思いませんが、これだけ力強い言葉を書いていること自体が評価に値すると思っています。ただ、岸田なのかなと思う部分はあるんですよね。なんらか文学の賞をとってもいいんじゃないか。内容的にも、現代社会を書いた作品としてそこまでのレベルにいっていると思う。

 

山﨑 固有名詞も含めて様々なタイプの言葉や文体がすごい密度で詰め込まれていますよね。過剰な言葉がストレートに意味を受け取ることを拒否しているようなところがあって、それはたとえば現代日本におけるインスタントな言葉のあり方への抵抗として評価することもできるのかもしれません。あるいは政治家の空疎な言葉へのアイロニーとか。一方で、分かりすぎるようにも感じられるんですよね。「反原発」のスタンスがはっきり見える(ように思える)という意味では『アトムが来た日』と真逆と言えるかもしれません。

 

田中 彼の戯曲で、やはり三浦基演出で上演された『忘れる日本人』も見ましたが、言っていることは同じだと思うんですね。つまり「この国」ですよね。

 

山﨑 そうですね。『忘れる日本人』にしろ『山山』にしろ、ど直球で現在の日本社会を批判していると思います。主張は直球に思えるのに、言葉は容易に意味をとらせない。

 

田中 私はオブラートにくるんでいるんだと思いました。ど直球を投げ込んでいるわりに、そのまわりに恥ずかしさのようなものがくっついている。『山山』の登場人物はとにかく饒舌だし、話がスッと進んでいかない感じがありますが、そのもどかしさや時間のかけ方、余分なもののくっつけ方が、現代日本の表現の仕方なのかなという気がします。そうじゃないと「この国」について語れないわけです。KYが嫌われる日本社会において。

 

山﨑 うーん、僕にはオブラートとしては機能していないように思えます。透けて見えちゃってるので。それ自体が入り組んだ戦略だという可能性もありますが。

 

田中 私には、まわりにごちゃごちゃくっついているものが魅力的なんです。ただ、「地点」の上演の完成度があまりにも高かった。なので三浦さん以外の演出家がやるとどうなるか、ものすごく興味があります。たとえ今回受賞しなくても、これからも見ていきたい作家です。

 

 

古川日出男『ローマ帝国の三島由紀夫』

 

■あらすじ

現代。イタリア・ローマの地底。4ドアの車があり、そこに1組の男女。どうやら彼らは地上から落ちてきたらしい。やがて明かされる女の名は三島由紀子。そこに地底の先住民だという男が現れ、家禽となることを申し出る。現れる謎の老夫婦と追跡者らしき男。演じられる擬似家族とサロメ。その背後にはオスプレイの羽ばたきが響く。無数の参照項を通して日本という国=家を問う。(山﨑)

 

■上演記録

なし

「新潮」2018年10月号に掲載

 

山﨑 古川日出男さんのこの作品も、判断に迷いました。面白く読んだんですが、古川さんの書くものとしては小説のほうが面白いと感じてしまって。

 

田中 私もやはり「novel(小説)」と「play(戯曲)」はこんなにも違うものなんだなということを考えました。この作品には作家の想像力をものすごく感じたんです。文学的だし、台詞だけでなくト書きも丁寧に、それこそ絵が浮かぶほどに描写されている。ただ、戯曲は最終的に上演されるものだと考えると、「書き過ぎている」のではないか。例えば最初のト書きで「幕が開いた瞬間が、〈始まり〉ではない。それ以前に、すでに物事は始まり、継続—し且つ継起—している。」とありますが、これをどう上演するのか。ベケットの戯曲の多すぎる「間」同様に、現場で問題になるでしょうね。

 

山﨑 古川さんの場合は、「これは(上演)できないだろう」ということを演出家に突きつけるように、わざと書いている気がしますけどね。

 

田中 そう、ただ、それに何の意味があるんだろうと思ってしまうんですよ。一方で、古川さんはこの作品の前に、同じく雑誌「新潮」に戯曲『冬眠する熊に添い寝してごらん』を発表し、故蜷川幸雄さんの演出で上演されています。『冬眠する熊に〜』にもある種の過剰さというか、「文学的想像力に溢れた、上演不可能に思えるト書き」があったと思うんですが、蜷川さんが力技で舞台化してしまった。一定の評価も得ている。すでにそういう先例があることを考えると、選考委員の先生方がこの作品をどう評価するのか、興味深いです。

 

山﨑 上演への挑戦として書かれた戯曲はこれまでにもたくさんありますし、それによって演劇あるいは戯曲がジャンルとして進化する面もあると思います。それに、戯曲賞だから読みものとしての面白さだけを評価すればいいという考え方もできますよね。これを面白く上演するには演出家や俳優の力が相当に試されるなという気はするんですけど、戯曲が上演を超えちゃうのは「あり」だと思う。古川さんのようなト書きは、僕は積極的に肯定派です。

 

田中 テーマとしてはどうですか。東京新聞の文芸時評で、佐々木敦さんが安藤礼二さんとの対談の中で、「(『ローマ帝国の三島由紀夫』も)平成の終わりと関係があって、三島というスクリーンの向こう側に見えるのは天皇なんです」と言っていて、そうかもしれないと思ったんですが。つまり「この国」の行く末を捉えようとしている。

 

山﨑 しかしそれがどう描かれているのかが容易には読み解けない。ローマ帝国、日本、沖縄、アメリカ。三島由紀夫がモチーフなので当然と言えば当然ですが、これらが複雑に絡み合っていて、そこにサロメまで入ってくる。たとえば、ユキコがレイプされたことを語る場面は、その扱いというか必然性に強い疑問を感じたんですが、ユキコはサロメでもあり三島由紀夫の名前を継いでいる者でもあること考えるとそこには複雑な文脈がある。レイプしたサンボンギには公威という三島の本名が作中における「役名」として与えられていて、ヨカナーン役が与えられているのは政治と書いてマサハル、彼に死をもたらす羽ばたきはオスプレイの音だとされています。面白くは読みましたがその複雑さの先にあるものに僕はたどり着けませんでした。

 

田中 そうですね。そこを考えさせるのであれば、文字を読み進む小説という形態の方が有効かもしれませんね。さらに「車の屋根を走って、ボンネットに飛び下りて、反転して、ボンネットの蓋を開ける!」と、細かく上演の指示を出されても、物語を成立させるから好きにやらせてくれ、となる。一方で、書かれているからには蜷川先生のように生真面目に一言一句忠実にやり遂げるしかない、とも取れる。戯曲なので、上演されるとしたらという疑問は最後まで残りますよね。

 

 

松村翔子『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』

 

■あらすじ

掲げられたテーマは「お金」。不妊治療を受ける主婦、整形にハマるOL、コールセンターで働く契約社員、ノイローゼ気味の教師、性自認に苦しむ中学生、仮想通貨で儲けようとするデイトレーダー、絶対の価値を認めないデリヘル。それぞれに個性的で(同時にステレオタイプでもある)異なる価値観を持つ彼らの生活と主張が「お金」というテーマで緩やかに連なり、反発し、ときに交差するなかで本物と偽物、あるいは価値とは何かが問い直される。(山﨑)

 

■上演記録

モメラス『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』

作・演出:松村翔子

出演:安藤真理、井神沙恵、上蓑佳代、海津忠、黒川武彦、曽田明宏、西山真来、山中志歩 ほか

2018年9月 東京・BUoY

 

山﨑 松村さんは、去年の候補作の『こしらえる』も面白かったんですよね。僕が松村さんの作品を面白いなと思うのは、元が役者だからか、いろんな文体が使えるんです。言葉としてもそうですし、演出の方法というか、舞台上の表現としてもそう。しかもそれを組み合わせて使うのがうまい。去年はそれを「コラージュ」という言葉で説明したんですが。

 

この作品で最初にYouTubeの話をするじゃないですか。主婦のくぼがYouTubeで動画を眺めて、関連動画を渡り歩く。街頭インタビューの映像が流れて、いろんな人が次々に画面に出てくる。この『反復と循環〜』という作品自体、いろんな人物が登場していろんな場面をザッピングするように見せていく構造になっていますよね。冒頭のYouTubeの使い方一つとっても、ザッピングしていくことにつながるし、「反復と循環」というテーマともつながっている。形式と主題が見事にマッチしているし、面白く見せている。

 

田中 なるほど。私は今回この作家の作品を初めて読んだんですが、すごくいいと思いました。基本的にエピソードの積み重ねでできていますが、全体としてもきちんと像を結ぶし、書かれている言葉もリアリティーがあります。等身大の若者の姿を描くタイプの作品だと思いますが、社会との接点も失っていない。あゆむくんという中学生を置くことによって、今の社会の問題を次の世代への課題として提起しているところも面白いなと思いました。

 

山﨑 あゆむくんに寄り添っていく感じはありつつも、あゆむくんに限らず、どこにも肩入れしない感じもいいんですよね。特に上演を見ていると、それぞれの場面でキャラクターに説得されそうになるんですよ。だけど次のシーンではそれが裏切られたりする。そのアイロニカルさもいい。デリヘル嬢のらっこちゃんとあゆむくんのパート以外はあまりちゃんとした会話にはなりませんが、それでも登場人物はきちんと人として立っている。

 

田中 削ぎ落とし方もいいですよね。

 

山﨑 僕もそう思いました。これだけしか書いてないのに、ちゃんと「くる」ものがある。連想ゲームみたいになんとなくつながっているようにも見える構成なんだけど、それぞれが切り離せない問題なんだなということが体感として分かります。モチーフとして偽札が出てきたり、鏡を売っているセールスマンが副業としてデイトレーダーをしていたり、「本物と偽物」「虚と実」を常に意識させられる。あらゆる意味でものすごく書ける人だと思うんです。

 

田中 ケチをつけるところはないかもしれない。

 

山﨑 でも今回は……。

 

田中 山田百次さんが良すぎるんですよね。

 

 

山田百次『郷愁の丘ロマントピア』

 

■あらすじ

舞台は夕張市、シューパロ湖を臨む駐車場。そこにはダムの底に沈んだ大夕張という街のモニュメントが設置されている。取材のために集まった元・炭鉱夫たちはかつての街のにぎわいと自らの人生に思いを馳せる。交錯する現在と過去から浮かび上がるのは国や企業という大きな存在の都合に翻弄されながらも必死に生き、そして、にもかかわらずほとんど忘れさられてしまった人々の姿だ。

(山﨑)

 

■上演記録

青年団リンク ホエイ(現ホエイ)『郷愁の丘ロマントピア』

作・演出:山田百次

プロデュース:河村竜也

出演:河村竜也、長野海(青年団)、石川彰子(青年団)、斉藤祐一(文学座)、武谷公雄、松本亮、山田百次

2018年1月 東京・こまばアゴラ劇場

 

田中 これまでの作品で何度か「人間が描けてない」というキーワードが出てきましたが、山田さんの作品は、ちゃんと血の通った人間が描かれているんです。聖人君子じゃない、ただのダメな夕張のおじいちゃんなんですが、たまらなく愛しくなる。そして、見終わったときに、人間愛に包まれるというか、人間が肯定されるんです。世の中にもの申すみたいな作品が多い中で、「人間ってこんなにいいんだぞ」という。

 

山﨑 登場人物が毎回チャーミングですよね。『郷愁の丘ロマントピア』は非常にホエイらしい作品です。江戸時代に幕府によって蝦夷地に出兵を命じられた津軽藩兵の悲劇を描いた『珈琲法要』(2013年初演)、大戦末期の火山噴火による昭和新山の誕生と集落の消滅を描いた『麦とクシャミ』(2016年)に続く、北海道3部作の3作目にあたります。ホエイは、歴史に題材をとりつつ、歴史に埋もれていった個人を描く作品が多いですね。

 

田中 イギリスにサイモン・スティーブンスという劇作家がいるんですが、彼はものすごく小さな、誰も知らないような町を描くことで、世界を語るんです。『郷愁の丘ロマントピア』はまさにそれで、夕張という小さな町で、名もない人しか出てこないのに、日本についても、世界についても語ってくれている。

 

山﨑 たぶんいちばん大事なのは、かつてこういうことがあったと知ることではなくて、今の私には見えていないものがあるんだという想像力だと思うんです。この作品は「かつて炭鉱で栄えた夕張の町」があったことを見せるだけではなくて、そのようにして思い出せない、思い出されないことがあるということに思いを馳せさせようとしている。だから記憶の物語でありながら作中の個人の記憶も完全ではありません。

 

田中 芝居の中では、過去は若いころのじいちゃんたちとして演じられるんですが、過去と現在の間の時間もちゃんと見えるんですよね。

 

山﨑 ただ、上演を見たほうが絶対面白いんですよ。しかも山田さんの演出より面白いがあるかというと、ちょっと想像しづらいんですよね。

 

田中 山田さんがやるから面白いということ?

 

山﨑 わりとチープにやるじゃないですか。学芸会みたいなセットで。真っ暗にすることで炭鉱を感じさせるとか。ホリゾント幕を真っ青に照らすだけでシューパロ湖の湖面に見せるとか。演技も戯画的なんですよ。わざとらしくて、「演劇っぽい」。それで油断してると、いつのまにかのど元に匕首が突きつけられている。演劇的想像力をフルに使って、観客のほうが自ら飛び込んでいくような感じもある。テーマからすれば社会派とくくっていいと思うんですが、リアルにやろうとしていないことで、むしろリアルに迫っている感じがあると思います。

 

田中 じいちゃんたちの会話がいいんですよね。言葉になっていない部分が感じられるんです。この人にこれを言ったら傷つくかなとか、こういうことを言ったら悪いなとか、言葉に出さない気持ちの部分まで描かれている。人間ってそうじゃないですか。会話劇の醍醐味だなという気がしますね。

 

山﨑 エンタメとしてもちゃんと成立している。エンタメとして完成度が高いということは重要だと思います。社会的テーマを扱いながら、同時に娯楽でもあるというのは演劇の王道的なあり方のはずです。現代口語演劇のリアルさではないですが、「演劇のリアル」の使い方がすごい。

 

田中 そうですね。やはりそれは、観客の想像力を信じているから。

 

山﨑 想像力をかき立てられる。山田百次はもっと知られてほしいし、いろんな作品が受け入れられてほしいと思います。

 

*最終候補作品は3月13日までの期間限定で公開されています。

https://www.yondemill.jp/labels/167

 

 

 

 

戯曲を読む楽しみを

 

山﨑 今回初めて田中さんと対談しましたが、細部の評価は違っても全体の評価がほぼ一致していたのが面白かったですね。

 

田中 戯曲をちゃんと読む機会はあまりないので面白かったです。読むということが大事なんだなと思いました。

 

山﨑 それは毎回思います。何度も戯曲を読むのは、上演を見るのとはまた別の体験ですね。山田さんの『郷愁のロマントピア』も、上演のときからぐっときていましたけど、読むと一層、緻密に書かれていることが分かる。

 

田中 私も、上演のときも泣きましたが、戯曲を読んでまた泣きました。

 

山﨑 演劇関係者が集まると、日本には社会問題や歴史をきちんと掘り起こして書ける作家が少なすぎるという話が出たりするんですが、今回改めてそんなことはないなと思いました。ただ、時事問題を扱っているだけでいいわけではもちろんなくて、その細部がきちんと検討されるべきなんだと思います。

 

田中 この前、ミクニヤナイハラプロジェクトの公演を見て、「矢内原美邦を選んでくれた岸田戯曲賞、素晴らしい」と思ったんですよ。第1回からの歴史を見れば岸田賞も変わっていると思うんですが、やはり戯曲とは何かを考える一つの大きなきっかけになりますね。

 

山﨑 期間限定とは言え、せっかく戯曲が公開されているので、多くの人が戯曲を読んで自分の意見を発信するのが健全だと思います。予想は予想として楽しみながら、結果を待ちましょう。

 

■白水社・岸田戯曲賞 サイト

http://www.hakusuisha.co.jp/news/n12020.html

 

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