なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

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景気の自動安定化作用が働くかも

 

さて、今回の残りの部分では、ベーシックインカム制度が「転換X」に合致した性質を持っていることについて、あと二点私見を述べたいと思います。

 

一つ目の論点です。仮にベーシックインカムを金額で固定するなり、あらかじめ決まった一定の率で引上げることにするなりしましょう。そして、税収から一般の政府経費を引いた残りでベーシックインカムがまかなえなければ、足りない分はおカネを発行してあてることにします。逆に、政府が一般経費の他にベーシックインカムを払っても、なお税金に余りが出たときには、そのおカネは中央銀行が吸収してしまうことにします。

 

そうすると、自動的に景気が安定化する仕組みができるかもしれません。

 

なぜならこの場合、不況のときには、どれだけ失業者が増えてもベーシックインカムの分は需要の下支えが働きます。デフレで賃金も利子収入も下がるかもしれませんが、ベーシックインカムの金額だけは下がりませんので、物価が下がる分それで商品が前よりたくさん買えるようになって、その分いくらかは需要が増えます。しかも不況なら税収が減るので、足りない財源をまかなうためにおカネの発行が増えて、景気が刺激されます。

 

逆に、好況が加熱してインフレがひどくなったときには、税収が増えて、ベーシックインカムを超過して吸収されるおカネが多くなります。それは需要を冷やします。また、物価が上がってベーシックインカムで買える財の量は減って、その分需要が抑えられるとともに、それで前より暮らしが厳しくなって労働供給を増やす人々が出てきます。景気過熱期で人手不足ですので、労働供給を増やせばそれは簡単に雇われて、生産が増えて、いろいろな商品の供給量が増えます。それは、需要超過状態を緩め、インフレを抑える役割を果たします。

 

こうした効果がどこまで大きくできるかはわかりませんけど、景気対策について、そのときそのときの政府の判断に頼る度合いを少しでも減らす方向にある点で、「転換X」の課題にのっとっていると言えると思います。

 

 

エグジットによる自動改善作用

 

二番目の論点は、いいことだと言い切れるか自分でもわからないところがあるのですが、かなり根源的な問題です。

 

例えば、ひどい労働条件の「ブラック企業」に勤めていても、ベーシックインカムがあれば、みんな飢える心配なく簡単に辞めることができます。そうしたら、ひどい労働条件では人が集まらなくなりますから、ある程度は労働条件を改めないわけにはいかなくなります[*13]。

 

あるいは、ベーシックインカムがあれば、たとえ住民税を払わない無職の人、低所得の人でも、ただ住んでいるだけで需要が発生して地域経済にプラスになります。だから地方政府としては、無職でも低所得でも、ともかくたくさんの人に住んでもらうことがメリットになります。すると、住民サービスが行き届かない地域からは住民が出ていって、役所がきちんと住民サービスをするところに集まってくるので、地方政府どうし、住民サービスを競って良くしていく力学が働きます[*14]。

 

これはとてもいいことだと思います。しかし、この意味することを反省してみると、労働者は仲間と団結して労働組合運動を闘わなくても、各自自分だけのために「辞める」という行動をとるだけで、それが合成されて事態の改善をもたらすということです。あるいは、デモや請願や選挙などの民主主義的な政治手段で合意形成を図らなくても、各自自分だけのために「引っ越す」という行動をとるだけで、それが合成されて事態の改善をもたらすということです。

 

このことはまさに「転換X」の基本精神に通じているのですが、もしこうしたメリットが人々の公共的な積極性を衰退させる恐れがあるならば、それをどう評価するかはよく議論すべきでしょう。もっとも現実には、失業率が低くて職を辞めやすい環境ほど労働組合運動は活発だし、末期東ドイツではハンガリー経由で西側に脱出する人の波が起こった後になって、たくさんの人々が民主化デモに立ち上がったのですけど。

 

 

あくまで資本主義システムの一環

 

最後に、いまの論点と密接にかかわっているのですが、しばしば社会主義者の側からの賛成論に、前述したように、ベーシックインカムを社会主義的システムとして位置づける議論が見られることにコメントしておきたいと思います。

 

「社会主義」とは何を指すのか論者によって一致しないところがありますが、マルクスの唱えた、資本主義体制に替わる新しい社会システムとしての「アソシエーション」のことだとすると、ベーシックインカムはまったく社会主義的ではないと思います。

 

というのは、この場合、社会主義というのは一にも二にも「決定」の問題です[*15]。実際に働いて暮らしている末端の個々人の、合意と自己決定で、生産のあり方をまわしていこうということです。とすると、ベーシックインカムの本質的利点は、(基準を定めたあとは)何も決めなくていいことにあるわけですから、社会主義の本質的価値とは対極にあるわけです。

 

小沢修司さんは、ベーシックインカムを、労働時間規制をした「工場法」になぞらえています。適切な比喩だと思います。マルクスは労働時間制限立法が資本家階級全体の利益(労働力の再生産保障)のためにあることを指摘しながら、それを目指す労働者の闘争を支持しています。それは、資本主義体制を超えるものではなくて、資本主義体制の一環として労資の闘いの土俵をなすものです。その土俵が労働者にとって有利なものになれば、闘いは労働者の境遇を改善し、社会主義者にとっては次のステップにつながるところが大事なのです。ベーシックインカムもまったくその点で同じだと思います[*16]。

 

 

* * *

 

さて、次回は5月下旬です。そろそろ消費税引き上げの悪影響で、景気回復も胸突き八丁にさしかかってくる頃で、追加の景気対策をどうするかといった議論も出てきているかもしれません。次回は、まさにその景気対策のお話をしようと思います。

 

昔のケインズ理論では、景気が悪くなって失業者が出たら、政府が財政支出を増やしたり、中央銀行がおカネをたくさん出したりして、財やサービス全体の需要を拡大して雇用を増やしてやりなさいという政策が唱えられていました。しかし、その後80年代から広まった「転換X」の新自由主義的な読み込みでは、そんなことをやっても無駄だから、政府は経済のことに手を出さず小さくなっていなさいということになって、「ケインズはもう終わった」とされてきました。

 

果たしてこの読み込み方は正しかったのでしょうか。「転換X」にのっとった本当の政策課題──よりよい均衡が実現されるように人々の予想を確定する──からは、景気についてどんな政策が導かれるのでしょうか。次回はこのことを考えたいと思います。

 

[*13] マルクスが『資本論』第1巻の終わり、第25章「近代植民理論」で描くように、アメリカ北部やオーストラリアでは、民衆が簡単に自営農民になれるので、資本主義が搾取する労働者を容易に入手できず、高賃金などに苦しめられた。それと同様の力が働く可能性がある。逆に、よく指摘されるように、低賃金でも生きていけることが、賃金を抑える可能性もある。実際には、ベーシックインカムのために成り立つ低賃金セクターで生きていけることが、人手不足部門での賃金上昇をもたらすのかもしれない。

 

[*14] このことは、地方自治体自体が、利用者にとって(居住で)選択でき、判断の誤りに住民転出で損を受ける分責任をかぶる点で、協同組合などの民間事業体と似た存在になることを意味する。それゆえこの場合には、生活保護のような選別的給付を自治体の判断で行うことは正当化される。昨今の合併後の「市」のような単位は、このためには大きすぎると思う。

 

[*15] 置塩信雄が強調していたことである。「生産手段が社会の全構成員によって共有されているということは、社会の全構成員がこの生産手段による生産の決定に関与するということである」置塩『経済学はいま何を考えているのか』(大月書店、1993年)。その後田畑稔『マルクスとアソシエーション』(新泉社、1994年)や、大谷禎之介の一連の論考(大谷『マルクスのアソシエーション論』桜井書店、2011に所収)で、マルクスの展望した未来社会像「アソシエーション」が、自立した諸個人の水平的連合であることが明らかになった。

 

[*16] 小沢前掲論文17ページに詳しく論じられているので参照されたい。

 

(本連載はPHP研究所より書籍化される予定です)

 

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

第一回:「『小さな政府』という誤解

第二回:「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

第三回:「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か

第四回:「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと『予想』

第五回:「ゲーム理論による制度分析と「予想」

第六回:「なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

第七回:「ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2

第八回:「新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

 

サムネイル「Houses and money」Images Money

http://www.flickr.com/photos/59937401@N07/5474211395

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.267 

・堅田香緒里「ベーシック・インカムとジェンダー」
・有馬斉「安楽死と尊厳死」

・山本章子「誤解だらけの日米地位協定」
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