2014.07.12
セクシャルマイノリティーと医療――誰でも受けやすい医療をめざして、思いを「カタチ」に
日本人の通院者数は、人口1,000に対して370.0にある(『平成22年 国民生活基礎調査の概況』)。癌や脳血管疾患、心疾患などで通院する人もいれば、生活習慣病や風邪など身近な体調不良で病院に訪れる方も多数いる。こどもから高齢者までさまざまな年代が集まる場所が、病院=医療機関である。
日本の中のLGBT(性的少数者)は人口の5~6%と言われている。言うまでもなくLGBT当事者も人間である。風邪もひくときもあれば、けがをするときもある。また、不慮の事故に巻き込まれる可能性だってある。そのような場合、やはり傷病を治すために病院を訪れる。
私はいま看護師として医療機関で働いている。本稿では、臨床の視点や看護師としての視点からLGBTと医療について考えていく。
安全な医療を提供することと当事者から見た医療の現状
最近「LGBTにフレンドリーな医療機関」という言葉をよく聞く。当事者にとっては、とてもありがたいものかもしれない。だが、そもそも病院=医療機関は誰もが訪れる場所であり、さまざまな人に対応していくのが生業として当然なことだろうと思う。
それにも関わらず、わざわざそうした言葉を掲げるのは、LGBT当事者のなかで病院に行きにくいと感じている方がいるからだ。それはなぜか?
まず、カミングアウトの問題が生じている。特にGID・GD(性同一性障害)の当事者の方々は戸籍上の性別で対応されることを苦痛に感じている。診察や検査の際、フルネームで呼ばれることがある。医療に従事している者として、患者が医師に指示された治療を安全に受けていただくためには、フルネームでの確認は重要なのだが、見た目(パス度)が自身の望む性別に近ければ近いほど、周囲の人の目がとても気になるのではないか。
また、病院によっては面会制限がある。これは、患者のプライバシーを守るべく、ごく近しい人のみが病気療養中である患者を見舞うためのものだ。その上、患者の看護や療養に関することを、家族のみと制限するところもある。
これは、患者にとって家族は一番の理解者であり、頼りになる存在であると考えられてきているからだ。確かにそうである。家族は具合が悪いときに、そばに寄り添って励ましてすべてを受け止めてくれるであろう。汗をかいた下着の洗濯や好きそうなものを差し入れてくれるのは家族かもしれない。
でも、患者のすべてを受け止められる存在が同性のパートナーである場合もある。同性であるパートナーは戸籍上、養子縁組をしていなければ家族とみなされない。そのため、いくら患者のことを理解していても、血縁関係以外のプライバシー保護を理由に患者の看護参加や面会すら許されない場合があるという。
確かに、関係のない方の面会は患者にとって「知られたくない情報を他人に知られる」恐れがある。しかしLGBTの患者にとって一番の理解者は、血縁関係にある家族ではなく、パートナーの可能性もあるのではないだろうか。看護参加は患者のためにどれだけ重要な意味を示しているのかを医療従事者全体で、もう一度考えていかなければならない。
また、医療の場における同意書などといった決定権も現在のところ血縁関係が優先される。患者が元気なころに考える余生などのことは、やはり一番身近な方が理解しているのではないか。一番身近な人間が誰なのか。患者の本心を理解している人間は誰なのか。患者にとって有益な医療を行うにあたり、決定権の拡大を希望したい。
当事者のカミングアウトから発信されるメッセージ
カミングアウトに関連する問題がもう1つある。
現在の制度では、同性愛者のパートナーの存在とGID(GD)など、戸籍上の性別と見た目の性別が違うことに対応しきれていない可能性が高い。
例えば入院などの際には、患者のことについての主な連絡先や家族関係など、キーパーソンとなる人を概ね1名挙げる必要がある。そのキーパーソンを通じて、有事の際は関係者に連絡を取っていただくのが主流となっている。その際、同性のパートナーがキーパーソンである場合、「理解してもらえないのではないか?」「同性愛者であることが他人に知られてしまう」など危機感を持っているのではないか。
また、外来受診時に自身の順番になり名前を呼ばれるときに、戸籍上の性別と見た目のギャップがあることで「他人はどのように感じているのか?」という不安を覚えることや、性別が関係する検査(検尿など)において、戸籍上の性別で扱われることに苦痛を感じているのではないか。
どちらのケースにおいても、実はすでに当事者(患者)、そして医療者側にとっても役に立つツールが存在する。それは問診票である。問診票では【1】どんな症状があるのか【2】いつからその症状が起きているのか(病院に来る前にどのような対処をしたのか)【3】既往歴【4】現在の生活など記入する欄がある。こうした内容は守秘義務において、公開や活用については慎重に保護されている。通院や入院の際には、現在の生活やその他の欄を利用して、セクシャルマイノリティーであることを申し出ることが可能であれば、信用して問診票に記入していただければ幸いである。
また、看護者の倫理綱領条文2において「看護者は、国籍・人種・民族・宗教・信条・年齢・性別及び性的指向・社会的地位・経済状態・ライフスタイル・健康問題の性質に関わらず、対象となる人々に平等に看護を提供する」とうたわれている。したがって、どんな人々でも医療を受ける権利がある。医療の場面で差別はしない。生命・尊厳および権利を尊重することが義務づけられている。看護者は患者と家族(パートナー)の中心であり、医療と社会を結ぶために重要な役割であることを忘れてはならない。
医療従事者や医療を学ぶ学生に対して教育の現状とこれから
まだまだ、セクシャルマイノリティーに対応できる医療機関・医療従事者は広まっているとはいえない。それはなぜだろうか?
まず、医療従事者への教育の問題が挙げられる。医療従事者への教育のカリキュラムは厚生労働省や文部科学省により決められている。必須学習要領が定められているなか、限られた時間の中で、現場ではさまざまな方法や時間配分で学生を教えている。そこには医療従事者となるために必要最低限のベースとなる内容に加え、日進月歩する医療の発展に伴うこと、社会・医療制度の変更や変更の背景・内容、激動する社会情勢なども含まれている。
その中で、ジェンダーやセクシャリティーをメインとする教育を行っている学校は数少ない。私自身、看護学校では、ジェンダーやセクシャリティーをメインとする学習はほんの5分程度で、内容的にも「性同一性障害というものがある」「性分化疾患というものがある」「生殖医療」だけであった。
大学などでジェンダー論などを学習する機会はあるものの、選択制であることが多いと聞く。重点的にジェンダーやセクシャリティーを学習する機会はほとんどないと言っても過言ではないのが現状である。それはなぜか? 医療従事者は実地実習を受けるのだが、厚生労働省や文部科学省で定められた実習時間の捻出、そして実習に臨む前の準備(実習の事前学習や実技演習)で、その他の学習を受ける余裕が得られていない。また、必須学習要領以外の学習内容は学校により一任されており、どうしてもジェンダーやセクシャリティーを学習する時間はないのである。
そもそも、「多様な性別・LGBT」などのジェンダーやセクシャリティーをどのように学習させ、理解してもらおうとするか、その学習指針は曖昧である。それとともに現場レベルでは、専門的知識がある教員が少ないため、ジェンダー・セクシャリティーへの理解が深まっていかないのではと感じる。教育方法や知識ある教育者、そして学習機会がない状態では理解が深まらない上、何となくメディアなどで知っている程度の知識のまま臨床の場へ出てしまっている。当然のことながら、「多様な性」の内容やLGBT当事者のことを正しく理解・認識していない。
加えて、身近なコミュニティーにおいて実際にLGBT当事者と対面することが少ないために、患者・利用者などに対応するイメージがわかないのではないかと考える。メディアで目にするタレントなどのイメージしかない。そんな中、当事者が患者として、または家族として訪れたときに「あたふたしてしまう」「腫れ物に触る感じ」「デリカシーがない」対応になってしまうのではないか。
高齢化と診察時間内でのコミュニケーション
先に述べたように、日本の中のLGBT(性的少数者)は人口の5~6%である。「まさか当事者がうちの医療機関にいるとは」というように、想定をしていないのではないか。
超高齢化社会の日本。高齢化率が平成25年度は24.1%となった(『内閣府/高齢社会白書』)。医療機関にかかる患者は高齢者が主であり、その中でLGBT(性的少数者)は少ないとされる。私の勤務先でも、通院・入院患者の平均年齢は70.1歳であり、やはり高齢者が訪れる場合が多い。
また、診察時間の平均は、10~20分程度である(『厚生労働省平成24年』)。10~20分の中で問診や診察室内での検査・処置をするとなると、あっという間に時間が過ぎてしまう。医師や看護師などの観察力の問題もあるかもしれないが、限られた時間の中でのコミュニケーションでは、本人がカミングアウトしない限り、気が付くことはできないだろう。
セクシャルマイノリティーに関する教育を推進していく必要性
今後、どのようにしていけばLGBT当事者が医療機関に行きにくいと感じることなく、理解・認識が深まっていくのだろうか。
医療従事者を養成する教育課程だけでなく、以前の学校教育(小学校・中学校・高校)から、成長や理解度に合わせた教育が必要ではないかと考える。幼少の頃から「LGBTなどの具体的な内容」や「LGBTという多様な性別が周りの友達などにいる」というおおまかな内容を少しずつ教育していき「聞いたことがある」「何となく知っている」状況を作りでしていけば、全く教育を受けずに大人になった方より、未経験による偏見やアレルギー様のショックは少なくなるのではないかと考える。
そのためには、正しい知識を持つ教育者が必要である。その担い手として、養護教員が例に挙げられる。担任の先生や両親に言えない悩みなどを打ち明ける人として、友人の次が、養護教員であることが多いと聞く。自らの性(月経や精通)などの悩みや恋愛、体の悩みなど相談しやすいとのことだ。
もちろん、学校の養護教員や教諭はとても忙しい。授業の準備や課外活動、一般の企業のようなデスクワークと教育委員会からの課題など多岐に渡る。また、保護者とのつながりや各種研修など膨大な激務をこなしている。負担にならない程度で養護教員を中心とした、一般の教諭など教育者を育成し、曖昧ではない教育指針が構築されることに期待したい。
医療従事者を養成する過程の中での教育は、医療従事者の倫理関係の講義で取り上げるのがいいのではないか。タイトな教育スケジュールであるが、さまざまな人々と接する医療従事者であるため「多様な性別を生きる人」について、たとえ1時間でもいいので考える機会が重要である。
そして、各種資格取得後に臨床の現場へ出てからの卒後教育内で実践や対応する技術など学んでいくという方法がよいのではないか。看護師の分野では、卒後1~2年は業務や患者に合った、より専門的知識を学ぶのに精一杯である。3年目以降は、今までの学んだことを活かし、後輩の模範となる行動をとらなければならない。その中で、後輩(新人)の教育・指導をすることもある。その頃を見計らってLGBTの再学習や「多様な性別の人への対応方法」について学び、理解・認識を深める方法がいいのではないだろうか。
この場合、民間の団体やセクシャルマイノリティーに関して研究や講演活動を行っている一般の方に「よりリアルな」「明日から活かせるスキル」を講義していただくのが実践的であると考える。その教育の中で、副主任・主任・各セクションの責任者(トップコーディネーター)向けの研修を義務化していく。責任者があたふたしたり、知識や対応技術がないのでは意味がないし、後輩や部下への適切な指示・指導ができないのでは当事者である患者に影響していくからだ。専門知識を熟知するスペシャリストとともに多様性を含めたジェネラリストという、リーダーシップが大切であると考える。
また、病院など医療機関では「患者の声」として通院・入院患者によるアンケートがある。これは「○○がよかった」「△△が悪かったので早急に対応してほしい」という感想・要望である。病院の中に開示されているのを見たことがあるかもしれない。この感想・要望を受け止め、各セクションで情報を共有して当事者への対応や対策(マニュアル化)などに活かしていくといいのではないか。
例えば「エントランスの車いすが乱雑に置かれていて歩行するのに邪魔である」「検査する部屋が分からず迷っていたら□□さんが丁寧に案内してくれて助かった」「ナースコールを押したが、なかなか対応してくれなかった」という、そのとき、その場所で言えなかったことを後に伝えていただけるというものだ。当事者である患者にアンケートに協力していただくという手間や負担があるが、ありのままの状況や実際に感じたことを書きとめていただくことで、できていなかったことを改善し、できていることを更によくして誰もが訪れる医療機関を目指していくことができる。
「カタチ」のないものから「カタチ」を定着させていく
このように、誰もが訪れる医療機関においてはさまざまな対応や配慮が必要である。そしてそのためのスキルが重要となる。現在、医療分野でセクシャルマイノリティーへの対応など積極的に行っている医療機関もある。しかし、全国規模となるとまだまだ不十分であるのは否めない。何でも「カタチのないもの」を「カタチにする」という生みの苦労や紆余曲折はある。
しかし、何もしないままでは「カタチ」は生まれてこないのだ。現代の社会制度や教育制度などもさまざまな変遷を経て、現在のカタチになっている。ここで述べたものは「理想すぎる」「一方的な方法や考え」かもしれない。ただ、私自身が臨床の現場で看護師として働いているなかで、多様なバックグラウンドがある患者と家族に接している。セクシャルマイノリティーに限らず、家族のカタチは1つではない。もちろんセクシャルマイノリティーである患者とも接したことがある。
セクシャルマイノリティーに関する各分野で活躍されている方々と協力しながらカタチにしていきたい。どんな人々も安心して傷病を癒せる医療機関を目指して、一人一人が考えていき「カタチ」にできる世の中でありたい。私たちは明日という未来に向かって生きている。人の一生の中で生死をさまよう状況も生まれる。死んでもいい命はない。生きられる命を守り、その命が危機に達しているなかで、看護師(医療従事者)として、患者と家族の中心であり続けたい。
セクシャルマイノリティーの当事者に、よりよい医療を安全・安楽に受けていただけるためには、今ここから考えていかなければならない。
あわせて読みたい関連記事
・誰もが愛する人と安心して人生を送られる社会を目指して――体験談から法制度、ロビー活動まで
・LGBTと「社会的養護」――家庭を必要としている子どもたちのために
・セクシャルマイノリティーと医療――誰でも受けやすい医療をめざして、思いを「カタチ」に
・LGBTと健康――あなたのことも生きづらくする、ありふれた7つのこと
・「LGBT当事者の声をもっと聞きたい」――国会議員へのLGBT施策インタビュー
・日本は、LGBTの取り組みが遅れている――国会議員へのLGBT施策インタビュー
・一人一人の行動で、多様性が尊重される社会に――国会議員へのLGBT施策インタビュー
・子ども達が希望を持って生きられる社会を――国会議員へのLGBT施策インタビュー
サムネイル「I know it’s not Valentine yet but I’m full of love ideas these days…I will upload more for Valentine… : )」le vent le cri
プロフィール
田村凌
(1978年生まれ)群馬県育ち。一般の企業に就職後、医療従事者を志し看護助手→准看護師→看護師として病院に勤務している。自らもFTMでありGID当事者である。看護師の知識・技術を活かしてGID当事者の看護の視点から支援団体「Natural Life Medical Treatment care」(2013)を設立。代表・発起人。団体のコンセプトは『GID医療が当事者にとってより自然な生活を送れることを目指す』である。