2019.03.11

「演劇的想像力」に溢れた作品を――第63回岸田國士戯曲賞予想対談

山﨑健太(演劇研究・批評)×田中伸子(演劇ジャーナリスト)

文化

去る1月、第63回岸田國士戯曲賞(白水社主催)の候補作8作品が発表されました。演劇研究・批評の山﨑健太さんと、演劇ジャーナリストの田中伸子さんによる予想対談をお届けします。若手劇作家の奨励と育成を目的とし、新人の登竜門とされることから「演劇界の芥川賞」とも呼ばれる岸田戯曲賞。選考会および受賞作の発表は3月12日です。(企画・構成/長瀬千雅)

戯曲と小説

田中 私は学生時代に「夢の遊眠社」を見て芝居にはまりました。遊眠社の海外公演を見るために訪れたイギリスで、劇場街に魅せられて、90年代をロンドンで過ごしました。その後も、主に英字新聞で書いていることもあり、海外で演劇を見ることも多いです。それで思うのは、海外では作家が小説も戯曲も書くことは当たり前なんですね。一方、日本では、三島(由紀夫)は別格として、そういう作家は数少ない。本谷有希子さんなんかは戯曲と小説を両立されていると思いますが、小説家で戯曲を書こうという人はあまりいない。そんな中で、古川日出男さんが入ってきたことによって、岸田が何を選ぶのか。戯曲とは何かがさらに議論されていったら面白くなるなと思います。

山﨑 古川さん以外にも、『山山』でノミネートされている松原俊太郎さんはもともと小説家志望だった人です。2015年に『みちゆき』という作品で愛知県芸術劇場が主催するAAF戯曲賞の大賞を受賞しました。それがはじめて書いた戯曲だったそうです。『みちゆき』は翌年に演出家の三浦基さんが主宰する劇団「地点」によって上演されました。今回の『山山』も同じく「地点」によって上演されています。『またここか』の坂元裕二さんはテレビドラマの脚本家ですし、今回の岸田賞は様々な出自の人がノミネートされています。

それでは、さっそく岸田賞の受賞作予想に移りましょうか。

選考委員とノミネート作品、二人の予想

■選考委員

岩松了、岡田利規、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、野田秀樹、平田オリザ、宮沢章夫、柳美里(50音順)

■最終候補作品

坂元裕二(さかもと・ゆうじ)『またここか』(リトルモア刊)

詩森ろば(しもり・ろば)『アトムが来た日』(上演台本)

瀬戸山美咲(せとやま・みさき)『わたし、と戦争』(上演台本)

根本宗子(ねもと・しゅうこ)『愛犬ポリーの死、そして家族の話』(上演台本)

古川日出男(ふるかわ・ひでお)『ローマ帝国の三島由紀夫』(『新潮』2018年10月号掲載)

松原俊太郎(まつばら・しゅんたろう)『山山』(『悲劇喜劇』2018年7月号掲載)

松村翔子(まつむら・しょうこ)『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』(上演台本)

山田百次(やまだ・ももじ)『郷愁の丘ロマントピア』(上演台本)

*最終候補作品は3月13日までの期間限定で公開されています。

https://www.yondemill.jp/labels/167

山﨑 僕の予想は山田百次さんの『郷愁の丘ロマントピア』です。初めてのノミネートですが、対抗を考えることが難しいぐらい断トツでした。「とってほしい」という気持ちも入ってしまっているんですが。『麦とクシャミ』(2016年初演)という、噴火によって生まれた昭和新山とそれによって消滅した集落を書いた作品もとてもいいんですよ。

田中 私も山田百次さんです。重なりましたね。私も熱い気持ちが入ってしまっています(笑)。「文学としての戯曲」と考えても、山田百次は正統派です。山田さんは「ホエイ」というユニットで2013年から活動していますが、ここに正統派の戯曲を書ける人がいますよ、見逃していませんか、と言いたい。

私はもう一人、松原俊太郎さんを挙げたいと思います。長いモノローグで語られていく『山山』には、力強い言葉が多い。多すぎて赤線だらけになるほどです。決して分かりやすくはないですが、素晴らしい言葉を書いている。これを書いていること自体を評価したい。

山﨑 僕も『山山』は面白く読みましたが、あの戯曲を客観的に評価するということになると、まだ自分は言葉が見つけられてないなという感じです。好きな作家ではあるので獲ってほしい気持ちはありますが。対抗を挙げるとしたら、松村翔子さんの『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』。青年団強し。

それでは一つずつ見ていきましょうか。山田さん、松原さん、古川さん、松村さんは後半で語りましょう。

田中 最後までお付き合いください。

根本宗子『愛犬ポリーの死、そして家族の話』

■あらすじ

愛犬ポリーと二人で暮らす花は森家四姉妹の四女。姉三人はすでにそれぞれ結婚して家を出ている。姉の夫たちはそれぞれ違うタイプのダメ男のようで、姉たちはそれぞれに不満を感じながらも現状に甘んじている。そんな姉夫婦らに批判的な眼差しを向ける花。だが花の22歳の誕生日、愛犬ポリーが急死し彼女たちに変化が訪れる。憧れの作家・鳥井柊一郎と対面した花は、ポリーの死を埋めるように鳥井との関係を少しずつ深めていく——。(山﨑)

■上演記録

月刊「根本宗子」『愛犬ポリーの死、そして家族の話』

作・演出:根本宗子

出演:藤松祥子、村杉蝉之介、瑛蓮、小野川晶、根本宗子、田村健太郎、岩瀬亮、用松亮

2018年12月 東京・本多劇場

山﨑 3年前に『夏果て幸せの果て』がノミネートされたときもそういう評価になってしまいましたが、またしてもなぜこれが候補作に入っているのか分からないというぐらい、僕は評価できませんでした。

田中 会話劇としてのセオリーは押さえていると思います。きっと見に行った人はつまらなかったとは言わないと思う。そこまで評価できないのはなぜ?

山﨑 巧く書けているという意味ではそうかもしれません。読んでいて退屈はしなかったですし。でも描かれている内容が……。結局、ダメな男のダメなところが、男に都合のいいように肯定される話になってますよね。四人姉妹の四女・花が主人公で3人の姉にはそれぞれタイプの違ったダメ男の夫がいる。花は彼女たちの夫婦の関係に批判的なんですが、最終的にはその花もまた別のダメ男に引っかかり搾取されてしまう。その展開は意外でしたが、そこからもうひとひねりあるかと思ったら、花が改めて自らの決断を肯定して「それでいいんだ」で終わってしまった。むしろ田中さんはどうだったのか聞きたいです。

田中 私は、「ねもしゅー」は劇場型アイドルに近いのかなと思っているんですよ。好きな人だけが狭いサークルをつくるような、いまどきの集まり方の面白さ。じゃあ劇場型アイドルが健康的かといえばそうではないですが、マーケットとしてはあるのかなという気はします。だからそこまで戯曲に対して否定的ではなかったんですよね。山﨑さんの意見を聞いて、そういえば私は女だけど、女だからこそなのか、旦那たちのダメ男ぶりとか、でも好きだよねという気持ちとか、「そういうことあるよね」みたいな感じであまり気にせずに読めたなと思いました。4姉妹がみんな美人であることとかね。

山﨑 個々の女性が自ら花のような決断をすることについては個人の問題なので口出しすることではありませんが、作品として「よし」とするのはどうなんでしょう。ジェンダーギャップ指数が144カ国中114位の国で現状を無批判に、しかも花を通してそういう現状を一度は否定してみせているという意味では意識的に肯定する作品になっている。月刊「根本宗子」のお客さんには男性が多いとも聞きます。女性の決断を肯定する話を装って、男を気持ちよくさせる作品になってないか。2年前のノミネート作品に市原佐都子さんの『毛美子不毛話』という作品があって、それも似た構造だったんですが、『毛美子〜』にはやる側にも見る側にも「きつさ」を感じさせる迫力が言葉としてありました。開き直りしか感じられないこの作品は全く評価できません。もちろん最大の問題はそういう作品を書かせてしまう男性の側にあるわけですが。

田中 ただ、演劇というマイナーなメディアで、本多劇場で公演を打てるほど集客していることは無視できない。私はロンドンによく行きますが、商業演劇と公共劇場演劇とそれの中間みたいなものが、ものすごくたくさん成り立っているんです。日本で芸術至上主義みたいな演劇だけでやっていたら広がりがなくなると思う。とはいえマーケットのニーズに合わせるだけでもいけない。ジレンマですよね。やる側も見る側も、メディアも含めて、どうにかしないとと思ってはいるんだけど。

山﨑 その意味では、娯楽的要素の強い作品が候補作に入っていること自体は否定しません。

詩森ろば『アトムが来た日』

■あらすじ

戦後間もない1950年代に日本初の原子力発電所が茨城県東海村にできるまでの過去の経緯を描くシーンと、2040年の近未来、北海道の架空の村にある核最終処理施設で働く研究員たちの核に関する議論のシーンが交錯する形で劇が進行する。福島を経て、さらに大きな原発事故が起きたと推定される未来にあって、原子力エネルギーの選択を任された研究員たちが導き出した結論とは。(田中)

■上演記録

serial number『アトムが来た日』

作・演出:詩森ろば

出演:田島亮 / 福本伸一、井上裕朗、杉木隆幸、森下亮、小玉久仁子、林田麻里、酒巻誉洋、岡野康弘、佐野功、笹野鈴々音、藤尾勘太郎 / 岡田達也

2018年12月 東京・ザ・スズナリ

田中 原発の問題はこの国の問題でもあるし、着眼点は面白いと思うんですが、構造に難がありますよね。過去と未来の行ったり来たリがあまりにも激しくて。幕前に「科学用語が分からなくても大丈夫」と説明した上で、場面が激しく行ったり来たりする演劇的なダイナミズムで、ラストの「トウカイムラ」で日本初の原子の火がともるところまで観客を連れていきたいんだろうなというのは分かるんですが、それによって肝心のストーリーがなおざりにされている感じがしました。

山﨑 読んでいて原発や再生可能エネルギーについて勉強にはなるんですが、それしかないという気がしました。ドラマがないというか。一方で、芝居でなかったらこの情報量はいっぺんには受け取れないと思うので、芝居である意味はあるのかなとも思いました。この情報量を戯曲としてまとめる手腕はすごい。

田中 私は上演を見ているんですが、戯曲で読むほうが面白かったですね。戦後日本にどのように原子力エネルギーが導入されたか、上演では流れてしまっていたところをじっくりと読むことができる。ただ、それだけに過去パートがウィキペディア的になっているのが気になりました。資料的な価値しかないのなら、本当に必要だったのか。

山﨑 そうなんです。一方で、原子炉導入に絡んで商社の駐在員がどう動いたかとか、周辺に触れているのが面白いところでもあるので、なくてもいいとは言えないのですが。

田中 高度経済成長時代の日本のサラリーマン、「24時間タタカエマスカ」みたいな商社マンのガツガツしたところ、面白かったですよね。

山﨑 全体として面白くないわけではないんですが、個人のドラマが感じられたかというと……。ほぼ誰一人、印象に残らない。

田中 (激しく首肯)それで思い出したんですが、詩森さんは2016年に流山児★事務所に『OKINAWA1972』という作品を書き下ろしていて、やはり沖縄の歴史を調べ上げて勢いで持っていくような芝居だったんですが、それは大当たりだったんです。それこそ役者一人ひとりに人間がちゃんと宿っていた。それもあって期待したんですが、今回は山﨑さんが言うように、人が迫ってこなかったかなという気がしますね。

瀬戸山美咲『わたし、と戦争』

■あらすじ

日本によく似たどこかの国。その国は近年戦争下にあり、志願する若者たちが戦場で命を落としていた。帰還兵として家族の元へ戻ったユリは家族の勧めでカウンセリングに通うも、戦場でのリアルと今の日常のリアルの間で自分の居場所を見つけられずにいた。ユリと同じ部隊で戦い、半身不随の体で戻ったリュウジ、戦場でユリの親友だったマキ、彼らにも否応なしに戦争という現実が迫り来る。(田中)

■上演記録

流山児★事務所『わたし、と戦争』

作・演出:瀬戸山美咲(ミナモザ)

芸術監督:流山児祥

出演:若杉宏二、伊藤弘子、上田和弘、甲津拓平、里美和彦、坂井香奈美、荒木理恵、五島三四郎、佐原由美、竹本優希 / 町田マリー、林田麻里、小林あや、円城寺あや

2018年10月 東京・ザ・スズナリ

山﨑 「個人が立たない」ということで言えば、同じ印象を瀬戸山さんの作品にも感じました。「戦争と個人」という対比があるのに、その個人が作品上の役割しか背負わされていない。一つ一つの場面を見ても、「このシーンはこれを描きたかったんだな」で終わってしまい、つながっていかない。

田中 ユキとマキとリョウジが3人で戦場にいるところをリョウジが回想する場面から始まりますが、彼女たちが戦争に行く決断をするところをすっ飛ばすのはないだろうとまず思いました。いくら国が派兵を決めたとしても、普通の若者である彼女たちがなぜ戦争に行くことを志願したのか。マキなんて小さい子どものいるお母さんなわけで。そこが重要なんじゃないかと思うんですが、そこを描かないでPTSDとか負傷兵とか、言葉だけ出てきても……と思います。

山﨑 設定や導入部分では面白そうだなと思わせられたんですが、そこから先へ進まなかった感じがあります。でもこれ、上演の評判はよくありませんでした?

田中 私は上演を見ていますが、カンパニーのおかげもあるかなと思います。流山児★事務所への書き下ろしですが、主宰の流山児祥さんは一つの柱として寺山修司を上演しながら、それとは別にいろんな人に書かせて、劇作家を育てていますね。瀬戸山さんは自身でも「ミナモザ」というカンパニーを主宰していますが、いつもきちんとリサーチした上で、テーマを自分たちに引きつけて書く人です。登場人物にもちゃんと寄り添う。でも今回の作品は他人事(ひとごと)のように思えてしまった。戦争というものを扱ったために、消化不良になってしまったのではないか。一人一人のキャラクターが、生きた人間として成り立っていない感じがしました。

山﨑 作品上の役割からはみ出る部分が感じられないキャラクターが多い一方で、リョウジの妹のミサについては「役割」がよく分かりませんでした。帰還兵の家族として、親との反応の対比は出ていたかなとは思うんですが、ミサはケイスケ(ユリの叔父)とラブホテルで会ってたりもする。でも、二人の関係は本筋には絡んでこない。あの場面は何だったのか。

田中 ユリに仕事や結婚をすすめる叔母のハルコと、その夫で作家のケイスケは、「世間」みたいなものの象徴としてあるわけですよね。その対比として「いまどきの女の子」であるミサがあるのかなとも思ったんですが。

山﨑 そのあたりは僕の読みが足りていない部分かもしれません。ミステリ好きとしては、作品上のある仕掛け(読んでください)が序盤から透けて見えてしまっているのもいただけませんでした。上演ではまた違ったのかもしれませんが。

*最終候補作品は3月13日までの期間限定で公開されています。

https://www.yondemill.jp/labels/167

坂元裕二『またここか』

■あらすじ

小さなガソリンスタンドの店長をしている近杉には3年近く介護をしている父親がいる。ある日、彼の元に長年連絡がなかった腹違いの兄、作家の根森が訪ねてくる。入院先の病院で容態が急変し植物人間になった父の件について不審に思っているようだ。その後、父の死の知らせが入る。謎の看護師も加わり、その会話から徐々に真相が明らかになってくる。そこには近杉が抱える大きな心の闇が関わっていた。(田中)

■上演記録

明後日プロデュース『またここか』

作:坂元裕二

演出:豊原功補

出演:吉村界人、岡部たかし、木下あかり、小園茉奈

2018年9月 東京・DDD青山クロスシアター

田中 坂元裕二さんはテレビの連続ドラマの脚本家として知られています。ドラマの脚本家と劇作家を兼ねる人は年々増えていて、メディア環境の変化という意味でも、お客さんのニーズに応えるという意味でも、この傾向はどんどん進んでいくと思いますが、私はやはり「これはテレビドラマだな」という感じがしてしまったんですよね。

山﨑 具体的にはどういうことですか。

田中 展開やキャラクターに無理があると感じたんです。5分に1回驚かせなきゃいけないとか、意外性のある展開をしなきゃいけないとか、客にウケるアイテムや流行り言葉を出さなきゃいけないとか、そういうサービス精神が「テレビっぽい」と。主人公の近杉の人物造形にもリアリティーを感じられなかった。最後のある展開に持っていくためにそうしているんだろうとは思うんですが、「いやいや、普通、人はそこでそういう行動はとらないよね」って。

山﨑 カブトムシ用のゼリーを食べちゃうとか。

田中 というか、彼の起こす一つ一つの問題行動よりも、彼がその問題行動を起こす動機、きっかけですかね。全ての場合でそうしているわけでもないみたいなので。もしかしたらそこに動機はないのかもしれませんし、それこそが作者が言いたいことなのかもしれませんが、そんな「嘘」臭いこと、と感じてリアルには思えない。

山﨑 上演を見たんですが、僕は逆に坂元さんの「演劇」のイメージがそういうものなのかなと思いながら見ていたんですよ。「観客を笑わせなきゃいけない」と思っているのかなと。そしたらそれこそが作品の核心部分だった。だから「演劇のイメージ」みたいなものを意識的に利用しているのかなとも思いました。それがいいとはあまり思えなかったんですが。

田中 山﨑さんに聞いてみたかったのは、終盤で、「やってはいけないことをやることを止められない」と苦しむ弟に、小説家の兄が書くことを促すじゃないですか。兄はその様子を見守りながら「またここか」と合点する。そこで終わってもいいんじゃないかと思ったんですが、そのあとに短い第5幕があって、第1幕のカブトムシ用のゼリーを食べる場面や、音信不通だった異母兄がガソリンスタンドを訪ねてくる場面を変奏しますよね。なにげない平和な1日として。あれはなぜ必要だったのか。

山﨑 僕は、あり得たかもしれないもう一つの世界と理解しました。

田中 「スライディングドア」(物語で「もしもの世界」を描く手法)みたいな。

山﨑 第5幕については弟が書いたものだとも読めます。これからそういう関係を兄と結び直せるかもしれない、結び直したいという。兄についてのエピソードと合わせてフィクションの力の話でもある。

田中 なるほど、希望の話ですね。ただ、そうだとしても、やっていることはお父さん殺しでしょう?

山﨑 殺したいと思って殺したわけではなく、やっちゃいけないとわかっているのにやってしまう。

田中 その衝動がやはり分からない。彼の内面を最後まで隠さなきゃいけないから言葉少なくてミステリアスなキャラクターになっているんだろうけど、読んでいる途中では彼の心の闇は分からないから、ふえるわかめちゃんを食べちゃったりするたびに「こんな人本当にいるの?」ってすごく引っ掛かってしまったんです。

山﨑 僕は坂元さんのドラマはすごく好きで、ドラマを見ている人間からすると、理由がはっきりと分からない行動が描かれるのは坂元さんの作品の特徴の一つだと思います。ドラマではそこにこそリアリティーを感じたりもするんですが、この作品ではリアルとして迫ってくるところまで到達していない感じはあります。連続ドラマに比べて尺が短いからかもしれない。連ドラは1話45分で12話だとしたら9時間分あるわけで、余剰がいっぱい書き込まれている。坂元さんの作品はそこが面白い。

「やっちゃいけないことをやってしまう」というのは程度の差こそあれ人間誰しもが持つ弱さだと思うんです。〆切前なのにマンガを読んでしまうとか(笑)。 動機と考えるとわからないかもしれませんが、そういうふうに考えると共感はできる。原発や戦争と比べれば小さな、下手をすればどうでもいいことかもしれませんが、それこそが個人にとっては切実な問題だったりもする。倫理的にも、やってしまったことと、その人がそれについてどう考えているかはまた別で、そのことで近杉くんは苦しんでいるわけでもあって。

田中 そういえば、坂元さんのドラマでは唯一「それでも、生きてゆく」を見ました。女児殺害事件を起こした「少年A」とその家族、そして被害者の家族を描いたドラマでしたね。

山﨑 好きな作家ですし、戯曲を書き続けてもらえるなら大歓迎です。この作品も坂元作品として面白いと思いましたが、同時にまだドラマのほうがすぐれているとも思ったので、受賞はないという評価になりました。

松原俊太郎『山山』

■あらすじ

特定されてはいないが、福島の原発事故後を想起させる立ち入り禁止地区の山に戻って来た家族。夫、妻、アメリカ留学を夢見る娘、そこへ放蕩息子が帰還し、それぞれの見ている日本の現状、世界という鏡に写したこの国の姿をオブラートに包むことなく次々と吐露する。せっせと除染作業に精を出す「ブッシュ」という名前のロボットと作業員、某企業の社員の後ろでは国土の大半を占める雄大な山山が聳えている。(田中)

■上演記録

KAAT×地点『山山』

作:松原俊太郎

演出:三浦基

出演:安部聡子、石田大、小河原康二、窪田史恵、小林洋平、田中祐気、麻上しおり

2018年6月 横浜・KAAT神奈川県芸術劇場 中スタジオ

田中 『山山』は二人とも「地点」による上演を見ているんですよね。

山﨑 上演と戯曲では全く印象が違いますね。「地点」の三浦基さんは戯曲を大胆に再構成するタイプの演出家です。『山山』もたぶん3分の1ぐらいしかテキストを使っていないんじゃないかな。「地点」の上演もとても面白く観ました。ただ、「地点」の上演もそうですが、松原くんの戯曲もその面白さを言語化するのが難しい。

田中 私も決して分かりやすい戯曲だとは思いませんが、これだけ力強い言葉を書いていること自体が評価に値すると思っています。ただ、岸田なのかなと思う部分はあるんですよね。なんらか文学の賞をとってもいいんじゃないか。内容的にも、現代社会を書いた作品としてそこまでのレベルにいっていると思う。

山﨑 固有名詞も含めて様々なタイプの言葉や文体がすごい密度で詰め込まれていますよね。過剰な言葉がストレートに意味を受け取ることを拒否しているようなところがあって、それはたとえば現代日本におけるインスタントな言葉のあり方への抵抗として評価することもできるのかもしれません。あるいは政治家の空疎な言葉へのアイロニーとか。一方で、分かりすぎるようにも感じられるんですよね。「反原発」のスタンスがはっきり見える(ように思える)という意味では『アトムが来た日』と真逆と言えるかもしれません。

田中 彼の戯曲で、やはり三浦基演出で上演された『忘れる日本人』も見ましたが、言っていることは同じだと思うんですね。つまり「この国」ですよね。

山﨑 そうですね。『忘れる日本人』にしろ『山山』にしろ、ど直球で現在の日本社会を批判していると思います。主張は直球に思えるのに、言葉は容易に意味をとらせない。

田中 私はオブラートにくるんでいるんだと思いました。ど直球を投げ込んでいるわりに、そのまわりに恥ずかしさのようなものがくっついている。『山山』の登場人物はとにかく饒舌だし、話がスッと進んでいかない感じがありますが、そのもどかしさや時間のかけ方、余分なもののくっつけ方が、現代日本の表現の仕方なのかなという気がします。そうじゃないと「この国」について語れないわけです。KYが嫌われる日本社会において。

山﨑 うーん、僕にはオブラートとしては機能していないように思えます。透けて見えちゃってるので。それ自体が入り組んだ戦略だという可能性もありますが。

田中 私には、まわりにごちゃごちゃくっついているものが魅力的なんです。ただ、「地点」の上演の完成度があまりにも高かった。なので三浦さん以外の演出家がやるとどうなるか、ものすごく興味があります。たとえ今回受賞しなくても、これからも見ていきたい作家です。

古川日出男『ローマ帝国の三島由紀夫』

■あらすじ

現代。イタリア・ローマの地底。4ドアの車があり、そこに1組の男女。どうやら彼らは地上から落ちてきたらしい。やがて明かされる女の名は三島由紀子。そこに地底の先住民だという男が現れ、家禽となることを申し出る。現れる謎の老夫婦と追跡者らしき男。演じられる擬似家族とサロメ。その背後にはオスプレイの羽ばたきが響く。無数の参照項を通して日本という国=家を問う。(山﨑)

■上演記録

なし

「新潮」2018年10月号に掲載

山﨑 古川日出男さんのこの作品も、判断に迷いました。面白く読んだんですが、古川さんの書くものとしては小説のほうが面白いと感じてしまって。

田中 私もやはり「novel(小説)」と「play(戯曲)」はこんなにも違うものなんだなということを考えました。この作品には作家の想像力をものすごく感じたんです。文学的だし、台詞だけでなくト書きも丁寧に、それこそ絵が浮かぶほどに描写されている。ただ、戯曲は最終的に上演されるものだと考えると、「書き過ぎている」のではないか。例えば最初のト書きで「幕が開いた瞬間が、〈始まり〉ではない。それ以前に、すでに物事は始まり、継続—し且つ継起—している。」とありますが、これをどう上演するのか。ベケットの戯曲の多すぎる「間」同様に、現場で問題になるでしょうね。

山﨑 古川さんの場合は、「これは(上演)できないだろう」ということを演出家に突きつけるように、わざと書いている気がしますけどね。

田中 そう、ただ、それに何の意味があるんだろうと思ってしまうんですよ。一方で、古川さんはこの作品の前に、同じく雑誌「新潮」に戯曲『冬眠する熊に添い寝してごらん』を発表し、故蜷川幸雄さんの演出で上演されています。『冬眠する熊に〜』にもある種の過剰さというか、「文学的想像力に溢れた、上演不可能に思えるト書き」があったと思うんですが、蜷川さんが力技で舞台化してしまった。一定の評価も得ている。すでにそういう先例があることを考えると、選考委員の先生方がこの作品をどう評価するのか、興味深いです。

山﨑 上演への挑戦として書かれた戯曲はこれまでにもたくさんありますし、それによって演劇あるいは戯曲がジャンルとして進化する面もあると思います。それに、戯曲賞だから読みものとしての面白さだけを評価すればいいという考え方もできますよね。これを面白く上演するには演出家や俳優の力が相当に試されるなという気はするんですけど、戯曲が上演を超えちゃうのは「あり」だと思う。古川さんのようなト書きは、僕は積極的に肯定派です。

田中 テーマとしてはどうですか。東京新聞の文芸時評で、佐々木敦さんが安藤礼二さんとの対談の中で、「(『ローマ帝国の三島由紀夫』も)平成の終わりと関係があって、三島というスクリーンの向こう側に見えるのは天皇なんです」と言っていて、そうかもしれないと思ったんですが。つまり「この国」の行く末を捉えようとしている。

山﨑 しかしそれがどう描かれているのかが容易には読み解けない。ローマ帝国、日本、沖縄、アメリカ。三島由紀夫がモチーフなので当然と言えば当然ですが、これらが複雑に絡み合っていて、そこにサロメまで入ってくる。たとえば、ユキコがレイプされたことを語る場面は、その扱いというか必然性に強い疑問を感じたんですが、ユキコはサロメでもあり三島由紀夫の名前を継いでいる者でもあること考えるとそこには複雑な文脈がある。レイプしたサンボンギには公威という三島の本名が作中における「役名」として与えられていて、ヨカナーン役が与えられているのは政治と書いてマサハル、彼に死をもたらす羽ばたきはオスプレイの音だとされています。面白くは読みましたがその複雑さの先にあるものに僕はたどり着けませんでした。

田中 そうですね。そこを考えさせるのであれば、文字を読み進む小説という形態の方が有効かもしれませんね。さらに「車の屋根を走って、ボンネットに飛び下りて、反転して、ボンネットの蓋を開ける!」と、細かく上演の指示を出されても、物語を成立させるから好きにやらせてくれ、となる。一方で、書かれているからには蜷川先生のように生真面目に一言一句忠実にやり遂げるしかない、とも取れる。戯曲なので、上演されるとしたらという疑問は最後まで残りますよね。

松村翔子『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』

■あらすじ

掲げられたテーマは「お金」。不妊治療を受ける主婦、整形にハマるOL、コールセンターで働く契約社員、ノイローゼ気味の教師、性自認に苦しむ中学生、仮想通貨で儲けようとするデイトレーダー、絶対の価値を認めないデリヘル。それぞれに個性的で(同時にステレオタイプでもある)異なる価値観を持つ彼らの生活と主張が「お金」というテーマで緩やかに連なり、反発し、ときに交差するなかで本物と偽物、あるいは価値とは何かが問い直される。(山﨑)

■上演記録

モメラス『反復と循環に付随するぼんやりの冒険』

作・演出:松村翔子

出演:安藤真理、井神沙恵、上蓑佳代、海津忠、黒川武彦、曽田明宏、西山真来、山中志歩 ほか

2018年9月 東京・BUoY

山﨑 松村さんは、去年の候補作の『こしらえる』も面白かったんですよね。僕が松村さんの作品を面白いなと思うのは、元が役者だからか、いろんな文体が使えるんです。言葉としてもそうですし、演出の方法というか、舞台上の表現としてもそう。しかもそれを組み合わせて使うのがうまい。去年はそれを「コラージュ」という言葉で説明したんですが。

この作品で最初にYouTubeの話をするじゃないですか。主婦のくぼがYouTubeで動画を眺めて、関連動画を渡り歩く。街頭インタビューの映像が流れて、いろんな人が次々に画面に出てくる。この『反復と循環〜』という作品自体、いろんな人物が登場していろんな場面をザッピングするように見せていく構造になっていますよね。冒頭のYouTubeの使い方一つとっても、ザッピングしていくことにつながるし、「反復と循環」というテーマともつながっている。形式と主題が見事にマッチしているし、面白く見せている。

田中 なるほど。私は今回この作家の作品を初めて読んだんですが、すごくいいと思いました。基本的にエピソードの積み重ねでできていますが、全体としてもきちんと像を結ぶし、書かれている言葉もリアリティーがあります。等身大の若者の姿を描くタイプの作品だと思いますが、社会との接点も失っていない。あゆむくんという中学生を置くことによって、今の社会の問題を次の世代への課題として提起しているところも面白いなと思いました。

山﨑 あゆむくんに寄り添っていく感じはありつつも、あゆむくんに限らず、どこにも肩入れしない感じもいいんですよね。特に上演を見ていると、それぞれの場面でキャラクターに説得されそうになるんですよ。だけど次のシーンではそれが裏切られたりする。そのアイロニカルさもいい。デリヘル嬢のらっこちゃんとあゆむくんのパート以外はあまりちゃんとした会話にはなりませんが、それでも登場人物はきちんと人として立っている。

田中 削ぎ落とし方もいいですよね。

山﨑 僕もそう思いました。これだけしか書いてないのに、ちゃんと「くる」ものがある。連想ゲームみたいになんとなくつながっているようにも見える構成なんだけど、それぞれが切り離せない問題なんだなということが体感として分かります。モチーフとして偽札が出てきたり、鏡を売っているセールスマンが副業としてデイトレーダーをしていたり、「本物と偽物」「虚と実」を常に意識させられる。あらゆる意味でものすごく書ける人だと思うんです。

田中 ケチをつけるところはないかもしれない。

山﨑 でも今回は……。

田中 山田百次さんが良すぎるんですよね。

山田百次『郷愁の丘ロマントピア』

■あらすじ

舞台は夕張市、シューパロ湖を臨む駐車場。そこにはダムの底に沈んだ大夕張という街のモニュメントが設置されている。取材のために集まった元・炭鉱夫たちはかつての街のにぎわいと自らの人生に思いを馳せる。交錯する現在と過去から浮かび上がるのは国や企業という大きな存在の都合に翻弄されながらも必死に生き、そして、にもかかわらずほとんど忘れさられてしまった人々の姿だ。

(山﨑)

■上演記録

青年団リンク ホエイ(現ホエイ)『郷愁の丘ロマントピア』

作・演出:山田百次

プロデュース:河村竜也

出演:河村竜也、長野海(青年団)、石川彰子(青年団)、斉藤祐一(文学座)、武谷公雄、松本亮、山田百次

2018年1月 東京・こまばアゴラ劇場

田中 これまでの作品で何度か「人間が描けてない」というキーワードが出てきましたが、山田さんの作品は、ちゃんと血の通った人間が描かれているんです。聖人君子じゃない、ただのダメな夕張のおじいちゃんなんですが、たまらなく愛しくなる。そして、見終わったときに、人間愛に包まれるというか、人間が肯定されるんです。世の中にもの申すみたいな作品が多い中で、「人間ってこんなにいいんだぞ」という。

山﨑 登場人物が毎回チャーミングですよね。『郷愁の丘ロマントピア』は非常にホエイらしい作品です。江戸時代に幕府によって蝦夷地に出兵を命じられた津軽藩兵の悲劇を描いた『珈琲法要』(2013年初演)、大戦末期の火山噴火による昭和新山の誕生と集落の消滅を描いた『麦とクシャミ』(2016年)に続く、北海道3部作の3作目にあたります。ホエイは、歴史に題材をとりつつ、歴史に埋もれていった個人を描く作品が多いですね。

田中 イギリスにサイモン・スティーブンスという劇作家がいるんですが、彼はものすごく小さな、誰も知らないような町を描くことで、世界を語るんです。『郷愁の丘ロマントピア』はまさにそれで、夕張という小さな町で、名もない人しか出てこないのに、日本についても、世界についても語ってくれている。

山﨑 たぶんいちばん大事なのは、かつてこういうことがあったと知ることではなくて、今の私には見えていないものがあるんだという想像力だと思うんです。この作品は「かつて炭鉱で栄えた夕張の町」があったことを見せるだけではなくて、そのようにして思い出せない、思い出されないことがあるということに思いを馳せさせようとしている。だから記憶の物語でありながら作中の個人の記憶も完全ではありません。

田中 芝居の中では、過去は若いころのじいちゃんたちとして演じられるんですが、過去と現在の間の時間もちゃんと見えるんですよね。

山﨑 ただ、上演を見たほうが絶対面白いんですよ。しかも山田さんの演出より面白いがあるかというと、ちょっと想像しづらいんですよね。

田中 山田さんがやるから面白いということ?

山﨑 わりとチープにやるじゃないですか。学芸会みたいなセットで。真っ暗にすることで炭鉱を感じさせるとか。ホリゾント幕を真っ青に照らすだけでシューパロ湖の湖面に見せるとか。演技も戯画的なんですよ。わざとらしくて、「演劇っぽい」。それで油断してると、いつのまにかのど元に匕首が突きつけられている。演劇的想像力をフルに使って、観客のほうが自ら飛び込んでいくような感じもある。テーマからすれば社会派とくくっていいと思うんですが、リアルにやろうとしていないことで、むしろリアルに迫っている感じがあると思います。

田中 じいちゃんたちの会話がいいんですよね。言葉になっていない部分が感じられるんです。この人にこれを言ったら傷つくかなとか、こういうことを言ったら悪いなとか、言葉に出さない気持ちの部分まで描かれている。人間ってそうじゃないですか。会話劇の醍醐味だなという気がしますね。

山﨑 エンタメとしてもちゃんと成立している。エンタメとして完成度が高いということは重要だと思います。社会的テーマを扱いながら、同時に娯楽でもあるというのは演劇の王道的なあり方のはずです。現代口語演劇のリアルさではないですが、「演劇のリアル」の使い方がすごい。

田中 そうですね。やはりそれは、観客の想像力を信じているから。

山﨑 想像力をかき立てられる。山田百次はもっと知られてほしいし、いろんな作品が受け入れられてほしいと思います。

*最終候補作品は3月13日までの期間限定で公開されています。

https://www.yondemill.jp/labels/167

戯曲を読む楽しみを

山﨑 今回初めて田中さんと対談しましたが、細部の評価は違っても全体の評価がほぼ一致していたのが面白かったですね。

田中 戯曲をちゃんと読む機会はあまりないので面白かったです。読むということが大事なんだなと思いました。

山﨑 それは毎回思います。何度も戯曲を読むのは、上演を見るのとはまた別の体験ですね。山田さんの『郷愁のロマントピア』も、上演のときからぐっときていましたけど、読むと一層、緻密に書かれていることが分かる。

田中 私も、上演のときも泣きましたが、戯曲を読んでまた泣きました。

山﨑 演劇関係者が集まると、日本には社会問題や歴史をきちんと掘り起こして書ける作家が少なすぎるという話が出たりするんですが、今回改めてそんなことはないなと思いました。ただ、時事問題を扱っているだけでいいわけではもちろんなくて、その細部がきちんと検討されるべきなんだと思います。

田中 この前、ミクニヤナイハラプロジェクトの公演を見て、「矢内原美邦を選んでくれた岸田戯曲賞、素晴らしい」と思ったんですよ。第1回からの歴史を見れば岸田賞も変わっていると思うんですが、やはり戯曲とは何かを考える一つの大きなきっかけになりますね。

山﨑 期間限定とは言え、せっかく戯曲が公開されているので、多くの人が戯曲を読んで自分の意見を発信するのが健全だと思います。予想は予想として楽しみながら、結果を待ちましょう。

■白水社・岸田戯曲賞 サイト

http://www.hakusuisha.co.jp/news/n12020.html

プロフィール

山﨑健太演劇研究・批評

1983年生まれ。批評家、ドラマトゥルク。演劇批評誌『紙背』編集長。WEBマガジンartscapeでショートレビューを連載。他に「現代日本演劇のSF的諸相」(『S-Fマガジン』(早川書房)、2014年2月〜2017年2月)など。2019年からは演出家・俳優の橋本清とともにy/nとして舞台作品を発表。主な作品に『カミングアウトレッスン』(2020)、『セックス/ワーク/アート』(2021)。

artscape: http://artscape.jp/report/review/author/10141637_1838.html

Twitter: @yamakenta

この執筆者の記事

田中伸子演劇ジャーナリスト

演劇ジャーナリスト、The Japan Times演劇担当。2001年より英字新聞 The Japan Timeの演劇担当として現代演劇、コンテンポラリーダンスに関する記事を執筆するほか、新聞、演劇専門誌などの日本語メディアにも記事を寄せている。

バイリンガル演劇サイト:jstages.com

https://www.japantimes.co.jp/culture/stage/

観劇ブログ:芝居漬け https://ameblo.jp/nobby-drama

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