2012.09.10

第一次産業の復興と東北の課題

飯田泰之×勝川俊雄×浅川芳裕

社会 #震災復興

飯田 「復興アリーナ」ローンチシンポジウム第二部では、第一産業の復興と東北の課題について考えていきたいと思います。

重被災地である岩手、宮城、福島の三県は、他県に比べて第一次産業の産業シェアが高い県として知られています。東日本大震災では、このような日本全体の食料供給基地のひとつが甚大な被害を受けてしまいました。

当該地域では、第一次産業には分類されないものの、第一次産業と密接に関わりのある食品加工業や流通業も大きな地位を占めています。第一次産業の復興を考えるとき、第一次産業そのものの復興だけでなく、こうした周辺にある産業についても同時に考えなくてはいけません。

さらに、特に沿岸部では、第一次産業での活動がコミュニティを形成の核であった点にも注目する必要があります。経済・社会双方の核になっている第一次産業をどのように立ち上げ、それによって裾野である加工業、さらにはコミュニティを立ち上げていくのか。これは当該地域の復興を考える上でも、また今後の崩壊の危機を迎えることが予想される日本全国の地域経済・地域コミュニティにとっても大きな意味があると言えるでしょう。

そこで今日は、農業、漁業を語っていただくのに最も相応しい方と思いまして、雑誌『農業経営者』副編集長の浅川芳裕さんと、三重大学生物資源学部准教授の勝川俊雄さんにおいでいただきました。

マクロの視点でみた第一次産業の被害

飯田 まず勝川さんから、今回の東日本大震災の漁業に関する被災状況について、最初はマクロの視点でお話しいただければと思います。

勝川 今回の地震と津波によって、農林水産に莫大な被害がでたことは皆さんもご存知かと思います。実際にどのくらいの被害があったのかというと、少し前に推定された数字では、金額にして2兆3000億円程度の被害がありました。阪神淡路大震災の農林、水産の被害額900億円と比較しても、被害の大きさがよくわかると思います。特に津波による被害が大きく、漁業はだいたい1兆2000億円くらい。農業が8000億、林業が2000億くらいの試算になっています。

岩手県、宮城県は第一次産業が盛んというイメージがありますが、実は県内総生産に占める第一次産業の割合は、岩手県が4%、宮城県が2%に過ぎません。経済全体からみると、一次産業はあまり大きなウェイトを占めていない。しかし、これ無しでは成り立たない地域が多数存在します。例えば三陸沖のリアス式海岸は、交通のアクセスは悪いし、平地も少ないので、漁業以外の産業は成り立ちづらい。漁業が無ければ、人が住めない場所が多くあります。ですから漁業をきちんとしたかたちで復興していくことは、多くの集落を守るといった意味でも重要なことなんです。

飯田 ありがとうございます。では、浅川さんからもまずはマクロの視点からみた農業への被害を説明いただきましょう。

浅川 日本全体には460万ヘクタールほどの農地がありますが、今回、津波の被害を受けたのは2万4000ヘクタール、つまり日本全体の0.5パーセントくらいです。東北には農地がだいたい90万ヘクタールあるので、2パーセント強が被害にあっていることになります。また県別にみると、宮城県は沿岸部に水田が多いため最も被害が大きく、宮城県全体で10パーセントくらい。岩手県と福島県はそれぞれ数パーセントになります。

さらに個別で被害を見ていくと、3県で約3万農家が津波や液状化などによる被害を受けています。農地は設備産業なので、ビニールハウスの損壊や、水路やダムなどのインフラ、周辺設備の損害もありました。

ミクロの視点でみた第一次産業の被害

飯田 実際に被災地に入ってみると、思わぬところで農地の被害がでていることがわかります。もともと比較的水利がよくなかった土地では、灌漑をして水路を確保することで農業を可能にしています。このような農地の多くはいわゆる重被害地域ではないけれど、水路が破壊されたために水田が利用できなくなってしまっています。

メディアはどうしても津波を実際に被ったところに注目してしまいますが、このような細々とした被害もたくさん出ているんですね。それらが積み重なることで、当事者にとって大きな影響になっているのだと思います。

お二人は実際に被災地でいろいろな被害を見てきていらっしゃると思います。次はミクロな視点、お二人の経験という視点から見た被災地の状況をお伺いしたいと思います。

勝川 漁村地域では、津波と地盤沈下によって生産がほぼストップしています。

漁業は水揚げだけでなく、加工や冷凍などの設備があって、初めて成り立つものです。宮城県では、漁業者よりも加工・流通業者のほうが多かったのです。多くの加工流通施設は、津波によって流されてしまいました。さらに、地盤沈下によって土地そのものが使えなくなっていしまっています。この状況からどうやって戻していくのか、そもそも戻すことができるのだろうかと思いました。

第一次産業の漁師たちは、他の産業と比較すると手厚く保護されています。加工、流通業者は経産省の管轄で、経産省にとって、水産加工流通業はマイナーな分野であること、また、加工流通業者は補助金を貰いなれていないこともあって、十分に支援が受けられずにいます。

飯田 借金をして施設を作ったのに、借金だけが残ってしまった、二重ローン問題の話もよく聞きますね。

勝川 そうした諸々の問題を解決して、立ち上がっていくのは現実的に考えてかなり厳しいと思います。

先ほども話した通り、漁業は魚を獲るだけではなく、加工、冷凍し、消費地まで繋いでいかなくてはいけません。ですから、いろいろな連携も含めて立て直さなくてはいけないんです。そのためには漁師と周辺業者の協力が必要でしょう。しかし漁村地域は、漁師さんと加工業者の仲がすごく悪いケースが多い。つねに、競りを挟んで、対立関係にある。漁師は高く売ること、加工流通業者は安く買うことを考えていますから、長年溜まった不信感と不満がある。この状況で、協力して立ち上がることがなかなかできずにいます。

飯田 「水揚げしてもどうにもできない」と話をしている現地の人もいるなか、冷蔵設備や加工会社が動いていないのに、水揚げが始まっている港もあります。メディアだと、つい「水揚げが始まりました。復興の第一歩です!」で終わりがちになってしまう――しかしそれは象徴的な意味しか無いでしょう。

勝川 一刻も早く水揚げをして欲しいという気持ちもわかりますが、そこからどうやって消費まで繋げていくのかが重要です。水揚げするにしても、気仙沼では冷蔵庫を持っている人たちが軒並み被害を受けているので、水揚げをしても買うことができません。船の冷蔵装置が残っているので、船に魚を保存して、半分ずつ業者に買ってもらっています。そうやってだましだましやっている状況です。

飯田 その方法では長期的に考えて無理がありますね。農業の場合は、どのような問題が見られましたか。

浅川 農業は畑に商品があります。それが津波によって流されてしまった。これが数100億の被害になりました。

また農業にとって燃料はとても重要です。燃料の塊と言ってもいい。農業は牧歌的なイメージを持たれがちですが、設備投資、電気代、燃料費はすごくシビアなんです。支払いがちゃんとできないといけません。ですから支払うことが出来ずに燃料が途絶えてしまうと夏のあいだに作物が枯れてしまいます。

飯田 燃料費に関して言えば、ハウス向けの燃料が届かないだとか、価格が高騰するといった問題もあったかと思います。

浅川 そうした問題に対処するために、横の連帯があったことはとてもよかったと思います。「どこそこの人が困っている」ということで、畜産農家同志ならトラックで餌を提供しに行ったり、あるいは燃料を農家の仲間同士でわけあっていました。畜産家同士、農家同士で互いのニーズが分かっていたので、支援する側と受け入れる側が助け合うことができたんです。またマスコミではあまり取り上げられませんが、燃料費が高騰したこともあって、技術革新が進んでいるところでは、廃油の活用方法を研究し始めているメーカーもあります。

サプライチェーンの回復の遅れによってセールス形態が変わる

飯田 エコノミストは、大きな震災が起きると、よくアンケートを取られます。今回は多くのエコノミストが「サプライチェーンが寸断したため、主に製造業が大きく停滞してしまうだろう」と言っていました。しかし、実際は第二次産業のサプライチェーンの復旧は迅速でした。7月には供給経路がほとんど元に戻っていた。あるいは何らかの代替経路が出来ていました。一方で、製造業に比べると第一次産業のサプライチェーンの回復は遅れた、遅れていると感じます。

浅川 そうですね、確かに遅れていると思います。

ただし別の言い方をすることもできます。というのも、農作物は東北でしか作れないものではありません。他の地域でも作ることができる。震災の翌日に、北海道や九州など他の地域から、「東北が大変なことになっている。いまどんな野菜を作ればいいのか教えてほしい」という問い合わせがありました。皆さん、そんなにすぐに動けるものなのかと驚かれると思いますが、スーパーマーケットに毎日過不足なく商品が並んでいるのは、そういうことなんです。日ごろから長雨や日照りなどいろいろなことが起きているけれど、流通も含めてバックアップがちゃんとできているんです。

飯田 農業の場合は、他の産地が穴を埋められるということですが、漁業の場合は、東北地域で獲れなくなったものを、他の地域が獲るといったことはあるのでしょうか。

勝川 ありました。漁業の場合、世界中から足りなくなった水産物を引っ張っていています。例えば、国内のわかめの9割は三陸地方のものでした。しかし、震災以降、韓国のわかめが代替されるようになりました。そのように補っていくことができる。

その結果として、被災漁業の取引先は、新しい契約を結ぶことになります。被災漁業の設備や環境が元に戻ったとしても、失ったシェアは元に戻らないんです。復興するまでに1年かかっても大問題ですが、3年契約が結べなかったら、顧客は完全によそにとられてしまいます。そうなれば、ゼロから新規顧客の開拓をしないといけない。だからこそ加工業者はとにかく出荷したいんです。でも、土地が使えないし、建築規制によって動くこともできない。まったく先がみえない状況に置かれている。本当につらいと思います。

飯田 ラチェット効果、歯車効果といいますが、一度、取引先が奪われてしまうと、それまではルートセールスだったものが新規開拓セールスになってしまいます。ルートと新規開拓ではハードルがまったく違います。例えば、阪神淡路大震災のとき、当時の神戸港、現在の阪神港は、商業港として、世界のトップ10に入っていました。しかし震災によって失ってしまったコンテナの入港数は取り戻せず、いまだに昔の水準に戻っていません。

放射線被害と対策

飯田 今回の第一次産業の被害を考えるとき、生産設備への被害だけでなく、原発の被害が大きかったと思います。原発の被害にも、実体的な被害と、放射線量を測ると問題ない数値だけれど、不安なので食べられないといった心理的な被害の二種類が考えられます。漁業に関して、原発による被害はどういったものがあったのでしょうか。

勝川 やはり基準値を超える魚が出てしまったことで、魚を獲ることができなくなった影響はありました。しかしそれ以上に、魚価が下がってしまったことが大きいです。やはり代替があるなかで、リスクのあるものを食べようとする人はあまりいません。だからどうしても相場は下がってしまうんですね。

飯田 漁港の中で、ひとつでも基準値を超えるものが出てしまったら、たとえ魚種を制限して、その他は出荷してもよいとなっても厳しい状況になりますね。

勝川 そうですね。ですからやはり相場はかなり下がるんです。それに国や研究者がいくら大丈夫といっても、社会がそう思ってくれなくなってしまっていて。信用喪失はかなり大きいです。

飯田 この問題に関しては、「絶対安心」とは絶対に言えないんですよね。

勝川 もともと震災以前から、感度をあげて測れば放射線セシウムは入っていました。ただ震災前はまったく意識していなかったんです。それが目に見える形で数値化すると腰が引けてしまう。その気持ちはわかります。だからこそ、いかにコミュニケーションをとっていくか、これは大きな課題だと思います。

飯田 少し迂遠な話になりますが、過去に農業で放射能が大きな問題になったのは、やはりチェルノブイリ原発事故のときでしょう。現在、当該地域では農業がおこなわれているわけですが、どのような対策がとられてきたのでしょうか。

浅川 チェルノブイリの対策は、局地的に放射線量が高いところもありますが、基本的には成功したと思います。

放射性物質について考えるとき、最終的に食べる商品になったときに、どれだけの濃度になっているかが肝心です。土壌にはバッファ機能がありますから、そこで放射性物質をいかに循環させるかを工夫する必要があります。

例えば、放射性物質であるセシウムを植物に吸わせないようにカリウムを投与すると、セシウムと勘違いしてカリウムを摂取することを利用した方法。あるいは放射性物質が溜まりやすいものを作らないとか、家畜の餌にプーシャンブルーといった物質を混ぜることで放射性物質を糞尿として出すとか、いろいろなノウハウがあります。放射性物質を消す、移動させるといった非現実的なことよりも、いかにうまく循環させるかを考えているんですね。

飯田 例えばニューヨーク州ですと、原発事故が起きたときの農家の対応がマニュアル化されているらしいのですが、日本にはそうしたマニュアル、あるいは事前教育や対策はあったのでしょうか。

浅川 沿岸部では、過去にも津波がありましたから、塩害に関しては、田んぼに水を張って田んぼを洗うといった方法を知っている人は知っていました。ただし、原発事故については知らなかった。

アメリカでは原発事故が起きた瞬間に、農家は非常事態要員になります。なぜなら食料供給する側として、国民の食の安全を守らなくてはいけないからです。現在日本では、どちらかというと生産者と消費者は対立関係にありますが、逆に国民の食を守る側に一次産業がまわるように対応されているんですね。日本でも今後こうした取り組みは必要になるでしょう。

飯田 第一次産業と話がずれてしまうかもしれませんが、例えば日本では、非常時に市町村自治体に権限を委譲できていないように感じます。現場の基礎自治体の職員さんに伺っても権限委譲に関する問題点の指摘が非常に多いんですね。巨大災害が起きたとき、前線にいる人たちがいちいち規則を守ったり、上の支持を待っていたりしたら何もできなくなってしまいます。実際に、現場に破断が任されていればできたことはあったという話はよく聞きます。

勝川 昭和8年にも、大きな津波が三陸を襲いました。当時の話を聞いてみると、そのときは対応がすごく早かったようです。津波の一週間後には、地元の国会議員が高台移転の計画をまとめていて、その一週間後には大蔵省が予算をつけている。これは逆に言えば、住民の合意形成を飛ばして、国がトップダウンで決定したのです。震災復興には、こうしたスピードが要求される部分はありますね。今回も、道路の復旧はすごく早かったですよね。

飯田 確かにみんな東北国土整備局に拍手喝采でしたね。

勝川 一方で、住民の合意形成が必要な部分は意見がまとまりにくく、最初の一歩も踏み出せずにいます。

震災によって顕在化した問題

飯田 少し話題を変えさせていただきます。

現在、東北で問題になっていることは、新たに生まれた問題ではなく、今までも問題とされてきたものが多くあります。震災によって緊急度が増し、今すぐに対応を取らざるを得なくなってしまったんですね。その意味で、東日本大震災からの復興、そしてあらたな成長の模索は日本全体にとっての重要なモデルケースでもあります。日本の漁業、農業において、今まで何が問題だったのか、そして今回の震災によってどんな問題が顕在化したのか、お話していただきたいと思います。

浅川 震災以前からの農業経営の本質的な問題は、市場によって価格が決められていることです。

農業は、農作物を作って売ることでお金にする事業です。しかし、その値段は市場が決めるため自分たちで設定できず、コストや投資、雇用などの将来の事業計画が立てられませんでした。そして東日本大震災以降、放射性物質の問題で、どの市場でも価格がつかなくなってしまった。もともと課題になっていた流通の多様化が、こうした危機に面して、改めて考える必要が出てきました。

市場で価格がつかないので、東京に出てきて初めて営業した人がいます。今まではスーパーが市場のメインでしたが、農家にあまり相手にされてこなかった加工業や外食業の人たちが、東北に行って商品を買い取ったりしている。新たな流通が結果的に少しずつ創出されているんですね。震災前よりも事業者マインドは高まってきているんです。

飯田 漁業はいかがでしょうか。

勝川 漁業も一緒で、市場任せで値段をつけてもらっていました。そうするとやっぱり安い値段がついてしまうんですね。例えば宮城県のカキですと、殻をむいて1キロ1000円、だいたい60個が1キロですから、だいたい1個15円。

飯田 それが東京に来ると、1つ、数百円になっている。

勝川 生産者と無関係に値段が決まってしまうことが問題なんです。例えばスーパーが、週末の特売日にアジを100円で売ることになったとします。このアジはまだ水揚げされていないアジです。まだ獲ってもない魚の値段が決まってしまっている。量販店は手数料や利益を考えて値段を設定します。そこから遡って価格が決まっていくので、結局、漁師は生活できない水準の価格で魚を売るしかなくなる。

あと全部混ぜちゃう方式の共同販売はよくないですね。やはり同じ産地でも、しっかり作る人とそうでない人で、質の面でかなりの差が出てきます。例えば宮城産のカキとして混ぜこぜになっていると、すごくおいしいものがあっても、同じカキは二度と買えません。そのときたまたま当たりをひいただけで終わってしまう。やはり個人の顔が見えるかたちで売っていくことで、一生懸命良いものを作った人がその分リターンを得られるようになる必要があります。

飯田 農業も漁業も、今まで流通の、ごく最初の部分しかしてこなかった。利益を生み出すバリューチェーンの最上流のワンポイントしか担当していないわけですから、バリューのうち獲得できる部分、つまりは利ザヤも小さくなります。

また、経済学を勉強したことのある方はピンとくるかもしれませんが、「商品がコモディティ化している」、つまり市場に行って、誰のものかわからないけれど、十把一絡げで売り買いされると、その商品は儲からないんですね。十把一絡げのモノは価格だけが勝負ですから、売価は容易にコストすれすれまで引き下げられます。そこから脱却しなければ利益は増えません。今まで、一部の意欲的な農家がやってきたことを、多くの農家も震災をきっかけに、自分でもできることに気がついた。

今までも農業では「わたしがつくりました」系の売り方はよく見られましたが、漁業ではあまり見られない気がします。なぜでしょうか。

勝川 水産物の場合、いつ、なにが、どのくらい獲れるのか、海任せのところがあって、漁獲量が変動しやすいんですね。そういうものを個人で売るのは難しい。だから市場に任せているんです。

あと漁師の水産物に関する金銭感覚がかなりずれていることも原因のひとつでしょう。漁師にとって、魚は自分で獲ってくるか、物々交換で手に入れるものです。魚を店で買ったことがないので価値がわかっていないんです。風評被害によってカキが売れなくなったときに牡蠣小屋で直接販売することになったのですが、価格を12個1000円に設定したら「そんなに高い値段で売れるわけない!」とみんな口をそろえて言いました。12個1000円は安いほうですよ。でも彼らにとってカキは1つ15円の価値なんですね。そのくらい金銭感覚がずれている。それにそもそも漁師は、漁具の手入れやなんやで忙しくて、自分で販売する暇がないんですよね。

農協、漁協の役割とは

飯田 流通の中にいるというが薄いのかもしれませんね。職人的と言っても良いかもしれませんね。

もともと漁協や農協は、安値をつけがちなスーパーや仲卸といった大口の需要者の値下げ交渉から、個々の生産者を守るためにある、というのが建前だったと思いますが、市場流通のほうが安いという現状をみると、いろいろと役割を見直さなくてはいけないと思います。

浅川 農協は、農家から農作物を買って市場で売っているというイメージが一般的だと思いますが、これは誤解です。実際に農協が何をしているかというと、農家から集荷したものを市場に持っていき、ついた値段の数パーセントを手数料として抜いている。そして運送屋にマージンを払って、残りを農家に落としている。だから基本的にノーリスクなんです。手数料が確実に入ってきますから。そして農家は全然儲からない。

飯田 私も浅川さんがおっしゃった一般的なイメージを抱いていたのですが、農協の損益計算書をみてびっくりしました。というのも、農協の収入のほとんどが、農家への売り上げだったんですね。

漁業もやはり大半が市場流通ですね。

勝川 そうですね。農家の場合は、自分で売っている人も見かけますが、漁業の場合はほとんどいません。

農業の場合は、土地は自分のものですから、その土地をどう使うかは個人で決めていい。しかし漁業の場合は、漁場の漁業権の管理は漁協がやってします。だから、漁協のセリを通さないで売るのは難しい。漁業権の優先度は組合員のほうが高いので、組合員から除名されてしまうと漁場が使えなくなってしまう。漁業の場合、生産が不安定で海任せなので、個人で売るのは構造的に難しい。その上、漁協の権限も高くて、組合を通さずに売るのが難しいという二重の問題があるんですね。

ブランド価値と販売パートナー

飯田 漁家に話を伺っていて面白かったのは、陸前高田の漁家さんが「こんなに長時間漁に出なかったのは初めてで、こんなに考えたのも初めてだ」とおっしゃっていたことです。つまり、今回の不幸が改めて漁業のあり方を考えるきっかけになったということでしょう。東北地方の漁家のなかで、この震災を契機に始まった試みはどんなものがあるのでしょうか。

勝川 いろいろあります。

現場では、もう元に戻しても仕方がないと思っている人はたくさんいます。震災前から、十年先があるかないかという状態の漁業がかなりありました。だから元に戻しても、結局、先が無いことは。みんなわかっている。でも一方で、これからどうしていけばいいのかというビジョンがなかなか浮かんでこない。

今までは、組合や既存の流通以外の選択肢が無かったため、なかなか新しいことが出来ませんでした。でも今は流通自体が壊れていて、自分たちで売らないといけない状況です。また、漁協も復興、復旧作業で忙しいので、その隙にいろいろやっていけるんです。だからこそ我々が、現場と協力して、市場流通以外の選択肢をどうやって作るのか考えていく必要があります。

飯田 「その隙に」という表現がぴったりで笑ってしまったんですが、漁協や漁港、市場の関係者に話を聞くと、「一刻もはやく定置網漁を復活させなければ」と、元に戻すビジョンを持っているんですよね。漁家さんと意見がまったく違います。

勝川 やっぱり売り方をなんとかしなくてはいけないという意識が漁師のあいだにあります。いまの値段じゃさすがに食っていけません。

現在、日本全国で魚が減っています。水産庁のアンケートによると、漁師の9割が魚は減っていると思っている。養殖するにしてもすでに場所が埋まってしまってこれ以上するのは難しい。ですから量を増やしていくという選択肢はありません。だとしたら値段を上げる以外に方法はない。前からそういう共通認識はあったんです。でも今まで何もやってこなかったから新しいことをするリソースがない。外部の人間がいかにサポートするのがキーになると思います。

飯田 魚価が安いので、たくさんとる。たくさんとると、魚が減る。魚が少ないから、急いでたくさんとる……この循環によって漁業資源が枯渇して、幼魚稚魚が市場の中心になってしまっている。

勝川 大きいのがいなくなったので、まだ大きくなっていない小さな魚を獲る。どんどんサイズが小さくなって、非常に破滅的な状況になっています。

飯田 この悪循環から抜け出して、良いものを高く売っていくためには、今までのように市場流通で良いものから悪いものまでごちゃ混ぜにして売ってはいけないと思います。なんらかの形でブランド化し、ブランド価値として売っていく必要が出てくるでしょう。

農業は比較的今までもブランド価値の追求をやってきていたと思います。実際のところ、ブランド化、ブランド価値の追求によって経営はうまくいくのでしょうか。

浅川 普段、スーパーでお米をいろいろ比較して買うことは少ないと思います。でも、一度食べてもらって違いを感じてもらえたら、普通の人は食べ物に保守的ですから、おいしければ、そのお米を食べ続けるでしょう。ですから地道に東京に来て初めての営業をして、何人かの主婦に買ってもらえるだけでも意味があります。

それに農作物の利点として、販売が年間に毎月10キロといった頒布会方式になっているので、顧客を手に入れれば安定した収入になるんです。お米の販売にあわせて、野菜や漬物を同封して売れば、地味ですがいい収入源になる。例えば一般の家庭がお米に年間5万円使うとします。すると200件で1000万円の収入になりますね。1000万円の売り上げは、だいたい300万から400万円の所得になりますから、なんとか経営することができる。「日本の農業の問題は」とか「お米の消費量」とか難しい話なしに、いいお客さんをちゃんと捕まえてサービスすれば、なんとかなるんです。それが大事です。

飯田 お客さんを見つけるために、例えば被災地応援フェアに来てもらうのも手ですよね。

僕も時々お手伝いをさせていただいた、岩手県で行っている炊き出しイベントの復興食堂というものがあります。最近は、もっと被災地のことを知ってもらおうと、東京や関西でも出店をしています。東京で出店しているときに、物産で一緒になったお米の農家さんも、初めての営業活動で、さっそくお客さんを見つけていました。やっぱり自分で作ったものが、目の前で売れるのは嬉しいみたいです。それに、製造だけでなく、営業や配送も自分でやると利ザヤが増えますよね。

一方で、先ほどもお話がありましたが、漁業はやはりブランド化、ブランド価値による個人販売は難しいのでしょうか。

勝川 漁師のご飯ってかなり豪快ですよ。今日はウニがたくさん獲れたから、どんぶりいっぱいのウニを食べるみたいな食事をしているんです。つまりそれだけ獲れた、獲れないが激しいので、個人相手に商売をやっていけるかというと厳しい。

そこで大切なのは、一緒に販売ができるパートナーを作ることです。陸前高田の広田町で、地元の漁師と一緒に、これからどうやって漁業を続けていくか話し合いました。まずはパートナーを見つけることが大切だと思い、APカンパニーという居酒屋チェーンの水産物の仕入担当者を取り次いだんです。それでAPカンパニーの料理長と一緒に漁にでてもらった。

そのとき見つかったのが毛ツブという、市場に出しても1キロ30円程度のツブガイです。これでは市場に出す手間賃にもならないので、漁師は売りに出さずに投げているんですが、「実は俺たちはこれが好きで、ケツブばかり食べている」と話をしていて。これはいけるんじゃないかと試食をしてみたら、やっぱり美味しいんですよ。肝が苦いのと殻が硬いため、処理が面倒なのですが、そこは店が引き受けてくれることになって、1キロ200円の契約が結ばれました。ケツブは毎日1トン獲れます。つまり一日で20万円。漁師がいまちょっと色めきだっています。

これを更なるステップに繋げていきたい。今は処理をお店に任せていますが、もし地元の加工場で殻や肝の処理ができれば、送料も安くなるし、地元の雇用創出にもなる。そういう形でなんとかやっていけないか。

検査を丸投げされた現場

飯田 ブランド化、ブランド価値とは別に、やはり農業ではよく聞く話ですが、第六次産業化というビジネスモデルもあります。

三陸被災地域で、歴史に残る大災害の現場に立つこと、実際に被災した人たちの話を聞くことは非常に重要なことでしょう。これを観光というかたちで活かせるのでないか。実際、どのようなビジネスモデルになっているのでしょうか。

浅川 昔からあるのは、1時間3000円くらいのリンゴ狩りでしょうか。これは、多くの人が、取れたてのものをたくさん食べたいからといってやってきていました。最近増えているのは農業体験ですね。実際にプロがやっている作業を手伝うとか、トラクターにのるとか、ハムづくりのような加工体験とか。

原発事故以降、どんなにいいお米を作っても、福島産というだけで敬遠されるようになってしまった。だから、ビジネスとは別に、実際に作業現場に来てくれることは、受け入れる側としても嬉しいみたいです。

飯田 農業体験をした顧客はその農場へのロイヤリティー(忠誠心)が高まります。自分が関わったらそこの商品を買いたいと思うのが人情ですから。一方で、今後もしかしたら、セシウムの検査に立ち会えるようになるかもしれない。目の前で測定することで、安心してお米が買えるようになる。そういうモデルも考えられるでしょう。

浅川 暫定基準値を超えたとか、超えていないとかいう話をよく聞きますが、そもそも暫定基準値は、基本的に原発事故が起きた周辺の人たちのための基準です。彼らは現地のものを食べる確率が高いわけですから、彼らが大丈夫な基準にしている。どうもあたかも消費者のための指標と勘違いされていますがそうじゃないんです。

それに、現地の人でもさらに農家の場合は、土を掘ったり稲を刈ったりしているので、作業中にも被曝してしまうわけです。内部被曝、外部被曝もある一番大変な状況なのに、彼らにための指標であることがほとんど理解されていない。それと重要なのは安全性の科学的根拠を明らかにすることですね。

飯田 実際作業している人のほうがもっと大きな影響を受けている可能性が大きいわけですね。

浅川 そうです。地元の人が大丈夫な基準なら、他の地域の人は、地元の人ほど原発周辺にあるものを食べないんだから大丈夫なんですよ。このままだと消費者と生産者の対立関係は強くなってしまいます。ぜひ説明を切り替えて欲しいですね。

しかもややこしいのが、行政がちゃんと調べてもいないのに、まったく法的根拠のない安全宣言を出してしまったことなんです。去年、福島県知事が安全宣言を出した翌日に、規制値を超えたものが出てきてしまいました。これじゃあ信用されるわけがないです。さらに今年は、県が各地域に検査を丸投げしてしまいました。本来、県が検査できないものは、国がやるべきことです。

こうして問題を丸投げしたまま、今年の稲刈りを迎えます。現場は何を持って安全宣言をすればいいのかわからないし、測定機器もまだ注文中で、とても混乱しているところです。

勝川 僕も、放射能の検査を、自治体に丸投げする国の姿勢は、無責任だと思います。県の水産課なんて、そんなに人数もいないし、放射能を測る設備も少ない。そもそも現場にいる人は、みんな被災しているのですよ。なんで国がやらないのか。おかしな話です。

飯田 特に放射線関連の直接被害地域、風評被害も含めた間接被害地域は、ある意味では未だ被災中なわけです。そのような状況において現場に任せることの意味、そして現場に回せるならば何をサポートしなければならないかを考えないといけない。丸投げするならそれだけの「金と人」がセットになっている必要があるわけです。

元々の農業・漁業の問題、そして震災被害の問題、さらには放射線関連被害と東北地区の一次産業の現状は困難に満ちています。このなかでどのような復活を可能にしていけるか。日本全国の一次産業にとっての「復活の教科書」にしていけるようこれからも知恵を絞っていきたいと思います。

プロフィール

浅川芳裕月刊『農業経営者』副編集長

1974年、山口市生まれ。月刊『農業経営者』副編集長。カイロ大学文学部東洋言語学科セム語専科中退後、ソニーガルフ(ドバイ)、ソニーモロッコ(カサブランカ)勤務を経て、農業技術通信社入社。著書に『日本は世界5位の農業大国』(講談社)、『日本の農業が必ず復活する45の理由』(文藝春秋)、共著に『農業で稼ぐ! 経済学』など。農業情報総合サイト『農業ビジネス』、ジャガイモ専門誌『ポテカル』の編集長を兼務。

この執筆者の記事

飯田泰之マクロ経済学、経済政策

1975年東京生まれ。エコノミスト、明治大学准教授。東京大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。著書は『経済は損得で理解しろ!』(エンターブレイン)、『ゼミナール 経済政策入門』(共著、日本経済新聞社)、『歴史が教えるマネーの理論』(ダイヤモンド社)、『ダメな議論』(ちくま新書)、『ゼロから学ぶ経済政策』(角川Oneテーマ21)、『脱貧困の経済学』(共著、ちくま文庫)など多数。

この執筆者の記事

勝川俊雄

1972 年、東京生まれ。三重大学生物資源学部准教授。東京大学海洋研究所助教を経て、2009年より現職。専門は、水産資源管理、水産資源解析。日本漁業の改革のために、業界紙、インターネットなどで、積極的な言論活動を行っている。

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