「財政政策に関する政策的・思想的・理論的課題」を巡る討論における、藤井からの再追加コメント

当方が飯田氏のVOICE原稿に対して申し上げました討論について、飯田氏との間で重ねての討論を往復させていただいております[*1]。そしてこの度、飯田氏より、「再リプライ」を頂きました事、改めて御礼申し上げたいと存じます。

 

お陰様で、何度も飯田氏にお付き合いいただきます内に、論点が絞られてきたものと思います。

 

さて、この論争の論点は、以下の二つに絞られてきております。

 

第一の論点:平均的に民間は政府よりも合理的なのか?

第二の論点:一般に言われる「フロー効果」は無視すべきなのか?

 

以下、この二つについて、それぞれ再々コメント差し上げたいと思います。

 

[*1]討論の流れ

1.飯田氏より:月刊誌『Voice』3月号での連載「ニッポン新潮流」に関し、

2.藤井からの討論:http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/02/18/fujii-76/

3.飯田氏からのリプライ:https://synodos.jp/economy/7198

4.藤井からの追加コメント:https://synodos.jp/economy/7259

5.飯田氏からの再リプライ:https://synodos.jp/economy/7261

 

 

(1)平均的に民間は政府よりも政府よりも合理的なのか?

 

まず、第一の論点について、再々コメント差し上げます。

 

当方が、飯田氏の仮定として申し上げた二つをさらに正確なものとすべく、

 

(仮説1’)民間企業は平均的には、合理的な投資を行う。

(仮説2’)政府は平均的には、民間企業よりも非合理的な投資を行う。

 

と飯田氏が考えておいでであることを宣言いただき、その上で、この二つを擁護されました。

 

ここで、この論争がそもそも、当方からどういう「ツッコミ」ではじまったのかを確認致しましょう。

 

それは、次のようなものでした。

 

1.飯田氏が、「政府支出は、統計の泣き所だ」という言葉を使い、政府支出は無駄が多い、と言うことを示唆。

2.藤井が、その言い方は、「政府支出を過小評価しているのではないか?」、そして、「民間支出を過大評価しているのではないか?」と指摘。

3.飯田氏が、「いやいや、政民間は主観的価値説により、おおむね合理的だが、政府は非合理だ」と主張。

4.藤井がそれに対して、「その主観的価値説をベースにするなら、民間の不合理性は心理学上、明白だ。一方、政府は長期的合理性を確保しようとする意図があるのであり、政府が非合理だとは言えない」と反論。だから「政府支出は統計の泣き所だ」とはいえないのではないか、と指摘。

5.飯田氏が、「いやいや、私は、政府が常に不合理で、民間が常に合理亭だ、とはいっていない。平均的には、民間の方が政府よりも合理的なのだ、と主張しているにしか過ぎない」と指摘。

 

さて、ここまで話が及びますと、飯田氏は、今度はなぜ、(仮説1‘)(仮説2’)、簡潔に言うなら、「平均的には、民間の方が政府よりも合理的なのだ」と主張する根拠を示す必要がありますが、それは十分に示されていない様に思われます。

 

その理由は、以下です。

 

当方は、政府には政府の合理的になる根拠(政治プロセスで長期的合理性を確保しようとする意図がある等)があり、不合理的になる根拠(マーケットによる退出プロセスが無い等)がある、同様に、民間には民間の合理的になる根拠(マーケットによる退出プロセスがある等)があり、不合理になる根拠(長期プロセスがないがしろにされる傾向がある等)がある、と主張しているに過ぎません。

 

そして、飯田氏は、これに基本同意したということになろうかと思います。

 

だとすると、ここまでくれば、論理的には、

 

(藤井と飯田の官民合理性についての結論)

「民間が合理的であるケースもあれば、政府が合理的であるケースもある」

 

ということを認めざるを得ないのではないでしょうか?

 

つまり、当方の主張(心理学や社会的ジレンマ等の指摘)を認める以上、(仮説1’)(仮説2’)すら棄却し、

 

(藤井と飯田の官民合理性についての結論)

 

を認めることが、真理を追い求めて学究の徒となった者達の、誠実な態度なのではないかと、筆者には、思われてならないのであります!

 

例えば、社会的ジレンマ状況では、民間が短期的に合理的であればあるほどに、長期的にはカタストロフィーの危機が巨大化していきます(金融危機がその例です)。一方で、そういう状況を把握した政府が、適切な規制をかければ、そのカタストロフィーが回避されることは、往々にしてあり得るではありませんか。

 

そして、いずれのケースが多いのか、ということは、不確実性が高い社会では政府の合理性の方が優越したりする、といった形で、マクロな環境に依存するのであり、飯田氏のように(仮説1’)(仮説2’)を主張することは、困難となるのではないかと思われるのです。だからこそ、(藤井と飯田の官民合理性についての結論)に至らざるを得ないのではないかと、考える次第であります。

 

だとすると、飯田氏は、

 

「政府支出はGDPの泣き所」

「政府支出では、無駄が横行する」

 

というのみを指摘するのではなく、それらを指摘する場合には、

 

「民間支出においてもGDPの泣き所のケースがある」

「民間支出でも、無駄が横行する事が往々にしてある」

 

という事を主張しなければ、誠実な態度とは言い難くなる、ということになるのではないでしょうか?

 

なぜなら、政府支出の問題だけを指摘していれば、政府支出が過小評価され、最終的に国益が毀損することになるからであります。

 

以上、飯田氏、ならびに、読者の皆様方は、いかがご判断されますでしょうか?

 

 

 

◆◆「αシノドス」購読でシノドスを応援!◆◆

1 2 3
シノドス国際社会動向研究所

vol.228 特集:多様性の受容に向けて

・安藤俊介氏インタビュー「『許せない』の境界を把握せよ!――アンガーマネジメントの秘訣」

・【PKO Q&A】篠田英朗(解説)「国連PKOはどのような変遷をたどってきたのか」

・【今月のポジだし!】山口浩 ことばを「『小さく』すれば議論はもっとよくなる」

・齋藤直子(絵)×岸政彦(文)「Yeah! めっちゃ平日」第九回:こんなところでジャズ