なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

さじ加減の判断が要らないのが本質

 

ベーシックインカムの何が本質的に重要なのかというと、誰にどれだけ分配するかについて、行政担当者が何も決めなくていいことだと思います。あらかじめ決まった額を一律に支給するだけです。政策から行政担当者のさじ加減を極力減らし、人々があらかじめ予想できるものにすることが「転換X」の課題でしたから、究極にこの課題にのっとった仕組みだと言えます。

 

「転換X」を新自由主義的に読み込んだら、行政担当者のさじ加減を減らすということは、コストと人員を削減して「小さな政府」にすることと同じだと理解されてしまいますから、なるべく安上がりな給付のベーシックインカムを導入して、見返りにいろんな社会サービスをなくしてしまおうという志向になってしまうのは当然です。しかし本当は、行政担当者のさじ加減のないルールを目指すことと、財政支出が大きいとか小さいとかいうこととはまったく別のことです。税率が高く給付も大きく、公的な社会サービスも充実したベーシックインカム制度もあり得るわけです[*8]。

 

つまり、「転換X」にのっとった政策で確定すべき「人々の予想」がどんなものになるかは、いろいろな可能性があり、労働者・庶民の側と資本家側との綱引きによってどちらの有利なものにもなり得ます。選挙か街頭の圧力か利害団体の話し合いによるかはわかりませんが、ベーシックインカムの場合は、給付水準や税率のシステム等々を確定することがそれにあたるわけです。これが一旦決まれば、あとは行政が何をするかに不確実性はなく、各自はその予想のもとで自由に行動できることになります。

 

 

不要なリスクを減らす効果

 

「転換X」はたしかに「結果の平等」は志向しません。結果として所得が減ったことを公金で補うことには反対します。しかしそれは、「しばき主義」者が考えるように、格差があった方ががんばって働くからという理由ではありませんでしたね[*9]。

 

世の中にはリスクのある判断をしなければならないものがある以上、それは、それにかかわる情報が一番ある民間人の自由な判断にゆだねるほかないのです。でも、自由な判断であるかぎり、それがはずれて失敗する可能性は必ずあります。そうしたら、その責任は決定者にかぶらせなさい、そうでないとリスクの高い判断がどんどんされてしまいますよ──ということでした。

 

そうすると、間違った決定をして他人よりもソンする人がどうしても出ます。ソンの可能性ばかりあるならば、だれもリスクのあることに手を出さなくなりますから、他方で、判断があたったときには、他人よりトクするご褒美も必要になります。人々がリスクに手を出すのが大胆すぎもせず慎重すぎもせず、世の中にとってちょうどいいものになる程度のものならば、結果としての格差が多少でることは容認されるというわけです。

 

「しばき主義」的に格差を煽る論者から見れば、ベーシックインカムは人々を甘やかして格差の社会的メリットを弱めてしまうと批判されるかもしれません。しかし、「転換X」が容認する格差のプラスの機能が上述のようなものならば、その機能はどんなに手厚いベーシックインカムが導入されても弱められてしまうことはありません。

 

なぜなら、もし人々が合理的にリスク計算するならば、どんな選択肢をとろうとも関係なく得られる確定的な所得は、最初から計算には含まれないからです。ベーシックインカムのない世界で3万円損することも、10万円のベーシックインカムがある世界で3万円損して結果として7万円の所得になることも、3万円の損は3万円の損で同じとみなすのが合理的計算です。手厚いベーシックインカムのせいで過剰にリスク愛好的になることはありません。

 

いや、人間そんな数字だけで確率計算するのではないぞとおっしゃるかたがいるかもしれません。所得が少ないときの所得の変動は生か死かを分ける重大事ですけど、所得が多いときには、同じ幅の所得の変動でも評価はたいして変わらないものです。だとしたら、ベーシックインカムがなくて失敗したら生存にかかわる世の中と比べて、ベーシックインカムのおかげで失敗しても餓死することはない世の中は、人々が過剰にリスクの高いことに手を出すことになりはしないかと懸念されるかたがいてもおかしくありません。

 

しかし私は、ちょっと失敗しただけですぐさま生存にかかわる世の中の方が、過剰に慎重になってしまってよくないのだと思います。

 

いま、ベーシックインカムがなかったとしましょう。さしあたり人々の経済状態が平等でそこそこ豊かならば、自ら起業したり、仲間と協同組合を作ったりして、リスクのある事業に乗り出す人が多いかもしれません。それが多ければ多いほど、多様な試みが自由になされることで、人々の(しばしば自覚すらされてなかった)未知のニーズが発見され、それらが満たされて人々の暮らしが改善されることが期待されます。

 

ところが、さしあたり人々の間で貧富の格差があれば、多くの貧しい人は、失敗したら生きていけないと恐れて、みんなリスクのある決定には手を出さず、決定の責任を負わなくていい賃金労働を続けるでしょう。その場合には、リスクのある決定を担うのは一部のお金持ちに限られますので、事業の試みのバリエーションは平等な場合よりも少なくて、満たされないニーズがたくさん出てしまうと思います。

 

これまでは「リスクのあること」と言えば、技術開発みたいなのが中心でしたから大企業ばかりがそれを担っていてもよかったかもしれませんが、これからは介護や弁当宅配や育児支援等々が世の中の仕事の中心になってきますから、暮らしの現場の中に、満たされないニーズを見つけることが、「リスクのあること」の中心になります。ですから、普通の人ができるだけたくさんこうした試みに乗り出すことで、試みのバリエーションを増やすことが望ましいのです。

 

そうだとすれば、ベーシックインカム制度が導入されれば、もともとの稼ぎがそんなに多くない普通の賃金労働者だったとしても、失敗したときに生存の危機におちいる心配なく、自ら起業したり、仲間と協同組合を作ったりして、リスクのある事業にいまよりももっと乗り出せるようになるでしょう。

 

リスクと決定と責任を一致させる「転換X」の世界では、民間人の不要なリスクを減らすことが公共政策の役割になるのでした。ベーシックインカムは、事業リスクが各自の生存にかかわる重大なものになることを防ぐ機能を持つ点で、この役割に合致しているのです。【次ページにつづく】

 

[*8] 小沢は前掲論文注22で、「政府支出の大小ではなく、官僚統制の大小での評価軸が必要となろう」(21ページ)と述べている。

 

[*9] ハイエクのこの議論については、本連載第3回4ページで見た。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.270 

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