ケインズ復権とインフレ目標政策――「転換X」にのっとる政策その2

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物価や賃金が下がると不況が悪化する

 

この闘いは新しい古典派の勝利に終わり、その理論で武装した新自由主義が世界を席巻したことはすでに書いた通りです。実際これによって高インフレは抑え込まれて、新しい古典派の「正しさ」が証明されたかに見えました。

 

しかしその後、戦後ケインジアンも新しい古典派も想定していなかったことが起こりました。ほかならぬこの日本のことです。1990年代以降、戦後先進国ではじめて、物価がずっと下がり続ける「デフレ」(正確には「デフレーション」)と呼ばれる現象に見舞われたのです。

 

戦後ケインジアンも新しい古典派も、物価や賃金が実際下がるかどうかでは意見がわかれるものの、仮に下がったとしたら総需要が拡大してやがて完全雇用に至ると見る点では共通しています。ところが現実の日本のデフレで起こったことは、物価や賃金が下がっても一向に景気はよくならず、かえって悪化していったということでした。

 

この事態を前に、もう一度ケインズその人が言っていたことが見直されたのです。『一般理論』を読みかえしてみたら、賃金が下がらないのが不況の原因などとは言っていない。賃金が下がったらかえって事態が悪くなるので、むしろ下がらない方がいいんだと言っているではありませんか[*13]。

 

ではケインズは総需要不足が起こる原因をどこに見ていたか。『一般理論』の正式書名『雇用・利子および貨幣の一般理論』というのは、「雇用」の原因は「利子」だ、「利子」の原因は「貨幣」だという順番で並べてあるものです。本の内容もだいたいその順番で原因を探求する方向に書かれています。だから、すべての原因は「貨幣」だというのがこの本の論旨です。

 

ケインズ以前の新古典派は、おカネというのはモノやサービスを買うために持つものであって、買うものがないならば他人に貸すとされていました。利子がつかないものを持っていてもしかたないからです。もしそうならば、消費が足りなくても、みんな余った貯蓄を他人に貸そうとするので金利が下がっていって、おカネを借りて設備投資しようとする動きがおこって、結局総需要不足は解消されます。

 

それに対してケインズが強調したのは、人々は何を買うつもりがなくてもおカネをなるべく手元に置いておこうとするものだということです。これを「流動性選好」と言います[*14]。こうなると、人々が消費せずに余った貯蓄のうち、おカネのまま置いておかれる部分が出てきてしまい、他所におカネを貸そうとする力が弱くなって金利が下がらず、設備投資などのおカネを借りてする支出がおこってこないことになります。

 

とくにその著しい状態が、先ほど出てきた「流動性のわな」というわけです。具体的には、銀行の「貸し渋り」とか「貸し剥がし」とか、企業の内部留保の貯め込みなんかをイメージすればいいと思います。これまでは、「流動性のわな」というのは、「金利が一定値に張り付いて下がらなくなる状態」ぐらいにしか理解されていませんでした。だから、先ほど述べたとおり、ピグー効果があれば、手持ちのおカネで買えるモノの量が物価下落のおかげで増えて、消費需要が増えるから大丈夫。こんなものクリアできると思われたのです。しかしその理解は間違いでした。

 

流動性のわなの正しい定義は、戦後日本最大の数理経済学者の一人である二階堂副包(1923-2001)[*15]と河野良太さん[*16]が独立に提起しています。それは、手持ちのおカネが増えても、増えた分全部そのまま自分で持ってしまうことです。手持ちのおカネが増えたら、その使い道は、モノやサービスを買うか、他所に貸すか、自分で持っておくかの三通りしかありませんよね。そのうちモノやサービスにも、他所に貸すのにも一切まわさず、全部おカネのまま持っておくというわけです。「金利が下がらない」というのは、この結果、おカネの量が貸し借りに何も影響しなくなるから起こることにすぎません。

 

そうだとすると、物価が下がっていままでどおりのモノやサービスを買うのにおカネが浮いたときも同じです。浮いたおカネは全部おカネのまま持っておきます。モノやサービスをもっと買うのには回りません。つまり、ピグー効果はゼロだということです。総需要不足で失業が生じて賃金や物価がどれだけ下がっても、金利は下がらないし、ピグー効果も起こらない。だから総需要不足は解消せず、失業者があふれたままということになります。

 

 

流動性のわな下でデフレが予想に組み込まれる

 

このころ活躍した日本の三大ケインジアンとして私は、小野善康さん[*17]、大瀧雅之さん[*18]、齊藤誠さん[*19]をあげたいと思います。三人とも、ケインズ的状況を表す経済モデルを作っていらっしゃるのですが、そのどれもいま述べた意味での流動性のわなの特徴を持っています。

 

注意すべきは、この三人のモデルはいずれも、企業や家計が各々自分にとって一番マシになるように、将来のことも考えて自分の行動を計画するように想定されています。さらには、ルーカスさんら合理的期待形成学派の方法を引き継ぎ、将来の価格などをいまある情報のもとで平均的に正しく予想するか、あるいはもっと単純に、完全予見するということが想定されています。その意味で、新しい古典派の方法論を丸呑みしていると言えます。しかしそれにもかかわらず、ケインズ的な総需要不足の不況均衡が表現されているのです。

 

たしかに、これらのモデルでは、何らかの意味で物価なり賃金なりが下がらなかったり、ビュンビュンとは変化しなかったりする場合が多いです。しかしそれは、古いタイプのケインジアンのように、スムーズに動けばうまくいくのにスムーズに動かないからうまくいかないという類いのものではないのです。

 

私が一番よく検討しているのは小野さんのモデルですので、以下では主にそれをイメージして説明します[*20]が、一番有名な小野さんのモデルでは、モノやサービスが売れ残ったら物価が時間を通じてゆっくり下がるようになっています。その時点のうちにモノやサービスの市場が均衡するように一気に下がるようには設定されていません[*21]。しかし、このモデルで価格が動くときの時間単位は、「年」だという限定は数学的には何もないです。「秒」だと読んでも問題はありません。とてもスムーズな価格下落を描写しているともとれるのです。

 

流動性のわなの状態を前提しながら、新しい古典派のように市場の自動調整で全市場の均衡が達成できるようにモデルを作ることはできるでしょうか。実はできるのです[*22]。総需要が足りなくなったときに、物価が一瞬で下がる。そしてその下がった時点から将来に向けて物価が回復していくように人々が予想すればいいのです。このとき、人々はインフレを予想することになります。

 

インフレが予想されたら、将来買うよりいまの方が安く買えますし、いま借金してモノを買えば、将来借金が目減りして返すのが楽になります。つまり、金利が下がるのと同じ効果が出ます。企業が設備投資したり家計が耐久消費財を買ったり家を建てたりするときに影響するのは、名目の金利から予想インフレ率を引いたものになるわけです。これを実質利子率と言います。

 

すなわち、インフレが予想されたら実質利子率が下がって設備投資などが増え、全市場が均衡するまで自動的に総需要がおこってくるというわけです。このような均衡がちょうど達成できるところまで、一瞬のうちに物価が下がるという具合になります。

 

市場の不均衡を受けた物価の下落が、時間を通じてゆっくり起こる想定は、このような解が発生することを排除するために設けてあるように思います。つまり、総需要不足の結果の物価下落を人々が予想に織り込めるようにしたわけです。この場合には話は逆になります。名目金利にデフレ予想がプラスされて、実質利子率が高くなるのです。すなわち、いま買うより将来の方が安く買えますし、将来収入の金額が下がるのでいま借金したら返すのが大変になります。だから設備投資するのも耐久消費財を買ったり家を建てたりするのも先延ばししようということになります。よって総需要は一層冷え込みます。こうしてデフレ不況にはまり込む様子が表せるようになったのです。

 

ということは、問題は物価がゆっくり動くか素早く動くかではない[*23]ということがわかります。需要の突然の不足に合わせて物価が一瞬で下がるという想定は、数学的には物価が「ジャンプ変数」だと言うことです。この意味は、この下がるプロセスそのものは、モデルの中の人々の予想に組み込まれていないということです。新たに需給一致が回復するまで物価が下がったところから、はじめて人々の予想が始まります。そのあと予想される物価の運動プロセスは、毎時点毎時点需給が一致する物価をつないだものであって、需給の不均衡を受けた物価の運動ではありません。

 

それに対して、現代的なケインズモデルの物価は、数学的には「動学変数」です。この意味は、(合理的期待や完全予見を前提したモデルにおいては)需給の不均衡を受けて物価が動くプロセス自体が、人々によって予想されるということです。そして、その予想を受けて、各自が少しでもマシになるように計算して振る舞った結果が、社会全体で合わさって、もとの予想が自己実現されるわけです。デフレが続くと予想すれば、そのもとで各自合理的に振る舞って支出を先送りして、総需要不足を招いて本当に予想通りデフレが続く……。つまり、「合理的期待革命」の精神を、新しい古典派以上に徹底させたのだと言えます。

 

[*13] 全集前掲巻第19章。

 

[*14] 特に同上書第17章。

 

[*15] Nikaido, H., “Keynes’s Liquidity Trap in Retrospect,” The Japanese Economic Review, vol. 49, No. 1, 1998.

 

[*16] 『ケインズ経済学研究』(ミネルヴァ書房、1994年)93-100, 363-365ページ。

 

[*17] 『貨幣経済の動学理論』(東京大学出版会、1992年)。初学者向けには、『金融』第2版(岩波書店、2009年)。一般向けには、『不況の経済学』(日本経済新聞社、1994年)。

 

[*18] モデルの完成形は、『貨幣・雇用理論の基礎』(勁草書房、2011年)。

 

[*19] 本稿では、『先を見よ、今を生きよ──市場と政策の経済学』(日本評論社、2002年)によった。

 

[*20] 大瀧(2011)のモデルでは、物価は伸縮的であるが、賃金は留保賃金より下がらない。齊藤(2002)では物価は伸縮的である。

 

[*21] ただし小野(1992)の第8章では、毎時点市場均衡が成立するモデルを構築し、この場合でも貨幣愛があれば、完全雇用均衡とは別にデフレ不況均衡が発生することを示している。

 

[*22] 例えば、ポール・クルーグマン「復活だぁっ!日本の不況と流動性トラップの逆襲」(山形浩生訳、原著1998年)2-3節。 http://cruel.org/krugman/krugback.pdf

 

[*23] 筆者は拙著『不況は人災です!』(筑摩書房、2010年)などで、小野らをイメージして「新しいケインズ派」と表現してきた。これは、いわゆる「ニューケインジアン」と区別した呼び方のつもりなのだが、読者が両者を混同してもいいという「未必の故意」的な意図があった。自分としても厳密に排除するつもりはなかったからである。マンキューら初期のニューケインジアンは、明らかに旧ケインジアンと同じ「総需要不足は価格硬直のせい」命題の立場で、ただ価格の粘着性にミクロ的基礎をつけただけである。しかし後の動学的一般均衡になると、論者の自己意識では粘着価格なのだが、数学的には価格の運動を予想に組み込んで、実質利子率を通じて総需要に影響するようにしており、抽象的な仕込みは小野のものと共通している。ミクロ的基礎でとりあえず労働市場の需給一致を前提するものの、あまり意味はなく、需要側の変動が生産に影響するようにできている。

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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