「財政政策に関する政策的・思想的・理論的課題」を巡る討論における、藤井からの再追加コメント

(2)一般に言われる「フロー効果」は無視すべきなのか?

 

さて次に、第二の論点について、再々コメント差し上げます。

 

この議論のポイントは、飯田氏がおっしゃってられる、

 

β:10億円分の穴を掘って埋める工事を発注した

γ:定額給付金10億円を支給した

 

が同じかどうか、ということであります。この点について飯田氏は、

 

「10億円のうち、5億円が労働者に、3億円が重機のレンタル代に、1億円が事業主に、1億円が交通費に用いられるとしたならば、これは労働者に5億円、レンタル業者に3億円、事業主と運輸会社に各1億円の給付金を支給したのと同じことではないでしょうか。」

 

とおっしゃっています。

 

これは、一般的な学術用語である、公共事業のストック効果とフロー効果という言葉を用いるなら、公共事業のフロー効果は、「所得再分配の効果」以外は存在しない、という立場の議論です。

 

しかし、もしも、フロー効果がない(つまり、β=γだとするなら)、当方がhttps://synodos.jp/economy/7259/3にて指摘した、下記三点に対して、「YES」と言わなければならないはずです。

 

1)ひょっとしますと、我々は「無駄なモノ=ストック効果がゼロのモノが作られた場合、それが作られる際に投入された全ての付加価値はゼロである」という強い仮定を引き受けなければならないのでしょうか?

 

2)あるいは、JR山手線に乗っている人々を、無駄なものに従事している人々と、そうでない人々に分類し、後者の移動サービスだけが「価値」あるものであり、後者の移動サービスは「無価値である」という強い仮説を我々は引き受けなければならないのでしょうか?

 

3)さらにあるいは、仮に、受注した仕事が最終的には「無駄になる」とうい事が確定していたとしても、取引先から「来てくれ」と言われたら、やはり、その受注業者は、「目的地に行きたい」という(飯田氏がおっしゃる)主観的価値を形成する以上、その受注業者にJR山手線が提供する移動サービスは「価値がゼロ」であるとは言い難いのではないか、という論理を、我々は棄却しなければならないのでしょうか……?

 

なぜ、『「β=γ」というためには、上記1~3についてYESと言わなければならないのか』という点については、「経済学」について真面目に取り組んで来られた方ならば、必ずご理解いただけるものと、思えてなりません。

 

なぜなら、もう一度繰り返しますが、飯田氏のこれまでの言説には、以下の二つの仮定があるように思われるからです。

 

(飯田氏仮定1) 飯田氏は、「価値」をGDPに計上すべきである、と考えている。

(これは、飯田氏の「SNAの原則の一つが市場取引原則です。これは市場である商品が1万円で取引されたことが「少なくともその商品に1万円の価値があると思った人がいた」ことの証明になるという考え方に由来します。」という言説から直接示唆されています)

 

(飯田氏仮定2) そして、「価値」は「主観的価値」に由来する、と考えている。

(これは、飯田氏の「このような論理の前提となる主観価値説とその正当性については飯田(2012)または一般的な経済学のテキストを参照ください。そして、事後的にも市場価格が主観的な価値とおおむね一致するという点については、以下のように説明されます。」という言説から直接示唆されています)

 

そして、「この二つの仮定が正しい」という前提に立った上で、β=γである(つまり、フロー効果は所得分配効果以外にはない)、というためには、論理的に考えれば、1)、2)、3)に対してYESと言わなければならない、ということになるのです。

 

……ということを当方が前回の再コメントにおいて提示したにも拘わらず、

 

「10億円のうち、5億円が労働者に、3億円が重機のレンタル代に、1億円が事業主に、1億円が交通費に用いられるとしたならば、これは労働者に5億円、レンタル業者に3億円、事業主と運輸会社に各1億円の給付金を支給したのと同じことではないでしょうか。」

 

とおっしゃるというからには、当方には次の二つの可能性しか、論理的には考えれないように思います。

 

可能性1:当方の指摘が間違っている(つまり、論理学的に考えて、上記1、2,3の強い仮定を引き受けずとも、(飯田氏仮定1)と(飯田氏仮定2)の下でβ=γと断定する事が可能である、あるいは、飯田氏は、飯田氏仮定1と飯田氏仮定2を主張しているわけではない)

 

可能性2:飯田氏が、当方が申し上げている論理の構造を理解できていない。あるいは、理解しているが、その公言を回避している。

 

ついては、いずれの可能性が正しいのでしょうか?

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.275 

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