セクシャルマイノリティーと医療――誰でも受けやすい医療をめざして、思いを「カタチ」に

【シノドスに参加しよう!】

▶メールマガジン「αシノドス」

 https://synodos.jp/a-synodos

▶セミナー「シノドス・サークル」

 https://synodos.jp/article/20937

▶ファンクラブ「シノドス・ソーシャル」

 https://camp-fire.jp/projects/view/14015

日本人の通院者数は、人口1,000に対して370.0にある(『平成22年 国民生活基礎調査の概況』)。癌や脳血管疾患、心疾患などで通院する人もいれば、生活習慣病や風邪など身近な体調不良で病院に訪れる方も多数いる。こどもから高齢者までさまざまな年代が集まる場所が、病院=医療機関である。

 

日本の中のLGBT(性的少数者)は人口の5~6%と言われている。言うまでもなくLGBT当事者も人間である。風邪もひくときもあれば、けがをするときもある。また、不慮の事故に巻き込まれる可能性だってある。そのような場合、やはり傷病を治すために病院を訪れる。

 

私はいま看護師として医療機関で働いている。本稿では、臨床の視点や看護師としての視点からLGBTと医療について考えていく。

 

 

安全な医療を提供することと当事者から見た医療の現状

 

最近「LGBTにフレンドリーな医療機関」という言葉をよく聞く。当事者にとっては、とてもありがたいものかもしれない。だが、そもそも病院=医療機関は誰もが訪れる場所であり、さまざまな人に対応していくのが生業として当然なことだろうと思う。

 

それにも関わらず、わざわざそうした言葉を掲げるのは、LGBT当事者のなかで病院に行きにくいと感じている方がいるからだ。それはなぜか?

 

まず、カミングアウトの問題が生じている。特にGID・GD(性同一性障害)の当事者の方々は戸籍上の性別で対応されることを苦痛に感じている。診察や検査の際、フルネームで呼ばれることがある。医療に従事している者として、患者が医師に指示された治療を安全に受けていただくためには、フルネームでの確認は重要なのだが、見た目(パス度)が自身の望む性別に近ければ近いほど、周囲の人の目がとても気になるのではないか。

 

また、病院によっては面会制限がある。これは、患者のプライバシーを守るべく、ごく近しい人のみが病気療養中である患者を見舞うためのものだ。その上、患者の看護や療養に関することを、家族のみと制限するところもある。

 

これは、患者にとって家族は一番の理解者であり、頼りになる存在であると考えられてきているからだ。確かにそうである。家族は具合が悪いときに、そばに寄り添って励ましてすべてを受け止めてくれるであろう。汗をかいた下着の洗濯や好きそうなものを差し入れてくれるのは家族かもしれない。

 

でも、患者のすべてを受け止められる存在が同性のパートナーである場合もある。同性であるパートナーは戸籍上、養子縁組をしていなければ家族とみなされない。そのため、いくら患者のことを理解していても、血縁関係以外のプライバシー保護を理由に患者の看護参加や面会すら許されない場合があるという。

 

確かに、関係のない方の面会は患者にとって「知られたくない情報を他人に知られる」恐れがある。しかしLGBTの患者にとって一番の理解者は、血縁関係にある家族ではなく、パートナーの可能性もあるのではないだろうか。看護参加は患者のためにどれだけ重要な意味を示しているのかを医療従事者全体で、もう一度考えていかなければならない。

 

また、医療の場における同意書などといった決定権も現在のところ血縁関係が優先される。患者が元気なころに考える余生などのことは、やはり一番身近な方が理解しているのではないか。一番身近な人間が誰なのか。患者の本心を理解している人間は誰なのか。患者にとって有益な医療を行うにあたり、決定権の拡大を希望したい。

 

 

当事者のカミングアウトから発信されるメッセージ

 

カミングアウトに関連する問題がもう1つある。

 

現在の制度では、同性愛者のパートナーの存在とGID(GD)など、戸籍上の性別と見た目の性別が違うことに対応しきれていない可能性が高い。

 

例えば入院などの際には、患者のことについての主な連絡先や家族関係など、キーパーソンとなる人を概ね1名挙げる必要がある。そのキーパーソンを通じて、有事の際は関係者に連絡を取っていただくのが主流となっている。その際、同性のパートナーがキーパーソンである場合、「理解してもらえないのではないか?」「同性愛者であることが他人に知られてしまう」など危機感を持っているのではないか。

 

また、外来受診時に自身の順番になり名前を呼ばれるときに、戸籍上の性別と見た目のギャップがあることで「他人はどのように感じているのか?」という不安を覚えることや、性別が関係する検査(検尿など)において、戸籍上の性別で扱われることに苦痛を感じているのではないか。

 

どちらのケースにおいても、実はすでに当事者(患者)、そして医療者側にとっても役に立つツールが存在する。それは問診票である。問診票では【1】どんな症状があるのか【2】いつからその症状が起きているのか(病院に来る前にどのような対処をしたのか)【3】既往歴【4】現在の生活など記入する欄がある。こうした内容は守秘義務において、公開や活用については慎重に保護されている。通院や入院の際には、現在の生活やその他の欄を利用して、セクシャルマイノリティーであることを申し出ることが可能であれば、信用して問診票に記入していただければ幸いである。

 

また、看護者の倫理綱領条文2において「看護者は、国籍・人種・民族・宗教・信条・年齢・性別及び性的指向・社会的地位・経済状態・ライフスタイル・健康問題の性質に関わらず、対象となる人々に平等に看護を提供する」とうたわれている。したがって、どんな人々でも医療を受ける権利がある。医療の場面で差別はしない。生命・尊厳および権利を尊重することが義務づけられている。看護者は患者と家族(パートナー)の中心であり、医療と社会を結ぶために重要な役割であることを忘れてはならない。

 

 

医療従事者や医療を学ぶ学生に対して教育の現状とこれから

 

まだまだ、セクシャルマイノリティーに対応できる医療機関・医療従事者は広まっているとはいえない。それはなぜだろうか?

 

まず、医療従事者への教育の問題が挙げられる。医療従事者への教育のカリキュラムは厚生労働省や文部科学省により決められている。必須学習要領が定められているなか、限られた時間の中で、現場ではさまざまな方法や時間配分で学生を教えている。そこには医療従事者となるために必要最低限のベースとなる内容に加え、日進月歩する医療の発展に伴うこと、社会・医療制度の変更や変更の背景・内容、激動する社会情勢なども含まれている。

 

その中で、ジェンダーやセクシャリティーをメインとする教育を行っている学校は数少ない。私自身、看護学校では、ジェンダーやセクシャリティーをメインとする学習はほんの5分程度で、内容的にも「性同一性障害というものがある」「性分化疾患というものがある」「生殖医療」だけであった。

 

大学などでジェンダー論などを学習する機会はあるものの、選択制であることが多いと聞く。重点的にジェンダーやセクシャリティーを学習する機会はほとんどないと言っても過言ではないのが現状である。それはなぜか? 医療従事者は実地実習を受けるのだが、厚生労働省や文部科学省で定められた実習時間の捻出、そして実習に臨む前の準備(実習の事前学習や実技演習)で、その他の学習を受ける余裕が得られていない。また、必須学習要領以外の学習内容は学校により一任されており、どうしてもジェンダーやセクシャリティーを学習する時間はないのである。

 

そもそも、「多様な性別・LGBT」などのジェンダーやセクシャリティーをどのように学習させ、理解してもらおうとするか、その学習指針は曖昧である。それとともに現場レベルでは、専門的知識がある教員が少ないため、ジェンダー・セクシャリティーへの理解が深まっていかないのではと感じる。教育方法や知識ある教育者、そして学習機会がない状態では理解が深まらない上、何となくメディアなどで知っている程度の知識のまま臨床の場へ出てしまっている。当然のことながら、「多様な性」の内容やLGBT当事者のことを正しく理解・認識していない。

 

加えて、身近なコミュニティーにおいて実際にLGBT当事者と対面することが少ないために、患者・利用者などに対応するイメージがわかないのではないかと考える。メディアで目にするタレントなどのイメージしかない。そんな中、当事者が患者として、または家族として訪れたときに「あたふたしてしまう」「腫れ物に触る感じ」「デリカシーがない」対応になってしまうのではないか。

 

 

1 2
シノドス国際社会動向研究所

vol.265 

・大賀祐樹「こんな「リベラル」が日本にいてくれたらいいのに」
・結城康博「こうすれば介護人材不足は解決する」
・松浦直毅「アフリカ」
・山岸倫子「困窮者を支援するという仕事」
・出井康博「「留学生ビジネス」の実態――“オールジャパン”で密かに進む「人身売買」」
・穂鷹知美「ヨーロッパのシェアリングエコノミー――モビリティと地域社会に浸透するシェアリング」
・鈴木崇弘「自民党シンクタンク史(9)――「シンクタンク2005年・日本」第一安倍政権崩壊後」