新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

NPOや協同組合の供給を公的資金で支える

 

ここまでで時折触れたことでもわかるように、宮本太郎さんは、スウェーデン社民党政権で見られたアクティベーション型の社会的包摂を、これからの福祉システムのあり方として提唱しています。これからは、従来の「福祉国家」に替わって、NPOや協同組合も含むいろいろな担い手が「多元的に」活躍する「福祉ガバナンス」の時代になる[*32]と言い、その中でも、「政府がより大きな財政責任を引き受け、供給主体としては非営利組織が役割を拡大し、統制については政府、非営利組織などの協議が重視される場合」を「アクティベーション志向の多元化」、それに対して「財源としては利用者の自己負担の比率が高まり、また供給主体として営利企業が前面に出て、統制については市場の決定にゆだねる部分が増せば」「ワークフェア型の多元化」だとしています[*33]。

 

このように、サービス供給はNPOや協同組合などが地域の中で担い、利用者はそれを自由に選び、政府が十分な予算をかけて資金的に支えるという、あるべき福祉システム像は、今日多くの論者の共通イメージになっているように思います[*34]。しかし、実は、私の学部学生時代の指導教員である藤田暁男さん[*35]は、まだNPOという言葉もないころから、このような、非営利組織や協同組合などの比重がいまよりずっと高くなった社会システムを構想し、とくに、地域コミュニティにおける、福祉、医療、保育、教育などにそれらの事業体の活動領域を見出す先駆的議論をしていました。

 

藤田さんの理論的探究はすでに私のゼミ生時代の80年代半ばには始まっていましたが、その後97年には、スウェーデンのヤムトランド地方の地方都市を調査し、新スウェーデンモデルを目の当たりにしています。当時、スウェーデンの高度福祉国家は破綻したと伝えられることが多かったのですが、どっこい実際には、地域コミュニティの中でさまざまなタイプの協同組合が活躍して、ネットワークを形成して地域の福祉サービスを支えている充実した福祉社会が発展していたわけです。これを見て藤田さんは、自分の展望に確信を持ったわけです。

 

[*32] 宮本前掲書191ページ。

 

[*33] 宮本前掲書201ページ。

 

[*34] 上野千鶴子も、ケア費用については国家化が、ケア労働については協セクターへの分配が最適解であると言っている。上野千鶴子『ケアの社会学』(太田出版、2011年)237ページ。

 

[*35] 以下、藤田の議論の紹介は、藤田暁男「非営利組織の活動と協働の論理形成:協働の発展と社会システム論的課題」『季刊経済理論』第49巻第3号、[特集◎アソシエーション論と非営利・協同組合セクター論の到達点と課題](桜井書店、2012年)を参照。90年代初頭頃からの藤田の先駆的業績が概説されている。

 

 

なぜNPOや協同組合が担い手となるのか

 

では、なぜ社会サービスの供給は、政府が直接担うのでなく、しかも営利会社よりもNPOや協同組合が担い手として期待されるのでしょうか。

 

営利会社と比べたふさわしさとしてよく言われるのが、福祉や医療などはおカネ目当てにそぐわないということです。でも、ときどきそんな言葉は、経営者が従業員を低賃金でこき使ったり、役所が委託費をケチったりするときの言い訳になります。NPOや協同組合で、「おカネもうけが目当てではありません」と掲げるところほど、実はあこぎな商売をして一部の人が私腹を肥やしているということはよくあることです。

 

宮本太郎さんはNPOや協同組合が担い手に期待される理由について、あらまし次のように言っています。

 

今日の福祉や雇用政策が対処するのは、人々の「新しい社会的リスク」である。それは、長寿高齢化だけでなく、IT化とかロボット導入とかで人が要らなくなったり、工場が海外に出ていったりして、若者に安定した職がなくなり、中高年もいつ職がなくなるか、介護に追われるかわからなくなり、女性もちゃんと暮らしていくには働かないといけないのに、出産や育児がなかなかサポートされない等々で、自立して暮らしていけなくなるリスクである[*36]。これへの対処は、人々が自立して暮らしていけるように手助けすることだが、そのためのニーズは、一つ一つのケースごとに違い、画一的に対処できない。だから、行政が一律のサービスを押し付けるのではなくて、民間がいろいろなサービスを提供するのを、利用者が選べないといけないし、選んでもいやならやめることができないといけない。しかも、こうしたニーズを満たすには、当事者自身がそれを発信しないと把握できないが、NPOや協同組合の場合、いわゆる自助グループに典型的なように、その発信に対応しやすい[*37]。──このようなことです[*38]。

 

この理屈は、この連載でずっと述べてきた、「リスク・決定・責任の一致原則」で言い換えることができます。つまり、現代は、一人一人がそれぞれ大きく違った背景を背負って生きているので、福祉などのニーズが一人一人違います。その情報は政府当局が把握できるものではないので、もしこれを政府当局の判断で満たそうとしたら、人々のニーズに合わなかったり、厚生がかえって損なわれる人が出てしまったりする危険があります。しかし、その判断者はそのことの責任を自腹で負うことはありません。そうすると、人々のニーズに合わなかったり、人々の厚生を損なったりする判断が過剰にされてしまいます。

 

だから、そのニーズにかかわる情報を一番持ち、それを満たそうとする活動(あるいは活動の不在)にともなうリスクが一番かかってくる人たちが判断し、その判断にともなう責任を自ら負う事業のあり方が適切になります[*39]。福祉事業の場合、ニーズにかかわる情報は、現場の利用者本人やそれと直接かかわる人々が一番把握しているわけですし、不適切なサービスがなされたときのいろいろなリスクもまた、現場の利用者本人やそれと直接かかわる人々に一番ふりかかってくるわけです。そうだとすると、現場の利用者や従業者自身が、ふりかかるリスクに応じて決定にかかわり、その責任も負うやり方が一番ふさわしいことになります。

 

その意味では、現場を遠く離れた出資者がもっぱら決定権を持っていたのでは、政府当局が判断するのと同様、現場の人々のニーズを損なう判断をしてしまう恐れがあります。それゆえ、おおざっぱに言って、現代の福祉事業などでは、出資者が決定権を持つ営利会社よりも、現場の利用者や従業者に主権がある協同組合やNPOなどがふさわしいということになるのです。

 

しかし、以上の考察からわかるように、大事なことは形式的な事業形態ではなく、実際に決定と責任がどこにあるかということです。形式的に有限会社や株式会社だったとしても、従業者が出資者でもあり、借金の責任も負い、事業決定を実質的に担っている労働者管理企業はあります。そうした場合には、リスク・決定・責任の一致原則は満たされているわけです。

 

逆に、形式的に協同組合だったとしても、主権のあるはずの現場の組合員から遠く離れた本部で、一部の者だけで事業判断がなされていたのでは、事態は営利会社よりもはるかにマズいということになります。なぜならその場合の経営者は出資すらしていないので、自分にふりかかるリスクはほとんどないからです。ときには、「非営利」だからということで、出資配当も巨額の賞与もない代わり、経営者に実質的に報いるために、組織財産を私用できるいろいろな特権が発生する場合がありますが、こうなると経営者は事業体組織が拡大することにインセンティブ(誘因)がついてしまいます。そうなると、リスクの高い拡張路線に歯止めがなくなります。

 

[*36] 宮本前掲書197-198ページ。

 

[*37] 同上書198ページ、200ページ。

 

[*38] もっとも上野千鶴子は、自分の調査したケースでは、「低料金」が利用者に選ばれる理由として大きいと結論しているが。上野前掲書第7章、177-178ページ。

 

[*39] 連載第2回で紹介した三上和彦の命題である。Mikami, K., Enterprise Forms and Economic Efficiency: Capitalist, cooperative and government firms, 2011, Routledge, Abingdon.

 

 

「効率」の名の下の非効率

 

「リスク・決定・責任の一致」こそが、すべてのまっとうな経済学で言う「効率的」ということです。福祉関係者の間では「効率」という言葉は忌み嫌われていそうですが、経済学ではこの言葉は、「少なくとも誰も犠牲にすることなく、誰か一人でも厚生を改善できる余地があるならばそれを実現すべきだ」という意味です。だから、失敗して人々に被害が及ぶ可能性を考慮に入れたうえで、リスクの高いことに資源が振り向けられるよりは、もっと別のことに資源を向けた方が救える人がいるのではないかと検討することが、真に効率性を重視した態度なのです。リスクと決定と責任が一致するならば、不確実性を考慮に入れて、「人々の個々のニーズにできるだけ合致した適切なサービス供給がなされる」という意味で、「効率性」が実現されます。

 

ところがこの言葉が新自由主義者の手にかかると、おカネや時間の節約を意味するだけの言葉に変わってしまいます。何かの福祉支出が「予算の無駄遣い」とされて削られたために、その対象者だった人の厚生が一人でも低下したならば、それは経済学的には断じて「効率的」とは言わないのです。しかし現実には「効率」の名の下にそのようなことが平気で進められてきたわけです。そして、「第三の道」の「ブレア・シュレーダー宣言」にちりばめられた「効率」という言葉もまた、こうした新自由主義者の言う「効率」の域を出るものではなく、そんな「効率」重視と平等とを両立させようと、解けもしない問題を立てていたわけです。

 

このような間違った「効率性」追求からは、経済学的にまったくの非効率が導かれます。新自由主義のサッチャー政権は、ニューパブリックマネージメント(「新公共管理」、以下NPM)の名の下に、いろいろな公共サービスの供給を、行政から民間営利会社の仕事に移していきました[*40]。民間の経営手法を導入すれば「効率的」になるだろうということですが、その意味することは予算の削減にすぎず、多くの人々の厚生を低下させた点でまったく効率的でなかったことは言うまでもありません。

 

しかし、もっと問題なのは、そのあとをついだブレア労働党政権が手直しのつもりで導入した仕組みです。それはNPMの一種なのですが、「ベストバリュー」と呼ばれています。サッチャーNPMが民間営利会社だけを相手にしていたのに対して、ベストバリューは、NPOや協同組合などの民間非営利組織への委託を拡大しようとしました。そしてその際、NPMが「予算さえ削減できればいい」というような競争入札で委託先を決めていたのを反省し、サービスの質などのいろいろな条件を考慮に入れることにしました。そして保守党政権時代の委託契約である「コントラクト」に代えて、「コンパクト」と称し、民間非営利組織が行政とビジョンを共有し、政策形成にかかわって、公金を受け取るにふさわしい質のサービスを提供することが取り決められました。

 

宮本さんによれば、この「コンパクト」については、行政と民間非営利組織の対等な関係を作り出せたかについては疑問視する意見が多いそうです。一見民間側の自主性が尊重されているように見えて、実はサービスの質や安全の名において行政の側に集権化が進み、民間非営利組織の側はその要求に対応するために事業規模を拡大して、柔軟性や多様性を失ってしまったケースが多いと言います[*41]。要するにベストバリュー体制というのは、NPMの単におカネを節約するという意味の「効率性」追求を反省したつもりで、「行政が設定した目的を、限られた予算でいかに効果的に実現するか」という意味での「効率性」追求に代えただけのものと言えます。

 

しかし本来、現場の当事者のニーズを容易に行政が把握できないからこそ、民間に任そうという理屈になったはずです。そんな行政が、人々のニーズに合致する細かな目的を設定することは困難です。それは、人々のニーズと食い違ったものになってしまう危険を根本的に持っています。しかし、そんな目的のもとに民間事業体のやることをガチガチに管理してしまうと、民間事業体側は利用者よりも「お上」の方を向くようになってしまうでしょう。そのために、人々のニーズと食い違ったサービス供給がなされ続けることになったならば、それは経済学的に真の意味で非効率ということになります。

 

民間委託体制でさらに困るのは──イギリスではどうか知りませんが、日本ではしばしば見られることです──そのように明らかに行政側の意図で誘導しておきながら、実際に何か起こったら民間事業体側の責任にしてしまうことです。これが許されるならば、行政側はリスクに頓着しない決定をしほうだいということになってしまいます。

 

[*40] 以下ベストバリューの説明まで、宮本前掲書64-66ページ。

 

[*41] 同上書65-66ページ。

 

 

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