「財政政策に関する政策的・思想的・理論的課題」を巡る討論における、藤井からの再追加コメント

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なお、以上の議論が分かりづらい……という方のために、できるだけ簡潔に事の顛末を解説いたしたいと思います。

 

1.飯田氏が、「穴を掘って埋める事業をやっても、オカネを配るのと同じ」だと主張

2.藤井が、それは違う、と指摘。

3.飯田氏が、再度、「やはり同じだ」と主張。

4.藤井が、それでは答えになっていない、と指摘。そして、さらに詳しく、なぜ、同じにならないかを指摘。つまり、「飯田氏は、経済的価値は、主観からくる、と言っている。その仮説に従うなら、穴を掘って埋める事業でも、産業連関の中で、主観的価値を形成する人がいるのだから、経済的価値があるではないか」という「ツッコミ」を入れる

4.しかし、飯田氏は再度、「やはり同じだ」と主張。

5.これに対して、再度藤井が「それでは、全く答えになっていない。私は、なぜそれが答えになっていないかを、あなたの主観的価値仮説に基づいて説明しているではないか。ここまでくれば、私が間違っているか、あなたが間違っているかのいずれかだと思う。」と指摘。

 

なお、この5.の証明のポイントは、当方は「当方の論理」から出発しているのではなく、「飯田氏の論理」から出発して、飯田氏の主張を論駁している、と言う点です。当方が当方の論理から出発してβとγは違う事を主張するには、次で事足ります。

 

「最終的な目的はどうあれ、そこに電車に乗りたい、重機をリースしたい、と考える人がたくさんいれば、そこにはたくさんの仕事が生まれ、内需が拡大し、デフレ脱却へと繋がるではないですか!」

 

この言い方は、多くの理性ある方々の納得を引き出しうるものと思います。

 

いずれにしても、以上の解説を、ご判断される際の参考にしていただければと思います。

 

なお、繰り返しますが、β=γかどうかは、経済政策を考える上で、極めて重要な論点であるため、当方は徹底的に、この点にこだわっているのだ、という事を、再度、申し添えたいと思います。

 

実際、飯田氏は、

 

「私は「γ=βである」と信ずる政策担当者の方が経済厚生の観点で優れた政策を実施できると考えます。」

 

とおっしゃっています。

 

筆者には、なぜ、飯田氏がそう主張されるのか、残念ながら理解できません。なぜなら、筆者は(上記結論の理由として飯田氏が提示した)「δ:価値の高い公共事業ほど、経済厚生を大きく向上させる」という命題については、一切反対していないどころが、大いに賛同しているからです!(なお、筆者と飯田氏の相違は、筆者が、その「価値」は、フローとストックの双方を勘案すべきだということを、何度も何度も繰り返し主張している一方、この点については合意に至っていない、という点にあるものと思います)。

 

であるとするなら、「私は「γ=βである」と信ずる政策担当者の方が経済厚生の観点で優れた政策を実施できると考えます。」と飯田氏がおっしゃった今となっては、筆者は残念ながら、次の様に主張せざるを得ないのかもしれません。

 

すなわち、ストック効果とフロー効果の双方を見据えるのなら、「私は「γ=βである」と信ずる政策担当者の方が経済厚生の観点で優れた政策を実施できると考えます。」と考える論者のアドヴァイスが政策に反映されると、デフレ不況が脱却できる可能性が低減し、国益が大きく毀損する可能性が、増進してしまう───。

 

その理由は、上記の文章内容を理性的に理解される方々には、自明と感じられることを、当方は確信していますので、ここでは繰り返しません。

 

以上、飯田氏、そして読者の皆様方、いかがでしょうか?是非とも、ご検討ください。

 

最後に、本当論に重ねてお付き合いいただきました飯田氏、ならびに読者各位と、本稿を掲載いただいた関係者皆様方に、心より御礼、改めて申し上げたいと思います。

 

ありがとうございました。

 

 

追伸1:

 

当方が飯田氏の主張を、

 

「A)政府だけが無駄な投資をしているかのように論ずることは正当化し難いし、

B)民間が無駄な投資をしていないかのように論ずることも正当化し難いし、

C)「無駄な投資」が仮に(官民問わず)存在したとしても、それによって景況感は得られない」

 

ととりまとめたことについて、「これは全くの誤解です。私は文中でこのような限定的な主張は全くしておりません。」と主張しておられます。しかし、今回の討論は、そもそも、飯田氏の「政府支出はGDP統計の泣き所なのだ」という主張に対する、疑義を申し立てた所から発するものです。そしてこの発言は、A)、B)における「かのように論ずる」という主張そのものであると、筆者は認識しています。つまり筆者は、飯田氏が「政府だけが無駄な投資をしていると論じている」「民間が無駄な投資をしていないと論じている」とは、一切断じておらず「かの様に論じている」ことを批判している次第です。とりわけVOICEは、一般誌でありますのでそうした専門家側からのレトリックが極めて重大な意味を帯びることを危惧しての指摘であることをご理解いただければと思います。

 

追伸2:

 

ネット用語のスラングである「自宅警備事業」の定義については、ご解説、誠にありがとうございました(!)。

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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