なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

措置制度擁護論が本質的反対論

 

実は、ベーシックインカムに反対する本質的な議論は、これまでの「措置制度」を守ろうとする立場からのものだと思います。ここで「措置制度」と言ったのは、広い意味でのことですが、個人個人が本当に福祉を受ける必要があるかどうか、行政が条件を審査して、個人個人の「必要」に応じた福祉を提供する仕組みのことをさします。

 

現行の生活保護制度もこの意味での措置制度の一種と言えます。受けさせてもらえるかどうか、担当官の判断に任されている部分が大きくて、事前にはどうなるか予想がつきません。その意味で「転換X」の志向とは対極にある仕組みだと思います。

 

この措置制度を守ろうという立場からのベーシックインカム批判にも、保守派の側からと左派側からの両方があります。

 

保守派の側からの批判者は、働けるのに働かない人にまでおカネをばらまくことが気に入らないわけです。だから、本当に働けないのかどうか、その人を養うべき親族がいないかどうか、行政によって厳しくチェックし、本当に必要な人だけにおカネを渡すよう求めます。そしていざおカネを支給することになったら、今度はそれがパチンコに使われないか、ぜいたくに使われないか、行政がきちんと監視することを求めます。そのために、そのときどきの個々のケースを見極めて、臨機応変に判断できる措置制度に賛成します。

 

他方で、左派の側からの批判者は、行政が、個々のケースに合わせて、困った人のさまざまな必要をきめ細やかに把握して、適切な支援を行うことを求めます。例えば、家賃の高い都市に住んでいればそれだけ多めに家賃補助を出す、子どもがいればかかる費用に応じて育児手当を出す等々といったことです。介護や就学支援や職業訓練などのさまざまな社会サービスもケースごとにいろいろ必要になるでしょう。ところがこれを一切判断することをやめ、一律にバサーっと切って一定金額の支給にしてしまっては、こぼれ落ちてしまう人がたくさんでてしまうだろうということになります[*10]。

 

 

現実に見られる判定システムは最悪

 

この左派側からの批判について一言コメントしておくと、自分が提唱する方は親身で配慮にあふれた措置制度を想定しておいて、批判する方は新自由主義的な最低のベーシックインカムを想定するという対照の仕方は正当ではないと思います。親身で配慮にあふれた措置制度と対照すべきは、もれる人の出ない充実したベーシックインカムですが、後者の方が前者と比べて、予算的にも労力的にも政治的にも困難だといいきることはできないでしょう。ただ一つ確かなことは、新自由主義的なベーシックインカムは、現在のところそうなるかもしれない可能性にとどまりますが、しばしば見られる生活保護制度の運用が、最低最悪の措置制度であることは、可能性ではなくて目の前の現実です。

 

私は四半世紀近く前の大学院生時代に、水島宏明さんの『母さんが死んだ──しあわせ幻想の時代に』というルポ本[*11]を読んで怒りに震え、その後大学に就職してからしばらくこれを授業で紹介し続けてきました。三人の子どもを抱えた母子家庭のお母さんが、生活保護が受けられない中、働き詰めに働いたあげく身体を壊し、衰弱しきっても福祉事務所から助けられずに餓死した事件のルポです。

 

この福祉事務所がある札幌市白石区では、この事件の前にも深刻な事件が続発していました。生活保護を打ち切られて電気も止められていた母子家庭で、お母さんが夜勤めに出ている間、子どもたちがろうそくで明かりをとったまま眠り、火災になって子どもが一人焼死する事件。生活保護で福祉事務所から「就労指導」を受けていた人が、それを苦にして自殺する事件……。

 

そして、餓死事件が報道されたあとで、札幌のテレビ局に続々とかかってきた告発の電話が載っているのですが、福祉事務所では、生活保護が受けられるかどうかまだわからないのに、まず家財道具を冷蔵庫まで全部売ってからこいと言われたとか、「身体を売れ」とか、「泥棒まがいのことでもしろ」と言われたとか、「死んでしまう」と言ったら「じゃあそうしたら」と言われた等々の暴言の数々が証言されています。そして、ケースワーカーが生活保護を受けている監視下の女性を食事に誘ったり、身体を求めたり、あるいは飲み屋で「未亡人をずいぶんごちそうになった」と自慢したりしていたことも証言されています。

 

その一方で、そんな福祉事務所から出てきた暴力団員から、机を叩けば簡単に生活保護が不正受給できるという話を聞き出したことも書いてあります。

 

最近、雨宮処凛さんが、ウェブ雑誌「マガジン9条」の連載でこの本を読んだ感想を報告されていて、2012年にやはり札幌市白石区で起こった姉妹餓死事件を連想したと述べておられます。

 

雨宮処凛がゆく!第292回『母さんが死んだ』――27年前の餓死事件、そして更に広がる子どもの貧困。の巻

 

曰く「舞台は、やはり札幌市白石区。姉妹の姉は3度も福祉事務所に助けを求めていたが、「若いから働ける」と追い返されていた」──私がこの本を読んだときは、将来は少しは福祉が充実して、こんなひどい時代もあったんだねと昔話になるだろうと信じていました。ところがどっこい。四半世紀たっても何も進歩していないとは。

 

 

措置制度の本質的問題

 

このような最悪の運用に歯止めをかけるための闘いは、現行制度を前提した上でも喫緊の課題でしょう。ですが、生殺与奪の力を握る者に判断が委ねられる制度では、どんなにがんばっても、あらゆるところに腐敗の誘因がぶら下がっていると思います。

 

さらに、担当官がみな清廉で善意にあふれた人たちだとしても、根本的な問題があります。現在はますます多様な背景を持った人々が、複雑に入り交じってきています。困った事情にある人のニーズは、本人でさえ自覚するのが難しく、ましてや他人が把握することはもっと困難です。だから、行政の担当者が判断するニーズは、どこまでいっても推測でしかあり得ません[*12]。

 

そうすると、行政の判断するニーズで措置されたサービスが、実は本人のニーズに合わない可能性はいくらでもあります。しかし他に選びようがないならば、当事者は受け入れるほかなくなります。さらに、例えば、もし行政の担当者の判断で強制した就労訓練などが、心身のコンディションに合わずに事故が起こったとき、行政は責任を負いきれるのかといった類いの問題も生じます。

 

だから、当人の同意があれば行政の責任が免れるわけではないでしょうけど、当人の同意は前提条件にしないわけにいきません。すると今度は、コストをかけて準備されたサービスが、人々に受け入れられない可能性も生じます。しかし判断した担当官はその責任を負わなくていいので、人々に受け入れられないサービスに公金が費やされ続けるという事態も起こり得ます。

 

すなわち、人々のニーズを把握して適切な措置をすることには、いろんな意味でリスクがあるのですが、行政の担当官はその判断に自腹で責任を負うことがないということです。そうなればリスクの高い判断が横行して、利用当事者や社会一般を傷つけてしまう可能性があります。

 

よって、行政はそのような判断から手を引いて、NPOなり協同組合なり、自分の判断に自分で責任を負う民間事業体に判断を委ねるのが筋になります。行政は自らそのような判断を行うのではなく、これらの民間の事業主体の後方支援に徹するのがいいということになります。障害者福祉など、いろいろな分野で措置制度がなくなっているのは、(少なくとも大義名分としては)このような理由からだと理解していますが、生活保護制度についても、同様の発展的解消が期待されるのだと思います。【次ページにつづく】

 

[*10] 萱野編前掲書では、後藤道夫「「必要」判定排除の危険──ベーシックインカムについてのメモ」。

 

[*11] 文庫本になっている(社会思想社、1994年)。本文の雨宮記事によれば、復刊されたとのこと(ひとなる書房、2014)。

 

[*12] 行政による必要判定を擁護する後藤は、「ニーズ」一般の中から「必要」を区別すべきことを強調する。「空腹を満たす必要とヨットを持ちたいという要求の違いを認めなければ、最低生活保障という課題そのものがきわめて抽象的なものとなる」として、「社会保障における「必要」の判定は、この二つの間に本質的な差異があり、ヨットを持ちたいという要求は社会保障の問題としては排除されるべきだ、という考え方を前提したものである」(前掲書171-172ページ)と言う。「生活保護でパチンコするとはけしからん」といった類いの立場から生活保護受給者の私生活を逐一監視している現行の運用思想が、これと同根であることは明白である。

 

 

 

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