「流動的人間関係vs固定的人間関係」と責任概念

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流動的人間関係の解決

 

しかし同じくリスクを処理するにも、もう一つ別のやり方があります。それは、危険と思ったら被害がひどくならないうちに、速やかに相手や場所を変えること。あるいはいままでの方法を改めることです。だからこの場合は、常にアンテナを張って相手の人格や技能についての情報をキャッチし、迷惑な相手かどうか見極めることが大切になります。

 

しかし、逆に言えばこの場合、いままでつきあったことのない相手とも協力しあわなければなりませんので、見知らぬ白紙の状態の人は、とりあえず信頼しないとやっていけません。よそ者も身内もない。だいたいの人間は善良とみなして分け隔てせず、ただ少数の悪人の可能性にはそなえるという態度が必要になります。

 

この方法をとったのが流動的人間関係の社会システムになります。環境の変化が激しいケースや、情報コストを軽減できる客観的条件がある場合(ex.「IT革命」)には、固定的人間関係の原理よりもこのやり方の方がいいでしょう。環境の激変が起こっても、最悪でも絶滅は免れて、誰かが生き残るでしょう。この場合、場所や相手の変更は悪事ではなくむしろ必要なことです。だから、一旦関係が続いた以上は裏切ってはいけないとする固定的人間関係の原理とは、そもそも出発点から相容れなくなります。

 

みんな互いの信頼性について見極めあっていますから、他人にちょっとでも不信感を抱かれないようにいつも注意しなければなりません。だから、この原理の社会においては、誰からも信頼されるように、他人にわけへだてなく誠実に振る舞う姿勢を示すことが、常に必要になります。

 

 

流動的人間関係のシステムで機能するポジティブ情報

 

拙著出版後に出た、山岸俊男と吉開範章さんの2009年の共著『ネット評判社会』(NTT出版)では、流動的システムの究極形とも言えるネットオークションの世界で、評判がどのように秩序維持機能を果たすのかを、実験結果を交えて検討しています。

 

固定的人間関係のシステムでは、先に述べた通り、悪いことをしたら知れ渡って制裁を食らうことが秩序を維持したのでした。ネットオーションの実験では、各被験者のid名を固定するケースがそれにあたります。この場合には、ズルいことをしたら、「ズルいことをした人」というネガティブ評判が自動的に制裁として機能して秩序を維持しました。

 

しかし、流動的人間関係のシステムではその制裁は機能しません。それにあたるのが、id名が変えられるケースの実験です。ズルいことをしてネガティブ評判がたっても、id名を変えてチャラにできるからです。そうするとこの場合、時間がたつにつれて、ネガティブ評判よりも、「良い取引相手である」というポジティブ評判が不正を防ぐために機能するようになります。ポジティブ評判が取引を重ねて高まっていくことが、一種の資産のようなものになり、公正な取引に努める誘因になるというわけです。

 

そうすると、流動的社会のただ中で、固定的な関係の人だけにえこひいきしていると、信頼性を疑われ、ホジティブ評判が広まらないことになると思います。えこひいきのない、正直で公正な人の方が、ポジティブ評判が広がって有利になるはずです。

 

すなわち、固定的人間関係のシステムのただ中で、流動的人間関係の振る舞いをすると、「身内をすぐ見放すやつ」と見られて忠誠心を疑われ、なにがしかの制裁を受けてしまうし、その一方、流動的人間関係のシステムのただ中で、固定的人間関係の振る舞いをすると、信頼できる人というポジティブ評判が広まらずに不利になってしまいます。結局、固定的人間関係のシステムの中では、各自はそれにフィットした振る舞いをし、流動的人間関係のシステムの中では、各自はやはりそれにフィットした振る舞いをして、それぞれのシステムを再生産することになります。

 

以上の議論を下の図にまとめておきます。

 

 

graph

 

 

再び「マグリブ商人vsジェノア商人」

 

この議論で私が経済学者として思い出したのが、この連載の第5回でご紹介したグライフさんの「マグリブ商人vsジェノア商人」のモデルです。ここでは、マグリブ商人は、ネコババをした現地代理人は商人仲間の誰ももう雇わないようにする仕組みで不正を防いでいました。これは、雇い賃は安くてすむのですが、固定した商人仲間の間で関係が閉じてしまうのでした。

 

それに対して、ジェノア商人は、現地代理人の雇い賃を高くしてクビになったときの損を大きくすることで、不正を防ぎました。貿易商側にとっては雇い賃が高い分不利なのですが、その代わり、自分たちが入植しなくても新しい代理人を見つけて貿易先を広く開拓できるので、地中海貿易の覇権はジェノアに移ったということでした。ここで、マグリブ商人のシステムが固定的人間関係のシステムで、ジェノア商人のシステムが流動的人間関係のシステムにあたることは言うまでもありません。

 

ここで、第5回では脚注で触れたのですが、グライフさんのモデル自体の中にはないことなのですが、彼の論文の文章の中では、ジェノア型システムを支えた仕組みとして、司法機関の整備をあげています。私益どうしの争いを公権力が民事裁判で仲裁するわけです。マグリブ型の場合は、不正をした代理人は共同体から「制裁」されることになるわけですが、ジェノア型の場合は、賠償を求められることになるわけです。

 

 

「集団のメンバーとしての責任」の根拠

 

さて、以上のように見ると、二種類の責任概念の違いがどうしてでてきたのかがわかります。

 

固定的人間関係の場合は、そもそも人間が原因になるリスクは、内部からきれいさっぱり一掃してしまっているのが理想型です。だからそこには自己決定の余地もありません。いつの間にか決まっている各自の役割を、各自が好むと好まざるとにかかわらず果たすことで、リスクなく協力関係が維持されるわけです。各自が自己決定するとしたら、その役割を果たすことから自己利益のために逸脱することでしかなく、それは他のメンバーとっては迷惑なリスク要因になりますから、目に余れば制裁の対象となるわけです。

 

人間に原因があるリスクは排除されているのが原則ですので、同胞から期待される振る舞いをまじめにしている人が直面するリスクと言えば、天災や病気や不慮の事故や、そこまでいかない様々な不運でしょう。このリスクも固定的人間関係の内部からはなるべくなくすのが理想です。だから、同胞が困っていたら助けてあげる態度が期待されます。その期待が成り立ってこそ、不運に対処したり備えたりするぬけがけをせずに、各自が与えられた役割をまじめにがんばる気になるわけです。

 

それゆえ、ここにおける責任概念は、自己決定するかどうかにかかわりなく、同胞から期待されている役割を果たし、同胞が困っていたら助ける責任となります。そしてこれが果たせなかったときの責任の取り方は、同胞のそしりをはじめとする制裁を受けるということになるわけです。このような責任のあり方が成り立ってこそ、固定的人間関係内部での協力関係を維持できるわけです。

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.267 

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