ケインズ復権とインフレ目標政策――「転換X」にのっとる政策その2

流動性のわなモデルはどんなインフレ目標とも両立する

 

実は、先ほど現代日本の三大ケインジアンとしてお名前をあげました、小野さん、大瀧さん、齊藤さんは、三人とも、インフレ目標政策に対しては批判的です。しかしそれは、ご自身の理論モデルからは切れた、もともとから持っている信念からきているように思います。

 

たしかに、流動性のわなのモデルである以上は、一時的にどれだけおカネを作って出しても、全部ためこまれて何の効果も持たないのは当然です。しかし、インフレ目標論が狙いとするのは、金融緩和でおカネを出して直接物価を上げることではありません。まずは、人々の頭の中にインフレ予想を抱かせることです。だから、リフレ政策の要点は、「必ずインフレ目標を実現する」と中央銀行が約束する姿勢そのものにあるのです。いざちょっとでもインフレになったらさっさと金融引締めしてしまっては、そんな約束が守れないのは明白ですから、金融緩和して見せることは、そんなことはしませんよと人々に信頼してもらうための最低必要な手段なのです。

 

この点から言うと、上記三人の流動性のわなモデルは、どれもインフレ目標政策と整合的だと思っています。

 

小野さんのモデルは、人々が「せーのーどん」で、みなデフレ予想をやめてマイルドなインフレを予想すれば、完全雇用均衡に直ちに移行できるようになっています。大瀧さんのモデルでは、物価水準はたまたま人々に共有されている任意の将来物価予想によって決まりますので、リフレ的な予想とも両立します。齊藤さんのモデルでも、流動性のわなでは物価の決定式が機能しなくなり物価を自由に決められるようになりますので、やはりリフレ的な予想と両立します。

 

齊藤さんは実際、10年以上前の著書で、次のようにおっしゃっています。

 

 

「貨幣数量関係が崩れ、名目貨幣供給プランに対して物価水準が一義的に決まらないということは、裏を返せば、金融政策によって物価経路を誘導できる余地があるということになる。そうした状況で中央銀行は、家計や企業の期待に積極的に働きかけて、インフレを醸成していくという政策手法を採ることができる。/具体的には、日本銀行が、物価水準の将来経路についてできるだけ踏み込んだ目標をアナウンスし、家計や企業の価格期待をアナウンスされた経路に集約していく。」(前掲書77ページ)

 

 

中央銀行が約束したくらいで人々の予想を動かせるのかという疑問もおありかもしれません。実は、金融緩和だけでも、長期にわたってジャブジャブ続ければやがていつかはインフレを実現できることはほぼ確実で、そうである以上はそれを約束すれば人々がインフレ目標の実現を予想することは合理的です。

 

しかしそれが心もとないというのであれば、金融緩和で作り出されたおカネを使って政府支出をしてモノやサービスを買ってやればいいだけです。直接需要が高まるので物価が上がるだけでなく、これを続ければやがて失業者が少なくなって労働市場が締まっていくので、賃金が上がり出して物価を押し上げます。それを予想することはやはり合理的です。それでも物価が上がらないと言うのであれば、こんないいことはない。無から作ったおカネをつぎ込んで、直ちに高度福祉国家が建設できます。

 

そんなことを許せば、政府が調子に乗ってやめられなくなり、やがてハイパーインフレになるのではないかと心配する人がいるかもしれません。そんな心配をする声がある程度あれば、人々のインフレ予想がつきやすくなりますのでかえっていいのですけど(笑)。そんなことにならない歯止めのためにこそ、インフレ目標があるわけです。インフレが目標値に近づいたらこんなことはやめなさいというルールになっているのです。

 

そうは言っても、いざインフレが目標値を上回ったときに、抑えることができるのかという疑問もあるかもしれません。不況になってもいいのであれば、金融引締めでインフレを抑えることが原理的に可能なことを否定する人はいないでしょう。だから、何があってもインフレ目標を守り抜くと中央銀行が約束すれば、それは信用できる予想になります。

 

むしろ問題はインフレを抑えられるかどうかではなくて、目標インフレ率を1%とか2%とか上回った段階で、金融引締めでそれを抑えたときに、いかに万一効きすぎたときの景気後退のダメージを小さくできるかということだと思います。そのためにも目標インフレ率が人々の予想として定着していることが重要です。それができていれば、名目金利を下げるだけで、マイナスの実質利子率が実現できるからです。ゼロ金利にぶつかって立ち往生する必要なく、ごくあたりまえの金利政策で景気を回復させることができるというわけです。

 

そのほか、インフレ目標の実現を人々に信頼させるためには、中央銀行まかせにするのではなくて、政府自身にも様々な方法があり得ます。最低賃金や公的給付や公定料金の引き上げスケジュールを、インフレ目標とつじつまの合うように示すなどです。

 

 

インフレ目標の枠組みを前提した上で労資の闘い

 

以上見たように、インフレ目標政策は、「人々の予想を確定する政策」という意味で、「転換X」の課題にのっとったマクロ経済政策だと言えます。70年代まで主流だった、政府の胸先三寸に任せられた景気政策から、インフレ目標ルールに基づく景気政策に転換することは、資本側にとっても労働側にとっても、共通に必要な「時代の要請」と考えられます。

 

しかしその中身については、資本側と労働側との間で対立があるでしょう。資本側、お金持ちの側は、資産が目減りするのを嫌がり、なるべく低いインフレ目標を望むでしょう。多少は失業があった方が、労働者をブラックにこき使えていいというものです。それに対して労働側は、なるべく雇用が多いことを求めて、多少高いインフレ目標を求めるのが普通でしょう。

 

インフレが目標値よりも高くなって、金融引締めだけでなくて、財政引締めも必要なとき、資本側は財政支出の削減を求めるでしょうが、労働側は支出を減らすよりは資本側、お金持ちの側に負担をかけた増税の方を望むでしょう。そうなることが予想されるならば、不況のときの総需要拡大手段としても、資本側は財政支出をしたらあとで減らせなくなることを恐れて、なるべく金融緩和だけに頼るのに対して、労働側は、緩和マネーを使って、福祉や医療などの社会政策を中心に財政支出を拡大することを求めるでしょう。

 

要するに、同じインフレ目標システムをとるにしても、「小さな政府」金融タカ派的な資本側と、「大きな政府」金融ハト派的な労働側・左派側との間で、全力で引き合いがあってこそ当然ということです。

 

 

実現されたインフレ目標政策

 

私が十年ほど前にリフレ派の端くれとして、田舎町の大学で「構造改革」批判をしていた当時、いずれ失業や格差の問題がひどくなるにつれて、左派・リベラル陣営に我々の主張が取入れられて、この冷酷な自民党政権を倒して総需要拡大政策が実現される日がくると期待していました。

 

まさか自民党政権が倒れたあとで輪をかけた緊縮デフレになるとは思っていませんでした。そしてまさかまさか! よりによって安倍さんによってリフレ政策が実現するとは……。

 

現行リフレ政策が登場して以降、日本の左派・リベラル派の世界、マルクス経済学や左翼ケインジアンの世界は、金融緩和批判、インフレ目標批判の一色に染まり、私はずいぶん肩身が狭くなりました。EUの共産党、左翼党の集まりである欧州左翼党は、欧州中央銀行の直接公債引受を主張して緊縮政策と闘っているというのに。本来なら、緩和マネーをバブルにまわさないためにどこにどう流すか、財政出動先を民衆の生活を楽にするためにどう向けるかをこそ議論しなければならなかったのに。

 

そうこうするうちに、アベノミクスはすぐコケる、すぐコケると言われながら景気は拡大を続け、いまや人手不足でブラック企業は人が集まらない。その結果、これまで一番苦しんできた不安定雇用の人々でも賃金が上がってきています。本来左派や労働運動が一番支持基盤としてしかるべき層ですが、金融緩和や財政出動に反対してどこまでこれらの層をつなぎとめることができるのか、反発されて右翼的な方に流れてしまうのではないかと心配です。

 

消費税増税の悪影響は予断を許しませんが、景気後退傾向が表面化したら、政府は直ちに派手な景気対策をとって、2016年の参議院選挙(たぶん同日選挙になる)のときに人々が好況の恩恵を実感しているようにもっていくと思います。いまでも、秘密保護法だの96条改憲策動だの集団安全保障だの、世論調査で反対の方が多いようなことを次々やりながら、選挙のたびに安倍自民党の側は勝ち続けています。将来、景気絶好調の中で国政選挙になったとき、安倍さんが野党の過去の「アベノミクス破綻」の予言を取り上げ、フリップで「失業率」「賃金」「ジニ係数」「犯罪率」等々と改善のグラフを次々と見せ、「また不況に戻りたいですか」と殺し文句を言ったとき、自民党の再圧勝を止めることができる人はいるのでしょうか。

 

今回の内容についての詳しいことは、拙著『不況は人災です!──みんなで元気になる経済学・入門』(筑摩書房)を是非ご参照下さい。

 

次回は、これからの福祉システムについて考察する予定です。

 

(本連載はPHP研究所より書籍化される予定です)

 

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

第一回:「『小さな政府』という誤解

第二回:「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

第三回:「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か

第四回:「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと『予想』

第五回:「ゲーム理論による制度分析と「予想」

第六回:「なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

第七回:「ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2

第八回:「新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

 

サムネイル「Signpost」maroubal2

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・藤重博美「学び直しの5冊――「相対的な安全保障観」を鍛えるための読書術」
・赤木智弘「今月のポジだし――AIが支配する社会を待ち続けて」
・竹端寛「「実践の楽観主義」をもって、社会に風穴を開けていく」
・伊吹友秀「エンハンスメントの倫理」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(4)――東京財団退職後」
・加藤壮一郎「デンマーク社会住宅地区再開発におけるジェーン・ジェイコブス思想の展開」