「流動的人間関係vs固定的人間関係」と責任概念

「自己決定の裏の責任」の根拠

 

それに対して、流動的人間関係が前提しているのは、もっとリスクに囲まれた世の中です。どんなことをすれば人々のニーズがもっと適切に満たされるのか、どんな人間関係を組み合わせればもっといい仕事ができるのか、事前にはわからない世の中です。

 

こんなときには、やり方についても、人間関係についても、いろいろやってみるしかありません。いろんな人にいろんなことを思いついてもらって試してもらうのが一番です。その際には、試みが多ければ多いほど正解に近いものが見つかる可能性が高いですから、なるべくたくさんの人に試みに乗り出してもらうほど、人々の厚生を高めることにつながります。

 

ということは、リスクのあることを思いついてトライすることを、奨励するようにしなければなりません。決まったことから逸脱するリスクに手を染めるのは「悪」だという認定をする仕組みではだめなのです。「定められた役割をはずれずに果たす責任」という責任概念では都合が悪いということです。

 

しかし、その結果失敗しても尻拭いしてもらえたり、他人に迷惑をかけても補償しなくてよかったりするならば、みんな過剰にリスクの高いことにどんどん手を出してしまいます。だから、結果としての損は決定者が自分ですべてかぶり、他人に迷惑をかけたらきっちり補償する仕組みにして、できるかぎり慎重なリスク計算は各自ちゃんとするようにしむける必要があるわけです。これが「自己決定の裏の責任」ということです。

 

大事なことは、だからといって、人々がいろいろな試みに手を出すことに水を差してはいけないということです。だから、結果としての損は自分でかぶり、他人に補償を十分にしたならば、人々のそしりをはじめとする制裁の対象とはしないことが必要です。つまり刑事罰の対象としての「悪」とは、次元の違うものとして扱わなければならないのです。

 

 

フィットする責任概念が変わった

 

よく言われるように、戦後高度成長時代の日本企業は、欧米の先進技術と商品を導入して改良すればよく、大きなリスクにはほとんど直面しませんでした。こんなときには、固定的人間関係がメジャーな仕組みで企業を運営することが適切だったと言えます。必要な人材や部品供給者などを見つけることができるかというリスクは、当時の情報技術のもとでは無視できなかったのですが、企業や系列の固定的関係の中に内部化することで解消したのだと言えます。

 

しかしいつしか日本経済は技術面でも消費スタイルでも世界の最先端に立ち、企業は、次に何をすべきかをお手本なく、自分で決めなければならなくなりました。世界の同時代的な転換としても、グローバル化やIT化等が、固定的関係の外での有利な取引機会を増やすとともに、人々のニーズの多様性や世の中の動きの不確実性を高めています。第5回でも触れましたが、日本企業の従来の固定的人間関係に基づくシステムは転換を余儀なくされていると言えます。

 

この転換の結果、流動的人間関係に基づくシステムになることは、必ずしも雇用が不安定化することを意味しません。スウェーデンはかなり雇用が流動的な国ですが、それをもって「スウェーデンは解雇自由」などと言うと濱口桂一郎さんが毎度怒ります。大変厳しい解雇規制の国なのです。日本だってそれを目指すことはできます。しかしもちろん、この転換の結果、現実には日本企業の雇用が不安定化してしまう恐れはあるでしょう。

 

しかし、もっと問題なのは、冒頭の濱口さんのブログのお話にもあるように、中途半端な「悪いとこどり」の対応をしてしまうことです。大きなリスクのない時代には、誰がどんな権限で決めたことかはっきりしないことを、みんな粛々と遂行するのが各自の責任と言っていても問題はなかったでしょう。しかしこれが、決定にリスクがともなう時代になってもなお続いていそうなので困ります。明らかに現場の誰も決定に参与していないのですが、誰かが考えたに違いないこと、しかし誰が決めたのかはっきりしないことを押し付けられます。それを粛々と遂行したあげくマズい結果になってしまったら、真の決定者は誰も責任を取らずに、現場の遂行者が「詰め腹」型の責任を取らされる──こういうことが起こりがちです。

 

経営側のどこかが決めているならば、はっきりとそう権限と責任を明確にして、現場に責任を及ぼさないようにする。現場に責任を負わせるのならば、それにふさわしい決定権を現場が握るようにする。これが真に必要なことになるわけです。

 

次回も拙著『商人道ノスヽメ』のテーマについて、引き続き解説します。

 

(本連載はPHP研究所より書籍化される予定です)

 

連載『リスク・責任・決定、そして自由!』

第一回:「『小さな政府』という誤解

第二回:「ソ連型システム崩壊から何を汲み取るか──コルナイの理論から

第三回:「ハイエクは何を目指したのか ―― 一般的ルールかさじ加減の判断か

第四回:「反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと『予想』

第五回:「ゲーム理論による制度分析と「予想」

第六回:「なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1

第七回:「ケインズ復権とインフレ目標政策──「転換X」にのっとる政策その2

第八回:「新スウェーデンモデルに見る協同組合と政府──「転換X」にのっとる政策その3

第九回:「「自己決定の裏の責任」と「集団のメンバーとしての責任」の悪いとこどり

 

サムネイル「A Panoramic View of the City of Tokyo」Yoshikazu TAKADA

https://flic.kr/p/of8BeX

 

 

 

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シノドス国際社会動向研究所

vol.269 

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・中西啓喜「データサイエンスは教育を「良い方向」に導くのか?――学級規模の縮小を例として」
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